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ド・ドドドドドドドド・・・がんっ
それなりの数の使用人たちが行き交う城の一角、皇族が住まうその場所に派手な音が響き渡った。
何事かとゆるりとそちらに視線を向けようとした使用人たちは、それより先に聞こえた子どもの声とその内容に、ばっと音が聞こえるほど一斉に体ごとそちらに向き直った。
「マリエっ!!」
そして全員が、2階から続く階段の下に見えた物体の正体を否応なく理解し、例外なく血の気が引いた。
「きゃぁぁぁっ」
「姫様ぁっ!?」
「皇帝と皇妃様を呼べっ」
「それより侍女長だ!」
「いや、まずは医者だろ!?」
一瞬の静寂の後、使用人たちが騒ぎ出したのを尻目に、階段の上にいた子どもが慌ててそこを駆け下り、倒れている自分より小さな子どもに駆け寄った。
「マリエ、マリエッ」
ピクリとも動かない小さな体を一所懸命に揺する子どもに、すぐに混乱から立ち直った侍従の一人が駆け寄ってそれをやめさせる。
「いけません皇子!」
「だってマリエっ」
「動かしてはかえって危険ですっ」
階段から派手に音を立てて落ちた挙句、その先の壁に派手に激突して微動だにしない子ども。その子を起こそうとする、少し大きな子。そしてそれを止める侍従。周囲が慌しく動き回る中、まったく反応を示さない子に、皇子と呼ばれた子どもは怖くなる。
もう二度と動かないのではないか、と。
侍従に止められ手が届かなくなった子どもはしかし、マリエと呼んだ子どもから目を離せなかった。
どれだけの間そうしていたのか、実際には短い時の後。静かな、けれど良く通る声がその場に響いた。
「医師をお連れいたしました。姫のお部屋の準備を」
いつの間にそこに現れたのか、少しの隙もない雰囲気を纏う、白色が混じり始めた灰銀の髪を持つ初老の男性が、背後に彼より少し年上の白衣の人物を引き連れて佇んでいた。
「侍従長!」
彼を認めた使用人たちがほっと安堵の吐息を漏らし、彼の指示を受けた数人の侍女が部屋の準備のために早足で去る。その間に、白衣を着た医師が様子を診ようと倒れた子どもに近づく。そして現場を目撃した少なくはないその他の使用人たちは、固唾を呑んでその様子を見守っている。
「皇子」
静寂が支配した空間に、侍従長の声が通る。
それまで倒れた子どもから目を離さなかった子どもが、自分を引き離した侍従が抑えていた肩を見てわかるほどに跳ね上がらせた。
「じ・」
「何が起こったのかは後ほどお聞かせ願います。そろそろ鍛錬のお時間ですので、着替えて鍛錬場へ」
それまでの泣きそうな顔から一転、恐る恐る、怯えたように侍従長を見上げた子どもは、名を完全に呼ぶことも許されず告げられた言葉に驚き、目を瞠った。
「なんでっ」
思わず反発して発した言葉にも、侍従長である彼は淡々と続ける。
「今、皇子が姫のおそばにいてもできることは何もございません。それよりも姫が目覚めたときにおそばに居られるよう、お早く日課を終わらせるほうがよろしいかと存じます」
「でも……」
侍従長の言うことは正論で、それを今までの経験から解っている子どもは、言うとおりにしたほうがいいと理解した。けれど、感情が優先される子どもは、目の前で倒れている子どもを、自分の妹を放っていつもどおりの行動なんてできない。
その場から動けなくなってしまった子ども。周囲で見守っていた使用人たちも何も言えず、沈黙が落ちる。
しかし、その沈黙は長く続かない。
「大丈夫ですよ、皇子」
やさしい声が目の前からして、皇子はその持ち主に泣きそうな顔を向ける。それは、倒れた子どもを診ていた白衣の初老の医者だった。
彼はやさしく、落ち着かせるような声音で言う。
「診たところ呼吸はしっかりしていますし、傷や打撲はほとんどありません。後は目を覚まされてからでなければわかりませんが、頭にたんこぶがありますから、そのせいで気を失われたのでしょう。他にたいした怪我はなさっていませんから、医者の私ですら今できることはないのですよ」
だから皇子にできることがなくても仕方がないのだと、微笑んだ。
「姫のことは私どもにお任せください」
やさしいけれど有無を言わせぬ医師に、子どもはうつむき、やがて小さく頷いた。
* * *
皇子が後ろ髪を引かれながらも鍛錬のために去ると、間を置かず侍従長と医師が姫をなるべく頭を動かさぬよう、部屋に連れて行く。その際、使用人たちには仕事を続けるように指導し、姫の容態は後ほど伝えると安心させた上で。
「しかしでかいたんこぶだね」
頭頂部に近い位置にできた瘤は、触れれば解るほどに膨れ上がり、熱を持っていた。それを自身の治癒魔法で治しながら、呆れたように医師が呟く。
姫の自室、子どもには広すぎる寝台に寝せられた部屋の主は、自分が運ばれたことも気づかず、気持ちよさそうな寝息を立てている。
「容態は?」
「おそらく脳震盪を起こしていると思うけど、骨折はしていないし、さっき言った以上のことはないよ」
さすが姫様だ。
己の問いに訳のわからない納得をしながら応える医師に、侍従長は軽く溜息を吐く。
現在この部屋に居るのは、目を覚まさないままの姫と侍従長、そして医師と侍女長のみだ。
「いかに城内では命にかかわるほどの怪我は負わないといっても、階段の一番上から転げ落ちた上、そのままの勢いで壁にぶつかったとは思えないほど軽症だよ。私たちが同じ事態になったら、骨折どころじゃ済まないからね」
「姫の守護は、それほどに強いというわけですか」
「多分ね」
この皇族が暮らす城内には、当然のことながらその一族を守護するための結界が張り巡らされている。その敷地内に居る限り、一切の生命に危険が及ぶような怪我など負わぬように。
そしてこの世界の人間は皆、何らかの守護を受けている。それは神であったり精霊であったり様々で強弱もあるが、守護を受けていない人間は存在しない。その守護によって命を救われたという例も多数存在する。そして、守護が強いほど命にかかわる怪我を負いにくいことも知られている。
守護の種類を調べる方法は存在するが、それを行うのは5歳になってから。まだ3歳の姫はもちろん調べていないので、知る由もない。
だが、この状態でほとんど無傷といってもいいということは、何の守護かはわからないが、相当強い守護を受けていると思って間違いないだろう。
「まあ、しばらくは目覚めないだろうから、私は戻るよ。姫が目覚められたらまた呼んでくれ」
枕元から立ち上がり、医務室に戻ろうと部屋の扉に向かう医師。
それを見送るために侍従長が咲きに扉に向かい、侍女長が代わって姫の枕元に立ち医師に頭を下げる。
侍従長が扉を開けようとし、突然何の前触れもなく医師を庇うように脇によけた。
そして。
「マリエが倒れたって!?」
大音声と共に、内開きの扉は侍従長の眼前すれすれで開け放たれた。
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