36.6度の融点【アクションを書こう企画参加作品】
本作品は拙作『酔っ払いの底辺社畜さん、一見微妙なスキル“地獄耳”でしれっと異世界無双~スキルガチャ失敗したかなと思っていたら、実は万能で最強のトンデモ スキルだった件~』Day.7-23 みんな、死ネ からシームレスに繋がるお話です。本編では一切描かれなかった脇役同士の戦いをクローズしたものです。
しかしこれ単品でも充分楽しんでいただけるよう配慮しておりますので、本編を未読の方も是非ご覧ください。結構長いのがネックですが(笑)。
魔法女学院パドラ・アイギス。
世界地図上最大の勢力圏を有するロメール帝国随一の名門校。魔術に秀でたエリートを育成する目的で設立されたこの女学院は現在、熾烈なる戦いの舞台と化していた。
一陣の突風が巻き起こる。
波濤の如く襲い来る氷の飛礫の弾幕を、カーラ・ディアンドルの防御魔術が弾き飛ばした。体の前面へ展開した円形の魔法陣は高速で転回し盾の代わりとなり攻撃からカーラの身を守る。
一つ一つが鋭利な刃物のように尖った飛礫。当たれば容易に肉に突き刺さり、あるいは突き抜け深刻なダメージを負わされるだろう。弾かれた無数の飛礫は廊下のあちこちへ刺さり、砕けたものはダイヤモンドダストのように煌めきながら大気中に舞った。
遠くから届いてくる喧噪と悲鳴を、聞くともなく聞いている。鼓膜が捉えた情報として脳は自動処理しているが、意識レベルにまで上ってはこない。雑音。今の戦いの場においては夾雑物に過ぎない。
敵対者、パトリシア・キャンティ・クーベルチュールは柔和な笑みを浮かべながら対峙している。とても戦場に立つ者とは思えない敵愾心のカケラすら汲み取れない表情をしていた。散歩の最中にたまたま知り合いとバッタリ遭遇して「やぁ」と声をかけるように、あるいは魔法女学院の学長として、廊下ですれ違う生徒と挨拶を交わすように、パトリシアはカーラに話し掛けた。
「逞しく成長したわね、カーラ」
「……先生」
今の今まで命の獲り合いをしていたこの二人は、かつては生徒と教師の間柄であった。パトリシアが学長になる前の話である。
「あなたは優秀な生徒だった。
誰から見ても秀才であることに疑いはない、そんな生徒だったわ。
秀才、だけれど悲しいかな、天才ではない」
時として人間社会には、生まれながらに天賦の才を持った者が現れる。特別な努力など必要とせず高度な技術を解し、難解な方程式を解き、芸術を、文学を、哲学を熟し、涼しい顔をしている。
そんな人間は周囲から天才と呼ばれる。天から与えられた才能。概ね畏敬の念を以て迎えられる彼ら彼女らではあるが、あまりにも一般人と断絶した才能は軋轢を生むばかりか嫌悪や忌避、理解不能な存在への恐怖の対象となりもする。
カーラは、天才を知っている。具体的にその名を思い浮かべることが出来る。
ジューク・アビスハウンド、ロメール帝国魔導部隊隊長。12歳で学院へ入学し、13歳で全てを修めて卒業していった魔術の申し子。国王の相談役として対等に口を利くことの出来る数少ない人物であり帝国の最重要人物の一人であることを疑う余地はないが、偉ぶったところが全く無く誰とでも分け隔てなく接することのできる明朗快活な美少女だ。概して、完璧人間である。
だがカーラは秀才。他と較べて秀でてはいるが決してトップではない。女王蜂にはなれない。そのことをパトリシアは指摘している。教師としてそういう生徒であるとカーラを評し、だからこそ、目をかけていたのである。
「あなたは私と似ているわ、カーラ。
ナンバー1ではない。
でもナンバー2未満ではありえない」
「お褒めに預かり光栄です、先生」
パトリシアの意図がわからない。カーラは困惑した。脈絡なく始まった会話。これはブラフか。戦いの中に存在する機微の一つか。過去の思い出話に夢中にさせて気を逸らす作戦かもしれない。
パトリシアは明確な殺意を持って攻撃してきた。かつての教え子だと認めていながら、氷の飛礫を撃ち込んできた。あの柔らかな笑みはそのままだ。昔と何も変わっていない。表面上ニコニコとしながら、一切の躊躇いなど無く殺しの術を放ってきた。
「あなたのことを気に入っていたわ。
人とうまく付き合えない。
他者と交わることが苦手なところは昔の私とそっくり」
大気が、動いた。ゆるやかに風が流れる。パトリシアは魔法陣を両手に纏った。青白い色をした魔法陣だった。
パキ、パキ、と枯れ枝を折るような音が鳴った。大気が少しずつ氷結してゆくサウンドだ。つまり次なるパトリシアの攻撃の合図。
距離は遠い。強力な遠距離攻撃方法を持つパトリシアに対し、カーラは近接戦闘を得意としている。この間合いは不利だ。何とかして接近しなくてはならない。
真っ直ぐに伸びた廊下。二人の距離は約15メートル程。障害物は存在しない。左手側には等間隔で窓が並んでいる。右手側は講義室へ通じる扉がいくつかある。
他の人影はない。廊下にはカーラとパトリシアのみ。
「私の期待通り、あなたは魔導部隊に入隊した。
その腕前と冷静な判断力……相当揉まれたみたいね」
「ええ、火種はどこにでもありますから」
戦争は至る所で起こっている。そして多くの異人種が領内で自治をしている関係上、彼らとの衝突もさほど珍しいことではない。魔導部隊は長であるジュークの方針により人間同士の戦争には与しない。あくまで領土内の問題解決、国家の防衛と魔術の発展のみに寄与する組織なのである。
それでも仕事は忙しい。特にこのところ異人種の反乱は増加傾向にある。その背後に、危険な敵対存在の陰もチラついている。
「それで今夜は私を止めるのがあなたの仕事なわけね」
「そうなりますか」
今宵は月明かりが無い。空には暗雲が立ち込めている。それでもパトリシアの周囲が煌めいているのは、彼女の魔法陣の光が周囲に浮遊する氷の粒に乱反射しているからだ。
無数の冷たい弾丸の装填は既に完了している。後は発射するだけ。
「この位置関係なら、あなたに勝ち目はないわ。
お願い、カーラ、退いてちょうだい」
懇願するように、パトリシアが言う。老女は少し悲しげな表情をしているように見えた。
「出来ません」
要求を跳ね除け、決然とカーラは告げる。仕事だ。これは、自分がやらなくてはならないこと。
パトリシアは悪に堕ちた。敵に寝返ったのだ。放置しておくわけにはいかない。
「ここで命を落とすことになっても、この私に立ち向かうと言うの?」
「いえ、私はそこまで向こう見ずではありません。
勝てると考えているから、この場に立っているのです」
ため息が漏れた。パトリシアの口から落胆を形にした呼気が流れて、彼女は肩をすくめた。
「あなたが守ろうとしている帝国の秩序は、そんなに価値のあるものなのかしら?」
「さぁ、私にはわかりません。
答えを持っていませんので」
「信念も何も無く、仕事をしているの?」
「信頼しているだけです、あの方を。
ジューク様ならきっと、国家も、この私も、正しい方向へ導いて下さると」
絶対的な信頼、それがあれば人は動ける。自我が拠り所になっている人間は案外脆い。アイデンティティというのはそれほど強固なものではない。だが他者への信頼ならば、強い。その相手が帝国最強にして最高の魔導師であるジューク・アビスハウンドならば尚更だ。
「対話で説得することは不可能なのね、よくわかったわ」
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「思ってないでしょ?
申し訳ないだなんて」
「何を仰いますか、あなたの方こそ、対話するつもりなど毛頭無かったでしょう?」
「とんでもないわ、カーラ。
私は出来るだけ穏便に事を済ませようと思っていたのよ。
あなたがもう少し意志薄弱だったら良かったのに」
「その点も謝っておきましょうか?」
「結構よ」
魔法陣が動いた。パトリシアが両手の伸ばしカーラへ向けると共に青白い光はその輝きを増す。攻撃の合図。熟練の魔導師には技を放つ際の呪文詠唱は必要ない。
「カーラ、ここであなたを殺すことを許してちょうだいね」
パトリシアへ向かい収斂していた気流が、向きを逆転した。すなわち、突風となってカーラへ襲い掛かってきたのだ。
氷の飛礫が、散弾状にカーラへ迫る。
「お忘れですか?
私の操る術式を」
カーラの右の掌が、壁に触れる。学院の建材はローマン・コンクリート。セメントと火山灰を混合した強固な石材である。緑色の魔法陣が壁に描かれ、カーラが腕を引く動作に合わせて、壁の一部が薄皮を剥くかのように剥がれ落ちた。
それはまるで、カーテンのようであった。強固なはずの石材がカーラの術の影響を受けて軟らかく変質している。
体の正面へそれをふわりと放ち、防護幕とする。氷の飛礫は幕に接触すると軌道が逸れて全弾、あらぬ方向へ逸れていった。
窓を破壊し壁を抉り、氷の飛礫が次々とカーラに殺到する。
ものともせず、カーラは幕を全身を覆う盾の代わりとし、じわじわと前進し始めた。
「なるほど、“魔導練成”ね」
パトリシアが得心して頷く。
魔導練成とは変質魔術。触れた物質の本来持つ性質を魔力によって変化させ、そこから全く別のものを生み出す術式。カーラ・ディアンドルの最も得意とする魔術である。
たとえば強固な石材を今のように軟らかくすることも出来るし、一度軟化させてから元の硬さに戻すことも出来る。変幻自在の魔術だ。
距離、10メートル。
「さすがは秀才、術の使い道を心得ているわね」
パトリシアの指先が天井を向く。氷の飛礫が突撃を止め、上空へ、天井へ突き刺さり始めた。
天井を無数の弾丸が削ってゆく。
「何を!?」
天井を崩落させるつもりか!?
カーラは駆ける。前面さえガードしてしまえば直進する弾丸は怖くない。一気に距離を潰す。
「まだ、青いわねカーラ」
ボゴオッ!!
相次ぐ衝撃に耐えきれなくなった天井が砕け、数メートルに渡って崩落した。舞い散る土埃。カーラの頭上から砕けた石材が彼女を押し潰さんと迫る。
「くうっ!!」
防護幕で頭をカバーし飛び退く。二人の間に大量の瓦礫が落下して道を塞いだ。
「カーラ、ちゃんと避けられたかしら?」
朦々と煙る土埃の向こうから楽しげな声が響く。
カーラの返事は無い。この瓦礫は自分にとって邪魔ではあるが、それはパトリシアとて同じこと。氷の飛礫は直進しか出来ない。瓦礫の山が障害物となって、カーラには届かないだろう。
パトリシアの狙いは天井崩落に巻き込んで自分を圧殺することだ。そう結論付ける。無言のまま瓦礫を跳び渡りパトリシアへ更に接近を。
刹那、土煙を切り裂き氷の飛礫が数発。体を捻り回避。居場所は、バレているか。
「やはり、生きていたわねカーラ。
私にはお見通しですよ」
ぼんやりと、位置が見えた。踏み込もうとした瞬間、カーラは直感的に立ち止まる。このまま進むべきではないと勘が告げていた。あんなわかりやすい手で勝てるとパトリシアは考えるだろうか。それとも単に天井を崩して接近を防ぎたかっただけなのか。いや、それだけではあるまい。真の狙いが、何かある。
戦場に生きる者の感覚は、優れた嗅覚は捉える。真上から降り注ぐ、無数の氷柱の存在を。
「……っ!!」
瓦礫に足を取られて転倒しながら、寸前のところで回避。鋭利な氷柱が瓦礫目掛けて落下し砕け散る。巻き込まれたら、肉をズタズタにされていただろう。天井を壊し土煙を発生させ、それに紛れてパトリシアは罠を仕込んでいたのだ。抜け目のない作戦だった。
膝立ちで起き上がったカーラの視界に、宙から迫るパトリシアの姿!
右腕に纏っているのは氷の剣。前腕を完全に凍りつかせて先端を鋭く尖らせたそれを、瓦礫の上から飛び降りる勢いをつけて振り下ろしてくる。
接近戦を仕掛けてくることはあるまいという思い込みを裏切る、電光石火の不意打ちだった。老女の肉体スペックからは考えられない素早い踏み込みだ。一瞬で10メートルを超えてきた。
意識の陥穽を突かれたカーラの判断がわずかに遅れた。半身になって剣筋から逃れるも、肩を浅く斬りつけられる。
着地から氷剣の突き上げ。喉へ。カーラが首を振る。血の筋が飛ぶ。
カーラの両腕は床に接している。二つの緑色の魔法陣。魔導練成が、成った。膝のバネを使って跳ね起きる動作に合わせ、カーラは床に敷かれたカーペットを持ち上げるように、形質変化させてペラペラにした床を引っぺがした。するとどうなるか。テーブルクロスを無理やり引っ張るとグラスは足を取られて転倒する。パトリシアにも、同様の事態が起こった。
尻餅をついた。追撃に対応しようと氷の剣を顔の前で構えたパトリシアは、驚愕に目を見開くことになる。
カーペット状になった床が、自分に向かって降ってきたのだ。
咄嗟に突き出した剣は弾力を持つ床を凹ませただけで破壊できない。パトリシアの全身が、軟化したローマン・コンクリートに包まれる。
「こんな!!」
くぐもった声に、カーラは一切耳を貸さない。
「解除!!」
魔法陣からの魔力の注送を受け、本来の硬さを取り戻したコンクリートは、歪みを生じて崩壊、パトリシアを瓦礫の下敷きにする。
「きゃっ!!」
押し潰される直前に短い悲鳴があり、それから静寂が訪れた。
一歩下がって距離を取り、カーラは呼吸を整える。
魔導練成によって一時的に軟化させただけで、本来は数百キロの重さのある石材である。その下敷きになれば最早脱出はできないだろう。全身をゆっくり砕かれて息絶えるか、その前に窒息死だ。
恩師に対してあまりにも酷い仕打ちではある。が、手段を選んではいられなかった。狂気の淵に堕ちた者に情けをかければ、最悪自分が死ぬことになる。
中庭の方が騒がしい。カーラの戦闘と時を同じくして、彼女の仲間たちもまた戦いを始めている。立ち止っている時間もない。加勢に向かわなくては。
カーラが砕けた窓へ向かって一歩踏み出した瞬間、
パトリシアに圧し掛かっていた瓦礫の一部が破壊されて小さな粉塵を巻き上げた。青白く煌めく腕がそこから覗いた。
「何っ!?」
次の瞬間、強烈な衝撃がカーラの肉体を吹っ飛ばした。瓦礫が粉々に弾け飛ぶ。
猫のように空中で身を捻って着地したカーラが目にしたものは、全身に青白い氷の鎧を纏ったパトリシアの姿であった。
まるで甲冑だ。氷の鋳型で鋳造されたフルプレートアーマーのようであった。頭部にも氷の兜を有している。完全防御だ。
瓦礫に巻き込まれる寸前、パトリシアは信じられない速度で氷の魔術を展開し、自分の身を覆っていたのだ。
個人の持つ魔力の量は千差万別だが、例外なく歳を重ねる毎に減衰してゆく。それは魔力が生命力と極めて似たものであるからだ。更に言えば魔力を扱うには莫大なエネルギーが必要である。それ故に若者の方が大規模な魔術を扱いやすいし、術を放つ速度ももちろん優れることになる。
パトリシアは齢60を数える老女。この世界の平均寿命は55歳程度であり、そこから考えれば死期に限りなく近い存在であると言えよう。そんな彼女がこれほど強力な術を継続して放てるのはいささか不自然である。精気が、有り過ぎる。
「先生……あなたは一体……」
カーラの疑問は、やがて一つの推論へと収束する。
人間でありながら魔族に助力し、帝国を崩壊させるべく暗躍する者、“闇の一族”と称される存在。
パトリシアはその者と接触している可能性が高いということは事前のブリーフィングにて聞いていた。
実際手合わせしてみて、あまりにも精強な戦い方に不自然さを抱いた。恐らく、何かされている。
「綺麗でしょう、この鎧」
「“闇の一族”の力を、借りているのですか?」
「ふふっ、そうよカーラ。
彼はこの私の魔力を最大限に引き出せるようにしてくれた。
これまで感じたことの無いほどの力の奔流を私は今、全身で味わっているわ」
「死にますよ、確実に」
自身の最大出力で魔力を使うということは、実質生命エネルギーを空にすることに等しい。戦いが終わった時、恐らくパトリシアの肉体は回復不可能なダメージを負っているはずだ。彼女の年齢からして、まず耐えられない。
「いいの。
もう充分生きたわ。
それに私にはもう、生きがいが無いから」
「どういうことです?」
「娘が死んだのよ」
氷の鎧を纏ったパトリシアは、一歩、また一歩、近付いてくる。両腕に白い煙が上がる。氷を溶かし、形状を変化させ、二つのブレードになった。
「娘さんが?」
「私の愛しいペリル。
あの子は、この魔法女学院で死んだ。
いえ、殺されたの」
ブレードを擦り合わせる音。パトリシアは笑う。柔和な笑み。ずっとそのままで凍り付いてしまったかのように、笑い続けている。
「イジメられていてね。
多分、イジメていた子達はそんなつもり無かったんでしょうけど、学術棟の屋上から転落して死んだの。
私は、ペリルを助けられなかった。
イジメを糾弾することも、不可能だった。
元老院が、普段は亀より鈍重なあいつらが、実に迅速に事態を収拾した。
イジメは無かったことになり、私の娘はただの事故死として処理されたの」
「それは……」
元老院とはロメール帝国における政治機関の一つ。軍部と共に国の内政を司る、古くからこの地に覇権を握っていた富豪や貴族の寄合である。
名門である魔法女学院には、元老院のメンバーの娘も多い。彼女らは親同士の組織内での派閥や権力争いに否応なく巻き込まれる。
ペリルをイジメていた生徒がたまたま元老院メンバーの娘であったが為に、組織の威信を醜聞によって傷付けないよう、元老院は事件を揉み消したのだ。
「私は元老院のメンバーでも無ければお金持ちでもない。
本来、学長になれるほどの器じゃ無いの。
だから今のポストは元老院からの餞別ね。
魔法女学院の学長ともなれば市民からの寄付金も莫大な額になるし、政治の世界にコネも出来るわ。
本当なら元老院メンバーの天下り先であるこの椅子に座らせてやる代わりに、黙っていろと言うことよ。
素直に、認められると思う?
私は、母親なのよ。
彼らのように、妾に何人も産ませて勝手に育てさせてる訳じゃないの。
私が産んだの。
自分で、お腹を痛めて産んだ子なのよ。
この世でたった一人の愛娘を、私は殺されたの」
「だから、“闇の一族”に協力を?」
「そうよ。
彼の一族はずっと虐げられてきた。
特殊な力を持つが故、忌み嫌われ蔑まれ、れっきとした人間でありながら化け物扱い。
彼はずっと疎外されてきた。
だから復讐をすると言っていたわ。
この私に彼は約束してくれた。
元老院も、必ず潰すと。
一人残らず、殺し尽くすと。
それは無力な私の願いでもだった。
一人で立ち向かうにはあまりにも強大な敵。
でも彼ならきっと成し遂げられるわ」
パトリシアは弱ったところに付け入られたのだ。カーラは思った。愛娘を殺された恨み、それに同調するような事を言って近付き信頼を得る。だが“闇の一族”の真の目的は他にあるのだ。
が、もはや言葉で改心させることは不可能だ。パトリシアはかつての教え子であるカーラに対しても容赦なく攻撃を仕掛けている。
こちらも、殺すつもりで戦わなければやられる。パトリシアは近接戦闘をするつもりだ。敢えて、カーラの土俵で戦おうと言うのだ。それだけの自信があるということ。
「先生、それ以上近づいたら私は」
「いいの、カーラ。
遠慮はいらないわ。
私を殺してみなさい。
そうでなければ私が、あなたを殺してしまうから」
「止めてください、もう」
「無理ね、わかっているでしょ。
あなたと私の立場はまるで違う。
私はあなたの、敵、なのよ!」
間合いに入った。眉間を刺し貫く一撃が真っ直ぐ突き出された。カーラには当たらない。しっかりと見えている。下半身をその場に残して上体だけを反らす。寸前で回避。この見切りがギリギリであればあるほどいい。反撃に移行しやすいからだ。第三者から見て、避けているとは思えないほどわずかなモーションで避けるのが理想だ。
かわし、パトリシアの腕が戻るタイミングに合わせて左足を踏み込みながら拳を伸ばす。実に基本的なリードブロウ。相手を殴り倒す一撃ではない。これは単なる目くらましに過ぎない。パトリシアの鼻頭に当て、彼女の目を閉じさせる。
が、当たらない。パトリシアの反応は速い。突きがかわされたとみるやカーラの左側面へと回り込むように踏み込みながら左腕に装着した氷剣を横薙ぎにカーラの胴体へ叩き付けてきた。斬るというより質量をぶつけるように。
カーラは前へ飛び出して斬撃を回避しながら地面に魔法陣を描く。前転から復帰した時既にその腕に石材を変化させたレイピアを握っていた。
細さ、鋭さ、速さに特化した片手剣。主に甲冑を着た相手の防具の隙間を刺し貫く為に開発された剣である。フェンシング用のフルーレを連想してもらえるとよい。しかし当然ながら刺突用武器であるレイピアにはフルーレのような刀身の“しなり”は無い。
氷の甲冑に隙間は存在しない。だから刺せるのは露出した顔面のみ。恩師の顔に、風穴を開ける必要がある。胴体ならまだしも、顔を狙うと言うのは精神的負荷が大きい。必ず、相手の目を見ることになるからだ。
「剣での勝負がご所望かしら」
パトリシアの踏み込み。両手の甲冑を変化させた剣は自分の腕を振るうのと同じ感覚で扱える。その上、相手の攻撃によって叩き落されるリスクが存在しない。また氷を溶かして生成している為、万一叩き割られてもすぐに再装填可能。
遠間からの刺突を攻めの起点とし、カーラの動きに対応するかのようにパトリシアは狡猾に立ち回る。リーチにおいてカーラのレイピアが勝るものの、狙える箇所が顔面のみであるというパトリシア側の利点が効いている。どこへ攻撃が来るか予めわかっていれば、対処は容易いのだ。
カーラの剣は細く鋭く視認困難だが、かちあった時に脆い。ガードするより避ける必要がある。
パトリシアの左右の突きが肩口を狙っているのを理解し、カーラは後退しながら剣先を巧みに操って氷剣の軌道を微妙にずらし続けている。もう少し太い剣を練成するべきだったか。しかしそれには若干の時間を要する。それほどの時間的余裕をパトリシアは与えてくれなかった。
間隙を瞬間的に把握し、突く以外に無い。技術的に不可能ではない。問題はやはり気持ちの面だ。恩師の顔面を刺し貫けるか。己自身に問いかける。
やる。
決断までに要した時間はごく短いものだった。情を捨て去る。戦士として、冷徹な判断を下す。
「はっ!!」
気勢を放ち、右の踏み込みから一気にレイピアを突き入れる。細い剣先は正面からでは目で追えない。顔面のど真ん中を、人中(人体の急所の一つ、鼻の下)を貫くつもりだった。しかし必殺の一撃はパトリシアの頬を掠めて流れた。動きを読まれた。
両者共に、地を蹴って後退する。カーラは崩落した天井の瓦礫を背にしている。足場のコンディションは、カーラの方が若干悪い。
「肝心なところであなたの弱さが出ているわ、カーラ」
「弱さ?」
「精神的な弱さね。
私を殺すのなら、そんなに思いつめちゃダメよ。
今から刺しに行くと、事前に目が語ってしまっているわ」
決意や覚悟は、表情に出る。対峙する相手を殺めようとするなら尚更だ。その“意”の移り変わりは、戦い慣れている者や注意深い者には悟られやすい。眉根一つ動かさず、微塵の動揺すら見せず、平時と変わらぬ態度で相手の命を奪う事が出来るのならそれに越したことはない。
カーラにとって不幸だったのは今回の相手がパトリシアであったこと。単なる知人レベルではない。学院内で孤立していた自分の才を見出し、拾い上げ、助けてくれた恩師だった。
ふいに、カーラは剣が手から零れた。地面に落下したレイピアが呆気なく割れて崩れてゆく。
「あら、戦意を喪失したの?
これ以上、かつての恩師とは戦えないと?」
パトリシアの問いかけに、カーラは首を振る。
「いえ、違います。
たった今、方法を思い付きました」
俯いたまま、両拳を握りしめて、カーラが言う。
「あなたを倒す為の方法を閃いたのです、先生!」
「倒す?
まだそんなぬるい事を言っているの?
だからあなたは敵わないの、この私には。
殺すのよ、カーラ。
恩師であれ何であれ、構わず命を奪うの。
そういう気持ちで無ければダメ、よ」
「いえ、倒すのです。
私の言葉は決して、情に絆されて濁ったものではありません。
透明な決意です。
あなたを殺さず、戦闘不能にして身柄を拘束します」
屈んだカーラは、右腕を背後の瓦礫へと伸ばした。その意図を汲んだパトリシアが氷剣を構えながら前へ出た。カーラはまた、魔導練成によって武器を生成するつもりだ。術が完了する前に攻撃を加える。
瓦礫の山が音を立てて崩れ始める。カーラの魔法陣へ向かって、瓦礫が凝縮し始めた。
「あああっ!!」
顔を歪め、痛みに堪えるかのように叫びながら、カーラは右腕を振るった。瓦礫が形を変え、パトリシアのものより遥かに巨大な剣となって、振るわれた。それは最早剣と呼ぶにはあまりにも巨大な塊だった。質量そのものであった。防御など構わない。その上から圧殺する。鎚と同じ思想によって作り出された武器だった。
パトリシアの顔色が変わる。予想以上に練成が早かった。攻撃を中断、両腕の剣を体の前でクロスさせ、襲い来る一撃に備える。
そして然るべき衝撃は発生した。下段から斜めに斬り上げ、というより叩き付ける一撃は、パトリシアの氷剣によるガードを割り砕き、鎧を纏った全身を直に叩く!
ドガアッ!!
破片が、宙に舞った。
カーラの灼熱の視線と、
パトリシアの凍てついた眼差しが、
刹那に交差した。
破壊され粉々になった“カーラの剣”のパーツ達は魔力による凝結の力を失ってバラバラになり灰塵と化す。
一方、パトリシアの氷の鎧には傷一つ、ついてはいない。
生成物の密度が違う。術の出力が違う。
カーラよりも遥かに、パトリシアの方が上だった。
圧倒的な差が、越えられない壁が、ここに露呈した。
パトリシアは少々の落胆を含んだ顔で、カーラを見下ろす。
パラパラと粉塵が舞い落ちる中、
「これが、私とあなたの違いよ。
あなたはやはり秀才止まりだった。
天才にはなれない」
死刑宣告のように告げた。
だがカーラは悲しみを湛えた瞳でパトリシアを見据え、全く想定外の言葉を吐き出したのである。
「いえ先生、もう既に勝負は決しました」
カーラの右掌は、パトリシアの氷の鎧に“触れて”いた。
「あなた何を……」
「わかりませんか。
鎧を破壊する必要なんか、まるで無かったのです。
ここに至ってまだ、あなたにはわからないのですか!?
あなたの教え子の“得意科目”が何なのか、私の最も得意とする術式は――」
氷の鎧に、緑色の魔法陣が描かれる。紛れも無くそれこそが死刑宣告だった。パトリシアは状況を見誤っていたのだ。鎧など、いつまでも着ておくべきでは無かった。何故か。理由は簡単である。
「――魔導練成!!」
氷の鎧という“物質”を、カーラは逆に利用した。
「カーラ!!!」
血相を変えて飛礫を放とうとするパトリシアの動きよりも遥かに速く、カーラの術は成立した。それが彼女の得意科目だった。不器用で、決して天才にはなれなかったカーラの、唯一の得意科目だったのだ。
パトリシアが褒めてくれた、伸ばしてくれた、自信をつけさせてくれた、これだけは誰にも負けないという自負心を育んでくれた、唯一にして最大の武器だったのだ。
魔導練成によって氷の鎧は瞬間的に変質した。内部から無数の氷の刃が伸び、パトリシアの全身をズタズタに刺し貫いた。それはまるで、鋼鉄の処女のようだった。
体中の主要な筋肉を突き刺してその収縮を防ぎ、パトリシアの動きを、完全に止めた。飛礫を放つ前の指先による対象指定の工程すら、不可能だった。飛礫は標的を失って真下へ落下して散った。
「こ、こんなことが!!」
「事前に言った通り、あなたの身柄の拘束は完了しました。
急所は外してありますし、急速冷凍されて患部からはほとんど出血もしていないはずです。
あなたは死なない」
アイアン・メイデンとは、中世ヨーロッパで使用されたと言われている拷問器具である。女性の形をした2メートルほどの高さの鉄または木製の人形であり、内部が空洞になっている。胴体部分に存在する扉には鋭い釘がいくつも打たれていて、中に人が閉じ込められると釘が全身に刺さる仕掛けとなっていた。
この拷問器具は釘を打つ位置によっては内部の人間を即座に殺さず急所を外して苦痛を長引かせることも可能であった。
カーラはあえて急所を狙わず氷の棘を刺し、止血と同時に患部を凍らせることで痛み自体を極力与えないように配慮までしていた。恩師へのせめてもの情けだった。
だがパトリシアにとっては屈辱でしかない。彼女はどちらかが死ぬまで続く戦いだと考えていたはずだ。自分が負けるならば、教え子の手に掛かって楽になれると思っていただろう。
「よくも!
よくもこんな生き恥を晒すような真似を私に!!
私は命を賭して」
「甘えた事を仰らないでください!!」
カーラが、パトリシアの言葉を遮る。
「多くの無関係な人間を個人的な復讐劇に巻き込み、挙句国家の存亡すら危うくさせる。
そして失敗したらさっさと死んで楽になろうなどと……身勝手な!
私は許しませんから。
苦しんでもらいますよ、必ず。
ご自身の罪の重さを、存分に味わっていただきます。
ですから……ですからおとなしくして下さい」
カーラの掌が触れている。冷たい氷の鎧に触れている。恩師の体温は、分厚い氷の層に阻まれて感じられない。親としての、教師としての、人間として温もりには、触れない。
「そんなこと、今更言わないでちょうだい。
悔い改めるのは無理よ、もう。
私は闇に堕ちた。
贖いきれない罪状を、既にかかえてしまっている」
「だから殺せと、言うのですか?
私は……私の気持ちは、どうなるのです!?」
少なくとも、カーラの記憶の中のパトリシアは本当に善人だった。いつまでも彼女の中で色褪せない思い出として刻み込まれているのは、慈しみの心を持った教師であるパトリシアの姿。それだけだった。どれだけ感謝の言葉を尽くしても足りない。そういう人間だった。
「あなた……泣いているの?」
「 」
カーラは、荒くなった呼吸を整えようとした。込み上げてくる感情を押し殺そうとした。返事をしたかった。何か、言い返したかった。泣いている、わけではない。目に入った粉塵を洗い落とす為に、生理現象として涙が出ているだけだ。
「カーラ……」
声をかけられても、嗚咽しか出ない。どうしようもない運命が二人の道を分かち、そしてそれはもう二度と合流することはないのだ。
「辛いわね。
苦しいわね。
あなたのことは実の娘のように可愛がってきた。
だからわかるの。
でも、ここで止めたらいけないわ」
「先生……?」
鎧の奥から、奇妙な音が聞こえてきた。鎧へ触れた腕を通して伝わってくるおぞましい振動に、カーラは目を剥いた。
「そんな……止めてください!
この状態で無理矢理体を動かしたら!!」
氷の棘はパトリシアの全身を刺し貫いて動きを封じている。が、筋力に拠らず魔力を用いて体を動かすことは出来る。可能ではあるがそれをするということは、傷口を自ら押し広げることに他ならない。急所を外れている氷の棘を、自分自身で急所へと肉を裂きながら動かす、そういう行為に等しい。文字通りの、自殺行為だ。
「私は、もうお終い。
あなたがトドメを刺してくれないのなら、自分でケリをつけるわ。
この身を引き裂き、あなたを、道連れにして!!」
パトリシアは命を投げ出して右腕を動かした。氷の飛礫を生成しながら。腕を振り下ろす動作に伴いまるで布を引き裂く様な背筋の凍る音がカーラの耳に届いた。きっと、腕の筋肉は内部でズタズタになっている。そして上体を動かしたのなら体に刺さっていた氷の棘はきっと、内臓を鋭く抉っているはずだ。
もう、放っておいてもパトリシアは死ぬ。これほどの決意を彼女は秘めていたのだ。“闇の一族”に加担すると決めた時から、パトリシアの心は凍り付き閉ざされていた。
カーラは、歯を食いしばった。唇が切れて血が流れた。恩師の命を救うことは遂に出来なかった。ならばせめて、魂の救済を。尊厳ある、死を。
魔法陣は輝き出した。パトリシアの纏う氷の鎧を変質させて、今度こそ確実に仕留める一撃を。
「さようなら」
氷の鎧は砕けた。破片一つ一つが鋭く尖った氷柱となってパトリシアの全身をくまなく刺し貫いて、肉片と血液を撒き散らしながら四方八方へ弾け飛んだ。
「パトリシア先生!」
恩師は今際の際に一度天井を見上げ微かに微笑んだ。ような気がした。カーラからはそう見えた。
「それでいいの」
聞こえた気がした。恩師の最後の言葉。空耳だったかもしれない。構うものか、どっちでも。
瞼を閉じ魂の抜け殻と化した肉体が沈んでゆく。それを、両腕でしっかりと抱きとめる。
人の血が流れ出るパトリシアの体は、温かかった。カーラは、瞳から止め処なく溢れる雫を拭わず、暫しパトリシアを抱いていた。
廊下は破壊し尽くされていた。至る所に突き刺さったままの氷のオブジェは魔力の消失に伴い急速に溶けて水になってゆく。まるで廊下全体が涙を流しているかのようであった。
カーラは急速に失われてゆく恩師の体温を感じていた。殺めるしか無かった。任務を、自分は全うしたのだ。敵を排除したのだ。
今ここで悲しんでいる時間はない。まだ、終わっていない。
ただの肉塊となった恩師を横たえ、カーラは立ち上がろうとした。仲間のもとへ向かおうとした。ふと、パトリシアの掌が目に入る。そこに皮膚を氷で斬りつけて刻んだ血文字があることに気がついた。
酷く読み辛い。文字が汚いのではなく、読み辛いのは目が霞んでしまうから。どうやっても、文字が滲んで直視できない。カーラは自分の顔を両手で覆った。そのまま、糸が切れた人形のように崩れ落ち、恩師の胸に額をこすりつけて、慟哭した。
刻まれていたのはシンプルな言葉。
ありがとう
それだけだった。
氷は通常、0℃で溶けて水となる。
しかし凍て付いた人の心は、そんな温度では溶かせない。
必要なのは血の通った温もり。想い。
だからこそ、融点は体温(36.6℃)なのである。
36.6℃の融点
終わり
本作品はアクション企画参加作品です。
アクションシーンについて、参加者同士で自分にはない表現や技術を盗もうという趣旨の企画です。
そんなわけで多くの方にアクションシーンについての感想を頂きたいと思っております。
もちろん、それ以外のストーリー部分についての感想でも一向に構いません。
いつも以上に執拗に書いた1対1のバトル、楽しんでいただけましたでしょうか?
これを読んで本編の方にも興味を持ってもらえた方、是非、一読してみてください。
他ではあまり味わえないクセが強くてクセになるお話が、もしかしたら読めるかも?