揺れるオレンジ
ひたすら窓辺を眺めて、色付いた葉を数えながらぼんやりしていた時だった。
「野崎さん。」
何者かに呼ばれ、ハッとして前を見る。すると、そこには沢下君が立っていた。
「あ、…っ、えっと、黒田さんに悪いから私、帰るね!」
心にもないことを言ってその場を後にしようとした時、肩を優しくつかんで引き留められた。
「待って。…それに、黒田さん?あいつと俺に何の関係があるんだ?」
「えっ?」
「ま、とりあえず座って。足痛めない為にも。」
「う、うん…。」
沢下君は、私の前の席に座った。こちらを振り返り、自ずと近くなる顔にドキッとする。
「野崎さんって、普段何してるの?」
予想外の質問に目を丸くする。沢下君は、相変わらずニコッと笑っている。
「えっと、…読書とか、音楽聞いたり、とか…?あと、写真も好きで、早く大学生になって、バイトして一眼レフカメラを買うのが夢なの。」
私の目を一瞬じっと見てから、彼は目を逸らして穏やかな口調で言った。
「へぇー!どれも素敵だけど、カメラは俺も好きだよ。でも、一眼レフカメラって、高いよな。俺、いとこのおさがりなら持ってるよ。」
「へぇ!いいなぁ~!」
それにしても、なぜ私は放課後の教室で沢下君と会話しているのだろうか。
「いや、わりぃ。忘れ物取りに来たら、野崎さんがいたもんだから、つい。」
照れ笑いする沢下君も、素敵だ。彼は続ける。
「そういや、野崎さん大丈夫?黒田さんと速水が付き合い始めたって聞いたけど、野崎さん速水と付き合ってなかったっけ?」
「へ?!」
2つの意味で衝撃的。まず、私と速水君は付き合ってると思われてたの?それに、あの2人が付き合い始めたって…。
「それ、誰に聞いたの?」
「あぁ、黒田さんと速水の話は、速水本人から聞いた。あいつクラスで言いふらしてるよ。野崎さんとの関係は、誰だったっけ…。多分、憶測に過ぎないけど。」
…そうか、速水君の"好きな人"って、黒田さんだったんだ。
その時湧いた感情の名前は、まだ分からない。
どんよりと1人、帰ろうとした時だった。
「良かったら明日の文化祭、一緒に回ろうぜ?」
それだけ言い残すと、沢下君は廊下をタタッと走っていった。
「え…?」
もう、感情が追い付かない。確かに、沢下君にそんなことを言ってもらえるなんて嬉しい。…けれど、私は一体、誰が好きなのだろう?
◇◆◇◆
帰宅し、日記をつけていると、今日起こったことがまだ信じられずにいる。
「黒田さんと速水君が、付き合ったそうだ。」なんて書きたくない。
今までの速水君との思い出が、走馬灯のように頭の中を駆けていく。
日記のページをめくると、そこにはいつだって速水君がいた。
「今夜は、月が綺麗ですね。」「それは、とっておかなくちゃいけない台詞だよ、レディ。」初めて出会った日、月明かりの下で高貴に笑っていた姿。
「この僕が、他の女の子の誘いを断って来てるんだぜ?」「あれぇ~?僕に興味湧いてきたのぉ~?」少し意地悪に笑っている顔。
「の~ざきさん、友達作るチャンスだよ★」と煽りながらも心配してくれていたこと。
「僕、この風の匂い、好きだな。初夏を運んでくる、風の匂い。」両手を広げ、くるくると回ってみせたこと。
「僕、好きな人いるしね。」とウインクしていたこと。
「さっきまで雨が降っていたから、ペトリコールとジオスミンを感じられたかな?」とよく分からないことを言って困らせてきたこと。
「浴衣、よく似合ってるよ。」「"分け合った"って言ってよ。」花火大会で、いつもと少し違う大人な雰囲気に見えたこと。
――そして、「ごめんね、沢下じゃなくて。…もう、帰ろっか。僕は、ここで。」哀しそうな目をしてクシャっと笑い、去っていく背中。
何で、こんな近くで優しくしてくれたのに、気付かなかったのだろう。
それでも、私はずっと沢下君だけを見てきた。その沢下君には、明日文化祭を一緒に回るのに誘われているのだから、いいじゃない。そう言い聞かせる。
自分がこんなに葛藤していることさえ、疎ましい。
きっと、全て"ないものねだり"なのだろう。




