11. ヒロインでも悪役令嬢でもない私の選択
ルーシア様に会ったメア様は、最初はきょとんとしていた。しかし、ブランシェットという名前と、自分にそっくりなその顔を見て、自分の父親だということに気がついたようだ。
最初は「話なんて聞きたくない」と言っていたのだが、私の説得もあり、私が隣にいることを条件に話を聞くことになった。
ルーシア様の話は長い上に難しかったので、ざっくりわかりやすくまとめると、やはりゲーム通りの話になっているようだ。
ルーシア様の正妻の方は、馬車の不慮の事故で死亡。それからしばらくして、ルーシア様と正妻の方の間にできた子供2人は、帝国の流行病で死亡。そして、ルーシア様は助かったものの、流行病の後遺症で体が弱くなってしまい、跡継ぎを作れなくなってしまったらしい。
養子を取ろうにも、次々に不幸が起こったブランシェット家は呪われているという噂が広がり、そんな状況ではなかった。
こうして後継がいなくなってしまい、頭を抱えているときに、昔追い出したメア様のことを思い出したようだ。
しかし、メア様の母親の元を訪ねようにも、メア様が失踪したショックで痩せ細り、すでに亡くなってしまっていたことから、大金を払って国宝級魔道具を使って、ようやくメア様の居場所を突き止めたのだと語ってくれた。
なんと、メア様が私に渡そうとしていた宝玉のネックレスが発信器のような役割をしていたらしい。やはり、あの時受け取らなくてよかったと思う。
そして、メア様に暗殺者が差し向けられたのは自分のせいではなく、メア様が邪魔だった第1子派の人間が暴走しただけだ、とも。
この話をどこまで信じていいのかは分からないが、私達は信じるしかない。
ゲームでもその辺は有耶無耶にされていたため真偽が分からないけれど、次期当主にしたいとメア様を連れ戻しに来ているのに、メア様の命を狙うことは本末転倒すぎるので、もうメア様が狙われることはないだろう。
ルーシア様の話を神妙な顔で聞き終わったメア様は、不機嫌そうに口を開いた。
「今更、僕に戻ってこいと言われても困ります。僕を捨てたのはそちらの方でしょう」
「…それはもちろん、分かっている。勿論こちらも、出来るだけ君の希望を呑むつもりだ。それに、大人しく君が私と来てくれないのなら、君の周囲の人にうっかり何をしてしまうか分からないな」
そう言って嗤ったルーシア様を、メア様は硬い表情で見ている。最後の言葉は、メア様への脅しだと鈍い私でもはっきり分かった。
メア様は、どうするつもりなのだろうか。
メア様がゲーム内でルーシア様について行った理由は、暗殺者時代に会っていたヒロインを探すためだった。しかし、私がメア様を助けたために、その理由が今はない。
それでも、私はメア様にはルーシア様について行ってほしいと思う。だって、私とこのままここにいるよりもメア様の未来の可能性が広がるから。
本当は脅しに屈するような形でメア様を送り出したくはない。でも確か、ゲームではルーシア様はほとんど出てこなかったから、大人しくついて行けば害はないのだと思う。
それに、そもそもメア様は公爵様なのだ。庶民の私といていい訳がない。
メア様は、迷うように私に視線を合わせた。
メア様が今悩んでくれてる理由に、私が少しでもいるのなら嬉しいな、と思う。私だって、いられるならもっとメア様と一緒にいたい。
だけど、足枷になったらダメだ。メア様の幸せな未来への妨げになったら、ダメに決まってる。そんな奴はメア様のオタク失格だ。
こんなとき、もし私がヒロインや悪役令嬢に産まれていたら…と羨ましくなることがある。そしたら、ずっとメア様を見守ってられたのに。
「…メアはルーシア様と帝国に戻った方がいいよ。きっと、庶民の私といるよりもメアは幸せになれるはずだし。それに、学費の心配もしなくてよくなるんだよ?」
私は、出来るだけ言葉を選んでメア様を説得した。
メア様は少し前に、私に嬉しそうに夢を語ってくれたことがあった。魔法庁に入って、魔法を研究し、忌み子への偏見を無くしたいのだと。
リゼのおかげで、夢ができたと教えてくれた。
魔法庁に入るには、学校へ通う必要がある。しかし、学校へ通うにはお金がかかる。私もなんとか節約してお金を貯めてはいるが、今私に出せるのは頑張って1人分に足りるか足りないかぐらいの額だ。
現状から考えると、私とメア様が2人とも学校へ通うのはまだまだ先の話になるだろう。そもそも、2人とも通えるかすらわからない。
しかし、早く学校へ入ったほうが魔法庁への就職は有利になる。その分多くの年数、魔法を専門的に学べるからだ。
そのことから考えると、メア様がルーシアさんについて行き、ブランシェット家の次期当主になれば、すぐに学校へ通うことが出来るようになる。学費に困ることなんてなくなるのだ。
だからきっと、そっちの方がいい。
メア様にそのことを告げると、メア様はとても悲しそうな顔をした。
「リゼは僕と離れてもいいの…?
大好きって、言ってくれたのに?」
まるで、その顔が引き止めてくれると思っていたと言っているようで、心がズキズキと痛む。涙目で最高にかわいい推しに、グラグラ心が揺れた。私の理性、弱すぎる。
でも、これは決めていたことなのだと、負けそうになる理性を頭のなかで殴り飛ばした。
メア様には、私が歪めてしまった分の人生をここから歩み直してもらうって決めたんだから。
私は必死に溢れそうになる涙を止めてメア様を説得した。
「離れるのはすごく寂しいけど、離れたってメアのことが大好きなことは変わらないよ。私、メアには世界一幸せな人生を歩んでほしいから。メアが大好きだから言ってるの」
「………そっか」
そう言って、メア様は少し考えたあと、ルーシアさんと2人きりで話し合いたいと言ったため、リビングを出て自分の部屋へ戻る。
すると、作りに作ったマフラーの試作品たちが山積みになっているのが目に入る。他にも、メア様のぬいぐるみ、メア様に着てもらった衣装、メア様のお気に入りのクッション、毎日一緒に寝ていたベッド。
「私の部屋、メア様のためのものばっかだ……」
それらを1つ1つ手に取って見ているうちに、メア様との思い出が頭に蘇ってくる。
この2年間、メア様の笑顔を見るためだけに生きていた。そんな日々が幸せだった。
だって、画面の前でつまらなさそうにしていたメア様が、笑ってくれるから。呆れるから、意地悪そうな顔をするから、照れたような顔をするから。
メア様が生きていると感じることが、私にとっての幸せだった。
欲を言えば、まだずっと一緒にいたい。
彼がもっと成長して、好きな人と出会って、もっともっと幸せだって笑う顔を見ていたい。
でも、私はヒロインでも悪役令嬢でも、学院に通うモブですらない街娘だし、これ以上私がメア様に与えられるものはない。だから、もう一緒にいるべきではないのだ。
おそらくもう、メア様とはお別れだ。
なんかこの2年間は案外長くて…幸せだったな。
毎日顔の良さに叫んで、言動の尊さに倒れて。
推しがいる毎日は、本当に輝いていた。
そんなことを考えて、じわりと目に涙が滲んできたのを感じる。
今日はメア様の15歳の誕生日。
15歳の誕生日の日に、帝国からブランシェット家がメア様を迎えに来てメア様を帝国へ連れて行く。
これは、ゲームの設定で決まっていたことだ。
勿論、私には出会ったときからそのことが分かっていて、後悔しないように過ごしてきたけど、その日がいざ来ると、やっぱりどうしても悲しいと思ってしまう。
初めて出会った日のこと、メア様への愛を叫んだ日のこと、精霊祭を回ったこと。
メア様との思い出がぐるぐると走馬灯のように、目を閉じるだけで浮かんでくる。
メア様に会えてよかった、本当に。
きっとメア様には、これから素晴らしい未来が待ち受けているだろう。ブランシェット家に迎え入れられて、ヒロインと出会って。ヒロインと恋に落ちることはなくても、学園には入学するだろうから、好きな子が出来ちゃったりもするだろう。
メア様がこの先幸せならいいなぁと、ぼんやり思う。帝国へ行ってしまったら、もう私ができることはないだろうから。
そうなったら本当に祈ることしか出来ないけど、メア様の幸せを一生祈ってるよ。
一生、貴方の味方でいるよ。
貴方のことが好きで好きで、貴方のためなら何でも出来てしまう奴がそこにいることを、帝国に行っても覚えてて欲しい、だなんて欲張りだろうか。
それでも、私はきっとメア様の幸せを祈らざるを得ないのだと思う。
次から次へと溢れてくる涙を拭うのもめんどくさくて放っておくと、目が溶けていきそうなぐらい視界が歪んできた。
しかし、しばらくしてドアをノックする音が聞こえたので、慌てて涙を拭って、平静を取り繕う。
「……入っていいよ」
私がこんな顔してたら、メア様は優しいから考え直してしまうかもしれない。笑顔、笑顔だ。私は無理やり口角をあげて、部屋に入ってきたメア様に尋ねた。
「…メア、結論は出たの?」
「……そうだね。リゼ、僕は帝国へ行くことにしたよ」
「そっか……。よかった」
メア様が正しい道を選んでくれて。
私は、その言葉を口に出すと共に、胸に走った刺すような痛みを抑え込む。
……これでいい。最初から、これを望んでいた。
私はメア様のオタクで、彼の幸せを1番に願う存在なんだから。……そうでしょ?
これが正しいって理解しているのに、それでもやっぱりメア様の顔をみたら泣いてしまいそうで下を向いた。
「メア。私、メアが何処にいても味方だし、ずっとずっと大好きだからね」
「うん」
「ツライことがあったり、人に何か言われたりしても、全部全部気にしちゃダメなんだからね。私、ずっとメアの幸せを祈ってるから」
「うん」
だから、だから、言わなきゃ。
「メア、……元気で、ね」
泣いちゃダメだ。
笑って、メアを見送らなくちゃ。
「ふふふ……」
そう思って、気合いで涙を止めて顔をあげると、吹き出したような声と笑っているメア様がいた。あまりに予想外の反応に、私の涙も止まってしまう。
もしかして、早く私の元から出て行きたかったのか!?そうなのか!?
もしかして、メア様も私を気にしてくれているのでは?とか、自惚れてたの、私だけ…?メンタル鋼の流石の私でも、それはへこむのですが!
あまりの衝撃に、さっきまで止まらなかった涙が簡単に引っ込む。
「ちょ、ちょっと!何でそんなに笑ってるの?私、そんなに面白いこと言った!?こっちは真剣なんだよ!!」
「ごめんごめん。だってさ、リゼが今生の別れみたいなこと言うから」
「いや、だってそうでしょ。メアが公爵様になるんなら、私なんかと会うことなんてなくなるじゃない」
と言っても、メアはニコニコと笑うばかり。
なんか、悲観していた私がバカみたいだ。あー、拗ねた。流石に拗ねる。
いいですよ。精々、学園で夢の青春生活を送るといいさ。ふん、私のことなんて気にしないでとは言ったけど、これはこれで寂しい我儘な私が顔を出してきた。切ない。
「メア、流石の私でも、もうちょっと寂しがって欲しいというか…。いや、贅沢な話なのですけれども」
そんな気持ちと、あわよくば寂しがるメア様が見たかった、という思いでメア様を見つめても、メア様は恐ろしいぐらいの上機嫌だ。本当に、ルーシア様と何を話し合ったのか。
すると、ニコニコしているメア様がようやく口を開いた。
しかし、いっそ恐ろしいほど綺麗な顔に、満面の笑みを浮かべて言ったメア様の上機嫌な一言に、私の思考は完全に考えることを放棄することになる。
「だって、リゼは僕の婚約者になって一緒に帝国に来ることになったのに、僕と一生会えなくなるみたいなこと言うから面白くって」
………はい?