魔女と少年
ここは深い深い森の中。
あまりにも深く木々がひしめき合っているため、太陽の光も届かない。じめじめとした大地に苔がびっしりと生えている。
そんな暗い森にこじんまりした木の家。どうやら誰かが住み着いているようだ。
こんな気味の悪い森に住む人間なんてーーそう魔女だ。
ここにはずっとずーっと昔からひとりの魔女が住み着いている。
◆◆◆
魔女の目覚めは遅い。太陽が完全に沈み、月が顔を出すのと同じくらいに目を覚ます。のそのそとベッドから起き出すと、顔を洗って真っ黒なローブを羽織り朝食作りを始める。
暖炉の火の上に吊るしてある鍋に水を入れてジャボジャボと食材を放り込む。基本は森で採れたきのこや山菜だが、なにやらよく分からない黒い物体なども混じっている。それを木のスプーンでぐるぐるかき混ぜ火を通し、木のお椀によそって椅子代わりの切り株に座る。
さて食べようとしたところで、魔女はふと手を止めた。
「やれやれ、珍しい。お客さんかい?」
長くひとりでいると独り言も多くなる。魔女はゆっくりお椀をテーブルに置いて立ち上がると、唯一の扉を開けた。
「この魔女めっ!」
瞬間、飛び込んできたのはナイフを持った少年だった。ここまで来る間に転びでもしたのだろう。体中泥だらけで服はところどころ裂けている。
「これはこれは可愛いお客さんだねぇ」
魔女がナイフにちょんと触れるとたちまちナイフは花束に変わった。
「わぁああ!!」
驚いた少年は後ろにひっくり返り見事な尻餅をついた。その様子を見て魔女はゲラゲラと笑う。
「まあまあ。久しぶりのお客さんだ。ゆっくりしていくといいよ」
「バカにするな! 僕はお前をやっつけるんだ!」
「そうかいそうかい。それは頼もしいねぇ」
魔女は再び笑うと、懐から小袋を取り出した。中にはなにやら粉末が入っているようで、それを少年にハラハラとふりかける。
すると、一瞬のうちに体中の泥が消え服もピカピカになったのだ。驚いた少年は魔女をまじまじと見つめた。
「どうして?」
「言っただろう。久しぶりのお客さんだからゆっくりしていくといいって。ただ泥だらけのまま家にあげたくはないからね」
小袋を片付けると、魔女は少年を家に招き入れた。辺りをキョロキョロと見渡し、恐る恐る魔女の家に入る。
魔女の家の中はずいぶんと雑多だった。木のテーブルに食べかけの朝食。切り株の椅子が2つ。壁には乾燥させた植物や爬虫類が吊るされ、棚の中には刺々しい色をしたビンの数々。暖炉で揺らめく炎が怪しく室内を照らしている。
「坊やはどうしてこんなところに?」
「……森のずっと奥に魔女が住んでるから倒してこいって。そうしたらもう仲間外れにしないって」
少年はボソボソと話し始めた。要約すると、同じ村に住む子供たちに少年はいじめられているらしい。いじめをやめる代わりに魔女を倒してこいと命じたのだ。
「それでわたしを倒しにここまで? 坊やは真面目だねぇ。そんなの無視すれば良かったんだ」
「そんなことしたらもっといじめられるよ」
「人間は面倒なことだねぇ」
魔女は甕の中に入った水をコップにすくって少年に差し出す。少年は警戒したようにコップを見つめた。
「毒なんて入ってないよ。のどが渇いたろう?」
「飲んだら化け物になったりしない?」
「それはおもしろいけれど、残念ながらただの水だよ」
自分の分の水もコップにすくって魔女はゴクリと水を飲んで見せた。少年はそれを見て恐る恐る口をつけ、本当に水だと思うと一気に飲み干した。よほどのどが渇いていたらしい。
「ねぇ、魔女さん。魔女さんはなんて名前なの?」
「名前なんてとうの昔から呼ばれなくなったからねぇ。忘れたよ。好きにお呼び」
「ふーん。じゃあ、魔女のマーちゃんね」
「随分かわいい名前をありがとう」
魔女はククッと笑った。
「僕の名前はね」
「おっと、坊や。魔女に簡単に名前を教えてはいけないよ」
「なんで?」
「名前はそのもの自身を指す。名前を知れば、なんでも支配できちまうのさ」
言い知れぬ威圧感に少年は唾を飲んだ。しかし、それも一瞬でもとの穏やかな空気に戻った。
「せっかくだから魔法を見ていくかい?」
「え? いいの?!」
少年は瞳を輝かせた。子供らしいリアクションに魔女も表情を和らげる。
「さて、まずはこれさ」
魔女が手に取ったのは、布でできた女の子の人形だった。少年の膝くらいの大きさだ。
「それをどうするの?」
「人手が欲しいからね」
少年の問いにそう答えると、魔女は人形にフゥーと息を吹きかけた。すると、先程までへにゃりとしていた人形がぴくりと動き出し、自立して歩き出したのだ。
「わぁ! すごい!」
「さぁ、マリア。材料を集めておくれ」
人形はマリアというようだ。マリアは部屋中を歩き回って、色とりどりの宝石と刺々しい色の液体を持ってきた。魔女はそれらを受け取ると壺の中に入れていく。
「宝石は大地のエネルギーさ。こっちの液体は香水さ。植物から抽出しているよ」
「どうなるの?」
「それは見てのお楽しみ」
魔女は壺に手をかざし、ブツブツと何か呟く。すると、煌々とした光が壺から溢れ出した。光が落ち着くと、いっぱいだった壺の中身はなくなっていた。
「手を出してごらん」
素直に手を出した少年の手の平にコロリと何かが落ちる。
「ーーブレスレット?」
そう、それは真っ赤なブレスレットだった。
「ただのブレスレットじゃないよ。魔法のブレスレットさ」
「何ができるの?」
「まずは外に出ようか」
魔女は扉を開けて、少年を外へ導く。森の中は枝が風に揺れて擦れる音がしているだけで静かだった。月明かりも届かず薄暗い。じめっとした空気はまとわりつくようだ。
「さあ、ブレスレットをつけて手の平を上にしてごらん」
「うん」
少年は素直にブレスレットを手首につけ、手の平を上にした。すると、たちまち手の平に光が集まり光球を生み出した。
辺りを明るく照らす暖かな光はジメジメした空気まで跳ね除けてしまったようだ。
「すごいや!」
少年は喜びはしゃぐ。
「灯りはお願いね」
そう言って魔女は徐に近くの木へ向かっていった。それに気づいた少年も後に続く。
「どうしたの?」
「おもしろいものを見せてあげるよ」
質問には答えず、魔女はいたずらっぽく笑うと木に触れた。なんと固いはずの木がグニャリと曲がった。
「え?!」
「木は粘土になるのさ。加工し易くて便利だよ」
グニャリグニャリと木が折れ曲がりどんどんコンパクトになっていく。葉っぱも一緒にこねこね。途中、鳥の巣がひとつあったのでそれは横に避けておく。
「すごいや! もしかしてあの家って?」
「そうさ、あの家は木を粘土にして形を作ったのさ。後で木に戻せば簡単に家が建つ」
「僕も何か作っていい?」
「いいよ」
魔女は手の平から光球を生み出すと、少年の手元を照らした。少年は光球を消して木の粘土に飛びつく。ひとしきりこねてできたのは、猫だった。
「なかなかいいじゃないか」
魔女の言葉に少年は照れくさそうに笑う。灯り係を少年に戻して魔女は避難させた鳥の巣を手に取った。中には卵が3つ。
「今度はどうするの?」
「鳥に乗って空を飛ぼうか」
「そんなことできるの? まだ卵だよ?」
魔女は卵をひとつ手にすると優しく擦り始めた。ピシリとヒビが入ったと思えば、中からヒナが出てくる。そのヒナを撫で続けると、みるみる内に成長していき、あっという間に家よりも大きな鳥になった。鮮やかな緑の体躯に頭頂から流れるように伸びる虹色の毛。どの超獣図鑑にも載っていないだろう。
「さて、お前の名前はキースだよ」
魔女が手を差し出すと、キースはくちばしを手に寄せ忠誠を誓った。一方、少年は開いた口が塞がらないらしく呆然と立っている。
「坊や、背中にお乗り」
「う、ん」
姿勢を低くしたキースの背に魔女がまず乗り、その次になんとか少年が乗った。
「さあ、わたしにしっかり掴まって」
少年は魔女の背中にしがみつく。徐に魔女は口笛を吹いた。口笛に反応してキースがゆっくりと翼を広げ、ばさりと羽ばたかせる。木々の間をぬけ、あっという間に上空へ。空は晴れ星々が輝き半月が顔を出していた。
「どうだい坊や。空の気分は」
羽ばたきに負けないくらいの声で魔女が話しかける。しばし呆然としていた少年は頬を紅潮させて叫んだ。
「最高だよ! マーちゃん!!」
空中散歩を楽しんだ魔女と少年は、再び魔女の家の側に降り立った。
「マーちゃんありがとう。とっても楽しかったよ」
「それは良かった」
そのとき、刺すような怒号が飛んできた。
「その子を離せ! 魔女め!」
◆◆◆
怒号の方へ顔を向ければ、銛を持ったり槍を持ったり鎌を持ったり剣を持ったりした大人の男が4人と少年が3人立っていた。
「今日はずいぶんお客さんが多いねぇ」
武器を向けられても平然としている魔女に少年の方が慌てる。
「お父さんやめて!」
「マロ、すぐに助けてやるからな!」
銛を持った男はどうやら少年の父親らしい。となると、マロは少年の名前だろう。
「悪かったよ、マロ! まさか本当に魔女を倒しに行くなんて思わなかったんだ!」
「冗談だったんだよぉ!」
「ごめんなぁ!」
大人たちと一緒にいた少年たちが口ぐちに謝る。どうやらマロをいじめていたのはこの子たちのようだ。
「なるほどねぇ」
いろいろと理解した魔女はマロの手首を掴むと大きな声を出した。
「この子はいじめられるようないらない子だ! わたしがもらっていくことにする!」
「マーちゃん?!」
突然の魔女の言葉にマロは目を剥いた。さっきまで仲良くしていたのにどうしてそうなったのか。
「やめろーー!!」
「いらなくなんてないんだ!!」
「マロは頭がいいから羨ましくてつい意地悪しちゃっただけなんだ!」
3人の少年たちが泣きながら叫ぶ。大人たちは武器を構えて戦闘態勢だ。
「みんな違うよ! マーちゃんはそんなこと……!」
「マロ、黙るんだ」
「?!」
マロはのどに手をやる。声が出なくなってしまったのだ。どうしてとマロは魔女を見た。
「あの子たちとはうまくやっていけそうじゃないか。こんなところまでくるなんて、坊やのことが余程心配だったんだろうね」
「!」
マロの瞳から涙が溢れる。それを見た大人たちが魔女に襲いかかった。魔女はマロから手を離すと、ヒラリと身を翻しキースに跨った。
「マリア!」
木の家から出てきた人形のマリアは魔女の肩に乗る。すると、魔女の家から炎が上がった。マリアが火をつけたのだろう。みるみるうちに家が焼けていく。
「坊やはわたしと違ってこの世界で生きていけるさ。わたしは少し旅に出ることにするよ」
キースが大きく翼を羽ばたかせる。風圧を受けた大人たちは尻餅をついた。マロは必死に魔女に手を伸ばす。手首に巻かれたブレスレットが音を立てて砕け散った。
「マーちゃん!」
「久しぶりに楽しかったよ。ありがとう」
魔女はにこりと笑うと、空に消えていった。残されたのは焼け落ちた魔女の家と木でできた猫だけだった。
おわり