2. 目の前で推しが苦しんでいるなら
オタクをやっていた前世の私には、人生を捧げた推しがいた。
その推しは、『MY ONLY PRINCE』というスマホアプリの乙女ゲームに出てくる攻略対象の1人で、このゲームは略してマイプリと呼ばれていた。Onlyはどこへいった。
マイプリは王道乙女ゲームで、ざっくり説明すると、光属性のヒロインが学園生活を通して素敵なイケメンと恋をし、幸せになるストーリーである。ベタな設定だが、個別ルートのストーリーがとても凝っているのと、攻略対象キャラの圧倒的ビジュアルで人気があったゲームだ。
簡単なパズルゲームを進めることでストーリーを読むことができ、パズルで使う推しのカードのガチャにはいくら注ぎ込んだのかわからない。『私の財布は推しのもの、推しは私が生かす』が友人と私の合言葉だった。
それまでもオタクはやっていたのだが、ソシャゲやRPG、アニメがメインで、乙女ゲームに興味なんてなかったのに、ネットの広告で推しを見た瞬間、一瞬で人生が狂わされてしまった。
歴代推しを抜いて、ぶっちぎりの一位、おめでとうございます、という感じ。
もう、私の性癖にぶっ刺さったのだ。
その日から彼は私の最推しとなった。
名前を、メアリクス=ブランシェット様という。
通称、メア様。
顔がいい人は名前まで素晴らしい。
完全に解釈通りである。ありがとう、運営。
黒髪で神秘的な圧倒的美貌、不幸な生い立ち、クールな性格、ヒロインにだけ見せる笑顔。その全てが大好きだった。
また、ストーリーも神レベルで、人気の作家さんが書いていただけあって号泣必至だった。
イベントのストーリーもまた沼に突き落としに来ていて、何度時間とお金を費やして走ったのかわからない。
最後の、エンディングなんてもう、何回泣いたと思う!?私もわかんないぐらい泣いた!!
ありがとう!!推し!!!
危ない危ない、荒ぶるな、私、落ち着け。
最初に見た時は、そのしんどさのあまり語彙力が溶けて「死ぬ、死んだ、尊い、神」しか言えなくなった。
その気持ちを誰かに伝えたいと思い、そんな語彙溶け文章を、昼夜問わず私に送られていた友達は本当にいい迷惑である。
ちなみにマイプリは、課金するとエンディング後の生活が読め、その時の友達とのやりとりは、
「360円で推しとデート出来るってマジ?
プライスレスすぎない?」
「現実の10分の1じゃん、本当に大丈夫?
コスパ良。頭おかしい」
が定番だった。
彼氏?何それ、美味しいの??
頭がおかしいのはお前たちの方だぞ、と共通の友人には言われたが、狂いきった私の頭はとっくに手遅れだった。
それから、推しのために生きる日々が始まった。ゲームイベントを死ぬ気で走り、リアルイベントにも当然のように参加。そして、アクキーとぬいぐるみをいつも鞄にいれて持ち歩き、推しと旅行までやってのける女だった。
えぇ、限界オタクですが??
もちろん、死ぬ時にやっていたアプリもマイプリである。まさに人生捧げてるな、私。
その、人生を捧げた推し様が、今、目の前にいる。
他人の空似、というには似過ぎているし、きっと本物なのだと思う。むしろ、これが偽物なら何が本物なのだ。これは本物だと、前世の私が全力で叫んでいる。
「……ッ」
メア様が、身動ぎして苦しそうに息を吐き出した。どうしよう、熱があるのだろうか。
見たところボロボロだし、見える範囲にもいくつか切り傷のようなものがあり、わりと派手に血が滲んでいる。そこから菌が入って発熱していてもおかしくない。
おでこに手を当てて確かめたいが、当ててもいいのだろうか。
私は、メア様に伸ばしかけた手を慌てて止めた。
私が?触る??メア様に??
そんな贅沢、いいのだろうか。
お金も払ってないのに??タダで?
不敬すぎる。
メア様が許しても私が許さない。
でも。
もう1度周りをキョロキョロと見渡してみたが、やはり人の姿はない。
「今、メア様を助けられるのは私しかいない……!」
このままメア様を見ているうちに容態が悪化して、万が一、なんてことになったら首を吊るしかない。
「あとでどんな罰でも受けます」と心の中で決意し、肌がきめ細かすぎるメア様の顔に、恐る恐る手を伸ばす。
落ちつけ私、騒ぎたい気持ちは死ぬほどわかるが、騒いでいる場合じゃない。
「……ごめんなさい!」
私の中の限界オタクを黙らせ、メア様のおでこに手を当てる。めちゃめちゃ熱い。
体感で40度ぐらいはありそうだ。
早く治療を受けてもらわないと、危ないかもしれない。
でも、でも。
「待って。今、メア様のこと助けてもいいのかな……」
メア様は、圧倒的な権力を持つ、帝国でも有数の名家であるブランシェット家の第二子である。ゲームでは国名までは明かされていなかったが、多分隣国のヴァイツ帝国のことだろう。
ブランシェット家は、国庫を司っている財務省のトップを務めてきた家で、実質国王よりも力を持つとか言われている、国の裏のトップとされる家だ。もちろん、王室に何人も婿や嫁を出している。
しかし、メア様はブランシェット家の当主が使用人に手を出して産まれた子だ。
メア様のお母様が使用人だというのをいいことに、莫大な口止め料を渡して屋敷を追い出し、市民と同じ生活をさせることにしたのだ。
そして、数年後に当主と正妻の間に第二子が産まれ、今まで、第一子に何かあったときのスペアとして生かされていたメア様は、当主に暗殺者を送り込まれるのだが、なんとメア様は類稀なる魔法の才能で返り討ちにしてしまう。
しかし、逃げて弱っていたところを奴隷商人に捕まり、別の暗殺者組織に売られてしまい、暗殺者をしていた、とヒロインに語っていたのを覚えている。
メア様は今、どの段階なのだろうか。
パッと見、私と同い年の13歳ぐらいに見えるが、私が知っているのは、大まかな流れだけで、メア様が今どんな状態なのかがわからない。
ここで助けても、いいのだろうか。
前世でもしメア様を見つけていたら迷わず拾っていたが、この世界はきっと、マイプリの世界なのだろう。
メア様には運命がある。
暗殺者をやらされていた時に、確か1度ヒロインと会っていたし、そのときに貰ったハンカチを大切にしてるとか、いろいろストーリーがあった。
過去編はまだ、未実装だった部分もあったので、ここで私が助けるのが、正解なのかわからない。
待って、なんだか頭がこんがらがってきた。
つまり、ここで私がメア様を助けた結果、ストーリーを曲げてしまうかもしれないということだ。
でも、目の前には苦しそうなメア様がいる。
目の前には!!苦しそうな!!推しがいる!!!
私は、迷わずメア様を担ぎ込んだ。
軽い。めちゃめちゃ軽い。
女の子である私よりも軽い。
ちゃんとご飯を食べられているんだろうか。
それから、猛ダッシュで家へと運びこむ。
驚きの速さ。今ならボルトも超えられる。
何せ、私は推しのためなら何だってやってのける女だ。
そしてお店に『数日休みます』と書いた札をかけてから私のベッドに寝かせた。
「洗濯しておけばよかった!」とか、「掃除しておけばよかった!」とか、いろいろ後悔は多いけれど、このさい仕方がない。
私は急いで解熱剤と痛み止めを用意してメア様に投与した。さらに、傷に効く塗り薬を切り傷に塗り込んでいく。
限界オタクが何度か目覚めそうになったが、なんとか医療魂で押さえ込んだ。
そもそも、私の手当のせいで傷になったりしたら一生病むし、死んで償わなければならない。
一通り治療が終わると、メア様は解熱剤の副作用で眠っていた。しんどそうに息を吐いている。
店にある最高級の薬を使ったが、助かるとは言い切れないほどの熱だった。
あとはもう看病をして祈るしかない。
「よいしょっと……」
水に浸した濡れタオルをよく絞り、メア様の頭の上に載せた。
「……早く元気になりますように。お願いします、神様。メア様を助けてください。私が代わりに全部、引き受けますから!!」
手を胸の前で組んで祈るように言い、メア様の頭を撫でる。
ゲームでは光の輪が輝いていた、艶々の黒髪はザラザラしていて、メア様が苦労してきたのだということがわかる。
本当は真っ白でなめらかなはずの肌も荒れていて、手足は棒のように細かった。
栄養状態があまり良くないのだろう。
そもそも、一体どうしてあんな路地裏に倒れていたのだろうか。あんなところを通る人間はほとんどいない。
地元の人でも、用がない限り入らないし、そもそも路地裏に用があることなんてほとんどない。あのまま倒れていても、誰かに助けられることはあったのだろうか。
そんなことを考えて、溜め息をつくように言葉を吐き出す。
「助けて、しまった」
だって、ほうっておけなかった。
ストーリーを壊してしまうとかいろいろ考えたけど、目の前で苦しんでいる推しをそのままにすることなんて出来なかったのだ。
もしこの行動がストーリーを狂わせるものだったとしても、後悔はしていない。
これからも後悔しない自信がある。
助けられる推しを放っておくことなんて、できるわけがない。
オタクをやっていると、自分の推しが死んでしまったりとか、辛い目にあったりしていることはわりとありふれているはずだ。
でも、実際に手を差し伸べられる訳ではない。
同じ世界の住人ではないからだ。
だから、前世で推しが死んだときは友達と一緒に擬似お葬式をして、有給を取って病みに病むことしかできなかったし、推しの辛いシーンではボロ泣きすることしかできなかった。
でも、今なら推しを助けることが出来るのだ。
もし自分の推しが苦しんでいたとして、それを助けないオタクがいるだろうか?そんなのいるはずがない。これは断言できる。
だから、推しを治療したことは後悔していない。後悔はしていないんだけど。
「これからどうしよう……」
とりあえず、メア様がどうして路地裏にいたのかを聞かなければならない。それによって、今後どうすればよいかが決まってくる。
ちらりと、メア様の様子を見ると、ぐっすりと眠っていた。呼吸も安定しているし、まだ当分目覚めないだろう。
「それまでに、部屋片付けなきゃ」
もともとそんなに汚している訳ではないが、メア様がいるのだ。
本当は最高級ホテルを手配したいぐらいなのに、この部屋しか用意できないんだから、ピカピカにせねばならない。
それに、今になって思うと、メア様が目覚めないかもしれないという不安に押しつぶされそうだったから、というのもあったかもしれないように思う。
私は、ペチンと、自分の両頬を叩いた。
「……よしッ!!」
気合いをいれ、私は早速掃除にとりかかった。
しかし、それから丸3日経っても、メア様は目覚めなかった。