16. 私はリア恋じゃない!
「働きたい…お金が欲しい…」
死んだ目でそう呟いた私を、ルルカが残念なものを見る目で見ていた。ヒロインからの冷めた視線に心が痛むが、最早いつものことなので気にしていられない。
「どうして?ブランシェット家の援助があるのだから、お金に困ることはないでしょう?」
「違うよ!!!!自分の!!お金で!!!メア様に貢ぎたい!!!優秀なATMでありたい!!」
「何を言ってるかほとんど分からないけれど、自分の力でメアリクス様にプレゼントがしたいということかしら?」
「そうです!!その通り!!!!」
メア様とのデートは1週間後にまで迫っていた。お互い新生活が忙しくてなかなか時間が合わず、予定が延びてしまったのだが、ようやく時間に余裕が出来たのだ。
その日はメア様プロデュースで帝都の街を回ることになっている。楽しみで楽しみで仕方がないのだが、1つ問題があった。
私、推しに貰ってばかりなのでは問題である。
え、だって供給をいただくだけでこちらがお金を払いたいぐらいなのに、住むところと生活保障をさせてしまってるんだよ…?大丈夫?
こんな有様でいいのか。いや、よくない。
そこで、何か私もメア様に返したいけれど、流石に札束を積むわけにはいかない。
学院生活と次期当主としての勉強を並行で進めているメア様は毎日疲れた顔をしている。
そこで、デートの日は目一杯楽しんで貰いたいのだが、素敵なお店ならメア様の方が100倍詳しいし、「プランは任せて欲しい」と言われたので私に出来ることは少ない。だから私なりに考えて、サプライズプレゼントを渡すことにしたのだ。
しかし、それをブランシェット家から補助されているお金で買うのは違う気がする。生活費までメア様に支えてもらっている立場で今更、というやつなのだが、推しには自分で貢ぎたい。
という訳で残金を確認したのだが、私が薬屋で稼いでいた分のお金はメア様との婚約を破棄したときに返す用のお金に当てようと思っているため、手をつけられないし、私が動かせるお金は想像以上に少なかった。
だからといって、メア様に安物は渡せない。推しが身につけているものはいつでも最高にいい物であってほしい。
それに、ブランシェット家の次期当主であるメア様に恥ずかしいものは渡せないし、大抵のものはもう持っているだろう。そのため、私は自作で安眠香水を作ることにした。
総合魔法科はテストも多いし、テスト勉強で睡眠時間が少なくなることもあるだろう。そこで、この安眠香水を使うと、短い時間でも睡眠効果を高められるのだ。この前の実習授業で作った、私のオリジナル作品である。
これならばメア様の役に立つだろう、と思ってこれを作ることに決めたのだが、珍しい材料を使っているため、材料費が意外とかさむ。
お金が欲しい。自分で稼いだお金が、今すぐに。そこで、私はアルバイトという選択に思い至ったわけである。
しかし、学院外で働くには許可を取ったり、いろいろと手続きがめんどくさい。そのため、私が目をつけたのは、学院内アルバイトだった。
「ねぇ、ルルカ。学院内でお金が稼げるようなことってないかな?お手伝いとか募集してる、みたいな話、知らない?」
確か、マイプリにはゲーム内通貨を集めるミニゲームがあったはずだ。その話をルルカにすると、ルルカはあっさりと私の質問に答えてくれた。
「そういえば、ジルト先生の研究室がお手伝いを募集してたわね。給金が出るから奮って応募してくれーって。確か明日が締め切りだったはずよ」
「本当!?ありがとう、応募してくる!!」
私は慌てて教室を飛び出し、ジルト先生の研究室へ向かった。
それから、ジルト先生にぜひお手伝いしたいという旨を伝えると、やはり庶民の生徒が応募してくることは多いようで、あっさり採用してもらえた。しかも、ちょうど最後の1人だったみたいでラッキーだった。
「じゃあ、明後日の放課後にまたここへ来てくれ」
「はい!ありがとうございます!!」
これで、材料費の目処はたった。あとは明後日働くだけである。
そう思っていたのだが。
「まさか体力仕事だとは思わないじゃないですか…!!」
「確かにな。俺、完全に研究系だと思ったから楽そうだと思って応募したのに…!!」
ジルト先生の研究室は、魔法薬学の研究をしている。そのため、それ関係の仕事だと思っていたのだが、任されたことは研究に使った材料の整理や片付けや荷物運びだった。バチバチの体力仕事である。
そして、私の隣で愚痴を零しているのは、私と同じく庶民で、1年先輩のザック先輩だった。彼も特殊魔術科の生徒で、研究材料を買うのにお金が足りなくなって、この学院バイトに応募したらしい。
すっかり当てが外れた私達は、呻きながら荷物を運んでいた。
「大丈夫か、リゼ。お前ちっさいんだから、死ぬ前に声かけろよ。手伝ってやる」
「先輩優しいですね…。大丈夫です、まだ余裕あります!」
「そうか、あとちょっとだ。頑張ろうぜ…!」
「はい…!」
瓶の山を運ぶのも、これで7往復目。
すっかり覇気のなくなった顔で雑談しながら足を動かしていると、少し遠くにメア様が見えた。遠くからでも分かるほど輝いている。全世界立ち姿美しい選手権があったならきっと優勝だ。いや、私が優勝させてみせる。
「メアさ……」
思わず声をかけようとしたわたしは、メア様の隣にビックリするほど綺麗な女の人が立っているのが見えて、慌てて口をつぐんだ。その様子に、ザック先輩は私を不思議そうな顔で見ている。
「…?リゼ、声かけなくていいのか?」
「あ、いや…女の人と話しているみたいなので、邪魔したらいけないと思って…」
私の言葉に、ザック先輩がメア様の方を向く。
「うわ、メアリクス様とマリアベル様じゃねーか。やっぱ目立つなぁ…」
「…有名なんですか?」
「そりゃそうだろ。公爵家次期当主と侯爵家の令嬢だし、お互いあの美貌だろ。マリアベル様は、社交界で有名な完璧令嬢だし、メアリクス様は誰にも笑わないし話しかけない、人嫌いって有名じゃねーか」
「メア様はそんなに冷たい人じゃないですよ…」
「ん?そうか、お前、ブランシェット家の支援受けてたっけか」
私の言葉に、「まぁ、噂だしなぁ」とザック先輩が呟いた。
それにしても、確かにメア様が学院で誰かと楽しそうに話しているのはあまり見たことがないかもしれない。やはり、黒髪だということで人と距離があるのだろうか。
「マリアベル様もあんま男の人と話すとこ見ねーから、珍しい組み合わせだな。
ま、お似合いなんじゃねーか?身分も釣り合ってるし」
「そう、ですね…」
少し遠くに見えるメア様は、にこやかにマリアベル様と話していた。その様子を見て、何だか複雑な気持ちが湧いてくる。
メア様と微笑みあっているマリアベル様はとても美しくて、まるで1枚の絵画のようだ。
そんな2人は、誰がどう見てもお似合いだ。
ザック先輩の、言う通り。
それに、マリアベル様はメア様を見てうっすら頬を染めているようにも見える。
そうだよね。そりゃあ、メア様の笑顔を見てしまったらそうなる。私が1番、分かっている。3ヶ月前までは、あの笑顔は私しか知らなかったのに。
「私の、メア様だったのに…」
「ん?何か言ったか?」
「え!?いや、何でもないです!行きましょう!!」
私は、思わず口から溢れた言葉に首を傾げた。おかしい、ダメだ。こんなこと、思っちゃいけないのに。違う、私はリア恋じゃない。
メア様は公共のもの、みんなの推し、みんなの天使。今までずっと、それでやってきたはずだ。それでよかったはずなのに。
私はメア様のオタク。メア様の幸せが1番。
マリアベル様ならお似合いだし、私がどうこう言う話ではない。むしろ幸せにしてくれそうだし、それでいい。メア様が幸せになってくれればいい。
それにしても、私がこんなこと思うなんてありえない、と邪念を振り払うように首を振った。
もしかしたら、想像以上に寂しかったのかもしれない。ずっと側にいたメア様が、遠くの人のように感じられて。そもそも最初から、近くなんてないのに。
だって私、メア様と結婚したい訳じゃない。遠くの人だってわかってる。見守るのが幸せなのであって、自分がどうこうなりたいわけじゃない…はず。
「違う、1番大事なのは推しの幸せ…推しが生まれてくださっただけでいいし、存在してくれてるだけで万歳だし満足…」
「どうしたんだ、ブツブツ呟いて。
ついに疲労でおかしくなったか?」
「いや、全然大丈夫です!むしろ、まだ働けますし、働きたいです!!」
「そうか!!残りも頑張ろうぜ!!」
「はい!!!」
そうだよ。
私には、メア様が幸せでいてくれるだけで十分なのに。
メア様とマリアベル様が幸せそうにしているのを見るのが複雑で、ザック先輩と急いでその場を離れた。
それから1週間、私はザック先輩とひたすら学院バイトに励み、その合間になんとか香水を完成させた。
そして今、私は、メア様との待ち合わせ場所である帝都の待ち合わせスポットとして有名な勇者様と聖女様の像の前に立っている。
今から推しとデートをするんだと考えるだけで手汗がすごい。緊張で、朝ごはんも喉を通らなかった。
やっぱり無理だ、死ぬ。
ドクドク、ドクドクと早まる心臓の音が耳に響く。
きっとこのまま、死んでしまうのではないだろうか。
ドキドキと高鳴る胸を抑えて、時間が過ぎるのを待つ。
今はメア様との待ち合わせの1時間前。
すでにここに来て1時間待っている。
絶対に遅れてはならないという思いが強すぎて、ついつい早く着きすぎてしまった。
だって、メア様を待たせることなんて出来ない。
緊張のあまり、昨日から寝ていないけれど、アドレナリンが出ているせいか全く眠たくない。むしろ、目は冴えまくっている。
少しでも強い風に吹かれるたびに、髪型が崩れていないか不安になって手鏡を確認してしまう。
この行動も、待ち合わせ場所についてから8回目だ。
「よし、崩れてない…」
髪型の無事を確認した私の脳内に、次は本当にこの服でよかったのかとか、張り切りすぎじゃないのかとか、いろいろなことが思い浮かんでドンドン不安になってくる。しかし、今から戻ってももう時間がない。
「大丈夫、ルルカもメイドさんもかわいいって言ってくれたし…!!」
そう、ギリギリまで部屋の中でファッションショーをして、勝負服を選んできたのだから。
今日の私の服装は、薄ピンク色のブラウスに白いプリーツのスカートである。メイドさん曰く、これがピンクモテコーデだそうだ。いつもより短いスカートに、足がスースーして恥ずかしい。
ルルカにも買い物に付き合ってもらったり、ひたすら迷惑をかけたけれど、昨日の深夜まで付き合わせてしまったメイドさんには本当に申し訳ないことをしたので、お土産を買って帰らなければならない。
「リゼ様と服を選ぶの、楽しかったですよ。精一杯かわいくしましたので、頑張ってください!」と応援してくれたことだけが救いだ。
いや、雇われているから社交辞令を言ってくれただけかもしれないけど!それにしても何を頑張るんだ。メア様の隣で死なないようにデートをこなすことだろうか。
生きて帰れるように頑張ります。
大丈夫だ、リゼ、やれるぞ、死ぬな!生還しろ!!
最早私にできることは、自分で自己肯定感を高めることだけだ。
推しの隣を歩くのに、ましてやデートなのに変な格好はできないという思いが、自分で自分を苦しめていく。それにしても、どうしてメア様は待ち合わせにしたのか。待ち時間が心臓に悪い。いつメア様がくるのかと、一瞬たりとも油断できない。
そっちの方がデートっぽいからって言われたけど、何がデートっぽいのか分からないし、そもそもデートという名目でメア様が普段行きにくいお店を回るだけのはずだ。
メア様がわざわざデートとか言うから、私はこんなに緊張してるのに!
それか、本命の人とデートへ行く下見なのではないかと思っている。だって、そうじゃないとメア様がわざわざデートという名前で私と出かける理由がない。
だってこれは、メア様にお願いをきいてもらった対価だし。本当にデートなら私が得するだけだ。
誰とのデートの下見なんだろうか、と考えて、先日見た光景が頭に浮かぶ。やっぱり、マリアベル様だろうか。
そんなことを考えていると、せっかくのデートのはずなのにドンドン気持ちが闇に染まっていく気がして考えを打ち切った。
「ダメダメ、もうあのことは考えないって決めたのに…」
「何を考えないの?」
「ッメア様!?」
「メア様じゃないでしょ。学院じゃないんだから、敬語はやめて」
ふと声が聞こえたので顔を上げると、そこにはビジュアルが圧倒的に優勝なメア様が立っていた。
今日のメア様は、無造作にまとめた髪に、黒と白のストライプのシャツ、スッキリした細身の黒いパンツとスタイリッシュなモノトーンコーデだった。
やはり黒髪を隠すために、その上から羽織ったパーカーのフードを被っていたが、その下からチラリと覗く顔だけで顔の良さがわかる。というか、気品すら漂っている。
まさに芸能人がお忍びで街に来ている、といった感じだ。尊い。言うまでもなく優勝である。しかも新衣装。
待ち合わせも心臓に悪いけれど、不意打ちのメア様も相当心臓に負荷がかかる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「いや、まだ待ち合わせ時間の1時間前だから全然大丈夫だよ…」
感動にうち震えながらも、返答できた私を褒めてほしい。
どう考えても、推しに無駄な時間を過ごさせる訳にはいかないと、待ち合わせの2時間前にここに来た私が悪い。そう伝えると、メア様が私の顔を覗き込んだ。
「へぇ…じゃあ、リゼも僕とデートするの、楽しみにしてくれてたってこと?」
「へ!?いや、えっと…!」
「…違うの?僕は楽しみで仕方なかったのに…」
「〜ッ!いや!違わないです!!!
めちゃくちゃ楽しみでした!!」
「…ふふ、そっか。嬉しいな」
そう言って私の手をスルリと繋いだメア様は、美しさとかわいさと、あ、ダメだ語彙力がない、もうこれ以上なく素敵で、デート開始5秒で限界だと思った。
何、この生き物。体全てが尊いで構成されているに違いない。これ私、本当に生きて家に帰れるんだろうか。
メイドさんに、「今日私が帰ってこなかったら、息絶えたと思ってほしい」って先に言ってきて正解だった。本当にこれは死ぬかもしれない。
誰か!!誰か、棺と火葬場を用意して!!
リゼのHPはもう限界よ!!
もし私のHPが可視化できるなら、赤ゲージに突入していることだろう。
脳内ではカンカンカン、と警鐘が鳴っているし、もう逃げ出したいのだが、手を繋がれているため逃げられない。
まさかこのために手を繋いだのか…!?
だとしたら策士すぎる、と思って、繋がれた手を見ていると、メア様がニヤリと笑って、
「デートだから、手ぐらい繋ぐの普通でしょ。
真っ赤になっちゃってかわいい」
とか言うから、ついに私のHPが0になった。
さようなら、いい人生でした。
今にも召されそうになっている私を、メア様が許してくれるはずがない。
メア様はスッと繋いでいた私の手を撫でて、指を絡ませる。所謂、恋人繋ぎというやつだ。
…………え?
じわじわと顔が熱くなっていくのを感じる。
だって、こんなの密着率120%じゃん。
メア様を摂取しすぎて、何も考えられない。
え、この世界のデートってこれが普通なの?
メア様の顔を見てみても、それが当然、という顔をしているから抗議もできずに、はくはくと言葉にならない声を漏らしていると、ふとこちらを見たメア様からトドメの一撃が放たれた。
「今日、僕のためにオシャレして来てくれたんでしょ?ありがとう、大好きだよ」
「〜ッ!?!?」
やっぱりダメだ、今日死にます。