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この学園の裏庭には密かに伝わる噂がある。
美しい男性と、傷ついた可憐な女性。
二人が密かに愛を育んだ場所。
もし、この裏庭にあるベンチで愛を伝えられたら、一生結ばれ、幸せになるという。
そんな噂が伝わっている。
★
久しぶりに来た裏庭は学生達が疎らにいた。
ルーファスと逢瀬を重ねていた時は全く人の寄り付かない静かな裏庭だった筈だ。
しかし、これでいいのかも知れないとも思うのだ。
人々が愛でる所為か、春の盛りの草花達は一層元気に生き生きとしている。
「君、わざわざありがとう。助かった」
振り返ると、ルーファスが立っていた。
あの頃よりは歳を重ねた。
しかし、彼は変わらず美しい。
ゴールドリングの浮かぶ湖面の様な瞳。
いつもの無表情で礼を言う姿。
変わらないで居てくれる彼に、いつも安堵する。
「裏庭を見ていたのか?」
ルーファスが廊下の窓から見える景色を、少し屈んで覗き込む。
「あそこにいるのはクリスだな?」
「ええ、そうなの」
笑いながら頷くと、ルーファスは溜め息を吐く。
「いつも女性の尻ばかり追いかけて、不真面目すぎるだろう。誰に似たんだか」
「学業は優秀なんだからいいじゃありませんか」
取り成すように言うと、ルーファスは少しムッとしたようだ。
「君はクリスに甘過ぎる。俺には最近厳しいのに」
ぶつぶつと文句を言うルーファスが時々少年のように感じるのだ。
年々格好良さよりも、可愛らしさが増す気がする。
男性とは何ともお得な生き物だと思う。
対して女性は、逞しさばかりが増える気がするから、いつか愛想を尽かされないかと不安になるのだ。
しかし、ルーファスは、あの一夜から変わらず愛してくれていると、そうも感じるのだ。
「君、いい加減に俺だけを見てくれないか」
抗議の声に、思考を止める。
こんな事を妻に言うなんて。
きっと学園の彼の生徒や同僚は知らないだろう。
ましてや息子のクリスですらも知らない筈だ。
彼は、二人だけになると、こんな風に甘えてくる。
それ以外は無表情で寡黙。
下手に愛想を良くすると勘違いされて大変なんだと以前こぼしていたのを思い出す。
本当にこの男性は、
「可愛い人」
憎らしくなって彼の肉の少ない頰を抓った。
★★★
ローズは、廊下の窓辺に佇み、裏庭を眺めている。
その姿が何とも儚く、不安に駆られて声を掛けた。
「君、わざわざありがとう。助かった」
今日は忘れた書類を持って来てくれる様に頼んでいたのだ。
直接手渡ししてくれればいいものを、素っ気なく事務室に渡して帰ろうとした所らしかった。
振り返った彼女は、今でも美しい可憐な少女の様な愛らしさがある。
瑞々しい生命を感じる美しさ。
彼女の内面の美しさは年々岩から浸み出す様に増している。
特に子を成してからは更に美しさに磨きがかかった様に感じるのだ。
危なっかしい。
他に取られては敵わないと危機感だけが募る結婚生活だった。
それだからこそ、幸せも一入だ。
こんなに素晴らしい妻を娶れた事が人生で最大の功績であると言ってもいい。
ローズに近付きながら、
「裏庭を見ていたのか?」
声を掛けた。
「あそこにいるのはクリスだな?」
「ええ、そうなの」
ローズは愛らしく笑って答える。
そこには愚息が女生徒と何やら親密そうに話している姿がある。
溜め息が知らず出る。
「いつも女性の尻ばかり追いかけて、不真面目すぎるだろう。誰に似たんだか」
「学業は優秀なんだからいいじゃありませんか」
彼女は息子、というより、俺以外に甘過ぎる。
文句を言うと苦笑されてしまった。
彼女は歳上の俺が甘える姿が酷く気に入っている様なので、意図的と取られない範囲で演じている。
早く老いる分、ローズを繋ぐ手段は総て使う。
女性は得だ。
結婚。
出産。
育児。
何度もある変換期を経てみるみる花開く大輪の花の様に魅力的になる。
対して男は、仕事に邁進し、草臥れた中年になるだけだ。
しかも、俺の場合は彼女より八つも歳上だ。
いつか憐れみでもいいから側に居てくれと泣きつく日が来るのでは、と不安ばかり募る。
「君、いい加減に俺だけを見てくれないか」
ついつい彼女の前では泣き言が出てしまう。
いくら学生や息子の前で偉そうにしていても、これだから嫌になる。
彼女は俺の内など気にせず、
「可愛い人」
そう言って頰を抓ってきた。
何を言うんだ。
君の方こそ———。
end,




