4
「ランドールは一体何故あんなケダモノにローズを預けたのだ。昨日のパーティーでローズの隣にフレミング君を見つけた時は目眩がしたぞ」
額を押さえ憔悴したラッセルは兄のランドールに対する小言が止まらない様子だ。
「そういえば、何日か前にランドールから手紙が来ていたわね。ランドールはローズの婚約破棄について酷く怒っていたけれど、良い復讐の駒を準備したとか書いていた気がするわ。まっ、大方フレミング様に唆されたんじゃないかしら。ガルニエ侯爵に捨てられたローズに今代切っての色男が懸想しているとなれば、十分仕返しになるじゃない」
マリアンヌはのんびりと冷めた茶をすすった。
「ランドールにはフレミング君をローズになるべく近付けるなと言っていたのに。大馬鹿者めっ!」
顳顬をヒクヒクと痙攣させながらラッセルは普段の温厚さをどこかに置いてきたように怒っている。
「ローズ、貴方はどうなの?フレミング様と結婚。私は悪くないと思うわよ」
結婚……。
「私は……。不釣り合いです。ご迷惑にならないようにお父様にお任せします」
ローズは、そう言って頭を下げる。
「ローズ……」
ラッセルは痛ましい者を見るような視線を向けた。
「あなた。これはあなたの責任でもあるのよ。あなたがフレミング様ときちんと話をしなかったから、彼はこんな強硬手段に出たのよ。ローズの為を思うならば……分かっているわね?」
マリアンヌはラッセルに話しかけながら、ローズに退出するように視線で合図した。
ローズは黙礼して部屋を出た。
自室に向かいながら、ローズは纏まらない思考を取り止めもなく繰り返した。
★
憂鬱だ———。
瞬く間に休日が過ぎ、学園に行くと、其処彼処から無遠慮な視線を浴びせられた。
きっとチャリティパーティーの醜聞が既に出回っているのだろう。
居心地の悪い一日を過ごして漸く帰宅準備を始める頃に、事務室の前が騒がしいことに気付いた。
「ローズ、迎えに来た」
扉を開けて遠慮など微塵も無くルーファスが入室してきた。
現在学園の事務室は老齢の男性事務員のポール・ブラントと、経理担当のシャルル・ド・モニークがいる。
合計六つの目に見られながらも何事もない様子でルーファスはローズの席に寄ってくる。
「ローズ、約束の日だ。今日の仕事は終わりの筈だ。メイン通りの店で晩餐の予約をしてある。婚約期間中にはなるべく二人で過ごしたいと思っている。君はどうだ?」
ローズはギョッとする。
「ルーファス様……、晩餐とは何のことでしょうか。それに、婚約とは……。父から何も聞いておりませんが」
ローズがしどろもどろに言うと、ルーファスは顎に手を当て、首を傾げた。
「ふん……。大方理事長の悪足掻きだろう。気にすることはない。それとも私に恥をかかせるつもりか」
ルーファスはおもむろに傍観していたポールとシャルルを一瞥した。
ローズは二人の視線に気付き、顔を真っ赤にして俯いた。
昔から人に注目される事になれていない。
その所為か、真っ白な肌はすぐに首まで赤くなってしまう。
「行こう。時間は有限だ」
半ば無理矢理手を引かれてローズは事務室を後にするのだった。
★
ここはメイン通りのビストロ。
灰色のレンガに囲まれて、少し奥まった入り口は年季を感じる色合いの栗皮色だった。
店内は照明を絞られ、ランプの灯りで調整されている。
各テーブルには真っ白なクロスがかけられている。
店に入るなり個室に案内され、ルーファスに従い席に着いた。
磨き抜かれた銀のカトラリーにぼんやり映る自分の顔を見つめる。
すると、給仕が来てルーファスと一言二言交わすと、ローズの前に白ワインを注いだ。
ローズは以前の失態を思い出し、顔を顰める。
「安心しろ。度数の低いものだ。もう無理に酔わせたりしない。君を寝台に引き込む以外には」
ルーファスがそう言って唇だけで笑うと、ローズは益々恥ずかしくなって俯きながらワインに口を付けた。
程なく運ばれてきた前菜、続いてスープ、ポワソン、ソルベ、漸くアントレで二杯目は赤ワインに変え、数回口に付けただけで、断った。
デザートを食べ終えた辺りで、無言の食事は終わった。
頃合いを見計らった辺りで、ルーファスは口を開く。
「実際に籍を入れるのは来年の春頃にしようと思うが、君はどうだ?」
ローズは唐突な話に驚き、食後に注がれた茶を取り落としそうになる。
「ル、ルーファス様、先程も申し上げましたが、父がお断りした筈ですが、どうなっているのでしょうか?」
「君は一夜を共にしておいて、結婚しないのか?そんな貞操観念だったのか?」
———いけない子だ、そう言ってルーファスはワインを口にして、舌で唇をペロリと舐めた。
一々心臓に悪い方だわ。
ローズは、小さく深呼吸をしてからルーファスを見た。
「……うっかり手を出してしまった娘が理事長の娘で断りにくいのでしょうか?でも、私の事はお気になさらす。平気です。醜聞が立ってしまいましたが、野に咲く花の事。いずれ皆も忘れましょう。どうにもならなければ修道院にでも入ります。案外その方が合っているかも」
ローズが自嘲しながら話すと、ルーファスは眉を顰める。
「君はもう少し自分の価値を知った方がいい」
「婚約者にも捨てられた娘です。価値なんかありません。そもそも婚約期間中一度も会ってもらえもしませんでしたから」
あまりの自分の不甲斐なさにローズは視線を逸らした。
「ならば尚更だ。きっと彼は後悔するだろう。自分の手放してしまった花が美しい花だったと知ったならば。だが、一生知らなくてもいい。彼が目の前のありふれた花に夢中になったおかげで、俺は君を手にする事が出来るのだから」
ローズがハッとして視線をあげると、ルーファスは蕩けそうな笑みを浮かべていた。
ローズの心臓は不可解な程に高鳴っていた。
まるで、あの一夜のように———。