20. 『大好き』の意味
「ッメア様…」
「何で君とリゼが一緒に出かけるわけ?リゼ、僕と行こう。僕が、もっといい席用意するから」
そう言ったメアは、私を捕まえるように後ろから手を回して、私に抱きついているような体勢になる。そして、私の手からチケットをスルリと抜き取ってザック先輩に握らせた。
「だから、これは君に返すよ。
リゼのこと気にかけてくれてありがとう。でも、もう気にしてくれなくても大丈夫だよ。リゼ、行こう」
「へ、ちょっと、待っ…!」
私の手を掴んで歩き出したメアに必死に抗議するが、思いの外強い力に引っ張られるしかなかった。私はただ、自分のバッグを掴むだけで精一杯だったのだ。
ザック先輩に謝りたいだとか、申し訳ないだとか、何を言ってもメアは止まってくれず、そのまま私を引っ張ってブランシェット家の馬車に乗り込む。メアが口を開いてくれたのは、馬車が走り出してしばらくした時だった。
「馬車の中だから、もう逃げられないね」
「……え」
「なんでずっと僕のこと避けてたの?」
「それは…」
その質問に答えることが出来なくて口を噤むと、メアが私の顔を覗き込むように近づけた。久しぶりに見たメアの端正な顔は苦しそうな表情を浮かべていて、少し困惑する。
「アイツのことを好きになったから?」
「……アイツ?」
「さっき一緒にいたやつのこと。
……なんで?絶対、僕の顔の方が好きだよね?僕の方が好きでしょ?僕だったら、リゼの妄想にいくらでも付き合ってあげるのに。僕以外で満足出来るわけ??」
「ッザック先輩は、そういうのじゃないよ…!」
「…何それ。信じられないんだけど」
メアは吐き捨てるようにそう言って、私から離れた。
「じゃあなんで最近ずっとアイツといるの?」
「っ、それは、メアには関係ないでしょ!!」
「関係あるよ。だって、リゼのことが大好きだから」
『大好き』。今まで軽々しく言い合ってきた言葉が、心に突き刺さる。
私の『大好き』は、もう家族愛ではなくなったけど、メアの『大好き』はまだ家族愛だ。
そうじゃないと、こんなに気軽に私に大好き、だなんて言える訳がない。私なんて例え1人でいるときでも、メアのことが好きだと口に出すだけで死にそうになるのに。
それに、メアがこの言葉を使い始めたのは薬屋にいた頃からだ。だからきっと、同じ意味ではない。
意味の違う『大好き』は、今の私には1番重い言葉だった。しんどくて、苦しくて、期待しちゃうから。
「メア、大好きって言うの、もうやめて」
「…どうして」
「それはもう、軽々しく使っちゃダメな言葉なんだよ」
「今まで、リゼが言ってきたんじゃん。
……もう僕のこと好きじゃなくなったの?」
そんな訳がない。
今の方が前よりもずっとずっと大好きで、苦しいぐらい好きで、切なくて困ってるのに。
「…そういう訳じゃないよ。
ただ、周りに勘違いされちゃうでしょ」
私は、喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
周りの人以前に、私が勘違いしちゃうから。
その言葉を聞くたびに、好きでいていいのかなって期待しちゃうから。メアも、同じ気持ちなのかなって。
でも、その度にこの言葉には家族愛以上の意味はないんだと思い知らされて、仮の婚約者という今の立場を思い出す。
隣にいるはずのメアは、触れられるのに、そこにいるはずなのに、まるで次元が違うように遠い。どれだけ思っても届かなかった、前世と何も変わっていないような気がして泣きそうになった。
そして、前世で地下アイドルを推していてガチ恋していた友達の言葉を思い出す。
『バカだよねぇ。推しのこと、本気で好きになるなんて。推しは、違う世界の存在だから推しでいられるのに。近づきすぎたらもう、ただの推しには出来なかったんだよ〜!』
そのときは冷静に、「いやいや、同じ次元に生きてるんだからまだチャンスあるよ。大丈夫、同じ人間。彼もきっと同じ空の下で生きてるよ。こっちなんて、次元すら違うところに推しがいるんだよ?」と返したけれど、今なら痛いほど気持ちがよく分かる。
そうだね。全く、その通りだよ。
近づきすぎたからダメだったんだ。
ずっと、私がどれだけメア様のことを好きでも、届くことがなかった。
私がどれだけメア様を好きでも、メア様に影響されても、メア様は1つも私のことなんて知らなくて、でもそれが当たり前だからそれでよかった。
それが突然、直接返せるようになってしまったから嬉しくて、前世で支えてもらった分を返そうと思った。
とにかく、幸せにしたかった。
それなのに、実際に推しが近くにいるとなると、付き合いたいし、触れたいし、話したいし、ヤキモチも焼いちゃうし、苦しいぐらい考えてしまう。
遠くから見守れるだけで幸せだったのに、次も次もと欲張りになっていく。
どうせ想いが伝わらないなら、次元が違ったら諦められたのに。推しと同じ世界に転生したことすら、今はもう苦しい。
推しが幸せになるならなんだっていいと思ったのに、その相手が私じゃないと満足できなくなっている。このままでは、私が足を引っ張ってしまう。
もう、メアの隣にはいられない。
それからは、私の言葉に苦しそうな顔をして黙り込んだメアと、屋敷に着くまで馬車に揺られ続けた。
その夜、私は、メアとの婚約を破棄することを決めた。
あれから数日が経ち、今、私は貴族御用達の高級サロンを訪れていた。ここでルーシア様と待ち合わせをしているのだ。
多忙なルーシア様だが、たまたま王都へ来る予定があって時間を作ってくれたのだという。本当に頭が上がらない。
あの夜から、私は毎日「本気ですか!?私、メアリクス様に殺されませんよね!?いざとなったら守ってくださいよ!?」と言うメイドさんを説得して、どうにかメアに内緒でルーシア様に取り次いでもらうように頼んだのだ。
メアとの婚約を、破棄するために。
ルーシア様は待ち合わせ時間通りにやってきた。そして私の前の席に堂々と座って、口を開く。
「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりです。
本日は私のためにお時間を作っていただいて…」
「…そんな前口上はいい。
私も忙しいんだ、本題を言え」
「…ッ、はい」
メアとよく似ているその顔を見ていると決意が鈍りそうで、自分の手を思いっきり抓った。痛い。大丈夫。私は、言える。
そう自分を勇気づけて、何回も練習してきた言葉を口に出す。
「メアリクス様との婚約を破棄したいんです」
言った。言ってしまった。
まさかルーシア様も、私の方から婚約を破棄したいと言い出すなんて思っていなかったのだろう。ずっと読めなかった表情が、崩れた。
「分かってます。私とメアリクス様の婚約はカモフラージュなんですよね。でも、この立場にいることがしんどくなってしまって」
「………」
「これは私の我儘なので、ちゃんと援助してもらった分の学費も払いますし、家も帝都に新しく借りて屋敷を出ます。ご迷惑をおかけしまし…」
「……カモフラージュ?」
「………え?」
ルーシア様は、私の言葉に驚いたように紅茶を飲むのを止めた。何が、引っかかったのだろうか。
「私とメアリクス様の婚約はカモフラージュですよね?それは、ルーシア様が善意で言い出してくれたことだって……」
「…私はそんなことを言った覚えがない。
この婚約はメアリクスが私を脅して強引に結んだものだが…まさかメアリクスがそう言ったのか?」
「強引に、脅して…?」
嘘だ。メアは、ルーシア様がそう言い出してくださったんだと言っていた。自分が本当に好きな人を学院で見つけるために。
それに、メアがルーシア様を脅してまで私を婚約者にする理由が分からない。そこまで、私と離れることが寂しかったとは言わないだろう。
そう思っても、学院で全くご令嬢と話さずに過ごしているメアの様子や、もう少しゆっくりしていっても良かっただろうに、慌てるように薬屋から帰って行ったルーシア様の様子が頭に浮かんでくる。
よく考えたら、公爵家の当主がいくら恩人とはいえど、私にここまで援助してくれることもおかしい。庶民の私を、仮とはいっても婚約者にすることも。
考えれば考えるほど、いろんな辻褄が合わなくなってきて混乱する。
急な情報量に頭がパンクしている私に、ルーシア様は「そのピアス」と、私の耳についているピアスを指差した。
「そのピアスをまだつけているのに何故、婚約破棄を申し出たんだ?」
「え、ピアス…ですか?」
「我がブランシェット家に伝わるしきたりとして、婚約者に自分の色が入ったアクセサリーを渡す、というものがある。メアリクスに聞いてないのか?」
「聞いてないです…」
ただ、プレゼントだと渡されただけだ。
メア様グッズみたいだ、と気に入ってつけていたけれど、そんなに重いものなのだと知って、落としたり失くしたりしなくてよかったと心底思う。
それにしても、私は何も知らない。
メアが私を強引に婚約者にした意味も、ピアスの意味も。
そんなことを聞いてしまったら、もしかして、と、期待するようなことを考えてしまう。
メアが、私のことを本当の意味で好きだ、とか。
考えるだけでも頬が赤くなる私に、
「…とりあえず、婚約破棄は取りやめということでいいだろうか。このことをメアリクスは知らないんだろう?私もまだ命が惜しいからな。後日また、2人で話し合ってくれ。私はそこまで暇じゃないんだ」
と言って、ルーシア様はサロンを出て行ってしまった。
突然分かった新事実に、頭がパンクしそうだ。
絶対に、メアと話し合わなければならない。
それで、メアに本当のことを問いただすのだ。
…ルーシア様の言ったことが、本当のことだったらどうしよう。
メアが、私のことを好きだったらどうしよう。
考えるだけでふわふわして、ぎゅーって胸が苦しくなる。
もし、もしも。メアも私を好きでいてくれたなら…
「……嬉しい」
きっと、幸せすぎて死んでしまうかもしれない。




