17. デートから生還せよ
「リゼ、着いたよ。……リゼ?」
「へ、あ、うん!!」
メア様に手を繋がれて、何も考えられないまま歩いていると、気がついたらパンケーキのお店の中にいた。
いつもはすごく並ぶ人気店のようなのだが、私達が待ち合わせ時間の1時間前に集まってしまったために、まだ空いている時間だったことが幸いしたみたいだ。
席に座るときに、メア様が「残念だなぁ」とか言いながら手を離してくれた。しんどい。
私としては手汗が気になって気になって、後半は感覚がなかったのでお店に着いてくれて一安心だ。あのままだと死んでいた。
店内はとてもかわいらしい装飾がされていて、モチーフはクマと蜂蜜みたいだ。所々にクマの人形や蜂蜜ポットが置いてあって、私がカメラを持っていたなら写真を撮りまくっていただろう。
いや、そもそもカメラを持っていたらメア様を撮り続けてるか。メア様専属のフォトグラファーになって、メア様の写真を撮るだけでお金がもらえる生活がしたい。
それにしても、周りにいるのは女の子ばかりで、確かにメア様1人で訪れるには勇気のいりそうな場所である。メア様、こういうのが好きなのか…。
やはりメア様×かわいいは最高すぎる。存在が尊い。はー、生きているだけでファンサの嵐なのでは?
久しぶりにメア様をじっくり堪能できる機会だったので、じーっとメア様を見ていると、最初は目を合わせてニコニコしてくれていたメア様が、顔を赤くして私から目を逸らした。
「ッ、もう、恥ずかしいからこっちばっかり見ないで!」
「えっ、やだよ! なんならメアの顔、一生見てたいもん。なんなら死ぬ前もメアの顔がみたい!!」
「〜〜ッ、ほんとに、何言ってるか分かってる!?」
「分かってるよ! 安心して、一生飽きない自信ある!!」
「そんな自信いらないんだけど…」
自信満々に答えた私に、「はぁ……」と溜息を吐いたメア様はメニュー表を広げだした。
私もメニュー表を広げて、何を頼もうか考えるけれど、どれも美味しそうに見えて困る。
「リゼ、何頼むか決めた?」
「んー……クマさんパンケーキと、蜂蜜パンケーキで迷ってる…………」
クマさんパンケーキはかわいいし、蜂蜜パンケーキは絶対王道だから外さないし…と迷っていると、メア様が店員さんを呼んでしまった。
そして、「クマさんパンケーキと蜂蜜パンケーキください」と注文し、私の方を向いて口を開いた。
「半分こしよ。これならどっちも楽しめるでしょ?」
「……えっ、いいの!?」
「いいよ。僕もどっちも食べたかったし」
そう言って、メア様が笑った時、私の心臓が苦しいほど締め付けられた気がした。メア様の笑顔を見ているだけで、胸が痛くて苦しい。
流石に末期なのだろうか。今まで、いくらメア様が尊かろうとここまで苦しくなったことはなかったはずだ。
「…………ありがと」
やけにドクドク暴れる心臓を必死で抑えて、私は何とかメア様にお礼を言った。それに、メア様がまた笑うから、悪循環すぎる。このままだと本当に死ぬかもしれない。
私は必死に話を逸らそうとメア様に話しかけた。
「そ、それにしても、メアはパンケーキが好きだね?」
しかし、この質問がより私を苦しめるなんて、思いもしなかった。
「そうだね。だって、リゼが好きだから」
「……へ」
「パンケーキ食べてるリゼ、幸せそうな顔するから。それを見るのが好き。パンケーキも好きだけど」
「ッ〜〜!!?!」
やばい、ダメだ、墓穴を掘った。
さっきよりも胸が苦しくなって、息をするのもしんどい。
だって、ブランシェット家でパンケーキが出た時にやけに機嫌がいいなぁ、と思ってたけど、そんなこと考えてたってことでしょ?
どれだけオタクに優しい存在なの?誇らしくないの??
えっ、尊いってこういうことだっけ?
最早尊いの定義からわからない。
本当に? 今までここまでしんどくなったことあったっけ??
今まで息をするようにメア様の尊さに死にかけてきたけれど、冗談抜きでこんなに苦しくなったのは初めてな気がする。
チラッとメア様を見ると、メア様も少し恥ずかしいことを言ったと思っているのか、私から顔を背けていた。そのため、あまり顔が見えなかったけれど、赤くなっているような気がして、それに比例するかのように私の顔も熱くなる。
本当の悪循環だ。早く、パンケーキを運んできて欲しい。
それから10秒とも1時間とも感じられるような時間が経ち、ようやくパンケーキが運ばれてきた。私がクマさんパンケーキ、メア様が蜂蜜パンケーキを主に食べることになったのだが、絶対に美味しいだろうに、緊張で全く味がしない。
早く食べ終わりたい一心でパンケーキを食べ進めていたが、「僕の分残しといてくれないの?」という声で我に返った。
そして、先ほどの会話を思い出す。
「……あっ、ごめん! 交換しようって話だったのに、私ばっかり食べてた……」
「別にいいよ。一口だけでも十分だし」
そう言って、メア様は自分のパンケーキを一口サイズに切り分けて、私に差し出した。
「どーぞ」
「……え」
これはもしかして、このまま食べろということ?その、メア様が使ってたフォークから…?
てっきり、切り分けたものを私のお皿に置いてくれるのだとばかり思っていた私は、頭の中でボンッと破裂音が聞こえたような気がした。
もちろん、私の思考回路が焼き切れる音である。それでも、メア様は待ってくれない。
「あれ、いらないの? すごく美味しいのに」
「っ、いる!」
そう言って、フォークを自分の口に運ぼうとしたメア様の手を反射的に止めてしまった。
私のバカ。今食べても、味なんて分からないのに。
しかし、止めてしまったからには食べるしかない。
私は恐る恐るフォークに近づいて、パンケーキを咥えた。全く味がわからない。
「美味しいでしょ?」と微笑むメア様のせいで、もっと味が分からなくなる。
そして、更に恐ろしいことが起こった。
「あ、蜂蜜垂れるよ」
と、私の口元に手を伸ばし、私の口元を拭った手についた蜂蜜を舐めとったのだ。
「ッ〜〜!! 子供扱いしないでよ!」
メア様にとっては幼い子の口元を拭うぐらいの感覚かもしれないが、そんな感覚でいられると死人が出るし墓が立つ。そう言ったのだが、「ふふ、恥ずかしかったの?」と笑っているメア様には何の意味もなかった。
もっと自分の魅力を理解してくれ!!!
さっき蜂蜜を舐めとったとき、めちゃめちゃセンシティブで死ぬかと思いました!ごちそうさまです!!
私もやり返そうかと思ったけれど、そんなことをしたら本当に生きて帰れなくなってしまうと思ってやめた。今でさえ、こんなに心臓が速いのに。
拝啓ルルカ。私、あなたに生きて会いたいです。まだまだ死にたくないです!!
そのため、私は切り分けたパンケーキをメア様のお皿に置くことでどうにか許してもらった。僕は食べさせてあげたのに?みたいな顔でメア様がこっちを見ていたけれど、「死にます。私、本当に死にます」と真剣な顔で言った私の思いが伝わったのだと思う。
それから、お会計をしてお店を出ようとしたら、メア様に「もう払ってあるから」と言われてしまった。どうやら、私が席を立ったときにお会計を済ませてしまったらしい。
私の分ぐらいは払わせて欲しい、と言ったのだけれど、
「今日一日は僕に付き合ってもらってるんだから、僕に払わせて」
なんて言われたらもう何も口出しできない。完璧すぎる。『乙女ゲームキャラクターか!』と心の中で突っ込んで、『そうじゃん……』と自分で納得してしまった。
やはり乙女ゲームはゲームだからいいのだ。現実でこんなことをされてしまうと、死に至るから。前世では、ひたすら友達が「乙女ゲームから出てきてくれたらいいのに」と言っていたが、実際に出てこられたら絶対、私と同じ結論に至ると思う。心臓が、壊れる。
最早よく分からないままメア様に連れられて、次にやってきたのは劇場だった。どうやら、今流行の演目があるのだという。
しかし、メア様が演劇を見たがるというのは意外な気がして、どうして演劇を見にきたのか聞いたら「好きなんでしょ?」と言われた。
私が前にメア様に台詞を言ってもらったときに、演劇のものだと誤魔化したため、私が演劇を見たいだろうと思ってくれたようだ。
その言葉に、なんだか泣けてきた。だって、メア様が私のことを考えてくれている。それだけで、この世界に転生してよかったと思える。
幸い、劇場は暗かったし、演目も泣ける系だったため、私がまさかメア様の言葉で泣いたとは思われてはいないだろう。……そう、信じたい。
演劇は、騎士とお姫様の悲恋系のお話で、お姫様の言った「彼と私は世界が違うのよ!」というセリフがやけに胸に刺さって、また泣いた。
最後に2人で駆け落ちしていくところでは、もう号泣だ。「幸せになってよかったね…!」と泣きむせぶ私を見て、メア様は微笑ましそうに笑っていた。解せない。私は感受性が豊かなんですよ!!
号泣する私に対してメア様は一切泣いていなくて、少し恥ずかしい。メイクも落ちちゃったし。この世界の私は素がいいので、大丈夫だと信じたい。メイドさんが「多少落ちてもリゼ様はあまり変わりませんよ」と言っていたし。え、よく考えたらそれって、メイクしても変わらないってこと?
……深く考えないようにしよう。
それから、演劇を見終わった私達は、感想を言い合いながらウィンドウショッピングを始めた。そして、しばらく雑談をしながらお店の多い通りを歩いてた私は、目の端に気になるものが映ったような気がして足を止める。
「わ……!! これ、すごく素敵じゃない。!?」
ショーウィンドウの向こうには、アンティークの指輪が飾られていた。紫と黒の宝石が銀色のリングに嵌められていて、花の細工がしてあるのもとても素敵だ。
「……リゼ、こういうのが好きなんだ?」
「んー、そうだね。控えめに言って大好きかも」
オタクは、推しを感じられるものなら何でも買ってしまう習性がある。推しカラーのものをついつい集めてしまうのもその1つだ。よく考えたら、前世の私の部屋も気がついたら黒と紫で溢れていた気がする。
明らかにメア様カラーなので、本人にバレてないか不安になったけれど、この様子ならバレていないみたいだ。私はホッと息を吐いて、じぃっと見入ってしまう。
「……リゼ、そんなに気になるなら、中入る?」
「えっ!? いやいや、大丈夫だよ! こんな高いの、買えないし……」
リングの隣にある値札に書いてある値段は、推しカラーだからと気軽に手を出せる値段を優に超えていた。学院アルバイトで働いても、簡単に買える値段ではない。なんなら、薬屋の売り上げ2ヶ月分ぐらいするので、流石に諦めるしかない。
しかし、私の言葉に、メア様はチラリと値札に目をやって口を開いた。
「そう、じゃあ僕が買ってあげるけど?」
「っ!? 買って欲しいわけじゃないからね!? 違うからね、遠回しな買ってくれアピールとかじゃなかったからね!?」
「分かってるって。僕があげたいだけ。ダメ?」
「ダメですよ!!!」
だって、値段もあるけど、推しから指輪プレゼントされるってどこの世界線の話ですよ。ここの世界線ですね、おかしい。
それに、そういうのは普通、恋人に対してあげるものだ。いくら私に恩があるとか言ったって、私が貰っていいものではない。それをメア様に伝えると、メア様は複雑そうな顔をした。
「じゃあさ、もしも恋人だとして。いつなら受け取ってくれるの?」
「えっ、うーん……? 記念日とか、誕生日とかじゃない?特別な日のプレゼントなら受け取っちゃうかも」
「なるほど……なんでもない時にこの金額の物は受け取って貰えないってことか……」
しみじみと呟くメア様は、まるでデータを取っているように見える。その様子を見て、私は一気に現実に引き戻されたような気がした。
そうだ、これはメア様のデートの下見かもしれないのだ。その時に、相手の方にプレゼントするための市場調査だろうか。
冷たい水をかけられたように目が覚めて、急に笑顔が作れなくなる。それを誤魔化すように顔を背けて、「私の価値観が全てじゃないから気をつけてね!」ということが精一杯だった。
浮ついている場合じゃなかった。今日の私の役目は、メア様のデート練習相手になることだ。
メア様は優しいからきっとそうは言わないけれど、マリアベル様との仲が良さそうな様子を見てしまった私は気がついている。
私は気を引き締めて、歩き出した。
それから、もう少しウィンドウショッピングを続けて、空が暗くなってきたので家に帰ることになった。帰りは一緒なので、メア様が用意してくれた馬車に2人で乗り込む。
「今日は付き合っくれてありがとう、リゼ」
「……ううん。私も、楽しかったよ」
私はちゃんと、練習相手になれてただろうか。
思い返すと、私ばっかり楽しかったような気がする。
きっとマリアベル様はもっとおしとやかで落ちついていて、私よりもメア様を楽しませられるんだろうな、と思う。それでいい。メア様の相手には、そんな人が相応しい。
何故だか涙が出そうになったので、手をつねって抑えて、私は鞄からメア様へのプレゼントを取り出した。
「そうだ! 実はメアにプレゼントがあるの。いつも頑張ってるから、何かしてあげたくて」
「その言葉だけで嬉しいのに、いいの? ありがとう」
メア様は私が差し出したプレゼントを受け取って、嬉しそうに微笑んだ。そして、プレゼントを開けて、驚いた顔をする。
「これ、香水?」
「そうだよ。安眠できる香水なの。これをベッドとかパジャマとかにふりかけて寝たら、ぐっすり安眠できるんだよ!」
「自信作なの!」と胸を張ると、メア様がクスクス笑った。
「リゼからなんか甘い匂いするなぁって思ってたんだけど、もしかしてこの匂い?」
「あ、そうかも。作ってて匂い移ったのかな? ごめん、嫌な匂いじゃなかった?」
「全然大丈夫。だってこれ、リゼの匂いってことでしょ? それなら安心して眠れる。隣に、リゼがいるみたいだから」
「っ……なっ!」
待って、それは完全にオタクが推し香水を使う理由そのものでは!? メア様の口から出た言葉に、なるほど、という言葉しか浮かばない。
もう一個作って私もメア様を感じようか、と思ったところで、まるでそれはメア様が私のオタクをしているみたいな発言だと気がついた。
「メア、それどういう……」
「着きました」
しかし、私の言葉は御者さんの発言に遮られてしまう。いや、それでよかった。だって、メア様が私のオタクだとかあり得ないし。そんな恥ずかしいこと聞かなくてよかったと思う。
その日の夜は、メア様の顔が頭に過ぎって眠れなかった。
翌日。寝不足でボロボロの状態で学院へ行き、なんとか授業を終え、早く帰って寝ようと帰る準備をしている時だった。
「…………ゼ、リゼ! 呼ばれているわよ」
というルルカの言葉に顔を上げると、そこには金髪碧眼の超絶美少女が立っていた。
立ち姿から気品が溢れるその姿は、見たことがある。
「……マリア、ベル様」
私の口から零れ落ちた言葉に、マリアベル様はにこりと微笑んだ。それも、全く笑っていない目で。
「貴方がリゼさんかしら? 少し、お話したいことがあるの」