5
★
「ローズ、ルーファス君との婚約を認める」
朝食で何気なく父ラッセルが放った言葉に衝撃を受けた。
「お父様っ!」
ローズは、驚きで思わず立ち上がる。
「ローズ、みっともないわ。座りなさい」
優雅にマリアンヌは朝食のメインを切り分けながらローズを注意する。
「もうこうなってしまっては婚約を認めない訳にはいくまい。学園でも社交界でもあの日の噂で持ちきりだ。昨夜は二人で食事に出かけたと言うじゃないか。これで婚約を認めない方が、ローズが辛い思いをするだろうと思ったのだ」
ラッセルが苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、マリアンヌに諌められた。
「あなた、そんな顔をしないでください。ルーファス様は何年もローズを好いてくれていたんじゃない。そんな言い方は良くないわよ。誠実な方よ。彼の噂だって彼を手に入れたい娘達が勝手に流したものだとあなたが一番分かっている筈よ?」
「しかし、奴は幼女趣味だ!」
バンッと食台を叩き、鼻息荒くラッセルは怒っている。
「出会うのが早すぎただけよ」
「早すぎただけ?!君は呑気すぎる!十八にもなる大の男が十歳の少女を見初めるなど正気の沙汰ではないぞ?!」
「お父様……、血圧が」
ローズが父を宥めるとギロリと睨まれ、萎縮してしまった。
「あら。じゃあ、あなただって幼女趣味じゃない。私とあなたの年の差は十五よ。あなたが二十歳の時に私は五歳よ。あなたの方が立派な幼女趣味よ」
マリアンヌが淑女らしからぬ少女のような可憐な笑い声を上げると、ラッセルは茹で蛸のように顔を赤くして憤怒している。
ワナワナ震え、二の句が継げないラッセル。
「ローズ、そういう事だから、お父様は気にしないで幸せになりなさいよ」
マリアンヌは、途端に母の顔になり、優しくローズに語りかけた。
幸せになる?
こんなにしっちゃかめっちゃかになっているのに?
私が軽率な行動をしてしまったばかりに家族はめちゃくちゃだわ。
ローズは、泣き出したい気持ちでいっぱいだった。
「そうそう、明日あるパーティーだけは出なければ駄目よ。分かっていると思うけど。友人からの招待なのよ。ご家族で是非、とね。ランドールとクラリスも行く予定だから、久々にみんな揃うわねえ」
呑気者のマリアンヌに曖昧に返事をした。
ランドールお兄様と妹のクラリスは怒っているかしら———。
こんな醜聞塗れの兄妹を恥ずかしく思っているのではないか。
考える事が増えた気がして頭の痛い朝になった。
★
その日一日中矢張り好奇の目に晒された。
いつもは学園の食堂で昼食を摂るのだが、視線に耐えられず、事務室に軽食を持ってきてもらって食べた。
味など感じられず、砂を噛んでいるようだった。
食が進まず、溜め息を零して窓の外を見る。
事務室は学園の一階、中庭に面してあるのだが、その中庭を闊歩する人物。
長い足を悠々と使い、噂など微塵も気にしない風に歩いている。
ルーファスだ。
彼は、常日頃から容姿端麗で注目を集める人物だった。
おまけに現侯爵で、学園の理事長に一番近い。
嫁の来手ならいくらでもあるのだろうに、どうしてローズなのだろうか。
いくら考えても分からない。
彼と話した事は片手で足りるくらいしかない。
事務関係で数回。
それからきっと彼は覚えていないだろうが、兄のランドールが屋敷にルーファスを連れて来た際に一度。
あんなに美しい男性は初めて見た。
銀糸の様に繊細なプラチナブロンドの長い髪を綺麗に後ろに流し、神経質そうな少し吊り目のゴールドリングが浮かぶ青い瞳。
鼻筋は高く、整っている。
背も驚く程高く、比較的長身の兄ランドールよりも高かった。
その長身の男性が棒立ちになったまま、ローズを見下ろすものだから、足が震えるし、上手く喋れなくなってしまったのを覚えている。
しかし、自分に叱咤して幼いながら挨拶をすると、ルーファスはそっと無言で目を逸らしたのだ。
———今でも覚えているわ。
ルーファスのその態度を思い出す度に胸が痛む。
そんな初対面で、ルーファスがずっとローズに求婚していたなど、どうして信じられようか。
それに、あの日の晩もけして優しくは無かった。
棘のある物言いをされていたように思う。
矢張り何かの間違いではなかったのか。
ローズはそう思わずにいられないのだ。
ぼんやりと窓辺に肘を付き、颯爽と歩くルーファスを見つめていると、窓の外を風が吹いたらしい。
丁寧に後ろに撫で付けられていたルーファスの髪が乱れる。
ルーファスは耳にあの銀糸の様な髪をかける仕草をしてから、事務室の窓に視線を寄越した。
いつも不機嫌を表したような唇がスッと持ち上がり、ゴールドリングの浮かぶ瞳を細めた。
一瞬だけ視線が交わり、ルーファスは余韻を残す様に一拍置いて、また歩き出した。
ローズは、早鐘を鳴らす鼓動が煩い胸を抑えるしか出来なかった。