珊瑚
珊瑚
「殺したいのは母親だ。」
憂鬱になることを追加してくれました。
決意ってのは簡単に揺れ動くもんだなって、ホント思い知ります。
歌を聴いた、それを思い出したわたしは変わりました。でも、変わったつもりになっていただけだったみたいです。
いろんなものを割り切ったつもりだったのですが、やっぱり目の前に突きつけられると戸惑うのです。
そして、そこから逃げ出したくなるのです。
「殺す。」
って言葉から。
ちょうど一時間くらい前の出来事です。
ミアロートって少女の歌の音源を探し出すのに東奔西走して、ようやく自分ちで一息ついたあと、工房にこもりました。
幸い、春休みの出来事でシュフォラスオーナーがわたしを見捨てることはありませんでした。
むしろ納品を増やされました。
だから、メジャーデビューしてもいないストリートミュージシャンの曲なんて探しているヒマなんてホントはなかったんですけど、どうしてももう一度聴きたかったんです。
そうしないと仕事に集中できなかったから。
〔珊瑚色〕ヴォーカル:シータス・ミアロート。
それがあの曲でした。あらためて聴いたら、すごく優しい曲でした。
「永い刻を経てでも、いつか優しく美しくあなたの傍に~」
いつもは聴覚保護のためのヘッドフォン。今日だけは大音量で聴きながら、ヘタクソに口ずさんでいました。
「薄桃色に染まる頬を撫ぜる~」
片頭痛起こしそうな甲高い金属音も、ヘッドフォンごし、かつリズムに乗ってみれば、なんだかバックバンドの一員になったみたいでうれしくなります。
キーン、キーン!
ゴンゴンゴン!
カーン、カーン!
ゴンゴンゴン!
最高のリズム。
…ん?
ゴンゴンゴン?
独りジコマンに浸ってたってのに、とつぜん扉が叩かれました。
いや、叩かれてました。かなり激しく、わたしの耳までよく届いていたのですが、リズム隊のひとつかと無視してしまってました。
「は、はーい!」
邪魔するな!
って舌打ちしたい気持ちをぐっと抑えて歌を止めました。音楽を止めて、ヘッドフォン外して。
たぶん何度もノックしてたんだと思われます。また、激しく叩かれました。
「だれかいないのか!」
男性の声は、近所迷惑なくらいに大きなものでした。近所迷惑になるほど近くに家がないのが幸いです。
それいっちゃったら、打鉄の音のほうがうるさいか。
苦笑まじりに扉を開けました。
「マジか。」
そのヒトを前にして、とっても失礼な一言を放ってしまいました。
それだけ驚きだったのです。
玄関を開けた先には、エスさんが立っていました。
思わず洩れてしまった本音を飲み込んだけど、飲み込んだつもりで相手方に届いてしまいました。
せめてもの救いは「マジか」の後の「なんでここにおるねん」ってツッコミは飲み込めたことくらいです。
やっちゃった…
なのに、エスさんはクスクスと笑いだしました。それでようやく自分を取り戻せました。やっちゃた感だけは取り戻せませんでした。
「あ、あの、いらっしゃいませ。」
慌てて頭を下げました。九〇度以上下げた頭からゴーグルつきヘルメットが転がり落ちていきます。
「あわわ。」
コロコロと転がっていく半球をトタトタと追いかけました。
それがなかなかもって滑稽だったらしく、とうとうエスさんはおなかを抱えて笑いだします。
自分のせいなのにちょっとムカつきます。
感情を表に出さなかったのは我慢したからではありません。驚きやら自己嫌悪やら戸惑いやらって感情がグルグルグルグルしてたからです。
「あ、あの、今日は、ど、どんなごよーで、ご用件でしょうきゃ?」
ほら見事しどろもどろです。マスクレスの店で一回会っているはずなのにまったくもって緊張が解けません。
ミアロートさんにも言われましたが、わたしはヒトと話すのが苦手です。変なしゃべり方になります。
エスさんと会ったマスクレスの店では、オーナーが隣についていてくれるからまともにしゃべれるんです。困ればフォローを入れてもらえる安心感があります。
実家でも同じです。
でも、こうして独りきりだと話し方ってやつを忘れてしまうのです。
わたわたと手のひらを宙に彷徨わせたり、クルクルと指と指をまわしてみたり。目線も泳ぐし、耳もキーンとなるし。
いやぁ、我ながら不審者だわ。
斜め四五度から眺めるもう一人の自分の目線が怖いです。客観的に視ると、ホントにわたしってヒト慣れできないなとイヤんなります。
この客観視線のわたしと、今こうしてしゃべってるわたしが入れ替わってくれないかな、と願います。
もちろんそれができれば、今頃饒舌な自分がきちんと接客して、顧客満足度ナンバーワンの武器店になってるんでしょうけど。
エスさんは幸いまったく気にしてないようです。
「驚かせてしまったな。とつぜんの訪問すまなかった。」
そう言って周囲に視線をめぐらせてます。
「ここがキミの工房かい?」
「は、はい。」
消え入るような声にエスさんの顔は苦笑へと変わりました。
「いや、正直言うと、今度こそキミの父親に会えると思ってたんだ。」
無理だし。
基本的にこの街は学生の街だし。ウチの父がこんなキャピキャピした若者の街に工房を構えるなんてありえないし。ってか、立ち寄りもしないし。
だから、わたしはこの街に工房を構えたんですよ。
「す、すみません。あ、なので、また勘違いされるかもしれないので、父の工房がある場所教えます。」
ダッシュ。
工房とは逆の自分の住まいのほうへと。そして、地図を一枚持ってきました。
「これは?」
「地図です。」
エスさんが不思議そうにわたしの手許を覗き込みます。
すごくスマートな横顔がすごく近いです。肌がまるで〔珊瑚色〕で歌われてる「薄桃色に染まる頬」のようです。職人さんの火焼け、日焼けじゃなく火焼けした横顔とはまるで違う人種に見えました。
あ、でも、やっぱ日焼けしてました。なるほど、外回りもちゃんとしている騎士様なんですね。
「で、どうやって使うんだ?」
我に返りました。
「え、えっと、これは…」
地図といってもこれだけでは、枠線と地図記号が枠の外にずらりと並べられたほぼ白紙状態の一枚のペラ紙です。枠外の上部にもう一つ長方形の小さな枠があります。通常題名が記されているだろう小枠にも今はなにも書かれていません。
題名枠にタッチ。で、そこに【ネクロメア市】と表示させます。
「おぉ!」
感嘆の声が上がりました。騎士団も戦場を把握する際に使用されているはずです。でも、まだ下級騎士なのでしょう。エスさんは見たことないようです。
べつにわたしの手柄でもないのに、自慢げに胸をそらしてしまって、また我に返り縮こまります。
「え、えっと、ごぞん、じかとは思われ、て、てるのですが、ローム・トリアール王国南部の港町、ラコ…じゃなくネクロメアの地図です。」
「すごいな。行ったことはないから、本物なのかは認識しかねるが。」
信用しないのですか?
ムッと口を尖らせてしまう。やっぱりすぐに反省します。
「で、この街がどうした?」
気づいてるはずなのに、エスさんはそれを見過ごしてくれました。この辺はわたしがコドモで、エスさんがオトナです。
枠の外に並んだ地図記号の中から、ショップを示す記号部分に触れます。するとそこから地図上に文字情報が提示されます。
そこから武器店をタッチ。すると数多に表示された赤い点がほぼ消えました。つらつらと道路をたどって場所を確定してから地図を拡大。
地図の中心にある赤点を触れると
「ここです。ネ、ネクロメアの裏町?
と、とにかく、わ、わたしの父のお店です。」
赤店から矢印が伸びて『ルガード武器商会』と連絡先が示されました。
これは魔道具です。
魔道具名はまんま『地図』。〈自動地図作製〉魔法を応用して『ソマルリア図書館』の閲覧可能領域に登録されている場所を、特定の魔道具に映し出すのが主たる目的となっているのです。
簡単に説明しました。
「なるほど。すごいな。」
もう一度賞賛してくれました。
「で?」
「で?」
わたしは「で?」の意図がわからず、マヌケ顔でエスさんを見つめてしまいました。
「あ、すまない。もしかしてキミはお父さんの店を紹介してくれたのかい?」
いや、まんまでしょ。
「です。
あ、で、でも、パ、じゃない父がいるとは、かぎりません。無駄足になったら、や、やっぱりご迷惑になる、のですが。
あ、でも、そこの職人さんたち、はぜったい腕がたしかです。」
エスさんが嘲るように笑いました。嘲るように、はわたしの被害妄想かもしれません。
「そうか。でも、そうだよな。たしかにまた勘違いしてたのも事実だ。」
安堵のため息をつきました。ため息あまりに大きかったもんだから、彼に聞こえてしまったらしいです。また笑われました。
わたしも曖昧に笑顔を浮かべました。
職人としてプライドがないのか!
とまた誰かに怒鳴られそうです。実家でさんざん怒鳴られました。
曖昧な笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと顔を伏せました。
またです。また戻ってしまいました。
同い年の少女の歌に励まされて、精力的に仕事に向かい、実家やオーナーをびっくりさせるくらい劇的変化を見せていたわたしが、また数日前の過去の自分に戻ってしまいました。
覚悟がない。
ネクロメアの職人さんたちに幾度となく言われ続けた言葉です。
父の後を継いで『ルガード武器商会』を実質的に支えているのは職人さんたちです。王国騎士が使うものはマスクレス市の、もしくは王国ご用達の武器屋が作製します。だから『ルガード武器商会』が扱うのはあくまでフリーの、たとえば傭兵団らが使うものがほとんどです。
とうぜん、傭兵は騎士より死と隣り合わせの仕事です。
騎士はどちらかといえば、有時のさいにのみ戦うのであって、戦争がおこらぬかぎりは訓練です。ともすれば、ナニモノも殺さぬまま、もちろん自分の命を危険にさらさぬまま、一生を過ごす騎士だっています。
しかし、傭兵は自ら死地へと向かいます。ダレか、もしくはナニかを殺すために武器をとるのです。
わたしには堪えられませんでした。
わたしの打った刀剣が折れれば使用者が死ぬ。
わたしの打った刀剣が折れなければ相手が死ぬ。
その単純明快な事実に耐え切れなかったんです。
だから、わたしはこの街に逃げてきました。
そう。逃げてきたんです。
わたしの浮かべる曖昧な笑顔は、単純明快な事実を受け入れられないくせに、それにしか生きる術を見出せないわたし自身への嘲り以外のナニモノでもありません。否定するものにすがる、っていう矛盾した思考です。
わたしはうずく痛みをこらえつつ、相好を崩さずエスさんに伝えます。
「た、たぶん、すぐわかると思います。
なんでしたら、ご迷惑でなかったら、あ、お時間があるのでしたら、かな…この地図打ち出します。」
驚かれました。
この『地図』の機能は、使いこなせればとっても便利なんです。表示された情報をコピーして他のヒトへ渡すことができます。今回はやってませんが、現在地からのルート作製や到達方法、時間、駅馬車を利用した際の料金まで表示できるんです。
つくづく自分がイヤになります。魔道具にすら嫉妬します。
なんでこんな迷いなく自分の能力をひけらすことができるのですか?
「キミが商会で働いていると思っていた。」
「はぁ…はぁ?」
返答に戸惑います。なんでか会話が成り立たちません。そう思ってんのはわたしだけでしょうか。
「そういうわけではないのだな。
だったら、向うに話を通す必要はないのだろ?」
「はぁ、まぁ…」
わたしが向うに話をつけろってことだったんでしょうか。それを自分でやるからってこと…かな…だったら、話を通す必要がないというのはなんで?
わたしの理解力に問題がある?
やっぱり返答に戸惑います。
「なにかおかしいか?
私はスパイア・ル・ガードに武器作製の依頼をしたい。そう言ってる。あのときだってそう言っただろ?」
あの時?
あの時とはとうぜんマスクレスでの話なのでしょう。その時以外会った記憶はありません。必死に回想してみます。
わたしに依頼した、ですか?
父にではなくてですか?
「でも、キミも武器を作るんだろ?
だったら、やっぱりキミに依頼する。わたしのために武器を用意してほしい。キミの言い値でいいから。」
言った。たしかに言いました。
とたん、冷や汗がドバっと流れ落ちました。
「い、言われまし、た。き、聞きました。
で、でも、でも…」
でも、その後に「ムリ言ってすまなかったな。」と締めたはずです。
「急がない。学校があるんだろ?
しかもこの街に住んでいる以上学業をそっちのけして、無理強いはできないからな。
そっちを優先して構わないから私のために剣を用意してほしい。」
ムリ言ってのムリって、そっち?
エスさんの「ムリ」ってのはあくまで時間的な制限だったようです。わたしは能力的な制限で諦めたんだと思い込んでました。でなければ、期待していた「ル・ガード」ではないことにがっかりされたんだと。
エスさんをじっと見つめました。
真正面から、こんなにヒトを観察したのは初めてです。むしろヒトときちんと向かい合ったことすら記憶にありません。
陰からストーカーのように観察して、独自に分析するのは得意です。そのヒトの能力やらなにやら、自分の能力やらなにやら、それならば的中率八割です。
客観視することと、そのヒトと向き合うことは違う。
ヒトは数値化することはできないんだ。数値はどこまで突き詰めたところで一部。斜め四五度の景色は、あくまでいち方向からの景色であり、そのヒト、そのモノの本質ではない。
感情任せに外に放たれた言葉だって、真摯に伝えられた言葉だって、そう。正面から向き合ったヒト、コトですら全体ではない。
今さらながら気づかされました。
「まいりました。」
「何が?」
「いえ、すいません。独り言です。」
気づかされました。自覚させられました。そして、結論を出しました。
断ろう…
自分なりに精一杯考えた結果です。脳内で自分会議をきちんと行いました。だからこそ強く思いました。
わたしには、エスさんの過去も現在も未来も理解する資格はない。
エスさんは本気です。本気でダレかもしくはナニかを殺すのでしょう。わたしみたいな若輩者、半端者が打った剣を持たせるわけにはいかないのです。
どう断ればいい?
なんでわたしに頼みたいのかは想像もつきません。それでも依頼するからにはそれなりに考えた結果なのでしょう。それだけに断り方に迷います。
断るのが前提なの?
どこかで声が聞こえました。
貴女は武器職人じゃないの?
また、心に訴えてきました。結論は出てんです。これ以上惑わせないでください。
せっかく真正面からヒトを見ることができたのに、自然と目線が下がっていきます。見慣れた風景が目の前に迫ってきます。
だって…
いつでも床がわたしのトモダチなんです。こんなわたしなんです。
だったらなぜ、こんなわたしが武器を作るんだ?
「ありがと」
なぜだろう。あのときの少女の笑顔が浮かんできました。
わたしは彼女の笑顔を見逃したと思ってます。だから、これは幻想なのかもしれません。美化された主観でしかないかもしれません。
それでも歌を聴かせてくれた少女は、満面の笑みで「ありがとう」と答えてくれました。
嬉しかったんだと思います。
あの歌が本人のことを歌ったのだとしたら、彼女も迷走しまくったんです。で、そのことを他のヒトに歌という形で伝えたら、わたしの心を動かしたんです。
だから嬉しかったんだと思います。
だったら…
わたしはキュっと唇を結びました。きつく握り締めたこぶしの中には珊瑚の欠片がありました。
もう習性になってます。工房で誰かと話をするとき、わたしの手にはなにかしら鉱物の類が握られています。
鉱物は魔法付与の触媒として使用されるから、たいてい何かかにか転がっています。だから、つい手遊びするクセがつきました。そして、その手遊びがわたしのとりとめない思考をまとめる手助けしてくれることに気づいたとき、まずそれらを持つことにしたんです。
皮肉なもんです。
今回は、コーラル。海底で自然形成される珊瑚の欠片です。
コーラルの魔術的効果は内的変換。たとえば呪いのアイテムとひとくくりにされる武器に付与された魔法を変質させたりに使用されます。悪意ある魔法効果を善意あるものにしてみたり。
わたしも変われって叱咤されてるみたい。
エスさんをもう一度見つめ直しました。エスさんはあいかわらず笑顔を浮かべてます。断られるなんて露ほども疑っていないみたいです。
「…わかりました。」
「お?」
「打ちます!」
わたしは声高に宣言した。
エスさんが驚いてます。断らないと信じてるようでしたから、わたしの大音声に驚いたのだと思われます。
「ありがとう。」
彼の言葉に今度こそ覚悟を決めました。
わたしはエスさんを工房から住まいにしてる小屋のほうへと誘いました。
温度を一定に保たなければならないし、窓を開けるといろんなモノが逃げるので、工房の居住環境は最悪です。
そんなとこにいつまでも居させるわけにいかないからと考えたからだったんですが、
「ここでいい。」
と彼は工房から出ようとしませんでした。
理由はさておき、しかたないので飲み物だけ持ってきて酷暑の中お話を聞くことにしました。
エスさんのお話をかいつまんでまとめたところこういうことでした。
エスさんには妹がいる。
その妹がどうもジンガイ、つまりはヒューマン族ではないのではないかと疑われる。
まず容姿。青白く輝く瞳と吸血鬼ほどではないにせよヒューマン族と思えないくらい伸びた犬歯。エスさんはもちろん両親もそんな外見的特長はない。それだけなら特別変異と押し通して、瞳の色を隠して、伸びた犬歯を削ったって構わないだろう。
エスさん自身もそう思っていたみたいです。
しかし、話はそこで終わりませんでした。
先日ある事情でエスさんは妹さんと出かけたときのこと。不幸にも賊に襲われた。妹さんを守りながらでは、王国騎士の実力をもってしても逃げ切るのは困難。
追い詰められた彼らは最期を覚悟したそうです。
「なのにだぞ!」
語るエスさんの口調が荒くなります。そのあらわな怒りの感情にわたしが悪いわけでないのに首をすくませてしまいました。
二人は無事だったそうです。
よかったですね。そう答えようと思っていたのに、先にエスさんに話を続けられてしまいました。
「代わりに賊は全員灰となった。」
よくないですね。
青白い炎に包まれていたのだそうです。
炎が青白くなるのは熱温度が超高温になるか、周囲に不完全燃焼を起こさないくらいの可燃物があるときです。鍛冶をしてると絶対に必要な質の炎ですが、一般的な場面でそんな炎を見ることは稀です。調理用の炎は当然のこと。攻撃魔法の〈炎球〉だってオレンジ色です。
「それってホントに妹さんがやったのですか?」
大きく息をつくエスさんに問いかけました。
「俺だって信じたくなかったさ。妹があのとき見せた表情も、本当は恐怖に歪んだ顔が炎の熱で蜃気楼みたいに揺らめいて偶然そう見えたのだろう。そう自分に言い聞かせてもみた。
しかし、真実だ。妹は悪魔だった。
産まれたときはごく普通の赤ん坊だったのに…」
エスさんは苦しげに呻くように言いました。
客観部分のわたしが演算を始めてます。わたしの内部の感情にけっして惑わされない、言うならば、独立組織です。
「対魔族武器…ですかねぇ。何点かありますけど、その娘の正体がわからないと難しいですね。
琥珀じゃ弱いから、紫水晶…いや黒曜石のほうがいいかも…」
完全に自分の世界に入ってました。お客さんであるはずのエスさんがおいてけぼりにされてます。
「すまん。説明が不足していた。」
演算が中断しました。条件の変更があります。と告げられたからではないです。エスさんの存在を思い出し、ボッと顔が赤くなってしまいました。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、いいんだ。
それで話の続きなんだが、私が殺したいのは妹じゃない。たとえ悪魔だったとしても彼女は私の唯一無二の妹であることには変わりはない。」
どういうこと?
わたしの疑問を察して放たれたセリフに時が凍りつく。
「殺したいのは母親だ。」
これがわたしを憂鬱にした過程です。それでもわたしの覚悟はすんでのところで踏みとどまってくれました。
「親殺しは禁忌ですが…」
そういう問題ではありません。
じゃあ魔物だったら喜んで刃物を渡すのか、とエスさんに問われれば「はい、喜んで」とは答えないでしょう。
だとしても、けっして差別するつもりはありませんが、同属しかも直系親族殺しよりマシです。妹さんには悪いのですが、おそらくヒューマン族ではないだろう存在を殺すことに、ホッと胸をなでおろしていたんです。
それが母親とは。
「何トチ狂ってんだ。
そんな顔だな。」
なんとも言えません。
「責められても仕方がないことだよ。自分でもわかってる。」
気落ちするエスさんに何を声かけよう。
武器を作ることは決心がついた。ついたけど、ついたつもりだったけど、あっさりと揺らいでいます。
「えっと…強いんですか?」
さらりと口から出てきたのは冷静な第三者的なわたし。
今そこをツッコミ入れるか!
と自分自身を責めてしまいました。
「驚かないのか?」
驚いてます。このまま全情報をシャットダウンして、殻に閉じこもってしまいたいくらい驚いてます。驚いてるし、世間一般ではありえる話だよなと思っても信じたくないお話です。
でも、それは口にはしませんでした。
「まぁ、わたしもいろいろ見てきましたから。」
なんででしょう。ウソをつきました。
納得していない。彼の言い分も、自分の感情も。全部全部納得していない。
でも、わたしはウソをつきました。
「あなたのお母さんを殺すために、わたしは剣を打ちます。」
自分でない自分が自信もって告げました。
「ありがとう。」
彼は最後にそう言って去っていきました。
それから数日経ちましたが武器を創れてはいません。
「調査業は営んでいません。」
依頼されたはいいけど、鋼の塊をじっと凝視しながら独りごちました。
安請合いして、しかもハッタリまで利かせて、わたしが初めて自分で決断した仕事なのに、すでに後悔してます。
安請合いってのは訂正します。自己弁護ですが、そこは散々迷った結果ですから。
じゃあ、今度はなにに迷っているのか。
エスさんが求めるものがわからないことです。雲を掴むようなものです。
修行してくれた職人さんたちごめんなさい。
そんな気持ちが押し寄せてきます。
与えられた情報で一体全体なにを創ればいいんでしょう。想像から創造することがこんなに困難だとは思ってませんでした。
実家にいた頃は職人さんの補助。もしくは一から作ることはあっても設計図どおりの作業でした。それはマスクレスのお店だって同様です。必要最低限の情報であれば必要最低限の能力を付与すればよかったからです。
創ると作るの差はでかい。相手方を理解しなければ創ることはムリだということを知りました。
だったら量産武器を売ればいい。残念ですがそれでは、作る職人がわたしである必要はないのでしょう。
堂々巡りの自己批判に苛まれてしまってました。
「くそぉぉぉっ!」
手足をジタバタさせて、床をのたうちまわって、雄たけびをあげました。
なんも解決はしない。
そんなことは重々承知の上のことだが、ジタバタとのたうちまわりました。
「うきゃあ!」
メガネがふっとびました。
わたしのメガネは生活の八割を支配しています。極度の近視だからメガネがないと生活が成り立たないんです。
「ヤバイ…」
だから、現在わたしは生命の危機に晒されています。
危険物だらけの工房でメガネなしなんて身動き一つ取れない。すぐ目の前にある数千度の炎ですら、灰色の塊の中の揺らめく赤色の塊にしか見えないんだから。
それだけではありません。わたしのメガネは特注です。武器職人であることを話さなければ、こんなメガネが用意されることはなかったでしょう。
耐衝撃性にすぐれ、形状記憶フレームと耐熱レンズ。紫外線や赤外線の可視不可視を切り替えられて、別媒体に繋げば、熱量や内在魔法、構成素材といった物質の情報を表示できる。
職人すげーな。
今更ながら感動しました。
バタリとその場に大の字になりました。色の境界すらぼんやりとした景色を眺めました。ぐるりと目線をめぐらせました。
かろうじて輪郭が判別できるくらいのところに、メガネと珊瑚が転がっていました。
あの時のかもしれない。エスさんと話してたときの。緋色のそれは綺麗だけど、宝石みたいには輝きません。
メガネを踏み潰してないことに安堵しました。胸をなで下ろすと同時に、耐衝撃性のメガネを下敷きにしたら、じぶんの体にめり込むだけだということを思いだしました。
生命を支えるもの、か。
「わたしは職人になれんのかな…」
悔しくて、情けなくて涙がこぼれます。