毒にまみれた話し合い(メア視点)
今日はきっと、僕の人生で最高の日だった。
15歳になったから、魔法庁の特別選抜試験を受けられるようになったし、産まれて初めて祝ってもらった誕生日は、ここが現実か分からなくなるほど嬉しかった。
綺麗に成長したリゼもとても嬉しそうに笑ってくれていて、本当に幸せだと思っていた。
……この人に会うまでは。
「突然やって来て、脅してでも連れて行こうとするなんて公爵様ともあろう人が随分野蛮なんですね」
僕は、目の前で余裕そうに笑っている僕の父親だと名乗る人を睨んだ。僕によく似た容姿をしていて、吐き気がしそうだ。こんなやつを父親だなんて認めるつもりは、少しもなかった。それは向こうも同じはずだ。
しかし、毒をたっぷり込めた僕の言葉にも"公爵様"の表情は全く変わらず、むしろにこやかに微笑んでいる。
「そうかな?むしろ、君が大人しくついてくるなら条件は呑むと言っているんだ。良心的だろう?」
きっと、僕程度の言葉ではこの人を打ち負かすことは出来ない。ここにいるのは、海千山千の帝国貴族だ。僕は悔しくて、奥歯を噛み締めた。
最初は、どうして今更僕を迎えになんて来たのかと思った。今まで散々、僕と母を放っておいたくせに。
もしもブランシェット家に何もなければ、僕のことなんて一生思い出さなかったくせに。
今でも公爵は、僕のことを疎んでいる。それは背後から感じられる黒色で、刺すような悪意をありありと感じられるため分かることだ。
しかし、公爵はそれでも僕に頼らなければならないほど困っているから、僕に頼みに来たのだ。流石は帝国貴族様。自分の感情よりも、実利を優先しているのだろう。嫌悪感を顔に少しも出さないところだけは尊敬出来ると思った。
公爵は、言葉を続けて、地位も名誉も思いのままだと言うが、そんなものが欲しいとは思わない。リゼの隣にいるためにあれだけ欲したものだが、引き換えに、その理由であるリゼがいなくなるのであれば何の意味もない。
リゼさえ、僕の唯一さえ側にいてくれるなら、他のものは何1つ欲しいと思わなかったのに。
公爵は、僕を脅した時に、確実にリゼの方を見ていた。僕がこの話を断ったら、リゼに危害が及ぶかもしれない。そう考えるだけで、手足から冷たくなっていくように感じた。
それでも、リゼといることを諦めたくない。
だってリゼは、生まれて初めて僕が欲しいと思った、唯一だから。
リゼは、僕が帝国へ行った方がいいと言った。
しかし、それは決して自分がどうなるか分からないと脅されたからではなく、僕の幸せを考えた結果、というような口ぶりだった。
前者ならまだしも、後者のようなことを言われて、リゼを諦められるはずがない。彼女は、僕と離れたがっている訳ではなかったのだから。もし離れたがっていても、離せなかったと思うけど。
そんなことを考えている僕は、リゼに出会う前の全てを諦めていた僕とは大違いで、少し笑ってしまう。まさか、自分がここまで執着する相手ができるなんて。
「帝国へは、行くつもりですよ」
「ほう?」
公爵は、話し合いたいと言った割には意外にもあっさり了承した僕を、驚いたように見つめていた。
帝国へ行くことはきっと、避けられない。
とっくに僕の居場所になっていたこの薬屋を離れることはつらいけれど、ここで粘ったら薬屋ごと潰される可能性がある。
帝国の貴族が、王国にどれだけ影響を与えられるか分からないが、帝国と王国は同盟関係にあるし、国力は帝国の方が上だ。庶民の店を1つ潰すくらい、公爵の一言であっさり叶ってしまうだろう。それなら、いかに上手く条件をつけて帝国へ行くかを考えた方が早い。
必死に頭を働かせて、これからもリゼと一緒にいられる方法を考える。
考えて、考えて…ひっかかったのは、先程公爵が言っていた言葉だった。
僕が必要な理由を、彼は公爵家を絶えさせないためだと言った。
ブランシェットの血を引く者がいなくなったら、ブランシェット家は取り潰しになって、今まで担っていた全てが国の管轄にされて取り上げられてしまい、さらに領地等も他の有力な家に分配されてしまうのだと。それを避けるために、僕が必要なのだと。
これなら、公爵に付け入ることが出来るかもしれない。僕は思わず上がりそうになった口角を必死で隠し、無表情を装う。
「条件を1つだけ呑んでいただけるのであれば、僕はブランシェット公爵家のために全てを尽くすつもりです」
「…そうか。その条件を言ってみろ」
「先程ここにいた少女を、僕の婚約者にしていただきたいのです」
僕の言葉に、公爵は眉をひそめた。
「……残念だが、その条件を叶えることは出来ない。分かっていると思うが、貴族にとっての結婚は政治の道具でしかない。貴族ならまだしも、庶民と結婚をして大事な駒を無駄にする訳にはいかないのだ」
もちろん、その答えが返ってくるところまでは予想出来ていた。僕は、用意していた言葉を口に出す。落ちついて、冷静に動くのだ。リゼを、手に入れるために。
「そんなことは分かっています。しかし、今のブランシェット家には不幸が相次いでいることで、いくら力があっても、ブランシェット家にとって益になるような嫁が簡単に見つかるとは思えません。さらに、僕は黒髪です。そんな者に嫁ぎたい者が見つかるでしょうか?」
そして、考えこむように僕の黒髪を見ている公爵を見て、初めて黒髪であることが役に立ったと思った。今まで嫌ってきた黒髪も、リゼを手に入れることに役立つのであれば好きになれそうだ。リゼも、僕の黒髪を、艶々ですごく綺麗だって褒めてくれるし。
…いけない、リゼが僕をベタ褒めするときに浮かべる、輝くような世界で1番かわいい笑顔が思い浮かんで、少し緊張が解けてしまった。
僕は緩みかけた頬を引き締めて、公爵を真っ直ぐ見つめた。
「そもそも、政略結婚をするのは家の力をつけるためでしょう?それなら、僕が政略結婚をして得られるよりも大きな力を公爵家につけたらいいということですよね。ご存知かと思われますが、僕には暗殺者を1人で全員返り討ちにするぐらいには魔力があるつもりですし、学力面の成績も学院に通わせてもらえばトップを取る自信がありますよ」
「……そうか。しかし………」
公爵は、僕の言葉に頭を悩ませている。その様子を見て、公爵が頷くまで、あと一歩だと確信した。
僕の魔力量は、プロの暗殺者でも強引に魔法を使うだけで倒せてしまうほどある。魔力量がある程優位になる貴族の世界では、この忌々しい力は強みになるのだ。
おそらく、公爵は、僕をもっと上手く利用する方法を考えている。魔力量はあるし、公爵家の次期当主ならば、王族を嫁に取ることも不可能ではないだろう。
しかし、王族が黒髪に嫁ぐことをよしとする訳がないし、他の有力貴族の娘を嫁に貰おうにも、今現在のブランシェット家は状況が悪い。
「……公爵様は、病の後遺症でお体が弱いのでしたよね?全く関係ないのですが、僕には闇魔法への適性があるので、呪術が使えます。身体が弱い人には効きやすいものなので、3ヶ月ほどで…ああ、関係ないことなんですけどね」
「ッ…!?貴様、まさかッ」
「貴方が死んだら、僕は公爵家を継ぐ必要が無くなりますね。リゼと婚約出来るのであれば、公爵家の発展に尽力するつもりなのですが。公爵様に認めていただけないのであれば……残念ですね」
そう言って冷たく微笑んだ僕は、リゼのいれてくれた紅茶を飲むためにカップを口に近づけた。その時に紅茶に映っていた自分の顔は、いつもリゼが、綺麗や素敵、と褒めちぎるようなものとはかけ離れていて、苦笑してしまう。
こんな姿は、リゼに見られたくないなぁ、と思う。部屋へ戻ってもらって正解だった。
きっと僕は今、リゼに見られたら嫌われるようなことをしている。そんなことは分かっているけれど、どうしてもリゼと一緒にいたいから。
…ごめんね、と、僕は心の中でリゼに謝罪した。リゼはお人好しで、優しい人だから、僕が上手く誤魔化したら、僕の策略だなんて気がつかずに婚約者として一緒に帝国へ来てしまうと思う。
僕がしていることは、エゴにまみれた自分勝手なことだ。リゼが僕のことを家族だと思って大切にしてくれているのに付け入って、リゼを連れて行こうとしているのだから。
だって、きっとリゼはまだ僕のことを家族としか見ていないから。今告白しても、勝算はないだろう。
でも、リゼが帝国へ一緒に来てくれるならばまだ時間はある。学院で良い成績を収めて、しっかり職について、急に手に入ってしまった地位や財産を自分の力で得たものだと言えるようになったら、絶対にリゼに告白するから。
何回振られたとしても、諦めるつもりはない。
リゼに僕を意識してもらって、リゼが僕を本当に好きになってくれたとき、本当のことを告白してリゼと結婚式をあげるのだ。
余裕そうな態度から一転。
顔から血の気が引き、青ざめた公爵は、
「……ッわ、分かった。お前とあの娘の婚約を認めよう。……そのかわり、ちゃんと公爵家に益をもたらすと約束しろ」
と、ようやく僕とリゼの婚約を認めてくれた。
怯えながらも、しっかり僕に圧をかけるところが、流石公爵様なのだと思う。公爵から、黒色に混ざるような恐怖の色を感じて、この人は嘘をついていないのだと確信出来た。やはり命は惜しいようだ。
言葉ではなく、力を無理やり振りかざして掴み取ったことなのは少し悔やまれるけれど、リゼといるためなら手段なんて選んでいられない。
「ありがとうございます。
おかげで、公爵家の発展に力を尽くせそうです」
だって、僕とリゼの家になるんですから。
そっと心の中で言葉をつけ加えて、僕は公爵様の言葉に笑みが溢れるのを感じた。