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せやさかい  作者: 大橋むつお
本編
30/438

030:泳げたあ!

せやさかい・030


『泳げたあ!』 





 プッハーーーー!



 顔をあげると田中さん。


 ワァ! ちょ……!!


 言う間もなく、抱き付かれてプールの中へ。水中ででんぐり返って二人で立ち上がる。


「やった! やったよ酒井さん! 五メートル泳げたよおおおおおおおおおお!」


「え? え? ほんま!?」


「ほんま! ほんま! ほんまあ!」


 ザッブーーーン!


 再び二人で水中に……。




 酒井さくらが、生まれて初めて泳げた瞬間。


 泳げたうちよりも師匠の酒井さんの方が感激してる。




 金槌、いや、A班に分けられて、四回目の授業で泳げるようになった。


 田中さんは、我がことのように喜んでくれた。


 自転車に乗れるようになった時に似てる。


 せや、あの時はお父さんやった。


 瞬間、お父さんの顔がうかんだけど、頬をスリスリして喜んでる田中さんが圧倒的なんで、オボロなお父さんの顔は、田中さんに置き換わってしもた。そう思うと、同じように感激が湧いてきた。


「ありがとう、田中さんのお蔭や。めっちゃ嬉しい!」


「ううん、酒井さんが努力したからよ。わたしは手助けしただけ!」


「ほんまに、ありがとう! これからはうちも師匠て呼ばせてもらうわ!」


「やめてよ、恥ずかしい!」


「師匠、師匠~♡」


 先生も、その場でB班(苦手班)への昇級を許してくれて、お昼を二人で食べることを誓い合った。


 


 せやけど、お昼を二人で食べることはでけへんかった…………田中さん、早退してしもたから。




 あくる日、田中さんは欠席やった。


 次の日も欠席で、その次も欠席やったら菅ちゃんに聞こと決心して、朝礼で手ぇあげた。


「あの、せんせ……」


 気ぃついてんのかついてへんのか、先生はそのまま続けた。


「田中さんは転校することになりました。ご家庭の事情です……」


 それだけ言うて菅ちゃんは、どうでもええ諸連絡の話題に移っていった。


 家庭事情で転校なんて嘘や。いつも生徒の名前は呼び捨てにするのに「田中さん」と呼んだのがしらこい。田中さんが、もう関係ない他人やいう感じにしか聞こえへん。


「ほんなら、朝礼おわり」


 それだけ言うて、そそくさと教室出ていく菅ちゃんを追いかけた。


「先生、待って!」


「なんや、一時間目始まるぞ」


 なんやと言いながら振り向きもせえへん我らが担任。


「ちゃうでしょ、田中さん家庭事情なんかとちゃうでしょ、やっぱり、制服切られたからでしょ、いじめとかがあったんでしょ、あったんでしょ……答えてえよ! 答えてくださいよ!」


「…………」


「せやさかい、せやさかい、事件が起こった時に言うたでしょ! ちゃんと調べてて! 調べてくださいて!」


 菅ちゃんは、なんにも言わんと職員室に入ってしもた。うちも勢いで入ってしもたけど、先生らの困ったような圧を感じて立ちつくしてしまう。


 もう一発「せやさかい」を言うたら、取り返しのつかん言葉が出てきそうで……唇をかみしめて回れ右した。職員室は誰かを責めるような安心したような空気になる、それを背中に感じて階段を上がる。


 踊り場、階段の手すりを握りしめて留美ちゃんが迎えに来てくれてた……。


 


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