きっともう手放せない(メア視点)
メア視点の続きです!
ようやく空が白くなってきたころ。
いつも僕が起きる時間だ。
誰も起きていないような時間に起きて、屋敷が騒がしくなっていくのを待つ。
それが、屋敷にいたころの僕の日課だった。
その理由は、汚染されていない世界を見るためだと思っていたけれど、そんなこともないのかもしれない。ただ、寝ている間に誰かに殺されてしまうような気がして。
それももう、気にすることはなくなったのだけれど。
そんなことを考えると、息苦しくなってくる。
僕は慌てて横を向いた。
いつもと変わらない、彼女の寝顔がそこにある。
「…おはよう」
大丈夫だ、リゼは今日も僕の隣にいる。
僕を置いて、消えたりしない。
屋敷を出てもこんなに早く起きる理由は、彼女が起きないうちに、気づかれないようにこの家を出て行くためだった。
それなのに今では、彼女が朝隣にいるかを確認するために起きて、彼女が目覚めるまで寝顔を見つめるために変わるなんて。
魔力切れで倒れた僕を拾って看病してくれたリゼのおかげで翌日にはすっかり起き上がれるようになっていた僕は、いつも通り早く起きてそのまま彼女の家を出て行こうとした。
彼女の善意とはいえ、もう何日もこの家に居座ってしまっていたのだ。
どうやらベッドも僕が寝ていたものしかなかったようだし、彼女も僕みたいなのを家に置いていたら安心して眠れなかったことだろう。
彼女が起きないうちに消えた方が彼女にとってもいいはずだ。
そう思ったのだけれど、彼女に何もお礼しないまま出ていくのは無礼にあたると思った。
僕のような忌み子で化け物を拾ってしまうようなお人好しな子なのだ。お金はあった方がいい。
もし僕が家に戻れたのならば有り余るほどの謝礼を渡したいのだが、今の僕は一文無しだ。何もお礼できるものを持っていない。
いや、1つだけあった。
僕は首元を弄って大粒の宝玉がついたネックレスを取り出した。
これは、母が父にゆかりのあるものだとか言って、常に僕に持たせていたものだった。
これを売ればお金にはなるだろう。
そう思い、彼女が目覚めるまで待って、宝玉を渡してこの家を出て行こうとした。
別に行く所はないけれど元の家に戻りたいわけでもないので、フードをかぶってこのへんの情報から集めようと考えていたのだ。
……にもかかわらず、彼女は僕にこの家で働いて借りを返せ、と言い出した。
馬車馬のように働かせて、こき使って捨てるつもりなのだろうか、と思った。
でも、そんな人がそもそも僕のことを拾うだろうか。そうとは考えられない。
何度も断ったけれど、彼女の必死な顔を見ているうちに「それでも出て行く」とは言えなくなっていて、気づけば頷いていた。
こんな得体のしれない奴を家に置いて、更に仕事まで与えるなんて。
この子バカなのかな、と本気で思った。
だって、お人好しがすぎる。
それに僕は化け物なのだ。
彼女も気味悪がって、すぐに僕を追い出すだろう。
そう思って働き始めたのに、彼女は僕のことを一向に追い出そうとしなかった。
それどころか使っていなかったはずの部屋を片付け、新しく服を買い、毎日温かい料理を作ってくれた。
「雑用をやってもらう」と言ったわりには僕に回ってくる仕事はほとんどなく、僕には本当に簡単な手伝いをさせるだけだった。
それに、僕がどうやら常識に疎いことに気づいたらしく、どう考えてもめんどくさいだろうに僕の世話を焼いてくれた。
そして、雑用を魔法でやっていたことから、魔力が沢山あるのだと気づかれたときには、ついに追い出されると思った。
権力が必要な貴族や王族となると強い力になるそれは、ただの一般人には凶器が歩いているようなものなのだから。
それでもいいと思った。
彼女が怖がるのは当然だし、僕はもともと出て行きたかったのだから。
しかし、彼女の反応は僕の思い描いていたものとは違い、
「メアは魔法がたくさん使えるんだね!
本当にすごいね、メアは。
メアのおかげで、毎日助かるよ!!」
と言って、嬉しそうに笑うだけだった。
その反応をされたのは初めてで、むしろ怖がられることすら望んでいたのに胸に温かい感情が広がって、自分がどうしたいのか分からなくなっていった。
それでも毎日彼女よりも早く起きて、何度も宝玉を置いて、もう止められないように彼女が起きないうちにこの家を出て行こうとした。
僕を家に置くことで彼女に迷惑がかかるかもしれないと思ったから。
本当だ。本当に、出て行こうとしたのだ。
嘘じゃない。
何枚も何枚も、書き置きする手紙を書いた。
それでも、それは結局実行することが出来なかったのだ。
彼女があまりにも優しいから。
彼女の側を自分から離れることなんて出来なかった。彼女の側は、あまりにも居心地が良すぎて。
彼女からは、いつも陽だまりのような温かい感情が伝わってくるのだ。それは今まで感じていた冷たさや痛さとは大違いで、まるで彼女の周りはいつも輝いて見えた。
彼女と出会ってから、なんの価値もなかった世界に、彩りと意味が生じた。
彼女が触れたものから、輝いてみえるようになった。それは嗚呼、まるで、世界が息を吹き返していくようだと思った。
きっと彼女は、僕のことを忌子だと意識していないのだろう。
彼女はよく、
「メアは本当に素敵だね」
「優しいね、綺麗だね」
とか言う。
それが、嘘じゃないと僕には分かる。
分かって、しまう。
僕にはギフトがあるから。
彼女が僕に向けている、この陽だまりのような感情は何を表しているのだろうか。
今まで見てこなかった感情だから、僕にはその感情が何を表しているのか分からない。
分からないから、もっと彼女のことが知りたいと思う。
この感情の名前も、彼女がなぜ僕にここまでよくしてくれるのかも。
昔、ギフトを授かった人の中には、人に触れるとその人が何を考えているのかがわかった人もいたらしい。
屋敷にいたときは、ギフトなんて僕にとっては呪いでしかなかった。
早くなくなればいい、なんて思っていたのに。
今では、その力がもっと強かったらよかったなんてことを、考えるようになっていた。
彼女のことがもっと知りたいから、なんて。
その感情は日に日に大きくなっていって、僕はとっくにリゼの隣を離れられなくなってしまっていた。
僕が隣にいたら、リゼに迷惑がかかるのに。
そう、分かっているのに。
彼女の親友が、僕についてリゼに忠告しようとしたことがあった。
それを僕は店の裏から見ていた。
そうだ、リゼに言ってやってくれ。
「僕をそばに置くなって言って。
早く、僕のことを忌子だって…」
ぽつりと呟いた言葉が、空気に溶ける。
早く。早く、リゼに言ってくれ。
そしたらリゼも気がつくかもしれない。
僕をそばに置いていることが、危ないということに。
そう思って、むしろ彼女の親友の応援をしていた。
そのはず、なのに。
僕は気がついたら彼女の親友がリゼに僕のことを言うのを止めていた。
自分でも何がしたいのか分からなかった。嘘だ、本当は分かっている。
彼女の親友のように、僕に蔑んだ目を向けるのが正解なのだ。
それなのに、リゼと過ごしすぎて普通が分からなくなってしまうところだった。
悲しい、なんて感じなくていい。
そんな感情は当の昔に捨て去った。
だってこれはいつも通りで、当たり前のことで、僕が化け物だから悪くて…それなのに。
分かってる、もう分かってるよ。
ただ、リゼと一緒にいたいだけなんだ。
その思いを自覚した僕は、日に日にリゼが僕を追い出す日が来るのではないかということを考えて、怯え始めた。
だってもし、彼女に彼氏が出来たりしたら。
僕は完全に邪魔でしかない。
いくらリゼが優しくても彼氏がそれを許さないだろう。
両親を亡くしても気丈に振る舞うリゼは、本人は気づいていないけれどとても人気がある。
何より、リゼはかわいい。
大した怪我でもないのに、リゼの薬を買いに来る奴らがいい証拠だ。
だからリゼを外出させたくなかった。
リゼを渡したくない。
ほかの誰かに見つからないで欲しい。
ずっと僕の、側にいて。
僕には、まるで出過ぎた願いなのに、分不相応にも願うことはやめられなかった。
そのくらい僕はリゼのそばにいたかった。
そのことを考えているときは、ドロドロした蜂蜜に沈んで身動きが取れなくなったように感じた。
しかし、僕の気持ちに反して、リゼは僕と一緒に外出したがった。
本当はリゼの隣を僕が歩くのは嫌だったけれど、1人で行かせるよりは、と思って一緒に出かけるようになった。
それでも人目がないところを出来るだけ選ぶようにした。
僕自身が青色や黒色をこの世界に持ち込みたくなかったというのもあるけれど、リゼに聞いて欲しくなかった、というのが1番の理由だったと思う。
リゼに、僕が忌子だと思われることが、嫌だったから。
だから避けていたのに。
人目がたくさんある、公園へ行くことは。
公園を訪れると、すぐに視界が青色と黒色に染まる。よく見た色。当たり前の色。
悲しみと恐怖と、殺意の色。
本当に嫌なら、リゼを本気で拒絶すればよかったのに。それか、せめていつものようにフードを深く被ってくればよかった。
自分でも馬鹿だなぁ、と思うけれど、もう限界だったのだ。素知らぬ顔して彼女の隣に居座るのは。
あれほど彼女といたいと願ったのに、思ったのに、今でも死ぬほど彼女が欲しいのに、僕が彼女の隣にいるのは相応しくないから。
一度、現実を思い知りたかった。僕に都合が良すぎる夢に、終わりを告げてほしかった。
それでリゼが僕のことを気味悪がって追い出してくれればいい。自分から出て行くことは、もうとっくに出来なくなってしまっていたから。
彼女から僕を追い出してくれないとどこにも行けない。そう思って。
しばらくすると、彼女の幼馴染みが僕とリゼを引き離そうとした。そうだ、それでいい。
僕は、リゼと過ごしたこの時間だけで一生生きていける。もう満足だ。
そうやって何度も考えて、固く決めた決意だったというのに、リゼの言葉でその決意はあっさり崩壊してしまった。
「メアは忌み子なんかじゃない!そんなの、迷信だよ。世の中に黒髪の人だってたくさんいるし、魔王と同じ髪色なんて、そんなの何も関係ないじゃない!!
もし魔王が別の髪色だったとしたら、別の髪色の人が忌み子になって悪いことをするの?つまりマークスは、生まれ持った髪色のせいで忌み子になるって言うの??メアは何も悪いことをしてないし、これからもするわけない!とっってもいい子なんだから!」
そして彼女は、ギュッと僕を抱きしめる。
何も、考えられなくなりそうだ。頭がふわふわする。
こんなことを言ってくれた人は、今まで1人もいなかった。涙がこぼれそうになった。
あれだけ気にしていたはずの青色と黒色が、色鮮やかな世界に埋め尽くされていく。
幼馴染みの男が何か言っているが、何も気にならない。
ただ、耳に、リゼの声だけしか聞こえない。
「メアが危ないわけないでしょう!?そんなに言うなら、メアが危なくなんかないって証明してあげるから!!
メアはね、本当にすごいの。私の仕事いっぱい手伝ってくれるし、一回教えたことはすぐ出来ちゃうし、本当に天才なの!メアが来てくれてから仕事の効率もすごい上がってるし、もうメアのいない生活になんて戻れないぐらいだよ!
それにそれに、私の作った料理をいっぱい食べてくれるし、いつもは無表情なのに、トマト食べる時だけちょっと笑顔になっちゃうの最高に推せるし、ピーマン食べる時に嫌そうな顔してるのバレてないと思ってるのが尊すぎるし、お皿下げてくれるときにいっつもありがとうって言ってくれて、もう天使かな?って100回は思ったし、多分本当に天界出身だと思うから天に帰りますとか言われたらどうしようって1日に5回は悩むし、私よりも早く起きて絶対眠たいはずなのに寝るときはいつも一緒だし、待っててくれてるとか最高のエモじゃない?もう、大好きすぎる。
待って、まだある。まだ聞いて。ありがとうって言ったら、照れて顔を背けて、別に?とか言っちゃうの、かわいすぎて限界がきそう。嘘、もう限界。概念としては生きてるけど、精神は死にそう。
それに、見て!!この美貌!!ね、最高に顔がいいでしょ!?そもそも顔自体が小さすぎるし、顔のパーツ配置完璧だし、きっと神様が気合い入れて作ってる、神の最高傑作だと思わない!?あー、むりむり、もう優勝した。最早神々しいを超えて罪深いわ!!うちのメアがかわいすぎて本当にごめんなさい。あ、更にいい匂いまでする。どうしたの、やっぱり花の妖精なの?
それに、ナナリーならうちに来た時に見たでしょ、あのメアのエプロン姿。似合いすぎて無理すぎない!?誰、あれ考えたの。私か。国民栄誉賞の受賞、まだですか???は〜!!!天才、私じゃなかったら1億円プレゼントしたい。なんの解釈違いも起こさない。最高。どうしよう、まだまだ言いたいのに語彙力が足りない。辞書片手にメアを語りたい。
あ!それに…んんっ!?」
僕は慌てて彼女の口を塞いだ。
これ以上聞いていたら、死んでしまうような気がして。
この人は、何を言っているのだろう。そもそも、これは本当に僕のことを言っているのか。
リゼは、抗議するような顔をしてこっちを見ている。急な言葉に、頭が追いつかない。
ベタ褒めすぎる。
どう考えたって、信じられない。
早口で、聞き取れる部分は少なかったけれど、彼女が僕のことを大好きだと言ったことと、僕の顔をベタ褒めしていたことだけは分かった。
顔に一気に熱が集まる。
だって、彼女も僕のことが好きだなんて、そんなに僕に都合がいいこと、起こるはずがない。足元がふわふわして、まるで地に足がつかなくなったような気分だった。
それから、何故か僕が怒ったと思っているリゼを引っ張って少し強引に確認すると、リゼが僕のことを、大好きだと言った。
「…ッ信じ、られない」
僕は、リゼから逃げ出してすぐ、彼女の見えないところで座り込んだ。
恥ずかしくって、つい余裕ぶって聞いたけれど、心臓はバクバクしていて、今にも破裂しそうだった。
「リゼが、僕のこと、大好きだって」
小声で確認するように、呟いてみた。
それだけで、更に頬が熱くなった気がした。
嘘みたいだ。
夢みたいだ。
でも、嘘でも夢でもない。
だって、彼女からは嘘をつく色は感じられなかったし、こんなに心臓が痛いのだから。
これが夢なら、死んだっていい。
「…ふぅ」
僕は1度、心臓を落ちつけて考えを整理する。
「この街から出て行こうとしたプランは変更だ。これからもリゼの側にいるには、リゼと結婚するしかない。そもそも、リゼの隣に僕以外がいることに耐えられない。そのためには、周囲の人間にも認めてもらう必要があるし、資金だって必要だし、立派な立場がいるはずだ。そうだ、無駄に溢れている魔力を使って、魔法庁にでも勤めて…うん、確か15歳から特別選抜枠の試験があったはず…」
今のままじゃダメだ。
考えれば考えるほど、リゼのことを幸せにするためには、まだまだ足りないものが多すぎる。
それが今すぐ手に入らないことが悔しいけれど、リゼは僕のことを大好きだと言ってくれたのだ。それが家族としての意味であっても。
それでも、その言葉は僕にとって大きな意味があった。ありすぎた。
大丈夫だ。これから僕のことを異性として見てもらえばいい。
幸い、リゼは僕の顔を好きみたいだ。付け込む方法はたくさんある。
時間はあるのだ。
これからゆっくり、攻めていけばいい。
アイデアが、何も考えられなかった頭に溢れるように湧き出てくる。
これから、忙しくなりそうだ。
僕はそう思って、口角を上げた。




