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輝石と双眸  作者: kim
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蛍石

  蛍石



 足掻いてます。

 エスさんへの納品期限から実際形にする時間を逆算して、それまで情報収集と分析に費やすことにしたんです。


 それが正しいことなのか。

 職人たるものあくまで依頼人の意向を優先すべきで必要以上に詮索するべきではない。むしろ依頼人から最大限の情報を引き出せないこと自体がレベルの低さを証明しているようなものだ。

 そう咎められるんだろうなとは思ってます。

 では、なにゆえ。

 エスさんはウソをついてはいない。でも、全てを話してはくれない。

 それがわたしの見解。


 妹さんの特徴からヒューマン族とは思えません。しかし、化け物退治が目的ではない。むしろそれを退治しようとするお母さんを殺したい。

 根本的な疑問。殺さなければならないでしょうか?



「青白く輝く瞳ねぇ…」

 こんな感じかな、とテーブルの上に置かれた蛍石を眺めました。


 すべての時間をエスさんの依頼に費やすことができない事情もあります。

 しがない高校生ですし、実家を逃げ出したわたしはこの街で学生を続けるためには金銭を得なければなりません。

 そのため内職をしています。武器作りも内職には違いませんが、それよりももっと額の小さなお仕事です。ときどき神殿とか観光業組合とかから単発で入ってくる依頼があるのです。


 今回の内職はフローライトのお守りを作ること。思考力をつかさどる蛍石は、受験のお守りとして町土産として大人気なんです。

 正直、こっちの内職の方が気楽です。大量品を依頼どおりに模ることは得意分野です。単純作業をちまちまとこなすのも結構好きです。

 誰も死にませんし。

 思っても封じ込めるべき言葉でした。虚しくなりました。


「ちわーっす!」

 バタンと工房の扉が勢いよく開きました。

 こんなパターンで現れるのは一人だけです。知ってるヒトだから、まぁ安心して受け止めることができます。

「壊れるからやめてって言ってンじゃん…」

 テーブルにあごをのせたまま目線だけで乱入者を見やり、自分自身がびっくりするくらい力なく答えました。

「およ?

 ずいぶんと落ちこんどりますねぇ。」

「まぁねぇ…」

 入ってきたのは唯一わたしと実家をつなぐ存在であるヒトです。実家で一緒に修行した幼馴染の男の子。わたしの入学資金を出してくれてんのが彼のご両親です。

 だから、彼にも頭が上がりません。

「なんか急ぎの仕事?」

 ホントは完全に自立した生活をしたいのだけど、まだまだ顧客が少ないから実家から仕事を回してもらってました。


 善意と信じたいところですが、実際はメンドくさいだけかもしれません。たいていは王国北部の依頼人です。わざわざ南部の街まで来てくれたってのに。あそこの職人軍団はわたしに丸投げしてきます。

「もう一度こちらまで足を運んでいただくのも手間でしょう。」

 なんてお客さんを丸めこんで、わたしの店を受け取り先に指定するのです。

「『ルガード武器商会』で作りました、どうぞお納めください。」

 そんな感じでわたしものっかってんのもなんですが。間違ってはいません。家出はしたけど、けっして破門はされてないから、わたしも商会の一員ではあります。


「定期巡回。前回の納品どうなったかな、って親方が気にしてたから。」

「まだ取りに来てない。あっちにある。」

 壁際にずらりと並べられた件の束を指差します。本社の品質チェックみたいなもんですね。

「んー、スプねぇ、少し荒れてる?」

「マジか!」

 幼馴染の一言にテーブルから跳ね起きました。


「あ、いやいや品質に問題ないとは思うけど。どーせ、これの依頼人の鑑定ってザルだし。商会に報告するレベルではないんだけどね。」

 あからさまに安堵の溜息をついてしまいました。

 感情やとりまく状況で仕事に支障をきたすようでは、職人として失格です。それくらいのプライドはわたしだって持ってます。

 にしても一目見てわかるレベルなのでしょうか。

 思考が伝わってしまいました。自慢げに胸を張られました。

「ずっと隣で見てたんだから、オレっちにはわかっちゃうのさ。」

「あっそ。

 でも、たぶん当たり。雑にはやってるつもりはないけど集中はしてなかったかな。」

 素直に認めました。

「スプねぇにしてはめずらしいね。」


 どっちが?

 仕事が雑になったこと?

 それとも素直に非を認めたこと?


 幼馴染の彼は数ヶ月だけ先に産まれただけのわたしをアネキ扱いします。それは高校生になったわたしに対しても同じなようです。

 あっちはバリバリな社会人一直線だと風の噂で、いや実家からのリークで聞きました。そのまま職人一本で工房に入るんだって。

 一気にレベルアップするだろうな。

 そしたら、アネキ扱いされることもないんだろうな。

 ちょっとだけ嫉妬してしまいます。


「迷ってる。」

 正直に言葉にしました。

「まだひきずってんの?」

 実家を逃げた決定的な理由を彼だけが知ってます。


 他の方々は修行の旅と思ってます。修行だなんて片腹痛いです。そんな思いも知っています。だからこそ本音で話せるんです。

 わたしの愚痴を毎回聞かされるのにも辟易しているだろうに、こうやって実家とわたしをつなぎ、仕事しろってケツを叩いてくれる存在は貴重でした。


「はじめてわたしに依頼がきた。」

 言葉が足りないのはよくわかってるから、そんな表情をするんじゃない。

 なかなか明確な表情を見せてくれます。

「ル・ガード武器商会のわたしじゃなく、スパイア・ル・ガードのわたしに武器を作ってほしいって言われた。」

 納得って表情になりました。で、また眉間にしわができました。

 まだ疑問をお持ちですか?

 イヤミっぽくなりそうなので声には出しません。


「で、受けた。」

 断定?

 実際当たりです。

「まぁね。

 顧客情報保護の観点からお話しすることはできませんが。」

 彼の心配げな表情をつっぱねました。

「しばらく仕事まわさないほうがいい?」

「うーん…うん。そう伝えてくださいな。」

 わたしの返答に躊躇うような、でも絡みたそうな表情をしました。見慣れたような、初見のような表情です。


 大人の顔するようになったなぁ。

 なんて他人事のように見つめてしまいました。がむしゃらに自分を押し通していた幼馴染も成長しているようです。


「あ、そういえばミアロートってヒト知ってる?

 もしくはモリアさんって顧客リストに見たことがある?」

「珍しいね。顧客リストなんて気にしたの初めてじゃない?」

 でしたかね。

「たぶんおんなじ質問だから、おんなじヒトがここに来たってことなんだろうけど。」

「あ、そうなんだ。」

 なるほど。ホントにヒト捜しのようです。

「たしか、スプねぇが実家から持ち出した本の中に『英雄伝説』の本なかったっけ?

 俺も調べたくてその本探したんだけど、スプねぇが持ってっちゃったの思い出して。今日来たのはそれも理由。」


 そんな本もってきたっけかな?

 首を傾げながらも居住部屋のほうに二人で行って、本棚と開けてないダンボールを漁ってみました。

「これこれ。」

 それはそれはよろしかったですね。部屋がメチャクチャになりましたけど。今晩布団を敷くスペースをなくしてまで見つけたんですから、充分に活用してください。がっくりと肩を落とすわたしを尻目に幼馴染の彼は存分にはしゃいでいます。


「で、結局ミアロートって誰なん?」

「え?

 スプねぇ知らんの?

 メッチャ有名人じゃん。」

「あ、モリア・ミアロートさんね。でも、それってずいぶん昔に活躍したヒトじゃないスか。

 それとも、一族の同姓同名の方を捜してんでしょうか、あのヒト。」

 と数日前の記憶を探りました。

「いや。モリアってミアロートは一人だけだよ。」

 彼の読んでいる『英雄伝説』の本には昔話が書いてあります。その家系図を見たところで、モリアさんとやらが一人と確定させるのは暴挙だと思います。

「ここに来る前に市立図書館で家系図見てきたんだけど、一人しかいなかったんだよ。」

 ずいぶんとまぁ、熱心に調べてますな。

「だったらそこで『英雄伝説』も探せばよかったんじゃない?」

「貸し出し中だったの。」

 そうですか。じゃあ仕方ないです。でも、わたし夕ご飯の支度をしなければならないんですが。


「もしかしてあなたの分も夕ご飯を作れって言うの?」

「いや。俺がこっちにきた理由はもう一つ。」

 あぁ、その満面の笑みで予想がつきました。べつに教えてくんなくてもいいです。

「彼女に逢いにきたの。」

 ばーか。言わなくていいっての。少しは空気読みやがれ。

 悪態つくのは心の中のみ。

「これ借りてくね。」

 なんて部屋から出ていった幼馴染の背中は、見知らぬものになりかけていました。


「およ?」

 偶然でした。

 『ルガード武器商会』からの来訪者が記憶の奥底に沈んだ情報を引きずりだしてくれました。というか、記憶ではなくダンボールの奥底から引きずりだしてくれました。


 実家から持ち出した数冊の本の中に『もりのどうわ』って児童書があったのです。

 その中に『つれさりようせいのはなし』の話があり、それにチェンジリングという単語を見つけました。子どもでもわかる単語しか使われない児童書としては、らしくない題名と項目だから目に留まったのです。

 自分でも何でこんな本を持ち出したのか覚えてないのですが、


「ぐっじょぶ。」

 と独り親指をたててほくそ笑んでしまいました。

 それはヒューマン族の赤ん坊と妖精族の子どもが取り替えられるって民話をもとにしたお話でした。



「これだ!」

 と勝手に当たりをつけてから高校に入って初めての図書館通いをはじめました。いや、人生初の図書館通いです。

 とりあえず市立図書館は後にしましょう。あまり文字を読むのは得意じゃありません。


 半透明な緑青色の鉱物をででんとテーブルに置いて、一心不乱にオカルトチックな書物を読み漁る女子高生。


 そりゃまあ、引かれるよなぁ。

 チラチラと他の学生たちがこっちを見てます。いやでも周辺視野に入り込む周囲の景色を極力気にしないようにしてるんだけど、どうしても陰口が耳に入ってきて集中が途切れてしまいます。

 たまにあからさまに「コワっ」とか「キモっ」ってからかう声が頭上から降ってきてるのもまだ割り切れないでいました。

 本性を出さなければトモダチになれたかもしれないな。

 学校でも孤立しないかもしれないな。

 なんて嘆息しました。


 実家で武器作製の補助をしてた小中学校のころのあだ名はまんま「殺人鬼」でした。

 誰のことも傷つけたことはないんだけど、なんてのは言い訳にもなるはずもなく、しだいに学校に居場所がなくなりました。

 過去のイタイ記憶です。


 その反省をもとに高校では本性を出さないつもりだったんです。

 少なくとも「武器オタク」ってからかわれる程度で終わるように無難なニンゲン関係を築くつもりだったんです。


 どうせ、お嬢ちゃまとお坊ちゃまの高校だ。武器なんて無縁だろう。

 ル・ガードのファミリーネームだって王国北部の一般人にとって馴染みがないものと見込んでました。ヴィクセン家だったり、ウェイテラ家だったり、神殿関係者の家柄が憧れのファミリーネームだから。

 成績上位の天才が裏でサバイバルナイフだのバタフライナイフだのチラつかせてカツアゲしてたって、わたしの知ったこっちゃない。

 国王杯を目指す格闘技関係の部活が、実は下級生イジメと体罰の温床だからって、なんら関係ないし、興味もありません。


 希薄なニンゲン関係を渇望して選んだ街であり、高校だったんです。


 はずだったんです。


 やってしまった感が満載ですが、もうあとには引けません。

「スパイアってずいぶんマニアックな本、読むんだな。」

 とつぜん頭上からヒトの声がしました。初め自分が話しかけられているとは思ってませんでした。きちんと名前呼んでくれてんじゃん。なんて自分ツッコミを入れてしまうくらい。


 マジか。

 めっちゃジャマ。


 のどに棘がひっかりそうな感情を、必死の思いで飲み込みました。

「あ、バレちゃいましたか。いやいやお恥ずかしいです。」

 メガネを外してそのヒトを見上げました。

 ど近眼のわたしはとうぜん視界がぼやけてます。とりあえず声の感じは男性。スーツではなさそうだから生徒なのでしょう。わたしの名前を知ってるということはクラスメイトかもしれません。

「おぉ、メガネをとったところはじめて見たよ。」

 教室では取らないな、たしかに。誰とも絡んでないから、メガネをはずす理由がないからです。


 メガネは便利。

 わたしはけっして遠視ではない。乱視でもないし、あたりまえだけど老眼でもない。極度の近眼。街中なんかでもたまにメガネなしで歩いてみたりする。ぶつかる。つまづく。

 それでも外すのは理由があります。


 理由。

 それは、ぼやけた色だけの世界に逃避できるからです。

 体も心も曖昧模糊とした世界は、唯一わたしが安心して接することができる世界だからです。

 いつの間にやら、わたしにとって緊張せずに声を発するためには必要な儀式となっていました。


「そうですか?

 これはまたお見苦しいものを見せてしまいました。」


 敬語も便利。

 慇懃無礼なんて言葉もあるけど、実際に無礼は働いてないから外面は好印象をもたれます。かつ、深入りされない距離感を保ちつつヒトと接することができるからです。


 どこまでいっても、いつまでたっても他人事。

 だから、わたしはキズつくことがない。


 窓の外がキラキラと輝いてます。

 そうそう。ぼやけた景色に映る光は妙におっきく輝く。ホントは丸い光なのに先っぽがとがった十字架みたいに視えるんです。それがまたきれいなんですよ。

 この輝きは視力がめいっぱい落ちないことには出会えない光景なんです。


「えっと…」

 なにか話しかけようとがんばっているようです。

 きっと罰ゲームかなんかなんだろうな。賭けに負けたんだから、あいつに話しかけてこいよ、みたいな。クラスで浮いてる女子へのいやがらせってやつですね。実際、教室で話しかけてきた中には、こんな声のヒトはいなかったはずです。

「あ、もしかして読みたい本、こんなかにありました?」

「い、いやとくにそういうわけじゃないんだ。本はあまり読まないから。」

 だろうね。

「そうなんですね。

 わかりました。図書室が涼しいからって教室から逃げてきましたね。」

「まぁ、そんなとこ。」

 なんとも気の利かない捨て台詞を残して、そのヒトは立ち去りました。


 季節は春から夏へ。

 あと一ヶ月我慢すれば学校という空間から逃れられます。

 それまでにはエスさんの依頼をこなさなければなりません。クラスの男子の興味本位なんて気にしてるヒマはないんです。

 色の中に溶けてく後姿をニコニコ顔で見送ってから、わたしはメガネをかけなおしました。急に輪郭を取り戻した世界に眩暈と偏頭痛を覚えます。               

「集中しろ。」

 小さく自分に言い聞かせ、緑青の鉱物をじっと見つめます。


 フローライトと呼ばれるその鉱物は交錯する感情を落ち着かせてくれる効果があるといわれてます。思考を整理し、情報分析力があがるって。


 んなわけないじゃん!

 と鼻で笑いとばすもう一人の自分を強引に排除しました。

 石がトモダチって笑えない?

 とバカにする周囲の悪意を強引にシャットアウトしました。



 次の日。

 図書室での男の子との会話が噂されてたのでしょう。遠巻きに取り囲む周囲の視線がイタいです。鉄の処女って称される拷問具なみに。

 学校って名の女性像の内側に無数に植えられた悪意の視線という棘が、なぶるようにわたしを傷つけます。


 自意識過剰。被害妄想。そんな言葉で覆い隠された陰口は、イジメ被害に該当しないんです、きっと。


 というわけで、今日も図書室通いです。

 今日こそは集中してと気合を入れなおした矢先、

「スパイア君はずいぶんマニアックな本を読むんだね。」

 と声をかけられました。

 またか。

 小さく吐息を洩らしてしまいます。


 先日とは違う男性の声です。やや間のびした口調に、少なくともからかう意思は感じられません。ほっと胸をなでおろす自分がいます。

 会話を楽しむ気はないんですけど。

 なので、今日も受け答えのためにメガネをとろうとしたのですが、その手を止めました。わたしに話しかけてきた男のヒトが、積みあがった本の山から一冊抜きだしてパラパラとページをめくり始めたからです。


 書名は『妖精稀譚』ってのです。書棚に並んでる意味があるのかと思うくらい、貸出者シートには名前が書かれていなかった本です。


 そりゃまぁ、わたしという存在も、妖精族レベルでレアな存在なんでしょうけど、ほっといてほしいです。

 内心イラッとしました。それでもなんとか口角をニコリと形づくります。緑青の鉱物をじっと見つめて気持ちを落ち着けます。


「授業のレポートかな?」

 問いかけに小さく否定してから、もう一回嘆息しました。しばらく解放してくれなそうです。

 メガネのレンズ越し、上目づかいにおずおずと目線を上げると、学校指定の制服ではなく背広姿の男性でした。

 慌てて、できるかぎり自然にテーブルの上のフローライトをポケットに回収しました。学校は授業と関係ないものをもってきちゃならないって、いつぞや担任にお叱りを受けたばかりです。


「あ、先生でしたか。」

 チラ見して確認します。男性の名前は、たしか…ハバムート先生だったはず。歴史学の臨時講師だか、新任教員だか、忘れちゃいましたが、今年から先生になったヒトです。

 言動から察するに、気弱などっかのおぼっちゃん。生徒に苛められるか、シカトされるかで、授業が崩壊する光景が脳裏に浮かんでしまうような印象を受けます。

 もちろんそれは勝手な妄想です。イライラしてるんでそれくらい許してください。


 にしても、なんでわざわさ話しかけてきたのでしょう。

 ほぼ絡んだことがないのですが…


 って戸惑いをよそに先生はさらにわたしを問い詰めてきました。

「なるほど。妖精界に興味をもってるんだね。

 妖精族に知り合いでもいるの?」

 首を横にふりました。

 まぁ、実際はいますけど、口にはしません。あまりいい顔されないから。


 数十年前、わたしが生まれるちょっと前までは、妖精族がヒューマン族の社会に進出していた時代もありました。喫茶店とかで、普通に隣の席でお茶を飲んでる感じで、とても近い存在だったそうです。

 いつからか、世界は切り離されたそうです。


 だから、知り合いの名を口にはしません。

「少し調べ物をしていまして。」

「なるほど。

 で、見つかったのかい?」

 穏やかに微笑まれました。

 どうしよう。正直に言うべきだろうか。

 迷います。イライラの原因は決して周囲に邪魔されることではないのです。


 わたしは途方にくれてました。五里霧中ってのはこういうのを言うんでしょう。

 取り替え子というキーワードは手にしたものの、全くもって参考文献が見当たらないんです。高校の図書室にあった『オカルト事典』にちょっと載ってたくらい。

 わたしの前には十冊前後の書籍タワーが三本ほどそびえ立ってます。それだけ調べても全容解明なんて霧の向こう側でした。

 そもそも高校レベルの開架図書の中に詳細な解説書があるわけがないんです。

 そのことに気づくのが遅すぎます。

 書棚の題名をいくつか斜め読みしただけでわかっていたはずです。妖精についてなんて授業でやらないもの。

 妖精族なんて、ときおり王国史の中で民族紛争に絡んでくる程度。ヒューマン族の選民思想の強烈なこの王国で、異界種の民族部族について語られることは皆無だ、ってのも授業を受けてるうちに理解していました。王国の住民たちは、妖精族なんて存在しなくていいと思っているに違いない。


 ポケットの中の鉱石をギュッと握りしめました。

 お石さまどうか力をください。

「ハバムート先生。取り替え子ってなんだかわかりますか?」

 わたしは藁にもすがる思いで先生に訊いてみました。上目づかいに視る眼鏡のフレームの境界線。くっきりと見える机とぼやけて視える先生。

 案の定、先生は訝しげにこっちに顔を向けてます。


「そんな夢物語にうつつを抜かしてるヒマがあったら、単語の一つでも覚えなさい!」


 そう咎められるかとビクビクしました。すぐには答えてくれませんでした。おずおずと目線を上へと向けました。くっきりしていく先生のスーツ。口元に浮かぶ笑み。

 ゆっくりと唇が動き出しました。

「取り替え子かぁ…

 だから妖精界関係の本が並んでるんだね。」

 予想外に穏やかな声です。

「知ってるよ。専門じゃないから詳しくないけど。」

「知ってるんですか?」

 思わず声が大きくなって、図書室にいた他のヒトたちに迷惑そうに睨まれてしまいました。首をすくめて、再度うつむいたわたしに先生が声をかけてくれます。


「そんなビクビクしなくても大丈夫だよ。

 ボクは怒らないから。」

 見透かされました。お見事。今日初めて、先生をまともに凝視します。

「ただ、図書室だし、静かにしようね。」

 やっぱり先生ですね。ちょっとだけ見直しました。さっきまで心の中で散々けなしておいてなんですが、今は神々しく見えます。

「ついておいで。」

「へ?」

 とつぜんのお誘いに反応しきれません。


 あれですか?

 教授が「単位をあげるから」って言って、交際を迫るっていう…そりゃないか。


「ここだけじゃ情報量が足りないんでしょ?

 だったらついてきなさい。いいとこ紹介するから。」

 不審に感じながらも、席を立ちました。


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