2. メア様課金システム
突然吹いた風に、夏服のスカートがひらりと揺れる。じわりと浮かんできた汗が鬱陶しくて、額を拭った。
「蒸し暑くて嫌になりそう…」
その様子を見て、マリア様も額を拭って口を開く。
「本当は室内でスケッチしたいんですけど、原作は外ですし…!ここで妥協なんてしてられないですよね!!」
「そうだね、絶対負けられない戦いがここにあるからね…!」
そう言って私達は、水分補給をして持ち場に戻った。
「メア、ちょっと目線下げてください。ルルカはもう少し足の向きが…はい、オッケーです!!マリア様、チェックお願いします!!」
「了解です!!んー…惜しいですね。
もう少し立ち位置の変更とかお願いしてもいいですか?」
夏服に衣替えをした私達は今、スチル再現に必死だった。
こうなったきっかけは、2日前に遡る。
「夏服ヤバくない…?」
「ヤバイですよね…」
「いつにも増して語彙力がないわね…」
いつも通りカフェに集まった私とマリア様は、呆れているルルカを横目に、頭を抱えて机に倒れ伏した。
話題は、春、冬服から夏服に衣替えしたことである。
「いや何なの、あの夏服。かわいいしカッコいいし、運営にファンレター10枚送りたい」
「分かります……。いやほんと、オタクの理性を試してるんですかね?大丈夫ですか、あれ。本当に無料で見ていいやつですか??諭吉納めたくなってくるんですけど」
「それ過ぎる……。色とか襟のマークとか最高だよね、生地とかもいいし、全部いい……」
「これであのスチル再現したらヤバくないですか、見たくないですか、お金払いたくないですか」
「払いたい…払いたいです…」
結論。素敵過ぎる夏服を無料で拝めるのが申し訳ないので、お金が払いたい。スチルが見たい。課金がしたい。
そんな、普通の人が聞いたら頭が狂ってるとしか思えないような会話を聞いていたルルカは、事もなげに解決案を出してくれた。
「それなら、払えばいいのではないかしら?」
「「……え?」」
「お金は受け取って貰えないかもしれないけれど、他のメリットを提示したらいいのではないかしら。メアリクス様なら喜んで協力してくれると思うし、あなた達の話してる、すちる?再現とやらもやってくれるかもしれないわよ」
「……それだッ!!」
「……それですッ!」
私達はキラキラした目でお互いの顔を見つめ合った。同じオタク同士、課金出来るのであればやりたいことは決まっている。
「リゼさん、私はルルカさんを」
「分かった、私はメアに課金してくる」
「また日にちは追々決めましょう。私、同人活動をしていたので、イラストでなら後世に残せます」
「待って、最高だね…!?後世に残すしかないよね、こうなってきたら。小道具はこっちで用意するから任せて!!」
そして、言葉少なに分かり合った私達はうんと頷いて行動に移った。
屋敷に帰ってすぐにメアに時間を作って貰った私は、すぐに課金させて欲しいことについての話をつけた。
「……?つまり、僕がリゼのお願いを叶える代わりに、リゼが僕に何かしてくれるってこと?」
「うん。私ごときでメアへのお願いと等価交換になるかは分からないけど、精一杯頑張るから…!!だから、あの、お願いきいてくれたら嬉しいな…?」
胸の前で握り拳を作り、メアを上目遣いで見つめる。それを見てメアは、無言のまま固まっている。
マリア様に、「これをやればメア様なんてチョロいです」と断言されたからやってみたけど、やっぱり私だったら魅力不足だっただろうか。恥ずかしい。
そう思ってやめようとしたが、メアの顔がじわじわ赤く染まっていくのが見えて、手を元に戻した。
私から目を逸らしたメアは、低い声で私に尋ねた。
「……それ、リゼに教えたのだれ」
「ま、マリア様が、メアに喜んで貰えるって…」
「はぁ…ほんと、余計なことをッ……」
「わ、私が悪いの!やっぱ不快だったよね、ごめん、今すぐ忘れて!!」
やってしまった。調子にのりすぎた。
そう思って青ざめていると、メアは「なんで?」と低い声で続けた。
「え、だって、私が見苦しすぎたから…」
「違うから。リゼが可愛すぎて、理性飛びかけただけだから。こっちは必死で我慢してるのに、またそんな涙目になんてなられたら煽ってるとしか思えないからね?」
「……へ。ちがっ、煽ってなんか…!」
「なら早く自覚して。リゼは世界一可愛いの。だから、思いつきで上目遣いなんてしないで。……それとも、もう我慢しなくてもいい?」
「ひぃ……」
メアは、いつか見たドロドロに蕩けた目で私を見つめていた。ヤバイ、何かおかしいスイッチを踏んでしまった。
どうしよう、マリア様、効果があり過ぎたのですが!?
マリア様に助けを求めても、ここは屋敷。メアの部屋。助けなんて来る訳がない。
「また涙目になっちゃって、かわいい」
「…めあ、わたし、」
メアは私に近づいて、ちゅ、と首筋にキスをした。それがくすぐったくて、「ひゃあ…」と声を出した私を見てクスクス笑ったメアは、とろりと溶けそうなほど甘く笑って私を見ている。
「ふふ、仕方ないから見逃してあげる。これに懲りたら、僕以外の人にもやろうとか死んでも思わないでね」
「分かりましたっ、私が悪かったです、もうしないです…!」
と、メアに謝って、ふと思った。
あれ、なんで私、こんな目にあってるんだ…?
メアだっていつも私に上目遣いをしてくるくせに、私が上目遣いをしたらこんな目に遭うのは理不尽なのではないか。
そう気づいて訴えようとしたけれど、メアが
「リゼのお願い、叶えてあげてもいいよ。リゼが毎日、僕に行ってきますのキスをしてくれるならね?」
とか言いだすから、訴えるどころではなくなる。
「なっ、えっ、キスはハードルが高くないですか!?そもそも、行く場所は一緒な訳だし…!」
「じゃあこの話はなかったことに。残念だなぁ、リゼのお願いなら何でも叶えてあげたいけど」
そう言ってニヤニヤ笑うメアは、完全に私のことを分かっている。それなのに頷いてしまうのは、惚れた弱みからだろうか。
「…ぐぬぬ……悔しい…足元を見られている…。ッ、それでいいよ!もってけドロボー!」
「僕、ドロボーじゃないし。ふふ、契約成立ね。」
こうして、メア様課金システムが成立。
同じく、ルルカを新作ケーキで釣り上げたマリア様との打ち合わせの結果、ようやくスチル再現会が実現したのだ。
「メア、少し後ろに下がって…そう!そこです!!!」
「リゼさん、天才です。この光景を見られただけでも死んでもいいです…!」
「いやわかる…!!もう見えるよね、マイプリの世界が!!」
「尊い…尊過ぎて涙出てきました…」
「わかる…!!ここがいいって言いたいのに、全部良すぎて言語化出来ない…」
微調整に微調整を重ね、私達はついに夏服スチルを完成させた。
夏服をはためかせて木陰で休むヒロインの頭に、自作の花の冠をぶっきらぼうにのせるメア様。2人の表情は対照的だが、確実に春より縮まった距離が伺える。
まさにメア様がヒロインがくれたクッキーのお礼に、花の冠を渡すシーンが見える。そうですこれです、これが見たかったんです…!
「…これ、いつまでやればいいのかしら。しかもメアリクス様とだなんて」
「は?こっちだって好きでやってるわけじゃないんだけど?リゼに頼まれて仕方なくだから」
「はぁ…?私だって頼まれてなかったらここに居ないわ」
泣き崩れる私達の耳に、ギスギスと言い争う声が聞こえてくるが、気にしない。視界が全て。そう、目に見えるものが全てだ。
パシャパシャと、心のシャッター音を全力できる。絶対に心に焼き付けなければならない。
隣で高速で手を動かしているマリア様は、いつものかわいい顔に鬼の形相を浮かべて食い入るように2人を見つめていて、やっぱりオタクは隠しきれないんだなぁ…と思ってしまった。
それから少し経って、「自信作です。魂を込めて書きました!」とマリア様が見せてくれた絵はまさにスチルで、身近にいた神絵師の存在に震えたものである。やはり持つべきものは神絵師の友人だ。
それから、外の暑さに晒されることに限界を感じて解散した私達は、これからもスチル再現会を開催することを誓ったのだった。
そう、これでやめておけば良かったのに。
課金が出来ることに気がついてしまった私は、すっかり味を占めてしまった。
これまで、部屋に飾るだけで満足していた手作りのメアの衣装を、お弁当を作ったり、お世話をしたりと自分を差し出すことで着てもらえることを知ってしまったのである。
自分を差し出したときはいつも、もうやめようと思うのに、メアを浴びる幸福感を知ってしまったら、やめられる訳がない。そんな私は、今ではすっかりメア廃課金勢である。
「…どう?着てみたけど」
「〜ッ…!!!最高!!メアに警官服着せた人誰!?私!?死人が出る……今までありがとう……」
「流れるように死のうとしないで。僕、今日もカッコいいでしょ?もっと近くで見ていいんだよ?」
「やめてください、近づかないでください、この距離がちょうどいいんです、自覚しててよかったです、カッコいいです…」
今日、メアに着てもらった衣装は、半袖の警官服である。コスプレの王道とも言っていいその衣装は、あまりにメアに似合っていて息をするのが苦しい。
やはり素材がいいとここまでコスプレが様になるものなんだな…としみじみとメアを眺めていると、メアが不意に髪をかきあげた。
「…ッ…!?メアさん!?何してるんですか!?」
「んー?こんな髪型にしても似合うかなって」
「急にそんなことしないで貰っても大丈夫ですかね!?心構えが出来てないから!」
今、メアがしている髪型は所謂オールバックのようなもの。手で髪を撫で付けただけなのに、圧倒的にカッコいい。
「その髪型も最高に似合って…っ…何でやめちゃったの!?」
警官服に似合ってて、言葉じゃ表せないぐらいよかったのに。
褒めちぎっている途中で手をパッと離し、オールバックをやめてしまったメアにそう問いかけると、これまた意地悪そうな顔で笑っていた。
「ここから先は追加料金がいります。つまり、対価が足りません」
「ッ〜!メアの意地悪!!」
ここで追加で課金したら、何をされるか分からない。それは今までの経験上理解している。理解はしている…けど!
「くっ…追加で対価を払います…!!」
そう、課金はやめられないのが常識である。
推しの素晴らしい姿を前に、お財布をセーブすることなんて出来ない。それが前世からのオタクの性だ。
そんな私を見て、
「毎度ありがとうございます」
と笑っているメアは完全に確信犯である。もうそれでもいいや。顔がいいし。
せっかくなのだから、理想の警官メア様を目に焼き付けるのだ。
そうして、もう一度髪型をオールバック風に戻してくれたメアを拝み倒した私は、すっかり忘れていた。
対価の払い忘れの、恐ろしさを。
それは、授業が午前中で終わったため、メアと屋敷でお家デートをしている時だった。
「リゼ。ここ座って」
「……ん」
私は、最早定位置になりつつあるメアの長い足の間に腰を下ろした。つまり、メアをソファのようにして座っている形になる。
恥ずかしくて死にそうになるが、これもメア様課金システムで対価として差し出したことなので仕方がない。
それでもやっぱり、メアにもたれかかるのは恐れ多いので、背中を浮かせるようにしているのだが、気がついたら後ろから抱きしめられてそんなことは考えられなくさせられているのだから、やっぱりメアはずるい。
しかし、流石の私もメアと恋人になってしばらく経つ。いつまでもメア耐性0の女ではないのだと、何も気にしていないふりをして、メアの足の間で本を読んでいると、後ろから色気たっぷりな声が聞こえてきた。
「…ねぇ。その本、面白いの?」
「え?面白いよ?」
「ふーん…」
聞いてきたのはメアの方なのに、興味無さげである。まぁいいか、と思って続きを読んでいると、カプリと耳たぶをかじられた。
「ひゃっ……メア!急に何するの!!」
「別に。本読むの、続ければ?」
「ッ〜!!意地悪!」
絶対、メアの妨害になんて負けてたまるものか。そう思って、必死で本の続きを読もうとするが、耳にかかる吐息や、首筋にこすれるメアの髪の毛がくすぐったくて全く内容が頭に入ってこない。
結局、私がギブアップしたのは、それからすぐのことだった。私が本を置いたのを見て、メアは嬉しそうに笑っている。その様子を見て、私が不服そうにしているのに気づいたメアは、
「…せっかく2人でいるんだから、僕のことかまってくれたっていいでしょ」
と、すねた顔をして言うから、怒るに怒れない。それに、最初からそう言ってくれたらいい話なのに、わざわざ私に本を置かせようとするんだから、メアはやっぱり意地悪だ。
「……本にまで嫉妬しなくてもいいのに」
「リゼが悪いんだよ。リゼが、可愛すぎるから」
「私のせいにしな……ッ、メア、やめっ…くすぐったいから!」
「やだ。やめない」
私のことを後ろから抱きしめたメアは、私の首に顔を埋めた。そして、数分間そのままでいた後、ふと思いついたように私に死刑宣告を言い放った。
「そうだ。この間の対価、『リゼに何でも言うこと聞いてもらう』にしよ」
「ッ何それ!?どう考えても過払いすぎじゃない!?」
「えー?じゃあ3分。3分ならいい?」
「……1分」
「短くない?」
「1分!じゃないと、私が死にます!!」
ただでさえ何されるか分からないのに、3分なんて死ぬしかない。そう必死に訴えたことが響いたのか、何とか1分間で手を打って貰えることになった。
まぁ1分だし、乗り切れるでしょう。
そんなことを思っていた私の考えは、甘かったのだと思い知るのは5秒後のことだった。
「じゃあ、リゼの好きなところを言うから、黙って聞いててね?」
「ん!?そんなのあり!?」
「だって、いつも褒めたらすぐ照れて死にそうになるから。こっちもリゼを褒め足りないの。そっちはいつも僕のこと褒めるのに、不公平だと思わない?…まず、存在がかわいい」
「……ッ…!?!?」
「あと、顔も仕草も動作も全部かわいい。クレセント嬢に憧れてコーヒーを飲めるようにこっそり訓練してるのもかわいいし、僕のこと大好きなところもかわいい」
「…ッ、死んじゃう、死にます、だからもうやめて…」
「んー?まだまだあるのに?
あ、この前、クレセント嬢と僕を並ばせた後に、私もメアと並びたいからもっと可愛くなりたいとか言って、ダイエット始めちゃうのとかもかわいい」
「何で知ってるの!?」
「ひみつー。ほら、黙って聞いて」
「…………!!?」
こうして私は、たっぷり1分間メアによる言葉の暴力に嬲られ、瀕死状態である。ギリギリ生きてるか、死にかけかで言うと完全な死にかけ。RPGならばとっくにHPは瀕死ゾーンを超えて、1ミリで耐えている感じだ。
それなのに、脳がキャパオーバーしてぐったりとしている私に、メアは追い討ちをかけにくる。
「あ、最後に1つだけいい?」
「………本当に1つだけだよ?」
「うん、分かってる。……リゼは僕のことばっかり褒めるけど、リゼも夏服、似合ってる。スカート短かすぎて不安になるから、もっと着方考えてね?」
そう言ってメアは、私の足に触った。
「ほら、僕みたいなのに触られちゃうから」
「ッ……!?」
そして、ツーッとスカート丈のところまで指を滑らせる。それが妙に恥ずかしくて、触られたところから熱をもっていくような気がして、身をのけぞらせた。
それなのに、ドン、とメアにぶつかる。そうだった、今の私はメアソファに座っている体制だった。…つまり、逃げ場はない。
「い、1分過ぎてるよ!?」
「ふふ、そうだね。だから、続きはまた今度ね?」
「続きなんてないよ!?」
必死にそう言った私に、メアは私の足から手を離して余裕そうに笑っている。
「それはどうかな。だってリゼ、実は僕に意地悪されるの好きでしょ?」
「す、好きじゃないもんッ!!」
……もうやだ。本当にやだ。
メアは、あっさりと私の想像を超えてくるから嫌だ。どれだけ妄想しても、生身のメアには勝てなくて、悔しい。
毎日耐性をつけているはずなのに、真っ赤にされるのはいつだって私の方だ。
そして、そんなメアが大好きだから、もっと悔しい。
「…メアばっかり余裕なのも、今のうちなんだから。いつか絶対、仕返ししてやるんだからね!私の一言一句に照れて慌てるメアを拝んでやるんだから!!」
「ふーん?楽しみにしてるね」
やっぱり余裕そうに笑うメアを見てそう決意したと同時に、絶対にメア様課金システムには今後手を出さないようにしようと心に硬く誓ったのだった。
課金のご利用は計画的に…!!
なお、勿論メアは内心バクバクですし、余裕そうなのは外見だけです。そこにリゼちゃんが気づいたら立場逆転待ったなしです。
今回の夏服のエピソードは、輝夜様にいただいた素晴らしいファンアートからアイデアをいただきました…!!
活動報告欄に貼らせていただいているので、絶対見に行ってください。本当に素晴らしすぎるのでぜひ!
さらに、他にもファンアートを描いてくださった方がいて、本当に嬉しさを噛み締めております。ありがとうございます!!
いつでも受け付けておりますので、ドシドシ送ってください!笑