真っ白な雪は何色になるのだろうか
「真っ白な雪は何色に変わるのだろうか」
東京にも雪が降るのかと、故郷富山の情景を思い出していた。冬になれば雪が降り、雪が積もって、町は雪に覆われる。その白い町の中を当たり前のように人々が歩いている。3年ぶりに東京で降る雪を見てふと、懐かしく感じた。
富山の朝早くには、雪道の中を歩けるように、家族の中でおじいちゃんとお父さんがシャベルを使って、器用に雪を掻き分けていく。そして、自分の家の分が終われば、次は近所の家を手伝う。男手が足りず除雪をできない家があれば、その家の分も分担して行う。それがこの町のルールというわけではなく、「家族が困っているときは助け合うのが当たり前じゃないか。」という感覚から行っていた。古くもの時代から受け継がれるこの当たり前が、今の時代も人々の当たり前ともなっていた。だから、富山の朝の始まりは早い。
そして、温かい。
そうやって助け合いながら生きている人々の温かさを今この瞬間、麻尋はしみじみと思い出していた。
「逃げ出したい。」という感情ではない。時に人は、悲しくもなるし寂しくもなるし、辛くもなる。それは自然の秩序であって、無理に押さえ込む必要もない。
季節も寒くなり始めると、身体が反応するのと比例して、心も冷たさを感じやすくなってきていた。
「我慢している。」と、自分では思ってはいないのだが、実際に我慢していることはたくさんあって、誰かがその傷を癒してあげなければならなかったのだが、「私は大丈夫だ。」と、傷口をずっとそのままにしてしまっていた。しかし、雪が降り、求めていた温もりを思いだし、現実との接点を持った瞬間、自分は限界のところに立っていたのだと気づいた。
会社を辞め、貯金を切り崩しての生活が1ヶ月経とうとしていた。初めのうちは、夢があるという明るい未来に胸を弾ませ、目に見えてお金がなくなっていくという現実も怖くはなかった。しかし、お札の残りがあと数枚であると気づいた瞬間、一気に現実がリアルさを増し、心が凍えついた。
夢に胸を膨らませ、財布の中身が現実を映していないように思えた世界。お金の残りと未来の明るさは反比例していると信じ込んでいたために、恐怖は感じていなかった。しかし、それはただのごまかしであったようで、自信があるから恐怖がなかったわけではなく、本当の気持ちを偽っていただけだった。そしてもう、そのごまかしは効かなくなり、心は耐え切れなくなってきていた。
「働こう…」
「大学を出たら正社員として働く」という概念しかなかった麻尋には、社会は「生きる」=「会社で働く」という計算式で成り立っていた。「社会は様々な職種、様々な人によって構成されている」ということは頭で考えれば分かることだが、自分の周りというものは、自分と似たような考え方の人が集まるもの。同じような価値観が伝統として受け継がれる町に、そして、親戚や家族によって、麻尋は育てられてきた。そしてそれはいつしか、自分の価値観にもなっていた。数ある選択肢の中から選び出したものではなく、他の選択肢を知らぬまま、与えられたものを与えられるがままに自分のものになっていた。だから麻尋には、会社で働く以外の方法が存在していなかったのだ。
しかし、そのような生き方でいいのだろうかと、漠然とした疑問を抱えながら生きてきた。答えを知る方法も、そもそも答えがあるのかということさえも分からない。分かるのは、「自分が違和感を覚えながら生きている」ということだけ。考えても分からないから、考えるのをやめようと思ったこともある。今の現実を幸せだと信じてこのまま生きることのほうが、よっぽど楽なのだ。しかし、「楽に生きる」ことが同時に辛いことであるとも気づいた。思い切って友人に相談したとき、世界には色んな生き方があるということを知ったのだった。
残りの生活費が底を尽きそうになり、日雇い労働として働く日々が始まった。求人サイトには、たくさんの仕事が掲載されていた。工場での箱詰め、街中でのティッシュ配り、レストランでの洗い物など、職種も数も計り知れないほどの仕事。今の世の中を成立させるには「これほどまでに人が足りていない」ということでもあり、また「世の中はこれほどまでもの人を必要としている」ということでもある。そしてそれは、“選択をしなければ”という条件付であるということも同時に分かった。当たり前のことかもしれないが、世の中には足りているものもあれば、足りていないものもあるからだ。
誰だって、なんとなくであれば生きていくことはできる。自分の心に従って選ばなくても生きてはいけるが、それは「生きていく」ということを捨てることでもある。麻尋には、生活できなくなることの恐怖より、人間らしく生きていくことを捨てることの方が怖かった。きっと、世の中に慣れすぎると、「生きる」ということはどういうことであるかということを忘れてしまうのだろう。
世の中に染まりすぎないように気をつけながら、生活するために日々仕事をこなしていく生活が始まった。決して興味のある内容の仕事ではなかったが、手当たり次第に仕事に応募し、仕事のスケジュールを埋め、黙々と仕事をこなしていった。「売れない芸人のような生活を自分もすることになるとは」と、少し笑えてもくるほどだ。(笑わないとやっていけないほどだった。)これまでの人生を振り返り、その延長上に人生を描こうとしては、あまりにも現実離れした生き方である。全く思いがけもしなかった、想像もできなかった自分の生き様に、不思議な感覚を抱いていた。自分ではない他の人の人生を歩んでいるような、誰か別の人になってしまったかのような感覚。
二次元の世界を生きるようなワクワクもある。しかし、それは新鮮さでごまかさせているだけであって、心は「こんな世界では生きたくない」と言っている。現実を見て辛くなってしまいそうな感情を抑えながら、必死で楽しむ方法を探していた。新しい世界であるためになんとか生きることができているが、求めてもいない現実の中を生きるということは、本来は辛いことだ。正と負の世界が交互に襲ってくる。負の世界に押しつぶされないように、必死に戦っていた。「楽しい」と言い聞かせば、多少なりとも楽しめるのが人間なのだ。悲しいと思えば悲しくなってくるし、むかつくと思えばむかついてもくる。だったら「楽しい。」と感じる方がいい。そう言い聞かせて、感情をコントロールしていた。
そんな生活を始めて、1ヶ月ほどが経っていた。「夢を叶えるまえの辛抱。今だけだから」と自分に言い聞かせ、励ましながら生活をしていたものの、同じことをただ指導されるままに行うルーティーンワークに、心が悲鳴をあげているのを感じていた。そして何よりも、血の通わぬ人との交流に、人間として生きていることの価値を忘れてしまいそうになっていた。
通販の洋服を箱詰めし、配送をする工場で働いたときのことである。麻尋は、箱詰めされたダンボールに伝票を張る作業をひたすら繰り返していた。レールの上を乱れることなく、一定のリズムで機械に運ばれた箱にリズムを合わせる。「美しく仕上げるにはどうするか、より早く終わらせるにはどうするか」といった試行錯誤は要らない。美しさは求められていないし、これ以上早く終わらせることもできない。楽しくやろうという発想は邪魔にされるし、思いやりも要らない。ただ、自分の仕事をミスなくこなし、定時のうちにノルマを達成さえすればいいのだ。
麻尋のレールの前では、40代半ばほどと思われる小柄な女性がダンボールにテープを張り、口が開かないように作業をしていた。こういった仕事には慣れていないのであろうか、時々テープをからませてしまうようで、機械が流れるリズムから遅れてしまうこともあった。流れ作業では、一つの仕事がとまれば全ての作業がとまってしまう。
無音の攻撃の視線が彼女に向けられた。「あなたのせいで作業がとまってしまった」と言いたげでありながら、誰も言葉にはしない威圧的な空気。何かを守るためでも、何かの勝利のために戦うのでもない、ただ一時の感情によって放たれた攻撃には、なんの成果も生み出さない。残ったのは、不快な感情だけであった。
耐え切れなくなった麻尋は、自分の作業場を離れ、彼女の作業場へと駆け寄っていた。絡まったテープを解こうとしている彼女の横で、麻尋はもう一つのテープを使い、溜まった列を成していたダンボールを一つ一つ片付けていく。列が緩和したところで自分のポジションへと戻り、溜まっているダンボールに伝票を張り、また彼女のところに列ができれば、彼女の作業を手伝った。一時的に、次の人に作業を待たせてしまうこともあったが、全体としての効率はなんとか維持できていた。
しかし突然、
「ちょっと君、何してるの!こんなに溜まってるじゃない!早く自分の作業場に戻って!」
人工的な物音以外が排除された、静まり返った工場の中に、監視員の声が響いた。大声とまではいえない大きさではあったが、冷徹な工場の中を流れる空気とうまく調和しており、工場内の全ての人の注目を浴びるほどだった。
麻尋は遠慮がちに、「ダンボールが溜まっていたので、少し手伝っていました。すぐ自分の作業に戻るので大丈夫です」と告げたが、そんなことは求められていないようで、冷血な眼差しは向けられたままだった。
そこで働く人々はまるで感情を失った人間のようで、効率だけを求め、無駄なものを一切排除していた。不必要だとされる会話や不必要だとされる考えをやめ、すでに作り上げられたマニュアルをこなすことに力を尽くしていた。麻尋にとっては、彼らが無駄とする工程は無駄ではなく、むしろ大切にしていることでもあったのだ。
「この場所にいたら、自分が大切にしているものを忘れてしまう。そして、ほとんどの人は一度失ったものを取り返すことはない」
そのことを本能的に感じ取り、自分はそうはならないと誓った。
日に日に、「こんな場所に居たくない」という気持ちが膨らんでいった。
「あと何日耐えればよいのか」
終わりの見えない戦いは、忍耐力を揺るがす。あと何度、「今日までの辛抱だ」と自分に言い聞かせればよいのか。なんども言い聞かせているうちに、「終わりなどないのではないか」と自分を疑い始めてくる。裏切られるたびに傷ついて、傷つきたくないから信じることも止めてしまう。そうやっているうちにまた、「楽だからこのままでいっか」とあきらめてしまうことが恐かった。
そんなある日、日雇いバイトで出会った一人の女性に、飲食店での接客の仕事を紹介された。血の気のない人との関わりの中からも、次に繋がる何かが幸運なことにも生まれたらしい。
大学の頃、たまたま2年間居酒屋で働いていた経験があり、また一人で黙々と作業をこなすことにあきあきしていた麻尋は、すぐに今の世界から飛び出すことにした。
紹介された場所は、銀座の割烹料理店だった。ホステスであろうと思われる綺麗なドレスと化粧をまとったお姉さんと、酔っ払ったサラリーマンが歩くような、テレビで見たことのある「銀座」といわれる町であった。うす汚い下町の工場や、若者の甲高い声がうずめく繁華街にうんざりしていた麻尋にとって、高級感ある大人の世界は、その空間だけで自分に酔えてしまうほどだ。
レッドカーペットのようにスポットを浴びた人々が歩く8丁目通りから出た小道の脇に、紹介されたお店の裏口はあった。華やかな世界の中にも垣間見られる日常の空間でさえもわくわくしながら、扉を開けた。お店の中には、黒いスーツでとリーゼントでビシッときめた男性と、二部式着物とアップした髪型で上品な着こなしをした女性たちが働いていた。そして、いかにも高級な装いをし、高級な振る舞いをし、高級な空間が身体に馴染んでいるお客さんが、きれいにお酒と食事をたしなんでいた。または、銀座という町とお店の空間が、人々をそのように彩らせていたのかもしれない。
「おはようございます。石川さんからのご紹介で参りました、山崎麻尋と申します。よろしくお願いします!」
不安が混じりながらも、元気よく挨拶する。
「ぉお!!山やまちゃん!これからよろしくね。」と、言いなれたような挨拶が返ってきた。
しかしそれは、同時に温かさも含まれていた。
「山ちゃん?!……」と、初対面でつけられたあだ名に戸惑いはしたものの、どこか仲間として受け入れられたような愛も感じ、少し嬉しかった。
よく聞くとその店では、まっさん、あやちゃん、かんちゃん、ひでみん…… といった、いかにも親しみやすそうなあだ名でお互いを呼び合っているようで、仲のよさが伝わってきた。たった一人、「倉本さん」と呼ばれる人を除いてではあるが…
支配人である倉本さんが、制服である着物を渡してくれ、着替え場所まで案内してくれた。無表情な上に、少しぶっきらぼうなものの言い方にも思えたが、「お店の場所わかった?」という気遣いの一言で、ただ不器用なだけで、根は好い人なのだろうということは感じとれた。
着替えが終わると、北さんと呼ばれる人を紹介された。「北と申します。石川さんから話は聞いております。これからよろしくお願い致しますね。」と、丁寧な言葉遣いが染み付いたこの女性は、恐らくこの店を仕切るお局的名存在だと思われ、仕事を教える役割も担っているようだ。
そんな職場で新たなる生活スタイルが始まった。久しぶりの“自分の職場”というもの。それは、「ホーム」というべきか、「仲間」というべきか。毎日違う場所に行き、違う人と働くという今までの生活とは違って、人のコミュニティという感覚を思い出していた。
この店のコミュニティは、今まで麻尋が経験していたものとは全く違う雰囲気のもので、笑いとユーモアに満ちていた。もちろん洗練された接客も行うのだが、お客の入りが少ないときは、くだらないモノマネや冗談でふざけあっていた。
ネズミ男のモノマネをしながら歩くのが店での流行りらしく、お客さんから見えないところで腰をかがめ、足音を立てないように歩いていた。毎度お決まりにも関わらず、一人がやると皆大きな声で笑い、その順番が次々に回ってくるという調子だ。
人間というものは「慣れ」に恐ろしい生き物だ。初めのうちは人の温かさに喜びを感じていたものの、そんなやり取りに戸惑うようにもなっていた。自分がモノマネや冗談で人を笑わせられるようなユーモアある人間でないということももちろんだが、彼らがまるで格下の人間であるように思われたからだ。汚い日本語を話し、醜い動作をし、下品に笑う彼らを見て、「自分は同類になりたくない。仲間になりたくない」と、そんな風に思ってしまったのだ。
ただ一方で、「仲間はずれになりたくない」という気持ちも強くあった。これまで周りの人に嫌われないようにと生きてきた麻尋には、列からはみ出て生きるということは耐え難いことでもあった。だから、周りに同調し、適度な微笑みを浮かべ、適度な返しをし、それなりの振る舞いをする習慣は身についていた。(この場でも、いつものように対処することにした。)
初めのうちは、適度に対応していた。心をどこか別の所に置いて身体だけをうまく合わせればよいことで、しかも何年もやってきていることである。上手にやることはできる。しかし、彼らと仲良くなりたいと思えば思うほど、孤独を感じていた。自分をごまかせばごまかすほど、心が彼らと離れているように感じられたのだ。そして、自分を壊しているようにも感じられた。
働き始めて3ヶ月が経とうとしていた。孤独な感情がだんだんと大きくなり耐えられなくなったとき、今まで背伸びしてしまっていた自分に気づいた。理想とする自分を追いかけ、あたかも今の自分であるように思い込んでいた。「理想の自分になろうと努力すること」と「繕うこと」は全く違っているのに、そのことに気づけずにいたのだ。無理をしている分だけ、心も居心地の悪さを感じていた。結局は、「周りの人を愛そうとしていた」のではなく、「自分をよく見せよう」としていただけに過ぎなかった。
そのことに気づいた瞬間、関わりあう人を本当の意味で愛したいと思った。ただ純粋に、相手と過ごす空間を楽しみ、相手と触れ合える時間に喜び、相手のことを知りたいと思った。そうすることでまた、ありのままの自分に戻れるようにも思えたのだ。
その日もいつもの茶番劇が始まった。毎度お馴染みの、まっちゃんの倉本さんのモノマネ。お店が忙しいときに一人でパニックになって、「ビール三杯お願いします」とキッチンに伝えるべきところを「ビール三丁おねげぇします」と、なぜか少しでやんでぇ口調になる。しかも、ビールの数があっていたことはほとんどない。銀座の高級店に不似合いな言葉が浮かんでいるのことが面白さを掻き立て、そのモノマネがちょっとしたブームとなっていたのだ。そんなくだらないと言えばくだらないやり取りに、最近では愛想笑いすることさえ疲れてしまっていたのだが、今日はなぜか楽しかった。ただ同じ空間を共有できることに、幸せを感じられた。そして、モノマネする彼らのことをどこか愛おしいと感じた。
その瞬間、今まで見ていた同じはずの景色が輝きだし、つまらない世界を映し出していたのは自分で、実は身の回りにも素敵な世界が広がっていることに気づいた。
そして、仲間を愛おしいと思うようになると、彼らのことをもっと知りたくなってきた。生まれ育った環境、今どのように生きているのかや、これからどのように生きていこうとしているのか。つまり、「どういう人であるか」ということ。彼らのことをわかっているようでわかっていなかったことに気づいた。知っているのは、どういうモノマネが得意か。賄いの量はどれくらい食べるか。どの仕事作業ができるか。ということくらいだ。
この店に来て早くも6ヶ月が経とうとしていたが、表面だけで本当に彼らのことを知ってはいなかったし、知ろうともしていなかったのだ。そして、自分のことを知ってもらおうともしていなかった。
「そんな人間関係に価値を見出してよいのだろうか…」
どことなく感じていながらもごまかしていた心の寂しさは、ここから生じていたのかもしれない。
そして、それから数週間経ったある日、タイミングを伺いつつ質問してみることにした。
「あやちゃんってさぁ、どうしてこのお店で働くことにしたの?」
「今更どうしたの?」と思われるのではないかと思い、「明日何するの?」とでも聞くように、なるべく明るく自然なトーンになるようにして。
「私、将来自分の劇団を持ちたいの。だから、舞台で役者しながらこの仕事をやっているのよ。」
予想していたものとも、いつもの雑談のときとも違う、真面目なトーンで答えが返ってきた。そのギャップに少し驚きはしたものの、あやちゃんに合っているトーンであった。あまりにも自然すぎて、言葉が透き通りすぎて、麻尋の心にストレートに入ってきた。
あやちゃんは、幼い頃から舞台に立つことを夢みていたという。なりたいものがあるということはあやちゃんにとってはごく当たり前のことらしく、幼い頃お母さんに連れられて見に行った舞台の上で輝く舞台役者を見て、大きな衝撃が走ったという。「こんなに素敵な世界があるのか」と、そのとき強く自分もなりたいと感じたらしい。そして、その思いをごまかすことなく大人になった。自分にできるのだろうかという迷いは一切なく、ただひたすら自分が好きなことを貫いていった。
正直、麻尋は少し嫉妬してしまった。あやちゃんは、きちんと自分のやりたいことがわかっていたからだ。目指すべき方向がわかっているあやちゃんは、その方向に進むためにどうすべきかということと戦えばいいのだ。行く先が分からず、宙に浮かれたようにさ迷っている自分と比べれば、同じ人生と格闘している同士といえども、天と地との差があるように感じられた。そして、少なくとも、あやちゃんは自分の才能を誰かに認められている。
あやちゃんは幼い頃から数々のオーディションを受け、テレビにも出演していた。誰もが知っているような番組にも、エキストラとしてではあるが出演していた。大小を考えればまだまだかもしれないけれど、少なくとも誰かに自分の価値を見出し、必要としてもらっているということだ。そのことを知ったとき、自分がどうしようもないような人間に思えてしまった。人と比べてはいけないとは分かっていても、人は他の人と比べなければ自分のことが分からないのだ。その違いを受け入れられる器があればよいのだが、自分のことを受け入れてあげることができない今、他の人のことを受け入れる余裕がなかった。
「山ちゃんは?」と、今度は麻尋に質問が返ってきた。予想できる展開ではあるが、少し戸惑ってしまった。見栄を張りたい自分とありのままの自分の気持ちが交差して、本当の気持ちが自分でもよく分からなくなってしまっていたからだ。とりわけ、あやちゃんの純粋な思いを聞いたあとである。ウソをつけば見破られるし、本当のことを言えばつまらない人間だと思われる気がしてしまった。
麻尋は、ずっと自分の夢を探していた。小さい頃はよく、お母さんとお風呂に入りながら、「麻尋は将来何になりたいの?」という会話をしていた。アイスクリームディッシャーでアイスをすくう感覚が好きで、アイスクリーム屋さんになりたいとも思ったこともあった。カッコ良くきめて、さっそうとスーツケースを引きながら歩く姿に憧れて、キャビンアテンダントになりたいと思ったこともある。お母さんからは、安定しているという理由で、市役所や薬剤師を勧められもした。
麻尋は色んなことに興味を抱く子供であった。姉の影響もあって、ピアノ、習字、水泳、バドミントン、ダンスなどと、習い事もたくさんしていた。地域の行事も好きで、住民の運動会、クリスマス会、ゴミ拾いボランティアなどにも積極的に参加した。クラスの過半数がいかに手を抜いてそれなりのものを作れるかと考える「夏休みの自慢研究」、金賞を取ればクラスで賞賛を浴び一時のスターになれる「年末の書初め」といった、学校での様々な課題にも一生懸命に取り組んだ。特にこれといって熱中したものはなかったものの、幅広いものに力を注ぐ子供ではあった。しかし、柔道大会で全国3位に輝く同級生や、プロのダンサーを目指すために海外に渡航する同級生。何かに特化した才能にあふれたり、才能を開花させる場所が明確になっている人を見ると、自分にはないものを手にしていることに嫉妬してしまってもいた。いつも自分の居場所が分からず、だから孤独でもあり、求めていた。頭で考えて分かることではないので答えを導き出せず、だから悩みは堂々巡りで、悩めば悩むほど虚しくも感じていた。
それは大人になってからも変わらず、高校進学も、大学進学も、就職も、自分のことが分からないまま、これから自分が歩む道を決めてしまっていた。というよりも、決めることをせぬまま、流れるように生きてきてしまっていた。
そのことに気づいたのは、社会人として1年目が過ぎたときだ。働きながら、どこか違和感があった。初めのうちは何もかもが新鮮に見えて、名刺の交換をするのも、あいさつをしに会社を訪れるのも、書類を作成するのも楽しく思えた。学生時代には経験することのできなかった社会人らしい作業に、大人になったかのような高揚感を得ていた。しかし、それは長くは続かなかったようだ。
就職するために勉強をがんばり続けてきたのだが、ずっと目に見えていたゴールを失った今、何のために生きているのかが分からなくなってしまった。つまり、自分が今歩いている道も、進むべき道も分からぬままこの世に存在しているということに気づいた。しかし、勉強の仕方は習ってはきたものの、生き方について学んだことのない麻尋にとって、その答えを導き出すことはほぼ不可能に思えた。生き方を考える基軸がないのに物事を考えるということは、結局は感情に惑わされ、選ぶべき道を選べぬまま終わってしまうことになる。
少しでもいいからヒントがほしくて、書物を読み漁った。誰かに救い出してもらいたくて、知人にも心の叫びを訴え続けた。そうやって、求め続けていった。求めるということは不思議なことで、求める分だけ行動に変わり、行動した分だけ結果が生まれた。そして、自分の知り得たいヒントが、少しずつ集まってきた。
ヒントから導き出した自分の答えは、「社会の役立つことをする」ということであった。自分が心の底から人生をかけてでもやり遂げたいと思える仕事というのは、もともと自分の中には存在していない。そうであれば、世の中に求められていることをするべきだと考えたのである。そして、世の中に求められていることを行い、誰かに感謝され、必要とされることは自分の益にもなり、これこそが人生で最も求めていることなのかもしれないという結論に達した。
そこで、友人とアフリカに学校を建てることにしたのだった。
夢を持ったはずだったのに、あやちゃんに質問された瞬間、少し戸惑ってしまった。「これを伝えたい」という思いよりも前に、「詳しい内容を聞かれたらどうしよう」「言葉に真実味がなったらどうしよう」といった不安が押し寄せた。自分を試されているような気にもなって、うまく言わなくてはいけないという雑念が頭をよぎってもいた。そして、そう考えてしまうほど自分の意志の弱さを知り、内心傷ついてもいた。私は何に対しても中途半端で、熱意や情熱を持って生きられない人間なのではないかと、一人考えていた。
そんなことを頭の中に抱きながら、あやちゃんの問いに答えた。
「私、学校に行けない子どもたちのために、学校を建てたいと思ってるの…」
そう言ったあと、自分で少し違和感があった。言葉が生きていない。
「というよりも、それを自分のしたいことにしたの…」
麻尋はその一言を付け加えることにした。自分はそれほどまでにかっこいい人間でも、良い人間でもないと認めて、正直に自分の心境を打ち明けることにしたのだ。「自分にはやりたいことが見つからなかったということ」「しかし、何かを見つけてそれに全力で打ち込みたいと思っていること」「今はそのことを自分の夢にして、それを成し遂げるために自分なりに努力を払っているということ」。
話している内容は大したことがないはずなのに、なぜか体温が乗っているのが分かった。決して表に火花を散らしているわけではなさそうだが、体内で静かに穏やかに、しかし激しく燃えているのを感じた。心の中にあるものと外に出るものとが一致したとき、言葉は大きな力を持つ。そして、またそれが自分の心へと炎を灯すことになるのだと感じた。
その言葉は、自分の心にだけでなく、相手の心にも炎を灯したようである。
「山ちゃんも色々と考えているんだね。」
あやちゃんが、ポツリと、しかし温かい声でその言葉を送ってくれた。麻尋という人間が、「人生に真摯に向き合い、自分の意志を持って生きていこうとしている人間であること」を誰かに認めてもらえた気がして、どこか嬉しかった。まだ人生の答えは見つからないけれど、自分という人間が分かっただけでも大きな成果である。まだ胸を張って言えるようなことはないが、ありのままの自分を知り、自分自身が認めてあげることで、そこから未来の自分をつくっていけそうな気もしていた。
自分のやりたいことが考えなくても自然に出てくる人間は別として、やりたいことが分からない人間はやりたいことの答えを勝手に自分で作ってしまうのが良いのではないかという気がしていた。結局答えはないのだから、ないものを探しても永遠に見つかることはない。そうであれば、自分で作るしかないと。
とは言うものの、世の中には答えになり得る選択肢が多く存在しすぎている。麻尋の場合、友人との出会いもあり、世の中に不可欠な教育を軸とした事業を行うことにした。
しかし、仕事を行う上で、チームとして動く上で、「自分がどのような役割を担うべきであるか」という点においては、まだ分からずにいた。事務的な作業を行う人間。外部とやり取りを行う人間。アイディアを生む人間。宣伝する人間。
一つの事業を行うにあたっても、様々な役割が求められる。どの作業も、やろうと思えばそれなりにはできるようになるだろう。努力した分だけ、結果は生まれると思う。しかし、できるなら「自分の能力を最大限に開花させたい」「自分にしかない特質を最大限に生かしたい」。人は誰も皆、そういう種を持って生まれてきているはずだからだ。
その答えも、考えては見つからなかった。きっと、考えて自分なりの答えを決めてしまえば、そのような人間になれるのだろう。人は、自分をごまかし、繕い、飾ることが得意だからである。しかし、演じることに慣れてしまうと、素の自分が分からなくなってしまうからこそ恐い。そういう人間は、心で感じて動くのではなく、頭で考えて動くようなロボットのような生き物だ。頭ばかりが固くなり、いつしか感情までも失ってしまうかもしれない。人に合わせて笑うことはできても、自分から楽しんで笑うことができない。息苦しくて、取り繕った鎧を剥ぎ取りたいと思っても、身にまとうよりも何倍もの努力も要る。そんな人間にはなりたくなかった。
答えが分からないものだらけだ。無駄に考えることをしたくなくて、とにかく動いた。だから、目の前の課題にとにかく一生懸命に取り組んだ。
寒そうにしているお客さまにひざ掛けを渡したり、キョロキョロと周りを伺っているお客様には自らオーダーを聞きにかけ寄ったりと、気がついたことは全てやってみることにした。小さなことであろうと丁寧に妥協せずに、全力を尽くすことに決めた。初めは面倒くさいし、疲れているとさぼりたくもなるしで、手を抜きたくもなった。しかし、続けているうちにそれが習慣となり、続けていることに気持ちよさも感じるようになっていった。一生懸命に物事に取り組む自分が愛おしいような、そんな不思議な気持ちにもなった。
気づけばそれは、確かな自信にもなっていた。地位やブランドを身にまとい、自分は素敵な人間であると自分に言い聞かせて作り上げたものではなく、内からこみ上げてくるもの。穏やかに体内からエネルギーを放つ、確かな自信となっていた。
自分が何をしたいのかは分からない。しかし、確かに言えること。それは、「人から認められること」をすること。だから、人の役に立つため、他の人に喜んでもらえることに(他の人の喜びを考えるようにして)全力を注ぐことにしたのだ。答えが分かっているものを追い求めることは、努力が要るだけでそれほど難しいことではなかった。しかも、確かな答えから得られるものは大きかった。
「他の人のため」に力を使える人は、偽善者のような言い方をされることもある。麻尋も彼らをそのような目で見てきてもいた。しかし、ひねくれたものの見方を変えれば、誰しもが皆、他の人のために何かをすることで喜びを得られるのなのかもしれない。そして、その喜びを素直に受け入れることが、次への原動力へと繋がってゆく。「他の人のため」といいながらも、「自分のため」。しかし、「自分のため」と思って「自分のため」になることと、「他の人のため」と思って結果として「自分のため」になることとは大きく違う。そのことを胸に染み入るほどに実感していった。
身体が軽くなっていくのを感じた。自分でコントロールして動くのではなく、表情が自然にこみ上げてくる。うれしい、かなしい、くやしい、といった様々な感情が生まれてきて、表情が勝手に引っ張られていく。自分のことを考えることを忘れ、他の人のことに夢中になればなるほど、自然体の自分になっていくのを感じた。そしてその自分は、とても心地よいものであった。
ある日突然、あることに気がついた。麻尋はよく、一緒に働く仲間や、よくしてくださるお客様に手書きのメッセージカードを書いていた。それは、「やらなくてはいけない」からではなく、どうしても伝えたい気持ちがあって、それを届けずにはいられなかったからである。そして、カードに自分の気持ちを書いているときは、時間が経過するのを忘れるほどに夢中で、自分も幸せだった。
だから、こうして文章を書くことにしたのだ。伝えたいメッセージが自然とこみ上げてきて、それを発信せずにはいられなかったから。
気づけば、幼い頃から文章を書くことが好きだった。同級生がテレビゲームやおにごっこ、アクセサリー作りなどに夢中になっている一方で、麻尋は近所の公園に行って詩を書くことが好きだった。日陰に隠れて美しく列を作って歩くアリの集団や、花びらがひらひらと落ちるように舞う蝶。それぞれが違う姿をしながらも、一身に太陽に向かって咲き続けるひまわりを観察し、自分の世界を描くことが好きであった。詩を書くことが好きということは、女の子がままごとが好きで、男の子がライダーごっこが好きであるということと同じのような感覚で、だから、自分が詩を書くことが好きということは、何の特徴でもないと思っていたのだ。友達に「麻尋って、本当に文章を書くのが好きだよね」と言われて初めて、気づかされた。
ふとした瞬間、今まで忘れていた幼いときの映像が、頭の中を流れた。
「麻尋は将来何になりたいの?」
「私、小説家さんになりたい!!」
「そっかぁ。麻尋は本当に文章を書くのが好きだもんね。でも、小説家になって売れるのは大変そうだね。」
そのときから、純粋に「好きだからする」という気持ちを失ったのかもしれない。「文章を書くこの先に何があるのだろうか」という考えが、頭をよぎるようになってしまっていた。「どうせ文章を書いても、将来には繋がらない。だったら、文章を書く意味はあるのだろうか」
子供ながらに、自分の気持ちに従うことより、頭で考えることを正しいと捉え始めてしまっていた。
それからは、「麻尋は将来何になりたいの?」と聞かれるたび、「小説家」という言葉がのどの奥にまで出かかり、でも、自分で押し殺していた。
どういう答えが正解なのか分からずに、思わず母親の顔色を窺う。そうやって、自分の心の声を無視することにした。
人は皆、「何かのメッセージを伝えるために生まれてきた」のではないかとも思う。ただ、伝えるメッセージと、伝えるやり方が違うだけ。
保母さんだった母親は、子供たちにたくさんの愛を伝えていた。一人ひとりの可能性を信じ、励まし、見守っていた。もちろん私に対してもたくさんの愛を与えてくれて、毎晩のように泣き喚いてお母さんを困らせる私を温かく抱きしめてくれたし、食卓に並ぶ食事では、必ずおいしくできた方や大きい方を私に取り分けてくれた。言葉にしなくても、母なりの愛情表現は私にしっかりと届き、今でも心に残っている。
一方で、父は無口な父親だった。ほとんど会話をすることはなく、家では趣味である読者か映画鑑賞、ギターを一人で楽しんでいるように見えた。しかし、何事にも文句を言わず、家族のために畑仕事や草むしり、雪かきなどをせっせとこなす姿は、真面目に生きていくことの美しさを教えてくれていた。
自然の偉大さを伝えてくれる写真家、人の温もりを感じさせてくれるカフェ定員、世の中には数え切れないほどの職業がある。
それと同じように、世の中には無限の役割を持つ人が存在している。
カテゴライズされた職業というものの中から自分を見つけることでさえも困難だった。でも、気づくことが困難なだけで、誰もが皆ふさわしい何かを持っているということは分かる。
麻尋も、自分なりのメッセージを発信し続けたいと思った。人それぞれ皆、何かしらの思いを持って生きてきて、その思いを残さずにしては、自分が生きている実感は得られないように思った。「どんな学校を出て、どんな会社に入ったのか」「どこの場所へ行き、何を食べて、何を買ったのか」そんな事柄は、自分を被うベールの一つのようなもので、自分を映し出してはいない。もちろん思いも全ての自分を映し出してはいないし、その時々ですぐに変化してしまう。しかし、自分の一部であることは確かで、欠片であろうとそれらが集まれば、自分を表現できるものとなる。思いの詰まった作品、言葉、生き様。何かしらの形で、この世に生まれた意味を残したいと思った。