【番外編】息子クリスの受難
「最優秀成績者が呆れる!君達二人は学園の一二を争う頭脳を持った生徒なんだぞ?」
ルーファス・フレミング。
フレミング侯爵家当主にして、学園副理事長。
つまりクリスの父だ。
「貴方、お嬢さんは被害者なのよ?」
フレミング侯爵夫人である母、ローズ・フレミングがルーファスを宥める。
「被害者は僕です!」
クリスの叫びに、ローズが軽蔑の眼差しを向ける。
「クリス、貴方酷いわよ」
「いいえ、侯爵夫人。この度は大変申し訳ありませんでした」
アリアが涙を拭う素ぶりをする。
———この女!
クリスがアリアを睨み付けると、ルーファスに一喝された。
「いい加減にしないか、クリス!自分の節度を制御出来ない癖にこの期に及んでその言い草はなんだ?」
絶対零度のルーファスの眼差しにクリスの体が竦む。
「私がお願いしたのです。もう私は卒業ですから、一夜の夢をとお願いしたのです。こんな事になってしまい、クリス様や、皆さまにご迷惑をお掛けしてなんと詫びをすれば良いのか」
さめざめと泣くアリアをクリスは忌々しげに睨む。
「クリス、このままではいけません。責任を取らなければなりませんよ?貴方のお父様の様に」
「ローズ!」
ルーファスが焦った様に止める。
余りの慌てぶりにクリスが面食らう。
「兎に角、彼女の公爵家にはすぐに婚約の申し込みをする。いいな、クリス」
ルーファスの剣幕に、クリスは黙るしかなかった。
♢
「悪かったわよ。ほんの出来心だったのよ」
アリアを馬車で送る道すがらに、彼女はそう言ってバツが悪そうに口を尖らした。
「出来心でやっていい範疇を越えていたと思いますが」
クリスが淡々と言う。
「いつも邪険にされていたから、最後くらいお互い本音で話し合う機会が欲しかったのよ。なのに貴方ったらあんな具合になってしまったからちょっと揶揄うつもりがこんな事になってしまったのよ」
「貴女は本当に謝罪するつもりがあるんですか?!それじゃあまるで僕が加害者みたいじゃないか」
「止めようとした時には貴方もう獣みたいで言う事聞かなかったんですもの!」
クリスは口をあんぐり開けて二の句が継げない。
あれは本当に、催淫剤では無かったのか。
では、クリスは本当にアリアの事を?
クリスは自分の本心すらも分からない、ほんの子供なのだ。
あの時は無我夢中で、何が何でもアリアを手に入れたいと、それしか考えられなかった。
事が終われば、まるで熱が冷めた様に冷静になった。
だが、アリアを見る度に心拍数が微かに上がる。
「私、貴方さえ良ければ結婚してもいいと思ってるのよ?」
「誰が、君なんかと!」
思わず口を衝いて出た憎まれ口。
アリアはクリスの言を聞くと、そっと目を伏せた。
「そう、じゃあこれでお別れね。フレミング副理事長には婚約は家の都合で出来ませんと手紙を書いておくから安心して頂戴」
アリアが言い終わると同時に馬車が公爵家に着いた。
クリスが真意を問おうとすると、アリアはにっこりと笑った。
「一夜限りとはいえ、とても有意義な時間だったわ。学園ではお世話になったわね。もう会わないでしょうけど、お元気で」
アリアはエスコートも無く華麗に馬車から降りた。
明るい日差しの中、凛とした背中がアリアらしいとクリスは思った。
いつもそうだ。
彼女はクリスの一歩も二歩も先を行っている。
手の届かない存在だからこそ、羨ましく思うのだろうか。
クリスの胸をチリチリと焦がす気持ちは何なのか。
♢
あれから一週間。
アリアには会っていない。
あの一夜から二日後、彼女は宣言通りルーファスに手紙を送ってくれた。
ルーファスは溜め息を吐きながら諾の返事を送った様だ。
つまり婚約騒ぎは無かった事になったのだ。
彼女達の代が卒業し、新しい年度が今日から始まる。
クリスは簡単に身支度をして、食堂へと降りた。
既にテーブルには父ルーファスも、母ローズも着いていた。
挨拶を交わし、朝食が始まった。
「今日から新しい年度ね。クリスはこれで卒業と思うと少し寂しいわね」
「卒業後は矢張り研究所に入るのか?」
「ええ、そのつもりです。新薬の開発を最終的にしたいので」
「お兄様が喜ぶわ」
ローズが嬉しそうに声を上げた。
「しかし、進路もいいが、そろそろ身を固めて欲しいものだ」
「まだいいじゃないですか、貴方だって結婚したのは三十手前でしたでしょう?でもね、クリス。アリアさんとの婚約が成立しなかったのは残念だわ。貴方みたいな子には、引っ張ってくれる様なお嬢さんがピッタリだと私は思ってたのよ?」
「あんな跳ねっ返りが僕にピッタリな訳ありません!」
手に持っていたナイフをテーブルに叩きつけた。
「クリス!言葉を慎みなさい!」
ルーファスが一喝する。
「いいのよ、あなた。そうよね、もうお会い出来ないお嬢さんの事を言ってもクリスも困るわよね」
クリスは勢いよくローズを見る。
「え?何です?今何と」
ローズはルーファスと顔を見合わせる。
「彼女、今日船で国を発つそうよ。東方の国に行かれるとお茶会で聞いたのよ」
「ああ、なんでも薬学の道に進むらしい。東方は薬学が盛んな地だから。彼女程優秀なら問題無いだろう」
———もう会わないでしょうけど、お元気で。
あれは本当に決別の言葉だったのか。
「クリス!どこへ?!」
頭よりも、身体が動いていた。
自分自身の本心は、頭よりも心が良く理解していた。
「彼女の元へ———」




