7話
前話のラストをちょい変更
「戻ったぞ」
暖炉がパチパチと鳴っている。
温かく照らされた室内には、未だ眠る少女が一人。
「……起きないか」
暖炉の近くで温めておいたが、まだ起きる気配はない。
すやすやと寝息を立てる姿に、旅人の心は安らぎを覚える。
彼女の名前は、エレナというらしい。身に着けているものからして、高貴な身分であることはわかるのだが……。
「この世界の情報が、全く集まっていない」
昨夜はただ、此方の情報を話しただけ。
ナターシャかエレナが起きたら、情報収集をするしかないだろう。
「取り敢えず、状況の整理をしようか」
といっても、昨日から進展はない。
エレナが何故逃げていたのかは謎だし、ナターシャとエレナの間に何があったかも不明だ。
「いつも通りの段取りの無さだな」
気取って言ったところで、逆にダサいだけである。
どうにも決まりが悪いので、現実逃避をしよう。
旅人が掌を広げると、そこから黒色の缶が現れる。
彼にとってはいつも通り。しかし、エレナが見たら目を見張るだろう。
ごく、ごく、ごく。
「……ふぅ」
摩訶不思議な色をした、炭酸飲料が流し込まれてゆく。
慣れているのか、旅人は一気に缶を空けた。
「やっぱり美味いな、これ」
何年飲み続けているかわからなくなっているが、やはりこの飲料は欠かせない。
活力の源になる。何も食料が無ければ、これだけでどうにかなると言っても過言ではないだろう。
「……寝るか」
カフェインを摂取したはずなのだが、彼はすぐさま眠りにつく。
何事も慣れだ。
死を呼ぶほどの猛毒も、何度も喰らえば耐性が付く。
正気を失うような光景も、二回目以降はショックが薄いだろう。
同じように。
覚醒作用を持つ物質も、取り続ければ効き目が薄くなるのだ。
彼にとってエナジードリンクは、最早ただの嗜好品に過ぎず。
『目を覚ます』という用途は、存在しないも同義。
旅人はそのまま、再びの眠りにつく。
特に動く理由がないのだ。
エレナが逃げてきたと言う事は、追手が来るかもしれない。ここの居場所を知られている可能性は低いが、エレナの所持品になにか、居場所を知らせるようなものがあったとしても不思議ではない。――そう言う事例なら、今まで何度も見てきた。
だからと言って、目を覚ましている必要はない。
彼は旅人。世界線を股に掛ける、世の理を外れた者。
たとえ望まなくとも、数多くの修羅場は潜り抜けている。
部屋の中で何かが動いたり、部屋に誰かが入ってくれば、嫌が応にも目が覚めるだろう。どんな方法だろうと、どんな場所からであろうと。
それを裏付けるように。エレナが起きた瞬間、旅人もまた目を覚ました。
「起きたか、エレナ」
「……ここは」
「前と同じ部屋だな」
未だ覚醒しない意識を何とか起こそうとして、エレナが瞼をこする。その行為の無防備さに、旅人の心は揺らがざるを得ないが、
「また、あなたですか」
「あぁ」
「というか、なぜ私の名を?貴方に教えた覚えはありませんが」
「ナターシャから聞いた」
「ナターシャ?ナターシャ、ナターシャ……。
――思い出しました。彼女、確か冬の王女であったはず」
「『冬の』王女?それは称号か何かか?」
ようやく、この世界の情報に触れることができそうだ。
旅人は身を乗りだして、エレナに問いかけた。
「知らないのですか」
「ここ周辺のことは、何も知らない」
「……では、外の大陸の方ですか。それではなぜ、エアル付近の森にいたのです」
「着地地点がそこでな」
「着地?」
「飛んで来たんだ。遠い所から、な」
ところでエアルって何だ、と聞き返す。
エアルと言えばギリシャ語で『春』の意だが、まさかこの世界、季節が重要なファクターであるのだろうか?
「エアルは春の国の首都です。……それよりも今、『飛んできた』と言いませんでしたか」
「あぁ」
「いったい、どこから」
「遠い所から」
「……その服装を見るに、間違いではなさそうですね」
「やっぱりこれ、変か」
「変ですね。ここではだれも、そんな服は着ていません」
「分かった。悪目立ちすると面倒だからな、適当に変えておく」
そう言って旅人は、指をパチンと鳴らす。
――瞬間、旅人の装束が変化した。
黒を基調としたバックパッカーの様な服装から、
青を基調とした礼服へと早変わりする。
「……それは、魔法ですか」
「似たようなものだな」
「賢者というのは、本当だったようですね」
「『旅人』だ。俺なんかが賢人扱いされると、ホンモノに何をされるか分かったものではない」
「ホンモノ?」
「――あぁいや、こっちの話だ。ともかく、俺のことは『旅人』と呼んでくれ」
一瞬で終わった着替えに、エレナが驚愕の表情を見せた。
旅人は彼女の賛辞に、不思議な返答を返す。
「わかりました。それで、ナターシャ王女はどこにいるのかわかりますか」
「突き当りの部屋で寝てるが。何かしに行くのか」
「少し、謝罪を。気が立っていたとはいえ、斬首モノの無礼をしてしまいまして」
「……首が飛ぶレベルか。唾でも吐きかけたか」
「もっと罪深い事です」
「――おい、何をしたんだ」
まさか、死ぬほど冷えていたのはそういう事だったのか。
旅人は背筋に、何か冷たいモノが流れるのを感じた。
「説明は、戻ってきた後に。
――昨夜の反応からして、下手を打たなければ死ぬことはないでしょう」
「いや、信用ならないぞ!俺もついて行く」
斬首モノの無礼をやらかして、一人で謝りに行く少女を放置するバカはいない。
旅人は慌てた様子で、若干諦念に満ちたエレナに叫んだ。
「何が起きたかは知らんが、お前は確実に正常ではない。
――少し落ち着け。状況を整理して、何をすべきか考えろ」
「ですが、一刻を争う事態です」
「ナターシャは酒の飲み過ぎで深い眠りについている。どう考えても昼間で起きることはない」
「お酒を?なぜ、そんなことがわかるのですか」
「昨夜、ここでしこたま飲んでいたからな。軽く樽二つは開けたに違いない」
ブツリテキにどうなってるんだ、と吐き捨てる旅人だが、エレナの注目点はそこではない様だ。
「この部屋で?」
「そうだ。換気はしたが、まだ酒の匂いが残っているだろう」
「――確かに、酒臭いですね」
言われてみれば、と顔をしかめるエレナ。旅人にとってもあまり心地の良い臭いではないため、部屋が冷えるのを厭わず換気したのだがまだ残っている。
「まぁ、我慢してくれ。
――それよりも状況の整理だ。お前の身に、一体何があったんだ?」
そう問われて、エレナは意識を過去へ飛ばす。
第四期の52日。
訳が分からないまま逃げだした、あの夜が蘇った。