3話
「なるほど。それはまぁ、奇妙な話ですね」
食堂のテーブルで、女性はそのような感想を漏らした。
「そうなんです。あの青年、明らかに怪しいのですよ」
がつがつがつ。むしゃむしゃむしゃ。
擬音が鳴りそうなほど高速で料理を平らげてゆく少女を見て、女性は優しく微笑んでいた。
「そう言えば、自己紹介を忘れていました。
私はエレナです。よろしくお願いします」
「エレナちゃん、ですね。
私はナターシャです。よろしくお願いしますね」
食事中なのにはしたない、というのは二人とも言及しなかった。
何せ一日ぶり、全力疾走の後にありつけた食事だ。流石に腹が減りすぎている。
「ナターシャさんも、彼が怪しいと思いますか」
「そう、ですね。怪しいとは思いますが、助けてくださったのでしょう?」
例えば、その旅人が誘拐犯だったとして。
冬の国に市場があり、彼はエレナを奴隷とすべく、この国まで連れてきた。という推理もできる。
「そう、ですけど」
エレナの脳裏に、旅人の行動が浮かぶ。
エレナをベッドに寝かせ、自分は椅子に座っていた。
ここが何処なのか、確認をしていなかった。
持っていた道具はほとんどそのままで、剣は扉の近くに立てかけていた。
裸足による長距離の走行で傷だらけになった、エレナの足の裏に治療を施した。
剣の場所をエレナに教えた後、居眠りを始めた。
ここだけ見ると、旅人はエレナのことをただ、助けてくれたのだととれる。
しかしながら、それが全て演技だとしたら。
目を閉じて寝たふりをしただけ、手当てはしないと宿屋の主人に疑われるから、ここが冬の国だと本当はわかっている、道具には一見何もしていないように見せかけて何らかの細工をしている……。
疑えばきりがない。
きりがないというのはわかっているものの、エレナは旅人のことを、どうも信じられないでいた。
「私の剣を、扉の近くに置いていたんです。あれはなぜなのでしょうか」
「剣を?……その青年は、武器を持っていましたか」
「いえ。見た所、持っていなかったと思います」
「持っていなかった……。うーん、よくわかりませんね」
行動の理由が読み取れない。
二人して首を傾げる中、エレナの皿がまた空になる。
「あら、おかわりは欲しいですか」
「……頂きます」
これで三回目。エレナは外見に見合わず大食いである様だ。
「たくさん食べるのは良い事です。早く元気になってくださいね」
「ありがとうございます」
届けられた食事をまた、ガツガツと食べ始める。
ナターシャはどうしたものかと思案して、
「これはもう、本人に聞いたほうが良いですね」
突撃しよう、という結論に達した。
「危険ではないでしょうか」
「そうですね。ですので、私があなたを守ってあげましょう」
お姉さんにお任せなさい、と言わんばかりに胸を張るナターシャ。豊満なそれが強調されるが、この宿には彼女ら以外に客がおらず、見惚れる男はいない。
「……信用できません」
「あらあら。こうやってご飯も食べさせてあげてるのに?」
「餌付けなど常套手段でしょう」
「可愛くない子ですねぇ」
奢って損しました、とナターシャは悲しそうな表情を見せる。エレナは再び皿を空にして、
「とはいえ、本人を問い詰めるのは良い案です」
というように、ナターシャの意見に賛成した。
「独りで、ですか」
「いいえ、二人です。貴女も付いてきなさい、ナターシャ」
転機が訪れる。
命令する口調へと変わったエレナの赤い目が、爛々と輝きを放った。
無論、それは幻覚だ。しかし、ナターシャは確かに、エレナの目が輝くのを見た。
「……」
彼女が沈黙する。
それを見て、かかったなとエレナは得心した。
彼女が何らかの能力を発動したのだろう。ナターシャの目は虚ろになり、意識は朦朧としているように見える。エレナはそのまま、行きましょうと席を立とうとして――
「……あらあら、本当にやんちゃな子ですねぇ」
「……っ!」
その反応は、余りにも遅い。
瞬き一つで生気を取り戻したナターシャが、笑顔のまま凄んで見せた。白磁色をした美貌は、心なしか殺気立っているようにも見える。
室内の温度が、急激に低下した。エレナの体力は、凍土と化した空気にだんだんと奪われていく。
大量の食事で得た活力すらも奪い尽くすような冷気に、彼女の体は椅子へと縫い付けられていた。
その、氷嵐の女王は。
慈母の様な微笑みを以て、哀れなる少女を凍らせてゆき――
「まさか、あなたも――」
「疑心暗鬼は良くありませんよ?それに、年上に対する言葉ではありませんね」
机に突っ伏したまま動かなくなったエレナを、よいしょ、と抱きかかえた。
「あ、ご主人?この子の部屋って」
「突き当りを右でございます」
「ありがとう。じゃぁ、このことは秘密でおねがいね?」
「……畏まりました、ナターシャ王女殿下」
――思えば、他に客がいないというのも不自然な話である。
ナターシャはついでとばかりに主人の口を封じ、上機嫌に階段を上がっていった。
それと同時に室温が戻り、主人はほっと溜息をついたのだった。