ハードラックダガーS
◆◇◆
尋常ではないこととそうでないことを見極めるには、尋常とは何かを知る必要がある。誰が唱えた聖句でもないが、真実とはそういうものだ。教えられずとも、誰もが知っている。
尋常ではない姿の男だった。黒い外套に覆われた腕部のシルエットは、一般的な男の優に二本分はある。隠すつもりがないのだろう、袖口から除く掌は二つあった。片方に二つ、合計で四つだ。それでも街行く誰もがそれを指摘しないのは、男が尋常ではなく、関われば己にも尋常ではないことが起こると気づいているからに他ならない。余計な口を出さないのは賢明だ──長生きするための秘訣として、誰もが知る真実。
夜の街の喧騒にも溶け込めない男は、路上全ての人間から許可をもぎ取ると、雑踏に消えていった。
◆◇◆
「硬質だ」
「お客さん、そりゃ褒めてくれてんのかい? オートミールだぜ、そいつは」
「ああ。硬質な味で美味い」
「……そいつはどうも」
宿の一階は食堂になっていた。屋根があり、床には硬質な木板が敷かれた、上等とまでは行かずともごく一般的な宿だった。そんな中で、オートミールをつつく男の姿は目立つ。背中にシャベルなど背負った、黒い髪の地味な男。
「それ、見せて」
対面に座った少女がねだる。一瞥し、男は再びオートミールに取り掛かった。
「駄目だ」
「えー、いいでしょ。この間は見せてくれたじゃない?」
「一度見れば十分だろう」
「展示回避壁だ」
少女がせがむのは、男の持つ虹色の結晶体だ。宿に来た初日、宿泊費を前払いする際にポケットから落としたものを見ていたのだろう。とっさに拾い上げて隠したが、駄目だった。ヨケニウム純結晶の煌きは、年頃の娘ならば宝石の輝きだと思っても仕方が無い。実際少女はただの綺麗な石だと思ったようで、先ほどから何度か見せるようにと迫っている。
「こら、いい加減にしな。お客さんに失礼だ。すいませんね、お客さん。うちの娘もそろそろお転婆が治ってくれりゃ助かるんですが……」
「ちぇっ、パパまで。皆みーんなケチなんだから。それにお転婆だなんて失礼しちゃうわ」
父に説教されてふくれっ面になる少女。男は気にも留めず、空になった皿を少女に差し出すと、席を立った。
「ご馳走様」
「あ、ちょっとどこ行くの!?」
「部屋だ。少し眠る」
◆◇◆
「あーあ、つまんないの」
厨房で皿洗いをしながら、少女はポツリと漏らす。何度も何度も口にした、陳腐な文句だ。家の手伝いなど退屈で仕方なかった。
「そう言うな。お前のおかげで俺は随分楽させてもらってる」
「そういうことじゃないの。大体あの人、うちに泊まってもう一週間よ。その間ずーっとごろごろしちゃって。何しにこの街に来たのかしら?」
「無駄な詮索はするな。客の都合は客の都合だ」
年頃の娘にとって、父親の小言など蟻の足音くらいの価値も無い。耳に入っても記憶には留まらず消えていく。
「つまんないの」
「しかしだな。お前もな、おしとやかになれとは言わんが、なんと言うかだな……」
「そうだ!」
「どうした? 何か面白いことでも浮かんだか?」
「ううん、なんでもない。あ、ごめんパパ。私これから友達と遊ぶ約束してたんだ。行ってくるね」
「おい、もう夕方だぞ。一体何処へ──」
「内緒!」
◆◇◆
目的地はそう遠くない。町の外れの無人の小屋。そこは昔、秘密基地だった。
虹色の結晶。思い出してみれば、似たようなものを見たことがあった。けちだけど硬質な男の持っていたものと同じなら、彼は興味を示すだろう。どんな反応をするのか楽しみだった。驚くのか、笑うのか──あの無表情からは想像も付かない。
しばらく足を運ぶことはなかったが、小屋はそれほど荒れていなかった。埃まみれの小箱を開ける。目当てのものは残っていた。誰もここから持ち去らなかったのは幸運としか言いようが無い。
「あった!」
彼のほど大きくは無くとも、宝石は虹色に輝いている。あんなに感動したのに、何故忘れていたのだろう。結晶が記憶に残ることを回避していたのだろうか。残ることは止まることだ。止まるというのは、当然ながら遅い。
「……何が?」
結晶を眺めていただけなのに、妙なことを考えている自分が居ることに気づき、訝る。
そこで冷静になった。この時間、このあたりは人通りが少ない。既に西日の角度は浅くなっている。宝石を握り締め、小箱を元に戻した。
「早く帰らなきゃ」
「良ければ俺が送っていこうか?」
「誰?!」
振り返る。小屋の入り口に男が居た──それも、尋常ではない姿の。これ見よがしに腕を四本備え付けた、違和感にまみれたシルエット。
「俺の名前は重要じゃないだろう? 今大事なのは……君の身に危険が迫っていることだ」
「何……何するの?!」
「二つあったヨケニウム信号……近いほうに来てみれば、こんな小さな破片とはな!」
男は質問に答えない。ゆっくりと歩を進め、近づいてくる。唯一の出入り口は男の背後にある。逃げ場は無かった。
「だが……使い道はありそうだ」
男の左腕が消えた。同時に、大きな衝撃を腹部に受ける。殴られたことを理解したのは、遠のく意識の中でのことだった。
◆◇◆
「遅い! いくらなんでも遅すぎる!」
階段を下りると、つま先で床を蹴る硬質な音が響いていた。誰も居ない食堂にはにぎやか過ぎる音だ。
「どうかしたのか?」
「ああ、なんだあんたか。悪いが注文は無しにしてくれ。ちょっと宿を空けるからな」
「何があった?」
「娘が帰って来ないんだ。遊びに行くと言って出て行った。もう大分経ってるんだ……」
宿の主人は苛立ちを隠そうともしなかった──隠し切れるわけもない。娘を案じる父の不安など。
「水を一杯」
「人の話を聞いてないのか? 注文は無しだと──」
「俺が探しに行く。行き違いになると困るだろう。心当たりは無いか?」
片手に提げていたショベルを背負いなおすと、男は静かに尋ねた。
◆◇◆
戸を開けるなり、うめき声が耳に入った。見れば、猿轡を噛ませられた少女が声にならない声を上げている。
小屋の中には男が居た。ひと目で腕が何本あるか判別できなかったのは、その二本の右の二の腕の中に少女の姿があったからだ。二人、合計六本。単純に計算すれば一人三本になるが、そんなわけは無い。男には四本の腕がある。
「良くここが分かったな。『ハード・ダガー』。手間が省けた」
「何よりだ。手間は遅い」
主人に教えられた場所はいくつかあったが、一発で当たりを引いたらしい。幸運の女神か、あるいは厄介事の女神に愛されている。嫌われているのかもしれない。
「愛情回避壁だな」
「回避壁、か。報告通りの伊達男だ。楽しめそうで良かったよ」
「報告?」
「お前の足取りは掴んでいた。この娘がお前を気にかけていることもな。だからこうして待っていた。効率だ」
腕に力を入れたのだろうか。少女の声に悲鳴が混じった。身じろぎをして痛みを逃がそうにも、二本の腕はそれを許さないらしい。
「いや、楽しむのが目的じゃないな。ヨケニウムを渡してもらおうか。貰えれば娘は解放する」
「貰えなかったら?」
「この娘がどうなってもいいのか?」
救いを求める瞳は苦手だった。何度も同じものを見てきた。そして、何度もそれに失敗した。
ポケットから取り出し、かざす。
「これがヨケニウムだ」
四本腕の男は笑みを浮かべ、空いた左腕を差し向ける。手っ取り早いといわんばかりに。
「案外素直だな。拍子抜けだ……が、いいだろう。それを早く渡せ」
放り投げる。ヨケニウムは場に不釣合いなほど煌びやかに輝き、弧を描いて四本腕の男の手中へ──
「受け取れるならな」
虹色が視界を塗り潰した。
◆◇◆
「な……何?」
ヨケニウムが放ったまばゆい光に乗じて、男は小屋の外に出た。男のそばには少女が居る。猿轡も外され、四本腕の男の拘束も無い。一瞬の隙を突いて、四本腕の魔の手から逃れて──逃がした。
「ヨケニウムの共鳴だ。最大回避が起こって、君は助かった」
「ヨケニウム? 共鳴? あなた一体なんなの?」
助かったことよりも驚きが大きかったのだろう。矢継ぎ早の質問を、男は回避する。
「これを持って隠れていてくれ。この石がある限り、君に攻撃は当たらない」
「ちょっと! 質問に答えて」
「危険だ。逃げてくれ」
「そう。危険だ……今からそいつは俺と戦うんだからなァ!」
小屋のドアを破壊し、四本腕が雄叫びを上げる。四つの腕を上下左右に展開し、男を睨み付けていた。
立ちすくむ少女に逃げるよう促すと、男はシャベルを構えて四本腕に立ちはだかる。四本腕の纏う空気は先刻のチンピラじみたものとは違い、本物の殺戮者の気配へと変貌している。腕の数は伊達ではないようだ。
「最初からこうしたかったんだが……あまり暴れるなと上から言われていてな。でも、これで言い訳が立つ。ハード・ダガー。楽しみだったよ……存分にやれる」
「上?」
「それに、殺すのはNGとも言われてる。ヨケリスの獣を退けた人間だ。研究材料に欲しいってな」
「そうか」
「じゃあ……始めるとしようか!」
跳躍。体躯に似合わぬ身軽さで、四本腕は空襲を仕掛けてくる。両手に──左右に一つずつ──持った電磁スタンガンの青白い光が描く軌道を見極め、男は地面を転がって襲撃を回避する。
片膝をついて体勢を立て直そうとしていると、横槍が入った。気づいている。左から差し込まれた鋭い圧。身を捩じらせて攻撃をかわし、小さく飛んで更に距離をとる。
四本腕は間合いの大分外。そして二歩半離れた場所には見慣れない女の姿がある。つま先の部分が硬質な金属光沢を放つハイヒールを両足に履いた女だ。先ほどの不意打ちは彼女の手による、否、足によるものだろう。
「紹介が遅れたな。これは俺の奥の手で、うちが開発した戦闘用ガイノイドだ」
「五本目か?」
「まあな。俺の右腕だ……だが、パイルガール。今の一撃は危なかった。殺してはいかん」
「了解。行動パターンを修正」
主命を受諾した符牒なのだろう。パイルガールは踵を打ち鳴らし、改めて男へと向きなおした。
「連携して追い込む。ガール、お前は奴を動かせ。その隙に俺が仕留める」
「任務了解。行動開始」
再び四本腕が跳躍する。少し遅れて、パイルガールが動く。人間離れした速度で踏み込んできたパイルガールの鋭い蹴りを、半身引いて回避する。密着して胴体に一撃を叩き込むと、そのまま横に放り投げて四本腕を迎撃する。
振り下ろされたスタンガンを体捌きだけで無効化し、近距離を保つ。厄介な跳躍を防ぐには、間合いをあまり離し過ぎるのは得策ではない。
「パイルガールを沈めるとは中々硬質な一撃だったが! だがどうした! 避けるだけしか能が無いか!?」
嵐のように振り回される腕とスタンガンの応酬。腕はシャベルで弾き、スタンガンは避ける。手数では相手に分がある。
「だが、俺は強い」
「それも今日までの話だ!」
四本腕が動きを変えた。上下左右に振り回していた腕を、素手の腕の動きはそのまま、スタンガンは軌道を変え、まっすぐストレートパンチを放つように押し付けてくる。回避しようにも、背後に下がるしかない。
二、三回避けたところで、背後に何かがぶつかった。ぎしりと軋んだところを見るに、小屋の外壁だろう。これ以上は下がれない。退路を断たれた。
横方向へ逃れようとするも、四本腕がそれを逃すとは考えにくい。男よりも上手く場を支配してきたのだ。だから窮地に追い込まれた。
「今頃気づいても無駄だ! これでお前は避けられない……逃げ場は無い!」
シャベルからダガーを抜いたのと、スタンガンが触れたのは同時だった。電流が肉体を、思考を焼く。四本腕の愉悦に満ちた笑いが耳障りだった。ひたすらに、それしか考えられなかった。
「これで終わりだ! 我らドッヂウォールは更なる繁栄を手にするだろう!」
「遅いな」
「そして俺は金を! お前のおかげだ! ハード・ダガー!」
「だから気づかない」
四本腕の表情は変わらない。変わらないということは、気づいていないということだ。男の表情が変わらないことに。スタンガンで高圧電流を浴びせられ続けているにもかかわらず、ハード・ダガーが顔色一つ変えないことに。狙いをつける時間が十分にあったことに。
それでも痛みは強い。早く気づいてくれ、と男は無造作に祈った。
まず、四本腕の左腕が一本弾け飛んだ。スタンガンを流していた腕が、根元から火花を散らしてねじ切れる。そして、残った左腕も。硬質な音を立てて、大地へと転がる。
「何!?」
「やっと気づいたか。遅すぎる」
「お前……ハード・ダガー! お前がやったのか!? いつ……いや、どうやって!」
「耐電ダガーだ」
驚愕する四本腕を蹴り付け、距離を離す。左右のバランスが崩れているのだろう。軽く蹴ったつもりだったが、四本腕は大きくのけぞって倒れた。
「これで三回切った」
「馬鹿な……人間業じゃない……」
歩み寄り、四本腕の左膝を渾身の力で踏みつける。嫌な音が足を伝って響いてきたが、絶叫でかき消された。
「お前は立ち上がれない。俺は行く。お前は遅いまま……そこにあり続けろ」
断たれた義肢が煙を上げ、火花を激しく散らし出す。義肢の動力が暴走し始めたのだろう。あの出力を補うだけのエネルギーだ。爆発すればひとたまりも無い。
「やめろ、やめ……助け……」
男はダガーをショベルに仕舞い、四本腕に背を向けた。
◆◇◆
暗くなった道を進み、宿に戻る。すっかり遅くなってしまった。
入り口の前には主人が立っていた。その背後に、少女の姿もある。
主人は男の姿に気づくと、駆け寄ってきて両手を硬く握った。今にも泣きそうな声で、謝辞を何度も羅列する。
「ありがとう……ありがとう。あんたのおかげだ、本当にありがとう……」
「何よりだ。泣かずに済んだ。俺も、誰も」
放っておけば朝まで続けそうな主人を押しのけ、少女が入れ替わった。小さな掌にヨケニウムを乗せ、差し出してくる。
「これ、返すね。綺麗なんだけどさ、私には……なんか、凄く怖いものに見えるんだ」
「ああ。そうだな。あまり関わらない方が良い」
「しゃがんでよ。届かないからさ」
「届くだろう?」
「いいからしゃがんで」
言われるままにしゃがみ込む。少女は小さく、男は長身だ。それでやっと目線が同じくらいになる。
少女はヨケニウムを握り締め、男に足早に近寄ると──
「お礼!」
男の頬に、回避出来ないキスをした。
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「そう……分かりましたわ。下がって頂戴」
報告者が持ってきた話は、内容としてはつまらないものだった。即ち、失敗の話だ。秘書にいれさせた紅茶をすすり、苛立ちを抑えつける。硬質な音を立ててティーカップを執務机に置くと、改めて書類に目を通す。
報告書は三行だった。調達は失敗、担当者は重傷、『ハード・ダガー』は逃亡。短い書類は効率が良い。無駄な時間は嫌いだ。
「あの男……大見得を切って出て行ったと思ったら、そんなつまらないことになっていたなんて」
古の存在であるヨケリスビーストや、超回避の力をもたらすとされるヨケニウム純結晶。手に入れることができれば、彼女が──ドッヂウォールカンパニーが開発中のシステムの性能は飛躍的に向上する。そのために素材調達班きっての腕っこきを派遣したのだが、結果は散々たるものだった。
ふう、とため息を一つつくと、再び紅茶をすする。最上級のドッヂリンティーは香りも良いが名前も良い。
執務室の壁に飾られた、古の勇者、聖ヨケルギウスの絵画を眺め、彼女は決断する。
「仕方ないですわね」
「レディ?」
「その男、ハード・ダガーに興味が湧きましてよ。日程を調整して頂戴。次は私も出ますわ」
◆◇◆