19. オタク失格
メアへの恋心を自覚してしまってからの私の毎日はとても大変だった。
今まで無意識でいたような行動も全て意識してしまって、朝学院行くときにメアが荷物を持ってくれるのも、当たり前のように近い距離感も、全てに緊張して心臓が爆発しそうだ。
それに耐えきれなくなってしまった私は学院へ行く時間をずらすようになったし、出来るだけ距離感を保つようにした。
恋心を自覚する前よりも関わらないようにするなんて変だな、と思うが、メアのことが好きなのに恩人の顔をして何食わぬ顔をして隣にいるのは何だか違う気して、私はメアとの接触を出来るだけ絶っていた。
それに、学院にさえ来てしまえば、私はメア様との世界の違いを思い知れる。諦め、られる。
「うわ、今日もすごいわね…」
というのは、歩いているメアを遠巻きに囲む女子生徒を見たルルカの言葉だ。
私には貴族の世界の話はよく分からないが、どうやらメアは貴族的にも優秀だったらしい。
表向きでは、メアに婚約者はいないことになっているので、例え黒髪であろうとも婚約者になりたい令嬢は多いらしい、というのを最近ルルカに聞いた。
その令嬢の中には私でも知っているぐらい、美人だと有名な方もいらっしゃって、私なんかが仮とはいえメアの婚約者だなんて申し訳なさが過ぎる。
しかし、遠巻きにしているだけで直接話しかけに行く人がいないところに民度の高さを感じる。令嬢の民度は高い。むしろ民度が低いのは、推しにガチ恋している私の方だ。
それに、以前なら
「私のメア様ってすごくない!?天才すぎる、天は二物を与えずって言うけど、きっと詰め合わせパックで与えられちゃったんだよ!最高。神様も見る目ある。はー、やっぱり魅力って隠しきれないものなんだよね〜!!」
と語っていたが、今ではそんな光景を見るとモヤモヤしてしまって、私はルルカにメアのいる方を避けて実験室へ行くことを提案した。
「ルルカ、あっちの道から行こうよ」
「……別にいいけど、最近メアリクス様と何かあったの?今だって露骨に避けてるし、『今日のメア様』のコーナーだって何日も聞いていないわよ?」
「…何もないよ。それに、今日のメア様のコーナーは残念ながら卒業したの。次回のコーナーにご期待ください」
「それ、卒業とかあったのね…」
呆れたように笑ったルルカは、「まぁ、リゼがいいなら何でもいいわ」とそれ以上聞かないでくれた。ルルカからの優しさが、心に染みる。それと同時に、ズキリとした痛みが走る。
だって私が『今日のメア様』をやらなくなったのは、メアを推しだと見られなくなったからというのもあるけど、私の話を聞いて笑うルルカに嫉妬したからだ。
あわよくばルルカとメアに幸せになって欲しい、だなんて考えて始めたことでもあったのに、「メアリクス様ってそんなことも言うのね」と言ったルルカに、笑い返すことが出来なくなってしまった。
そんなメアを知っているのは私だけがいい、なんて、今まで布教だ布教だと生きてきたのに馬鹿みたいだ。本当に、オタク失格だ。
「はぁ…」と溜息を吐いた私を見かねたルルカは、思いついたように鞄に手を伸ばした。そして「これ、あげるわ」と、その中から1枚チラシを取り出して私に渡してくれる。
そこには、『ジルト先生と過ごす楽しい2週間』と主張の激しい色で書いてあった。意味がわからない。
「…何これ」
「それ、ジルト先生の研究室にいる先輩から貰ったのよ。またジルト先生が手伝いを募集してるんですって。長期間かつ拘束時間が長いから全然人が集まらなくて困ってるらしいわよ」
つまり、肉体労働をしてメアのことを忘れろ、ということだろうか。チラシを見てみると、前世に比べたら全然ブラックな環境ではないし、時給もいい。
―それに、何か新しいことに挑戦しないと、このままダメになってしまいそうだ。最近は何も手につかないし、このままでは生産性のないダメ人間まっしぐらである。
そう思い、私は受け取ったチラシを折り畳んで鞄にしまう。
「ありがとう。私、参加してみるよ」
こうして、私はまたジルト先生の学院アルバイトへ参加することを決めた。
「もう無理だ…俺のことは置いていけ…!」
「いや、ザック先輩ってば何言ってるんですか。
もう一往復行きますよ!!」
「………大丈夫か、どうしたんだお前!?
ジルト先生に変な薬盛られてないだろうな!?」
「ジルト先生がそんなことする訳ないじゃないですか!ほら、早く立ってください」
私は、もう限界だと叫ぶザック先輩の腕を引っ張って歩き出した。先輩はまた研究材料費が足りなくなって、この学院アルバイトへ参加することになったらしい。
結論から言うと、私は働く楽しさに目覚めていた。楽しい。働くのって、楽しい。もうザック先輩にワーカーホリックだと言われたって構わない。
単純な肉体労働をしている間は、何も考えなくてもいい。ごちゃごちゃしていた思考がクリアになっていくようで、とても楽だ。
それにお金まで貰えるのだから、なんていい仕組みなのだろう。社会の歯車万歳。
それから2時間程度、せっせと労働をした私とザック先輩は学院のカフェに来ていた。頑張った自分にはご褒美をあげなければならない。
私はいつも頼むカフェオレではなく、少し高いココアとチョコレートパフェを頼んだ。
「ザック先輩は何頼んだんですか?」
「あー、新発売のやつだ」
「え、苺チョコパフェDXですか!?
もしかして先輩って甘党…!?」
「……俺が甘党だったら悪いかよ」
「いや、ちょっと意外だっただけです。
今度私も頼んでみよーっと」
雑談をしてパフェができあがるのを待ち、私達はお互い注文した商品を受け取って席に座った。時間が少ないためか、いつも満員のカフェなのに、周りには私達の他に数人いるぐらいだ。
奮発した甲斐あってココアは期待以上の甘さだった。労働後の身体に、糖分が染み渡る。
黙々とパフェを頬張るザック先輩と、甘党トークや魔法薬学トークをしながら私もパフェを完食し、先に食べ終わっていたザック先輩にそろそろ帰ろうかと声をかけた時だった。
ザック先輩が、ポケットから2枚のチケットを取り出して私に差し出す。
「……これ、お前にやるよ」
チケットを受け取って、書いてある内容を読むと、それはこの前メアと行った劇場のチケットだった。
「これ、最新作のチケットじゃないですか…!
え、本当にいいんですか!?」
「ああ、お前なんか調子おかしいし、ジルト先生の手伝いに打ち込んでんのも空元気だろ」
「…そんなこと、ないですけど」
「まぁ、それ観に行って元気出せよ」
どうやら、元気のない私を見兼ねたザック先輩が気を遣ってくれたようだ。
ルルカといい、ザック先輩といい、どうして私の周りの人はみんな優しいのか。いつまでも落ち込んでいる自分が情けなくなる。
「……ありがとうございます」
私はお礼を言ってチケットを受け取る。それにしても、貰ったチケットは2枚だ。誰かを誘って行け、ということだろうか。そう考えて、すぐに頭に浮かんだメアの顔を打ち消す。今の私にメアは誘えない。
それならルルカを誘おうか、と考えたが、ルルカは最近、家の商会関係で忙しそうだ。邪魔は出来ない。マリア様を誘うことも考えたが、前世は同じオタクでも、今世の彼女は完璧令嬢。いつも数人の令嬢の方に囲まれているから、きっと忙しいだろう。
それなら……あれ、誰も思いつかない。もしかして私って友達が少ない…?いやいやいや、と必死で考えるが、これ以上誘える人が思い浮かばない。
この調子だと、せっかく貰ったチケットが1枚しか活用できない。それは申し訳なさすぎるし、何よりも私の心がしんどい。貰ったチケットの演目は恋愛ものだ。カップルだらけの中で、1人で見る勇気なんて私にはなかった。
それならいっそザック先輩を誘った方がいいかもしれない。ザック先輩なら平民だし、チケットを持っていたということは興味があったのだろうし。
そう思って、私は歩き出そうとしたザック先輩の袖を掴んだ。
「…あの、せっかくなのでこれ、一緒に観に行きませんか…?」
ここでまで断られたら立ち直れない。
縋るように先輩の顔を見上げると、驚いたような、でも少し嬉しそうな顔をしていた。
「俺で、いいのか?」
「勿論です!どこで待ち合わせしますか?」
「…じゃあ」
「行かないよ」
ザック先輩の声は、後ろから聞こえてきた声に遮られた。それと同時に、何かが肩に触れるのを感じてビックリして振り返ると、そこには久しぶりに見ても圧倒的な美貌があった。
「ッメア様…」
「何で君とリゼが一緒に出かけるわけ?リゼ、僕と行こう。僕が、もっといい席用意するから」