2話
「誰ですか」
開口一番、少女は怪訝な表情をした。
長き眠りから覚めた少女が見たのは、ぱちぱちと音を立てる暖炉と、その近くにあるテーブルといす、そこに座る青年だ。壁は白く塗られているが、暖炉の光に照らされて、若干色がついて見える。
「旅人だ」
「名乗りなさい。――そも、ここはどこなのですか」
大分衰弱しているのにも関わらず、少女の声は威厳に満ちている。
――しかし。
有無を言わさぬような眼光を前にしても、青年は態度を崩さなかった。
「名は捨てた。呼び方はお前が決めてくれ。
ここは宿屋の一室だ。町の名前は――そう言えば、聞いていなかった」
「名を、捨てた?」
「世捨て人の賢者、とでも認識してくれ」
賢者にしては馬鹿丸出しだが、という自虐は、少女の耳には届かない。
「――分かりました。
それでは賢者殿。なぜ私を、ここへ連れてきたのですか」
何をそんなに疑っているんだと訝しんだ旅人は、すぐに彼女の心中を察する。
俺を敵側の刺客だとでも思っているのだろう。と言う事は、追われる身であるのか。
「森で倒れていただろう。雪のせいで大分冷えていた。
助ける道理はないが見殺しにする道理もない。予想以上の美人だったから、ここまで連れてきた」
嘘偽りのない本心を、旅人は打ち明けた。
顔を見たのは走り出した後だが、些細な事である。
「信用なりません」
まぁ、そうだろうな。
思わず納得してしまった旅人である。普通に考えて、このようなでたらめな理由が通る筈もない。
そもそも、なぜ森にいたのか。
彼女はきっと、それがわからないのだろう。
『世界線を越えてやってきました』などと言う言葉が通用するとは思えない。理由に関しては多分、どうやっても信じてもらえないだろう。
「そうか。装備は基本そのままだが、剣は扉の近くに立てかけてある。
足は簡単にだが治療をさせてもらった。それ以外は特に手を触れていない」
その言葉を聞いて、少女は自分の体を確認し始める。
旅人の言葉に嘘はない。それを理解した少女は、気力を振り絞ってベッドから這い出た。
フラフラとした足どりで、扉へと向かう。剣を執った少女が旅人を振り返ると、彼は不用心、眠りについていた。
舐められているのか。
少しだけ怒りを覚えたものの、気にせずに扉を開ける。そこから先は、簡素な廊下となっていた。
そこはいたって普通の、宿屋。少女の感覚からすると、貧しい、小汚いといった評価を下すことになる。壁は白色で統一しており、床は暗い色をした木製だ。
どことなく不快感を感じながら、階段を下りてゆく。
この建物は二階建てのようで、客室は二階にあるようだ。一階はカウンターと食堂。食事もついてくる宿屋らしい。
少女はおぼつかない足取りで、カウンターへ向かう。
「主人はいますか」
ここまでの道で体力を使ったようで、彼女の声は弱々しいものとなっている。
この程度の運動で疲労するほど、彼女は衰弱していた様だ。
「ここにおりますが」
「ここは、どこですか」
「どこだ、ですか。……そう言えばお客様は、昨晩お眠りになっていましたね」
「えぇ。見知らぬ青年に連れてこられたようです」
「なるほど。旅人殿の言葉は本当だったようですね」
宿屋の主人は初老の男性で、落ち着いた雰囲気の、黒い服を纏っている。服と同じ色をした髪は短く切られており、顔立ちは整っていた。
「森で倒れていた少女を拾った、とおっしゃっておりました。私共も多少の疑いを持ったのですが、手当てをしたいとのことで、道具をお貸しした次第です」
「そう、ですか」
再程の内容と同じだ。相変わらず信用できないが、嘘は言っていないと思っていいかもしれない。
「さて、ここが何処か、と言う事でしたね。
――ここは、冬の国でございます」
冬の国は、この大陸にある、四つの国のうちの一つ。冬という名の通り、一年中雪が降る国である。
「冬の国……?すみません、今日は何日ですか」
「統合暦で第四期の53日ですね」
「御冗談を。エアルから冬の国までは、どうやっても数日はかかります」
「春の国の方でしたか。しかしながら、わたくしは嘘を申し上げておりません」
この大陸では一年を400日としており、100日ごとに区切って第一期、第二期、第三期、第四期と呼んでいる。この暦を統合暦と言い、大陸にある四か国で共通のものだ。
少女が倒れたのは、第四期の52日。倒れた場所はエアル、春の国の首都。
首都から国境まで、馬車を使っても数日はかかる。たとえここが国境沿いの町だとしても、僅か一日で移動することなど不可能だ。
「そんな、ありえない……」
ふらふらと歩きながら、外に出る。
そこには白い雪の降る、冬の国の風景が広がっていた。
あまりの出来事に脱力し、膝から地面にへたり込む。
暫く放心状態だった少女は、宿屋の主人によって中に連れ戻された。
「お外は寒いでしょう」
「……部屋に戻ります。一体どのような手段を使ったのか、彼を問い詰めなくては」
妙に力がこもった言葉とともに、少女が歩き出す。
しかしながらすぐに足がもつれ、転びそうになった。
「――あら、大丈夫かしら?」
少女の体を支えたのは、主人ではなく。
白銀の髪をなびかせて、白い服を着た女性だった。