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女の権利、男の義務

作者: 西田彩花

「ホント、気楽で良いわね、パートさんは」

 余島さんがきっちり定時で会社を後にしてから、森野さんが呟く。森野さんは私の直属の上司に当たる。大企業にありがちな、古い体質。女性社員の比率が少なく、必然女性役員の数も少ない。そんな中、異例の出世をしたのが森野さんだ。彼女は何に関しても抜かりなく、完璧主義者という言葉がよく似合う。




 私は昔から勉強が出来る方で、学校のテストなんかは卒なくこなしていたと思う。進学校に進むと、周囲は塾に通う子ばかり。教科書や問題集を全て覚えれば大体の応用は効くはずなのに、何故塾に通うのかと不思議だった。親から県外に出ることを反対され、大学は九州大学に行った。少なくとも京都大学は確実だと思ったのに、大学生での独り暮らしは駄目だと念を押された。一つ下の弟は、県外の大学に行った。旧帝大なわけでもなく、ネームバリューよりも自分の学びたいことを尊重された。過保護な親は、女の私が独り暮らしすることを酷く嫌がったが、男である弟は、自立心を育てたかったらしい。女は損な役回りだと感じた。

 母はやたらと「花嫁修行」だとか「結婚」だとかいう単語を出す。だが、私は家事全般が苦手だ。そんな私に、母は幻滅しているようだった。一方就職活動は滞りなく進み、幾つか内定をもらった中で、大手商社に決めた。理由は九州支社への配属を聞いてくれそうだったからだ。母は全ての内定先をチェックし、実家の近くで働ける可能性が高い会社を選べと言った。この会社は、九州支社を出したばかりで、そこの人員にも力を入れたいと面接で言っていたのだ。私は自分のやりたいことがよく分からないまま、親の言う通りに歩いてきた。大手会社役員の父と、専業主婦の母。両親が結婚するときに思い描いた家庭が目に浮かぶようだ。そして、聞き分けの良い子どもができて、理想の家族ができあがったと思っているのではないか。だから、私の選んだ道は間違っていなかった、と。だから、娘や息子にも、同じように間違っていない道を歩んでほしい、と。母は父と職場恋愛をした。良い嫁ぎ先を見つけるために、その会社に入ったのだろう。私が軒並み大手企業から内定をもらう中、彼女は大喜びしていた。「入社したら、良い人を見つけるのよ」と何度も言っていた。




 会社勤めをしてみると、その仕事に夢中になった。楽しい。私は働くのが好きなようだ。母の期待には応えられないような気がした。私は仕事を続けたい、と思った。数年後、東京本社に異動になった。母はずっと文句を言っていたが、私はそれを快く引き受けた。本社なら、もっと面白い仕事が待っているかもしれない、と。

 しかしそれは儚い希望だったのだと気付いた。同じ時期に本社に異動になった中で、女性は私1人だった。それなりに結果を出しているつもりだったけれど、最初に役職に就いたのも、次に役職に就いたのも、男性だった。結果は私の方が多少上、といった感じだったが、男社会では男性に有利に働くものがあるようだ。

 そんな中、森野さんは私の希望だった。数少ない女性役員の1人が、こんなに近くにいるのだ。しかも、運が良いことに私は気に入られている。飲みに誘われることもしばしばだった。飲みにいくと、彼女はその度に愚痴を言う。余島さん始め、パートタイマーで働いている兼業主婦の愚痴を。

「甘いのよ、主婦は。仕事は仕事できっちりやってほしいものだわ。定時きっかりに帰って責任を果たしました、なんて。それだけじゃなくて考え方も主婦なのよ。たまに企画に口を出してくると思えば主婦目線でしかないの。こっちは遊びで仕事してるわけじゃないんだから。旦那がいようが、子どもがいようが、仕事は仕事でちゃんとしてほしいものだわ」

 私は賛成半分反対半分だったが、笑顔で頷いておいた。




 東京で働いている大学の同級生は多くいた。早々に結婚して専業主婦になっている同級生もいた。本社勤めになってから、何度か数人で集まったことがある。

「珠樹、相変わらず男っ気ないわねぇ」

 こんな話題は毎回出ている。私は今仕事に打ち込みたいし、彼氏云々は後回しで良いのだ。

「もう25になるのよ!あぁ、私も結婚したい!」

「そうよね、実菜は玉の輿の専業だし…ホント、羨ましいわ」

「あはは、専業主婦も大変よ〜」

 そう言う実菜の笑顔は輝いているように見えた。専業主婦がそんなに良いものなのだろうか。少なくとも私には向いていない気がする。家事をしているより、稼ぐ方が得意な気がするからだ。共働きとか、主夫とか、そういう選択肢はないのだろうか。




 ある日、経理部の山根さんが妊娠したという噂が流れてきた。経理はもともと人数が少ないため、何やら不穏な空気だ。男性社員は陰でブーイングを言う。これだから女は、と。森野さんもあからさまに不機嫌だった。

 女は不公平に晒されていると感じた。私は女に生まれたかったわけではない。生まれたら、たまたま女だったのだ。そうすると、社会的にも生理的にも理不尽な目に遭う。女性の出世はそんなに鼻につくものなのか。女性が仕事ができると「可愛げがない」と言われて当然なのか。挙げ句、女性の体でしかできない出産に批判を浴びないといけないのか。理不尽極まりないと感じた。私は生まれながらにして、弱者だったのである。




「三井さん」

 振り返ると、見たことのある顔があった。名前を思い出せずに焦っていると、彼が続けてくれた。

「俺だよ、永瀬卓衣。九大の工学部。ほら、教養の授業一緒だったろ?」

 あぁ、と声が出た。やたら近くの席に座って話しかけてきた人だ。

「いやぁ、三井さんも東京にいたんだ。あれ、もしかしてもう結婚してるとか?」

「いやいや、OLしてますよ」

「へぇ。どこの会社?」

「谷川商事だよ」

「さすが三井さん、良いとこ行ってるなぁ〜ねね、彼氏は?いる?」

「いや…いないけど」

「ホント!?じゃあさ、今度お茶でも付き合ってよ!いやぁ、偶然だなぁ。嬉しいよ」

 半ば強引に約束を取り付けられ、来週末にランチをすることになった。デートなんて久々だな、と思った。




 永瀬君はメガバンクに勤めており、なんだか良いポジションにいるようだ。男性の優越性を密かに妬みながら、話を続けた。

「俺さぁ、大学の頃から三井さんのこと気になってたんだよね。この再会って偶然じゃなくて運命かもじゃん?」

 彼は昔から調子が良い。ペースを乱される人も多いんだろうけど、私には響かなかった。

「ね、こんなとこでなんだけど、」

 こんなとこで、とか言いながら彼がチョイスしたのは高級フレンチだ。

「結婚を前提に付き合おうよ」

 例の女子会に来る子たちなら、二つ返事でイエスと言ったのではないだろうか。彼の年収が良いのは聞かなくても分かる。それでも私はピンと来なかった。

「永瀬君の会社ってさ」

「うん?」

「海外転勤とかあるよね」

「うーん、そうだね。同期は結構行ってる。俺は、出張程度のものはあるけど」

「私さ、仕事が好きなんだよね。結婚とかしてさ、永瀬君が転勤になったら私が着いていくんでしょ?私は私の仕事をしたいんだけど。あとね、私、家事が超苦手」

「ははっ」

 乾いた笑い声が聞こえた。

「良いよなぁ、女は。選択肢があってさ。専業主婦にもなれるし、兼業主婦にもなれる。パートで働くこともできるし、正社員のまま共働きもできる」

「え?」

「男には選択肢がないってことだよ。主夫が一般的にどんな目で見られるか分かる?共働きの比じゃないだろ?」

 私は言葉を失った。私自身は、私が働き口で相手が主夫でも良いというスタンスだ。だけど、そういったスタイルに対する世間の目はまだまだ冷たい。「バリキャリ」といわれる女性の方が、まだ受け入れられている。男性は働かなければならない。大黒柱でなければならない。養わなければならない。そういった意識が根強く残っているのだと気付いた。

 彼女たちの言葉が頭の中でこだまする。「もう25になるのよ!あぁ、私も結婚したい!」「そうよね、実菜は玉の輿の専業だし…ホント、羨ましいわ」私たち女は選択できるのだ。専業主婦になることも、働くことも。私が会社で感じた処遇を鑑みる。少ない女性役員。パートタイマーへの冷たい視線。妊娠への批難。女は生まれながらに弱者だと思った。女は理不尽や不公平に晒されていると思った。もし私がここで男女平等を叫びたいなら、彼女たちのスタンスが足を引っ張る。男は働くべき、女は働かなくても良い、という。森野さん風に言うと、女は女であるということに甘えているのではないかと思った。専業主婦を望む人がどういった意図であろうと表面的には分からない。ただはっきりしているのは、女性には社会的に「良し」とされる選択肢が男性よりも多くあるのだ。その選択肢の多さに甘える限りは、恐らく私の男女平等への叫びは届かない。女性が女性の選択肢の多さを求めるなら、男性もそうして然る社会であるべきなのではないか。

 私は永瀬君に上手な返答をすることができず、曖昧に濁したままそのデートを終えた。




 その後、結局永瀬君の押しに負けて、交際を始めることになった。ただし、私も仕事を続けたいという意志はきちんと伝えた上で、だ。

 そんなとき、びっくりする出来事が起こった。森野さんが寿退社する、というのである。森野さんは40も半ば、仕事に打ち込む女性だと思っていた。結婚したとしても、退社するなんて考えてもいなかった。余島さんたちパートタイマーへの愚痴は一体何処へ。経理の山根さんの妊娠、不機嫌だった彼女は何処へ。これだから女は、と陰口を言う男性社員を余所に、森野さんは幸せいっぱいの笑みを浮かべた。

「長い間お世話になりました。これからは、幸せな家庭を築いていけるよう頑張ります」

 幸せそうな彼女の薬指には、華やかな指輪が輝いていた。




 数年後、永瀬君からプロポーズされた。シンガポールに異動になるから着いてきてほしい、というのだ。当初の私の希望を忘れられているような気がして、もやもやした気持ちになった。返事を保留にしたまま、森野さんに連絡を取ってみることにした。彼女は仕事人間だったのに、何故寿退社を選んだのだろう。

 久しぶりに会った森野さんは、所帯染みて別人かのようだった。子どもはいないという話だったので、恐らく主婦業のみをしているはずだ。

「三井さん、久しぶりねぇ。変わってないわねぇ」

 そう話す彼女に、昔の面影はないように感じた。

「だって、旦那が言ったんだもの。『お前は根詰めて働きすぎだ、俺が守るからお前は俺の帰りを待っててくれ』って」

 森野さんは毎日旦那さんの帰りを待っているのだろうか。彼女の薬指には、相変わらず華やかな指輪が光っている。

「家にいるとね、太っちゃうのよ。最近ヨガでも始めようかと思ってて」

 そう笑っていた彼女は、16時になると慌てて帰り支度を始めた。

「もう帰らなきゃ。ゴメンね、ゆっくりできなくって。旦那のご飯の支度があるから。専業主婦も大変よ〜」

 何処かで聞いたことのある台詞を聞いた。私は家事が苦手だから、到底専業主婦なんてできそうにないと思う。だから、専業主婦自体は尊敬する。けれど、森野さんの変わりようには着いていけなかった。私も永瀬君に着いていったら、価値観が変わるのだろうか。そして、価値観が変わった私は「働きたい」と強く思う若い女性の足を引っ張ることになるのだろうか。選択肢のある女性が自身の権利を主張する前に、選択肢が少ない男性の権利を尊重すべきだとおもうのだが。今の社会では、男性が義務にがんじがらめになっていないか。

 女性は「弱者」だと安易に言うのは、ちょっと違うように感じた。




 両親に永瀬君を紹介すると、案の定気に入ってくれた。収入も安定しているし、今は海外転勤があってもいずれ本社で重役を担うだろうと確信しているようだ。私には、その確信は願いのように感じるのだが。それが確信だろうと願いだろうと「良い嫁ぎ先」「結婚」というワードには叶わなかったようだ。私は結局聞き分けの良い子どものままで、両親の、そして永瀬君の敷いたレールを歩くことにした。仕事は楽しかった。もっと仕事をしたいとも思っていた。家事にも、海外生活にも不安がある。それなのに、自分を持てない自分を少しだけ責めた。

 私は甘えているのだろうか。永瀬君の義務を義務のままにしていないか。他にも選択肢はあったのではないか。そういったことをぼんやりと考えながらも、目の前のレールがとても心地好さそうに見えたのだ。数年後、こうぼやいている自分を想像した。

「専業主婦も大変よ」

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