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一話 邂逅編(日常とは儚くも吹っ飛ぶものです)

 春休み序盤のことだった。家族と中等部卒業の祝いをして、寝て過ごしては幾日か。それは突如として降ってきた。


 中等部を卒業して、気の抜けた日々を過ごす。そんな自堕落なことを考えていたのがいけなかったのか。そいつはまるで俺に対する天罰のように、降ってきたんだ。そう、比喩や文学的な表現ではなく、本当に降ってきた。俺の部屋に。天井を突き破って。


「っ! ゴホ……ゲホ、うげっ。何だ、ぐぞ!」


 部屋に舞い上がる埃や諸々が目と喉を刺激してくる。涙に咳に、俺は苦しむはめになった。まともに息も出来やしない。


 そんな状況もあって、俺が驚きよりも先に取った行動は、部屋の窓を全開に開け放つことだった。それからすぐに窓の外に顔を出して隣近所に酷い顔を、醜態を晒すはめになったが、知ったことじゃない。やんなきゃ死ぬっ。醜態? 死ぬよりマシだ!


 数分後。


「ぜぇ……ぜぇ……、オエッ。シャレになんないわ。マジで死ぬかと思った」


 色々液体が顔面を汚したが、何とか俺は生きている。部屋の方もどうにか見渡せるようにはなったようだ。


 ただ、まぁ、上は見なかったことにしよう。うん、天井にデッカい穴なんか無い。晴れ渡る青空なんか見えないし、爛々と輝く太陽なんてもってのほかだ。俺は見てない。見てないったら見てない!


「いや、すまないな。勢いが予想以上だった。まさか突き破るとは」


「言うんじゃない! せっかく現実逃避してたのに! ……って、お前誰だよ!?」


 俺は声の主の方に勢い良く振り向いた。視界が確保出来るようになった部屋の中心にそいつは居た。


 漆黒のロングヘアに、幾つもの紅のメッシュが鮮やかに映えている。細く整った長い眉と金色の瞳に切れ長な目尻は、何とも抗い難い魅力がある。鼻筋の通った形のいい小鼻に、薄くとも柔らかそうな唇。色白の肌は無意識に触りたくなる美しさ。スタイルも顔立ちにあった素晴らしいものだ。露出度の高い衣装と相まって、色香の漂う魔性さすら感じる。


 いや、うん。魔性てか、本当に魔の者っぽいんだけどね。なんか背中から蝙蝠の羽みたいの見えてるし、その下には悪魔っぽい尻尾も揺れてるし。


 ……コスプレだよね? 衣装もその羽とか尻尾も全部コスチュームだよね?


「って、そんなことどうでもいいんだよ! あれってお前の仕業かよ! いや、ここに居る時点でそうなんだろうけどさ! 何やっちゃってんの!?」


「落ち着け、説明するからひとまず落ち着け。な?」


 あまりに突然のことで混乱する俺に、そいつは慌てふためいた様子で宥めてきた。


 くそっ、慌ててるくせに色香は衰えないのか。それどころか逆に色香が増すとか無いわ。無駄に意識しちまうだろ! 不本意ながら心臓バクバクだぞ、こら!


 取り敢えず、俺は深呼吸をする事にした。じゃないと俺の身が保たない。主に俺の心臓さんが。


「落ち着いたか?」


「まぁ、一応。で、お前は誰で何であんな大穴開けたんだ」


 そいつの顔を近付かせて不安そうに覗き込んでくるその仕草に、またもや胸が高鳴りそうになった俺は視線を逸らして答えた。


 そいつはそんな俺の態度に触れず、「そうか、良かった」とだけ返して顔を元の位置に戻す。そして、ようやく自分の名を口にした。


「……私はルビー。ルビー・サキュバス。実際の名はもっと長いが、それは気にしなくていい。私も面倒だ。ああ、呼び名はルビーで構わない。お前には、そう呼んでほしいんだ」


「ルビー、ね……」


 何だろう、この懐かしさを感じるデジャヴは。初対面のはずだ。そのはずなのに、俺はこいつを、ルビーを知っている。噛み締めるように口にした名も、それを助長してくる。


 何とも言い難い想いが胸を締め付けた。複雑な想いだ。だが、その中で唯一確かな感情もあった。それは……。


 ヤバい。何がヤバいか分からないけど、こいつと関わるのを俺の心が拒否ってる。全てを投げ打ってでも逃げろって警笛鳴らしまくってるんですけど!!


 ちらり、と俺はルビーを窺った。だが、その選択は明らかに失敗だったと悟ることとなった。


 何その愛おしげな眼差しっ。何で目尻に涙溜めてんの!? 何で胸元押さえて震えてんの!? 頼むから寄せるな、お前のそれは凶悪過ぎる!!


「いや、すまない。少し感慨深くてな」


 俺の視線に気付いたのか、ルビーは涙を拭って笑みを見せる。ちなみに、その仕草さえも俺の心の鉄壁をガリガリ削ったのは言うまでもない。


 もう本当に勘弁して下さい! 思春期の男子に忍耐を求めないで!


「……それで、ルビーは結局何でここに落ちてきたんだ」


 男の欲望をなけなしの理性で振り切り、俺はどうにか本題に移る。そうしないと俺がヤバい。理性が吹っ飛ぶ。


 正直、あと一回でも似たような真似をされたら俺は狼さんになる自信がある。それが例え、警笛の鳴り響くヤバい相手でもだ。だからさっさと本題に移る。自分から危険を招くわけにはいかないからな。


 ……なんて、自分には危険を回避出来る選択肢があると思っていた時期もありました。実際にはそんな選択肢なんて幻想で、存在してなかったのにね。


「もう一度、クロに会いたかったんだ」


「誰だって?」


「クロ、お前だ」


「…………うん。何だろ、頭痛いな」


 あは……、僕地雷踏んじゃった。……じゃなくて、何その急展開!! 聞いてないよ!? 俺、そんなの聞いてないよ!? だから事前に打ち合わせしとけっつったじゃん!! AD何やってんだよ!!


 ……うん、落ち着こう……。そもそも、俺は司会者じゃない。ADなんて居ない。事前に打ち合わせとか、ルビーとは初対面だ。地雷は確かに踏んだ。よし、落ち着いた。


「って、落ち着けるわけないだろうが!! 何で名前ってか愛称知ってんだよ!! 何お前ストーカー!?」


 俺はもう平静を装うのをやめた。そんなものかなぐり捨てた。仕方ないと思うんだ。俺に会いたいがためだからって、天井に穴を開けて落ちてきた奴がいる時点で、日常的におかしいんだから。俺にどうしろと?


「ストーカー……。確かに、そうなのかもしれないな。こんな、世界を跨いで追い掛けてきてしまったのだから。そう言われても仕方ない」


 おいぃ! ストーカー認めちゃったし、何か不穏な台詞吐いちゃってるよ!! 聞くべきか、聞かない方が――


「私は、お前の前世の嫁。魔王ルビー・サキュバスだ」


 ――って、勝手に言っちゃったし!! あ、もう駄目だ。思考放棄しよう。きっとこれはたちの悪い夢だ。ああ、何も考えたくない。


 俺はいそいそと無事だったベッドに潜り込んで、現実ゆめからげんじつに逃避するのだった。


 ◇


 あれから俺は本当に眠っていたらしい。窓から差し込む夕日は綺麗だった。


 はは、胡蝶の夢だったら良かったのに。何なら今からでもそうだってことにしてくれないかな。何て言うか、右腕が痺れて辛い。それがまた現実だって教えてくるし……。


 もう大体察しはついてるが、俺はなけなしの勇気を振り絞って右腕の方に視線を向けた。結果、ルビーが俺の右腕を枕代わりにしてました。寝てる姿とか、吐息が妙に色っぽくて死にそうです。


 ……そう言えば、今日はクリスが旅行から帰ってくる日だったなぁ……。あれ? ヤバくない?


 ルビーから意識を逸らすために違うことを考えていた俺だったが、またやってしまったらしい。何というか、フラグだった。


 俺の部屋は二階の数部屋の内、手前側の位置にある。階段も近い。だからこそ、静まり返った部屋の中だと階段付近の音も聞こえてくる。もちろん、階段に近い一階部分もだ。


 何が言いたいかと言えば、キャリーバッグを転がす音とともに、階段に近付く足音が聞こえてきたわけで。つまりそれは、クリスの帰宅と同意なわけだ。


 結論、フラグが立っていやがりました。


「って、俺にどうしろと!? やっばい、クリスの奴上がってきてるし! おい、ルビー! 起きろ、頼むから起きろ!!」


 俺はパニックだった。寝て起きて、ようやく落ち着けたはずがこれだ。全くもって堪ったもんじゃない。


 それはさておき、俺はクリスが部屋に来る前にルビーをどうにかしなければならない。だと言うのに、こいつはそれはもうベタな寝言を吐いてきた。


「うーん、あと百年だけ……」


「そんな待ってられるわけないだろうが! さっさと起きろ!」


「ん、ベロチューしたら起きる」


「お前もう起きてるよね!? よせ、やめろ! 舌を出すな!」


 俺は必死にルビーを引き剥がそうとしたが、そこまでだった。部屋の扉は無情にも開けられてしまった。帰宅したばかりのクリスその人に。


「兄貴、ただ……いま? 何……やってんだ?」


 クリスが部屋の状況に硬直するのが分かった。この状況は、端から見ればヤってるようにしか見えない。本当に最悪のタイミングだった。


 この状況を説明しようにも、俺とてよく分からない事態に説明しようもない。だからこそ、ようやく出てきた言い訳も、疑いを深めるようなものになってしまう。


「ひっ、ク、クリス!? ち、違うんだ! これは誤解で、クリスが考えてるようなことじゃ……」


「誤解、ね。随分、お盛んだったみたいだけどな。天井突き破るくらいには頑張ったってところか」


「違うから! どう解釈したらそうなるんだよ!?」


「どうって……」


 クリスが部屋の一つ一つに視線を向ける。俺もそれに倣ってクリスの視線を追い掛けた。


 脱ぎ捨てられたルビーの衣服に下着。あとで片付けようと選択して置いていた俺の衣服に下着も、ルビーが落ちてきた衝撃で散らかっている。ベッドには裸のルビーと、これまた上半身裸の俺。おまけで天井の大穴、と。


 あれ? おかしいな。何にも疾しいことはしてないのに、疾しい証拠しか見当たらないぞ?


 部屋を見渡したクリスの視線が俺に突き刺さる。その視線の何と心を抉ることか。


 ええ、返す言葉も見つかりません。


「で、もぎ取るのと捻り潰すの、どっちがいい?」


「……出来れば、穏便な選択肢でお願いします」


「チョン切るとか?」


「そこから離れて!? お願いだから!」


 クリスの手付きが危ない。突き刺さる視線と相まって、本気にしか見えないのだ。俺は恐怖で戦慄き、ベッドの中で内股になってしまった。


 そんな俺の恐怖を見て取ったクリスは、一つの妥協案を提示してきた。


「なら、私が納得出来る説明を十秒以内にしろ」


「えっ、いや、それは」


 だが、それはあまりに不条理な妥協案だった。それが出来たら苦労はしないのだ。


 まともな人間なら信じるだろうか。天井を突き破って部屋に現れた女は、実は魔王で嫁らしい、と。現実逃避のために不貞寝した俺のベッドに、自ら衣服を脱いで添い寝してきたのだ、と。誰が信じる。少なくとも俺は信じない。


 てか、ルビーさんや。お前はいつまで寝たふり貫く気だ! スピスピうるさいんだよ! 何気に鼻づまりですか!? 魔王のクセに鼻炎ですか、こんちくしょう!!


「十、九、八、七、六」


 そんな俺の心の罵倒などつゆ知らず、クリスは無情にも死のカウントダウンを始めてしまう。最早迷っている暇などなかった。


「ちょっ、はやっ。こいつはえっと、自称魔王兼俺の嫁のルビーさんらしいです!!」


「……いーち」


 ですよねー。信じませんよね、そんなの。でも事実なんですよ。嘘偽りのない真実なのですよ。だから、敢えて言おう。


「俺は真実を述べた! さぁ、握り潰せるものなら握り潰してみせろ!!」


 ベッドの上に立ち上がった俺は何故か全裸でした。あれぇ? そこの魔王様、何で俺のパンツ持ってクンカクンカしてるんですか? あ、痙攣した。幸せそうに涎垂らすなよ、汚い……。


 ……なんて、冷静な振りをしてみるものの、もうどうやっても現実逃避は無理だった。どこを向いても、目蓋を閉じようとも、現実が先回りしてくるのだから。特にルビーとクリスって名前の現実が。


 うん、だからな、クリス。釘バットは駄目だ。どこから持ってきたのかは知らないけどさ、それは流石にお兄ちゃんも許容範囲外だ。妹の手で握り潰されるならともかく、それは頂けない。頂けないよ。


 もちろんそんな事、声には出さない。と言うか、出せない。だって、クリスが本気なんだ。本気で俺を狩ろうとしているんだ。そんな事、口走れるわけがない。火に油を注ぐようなものだ。なら、ここは大人しく従うのみ。


 つまり、今俺がやるべきことは、下半身のナニをクリスに突き出すことだ! これが俺の起死回生の一手だ、クリス! さぁ、やれるもんならやってみろ!!


 俺は股間を迫り来るクリスへと勢い良く押し出す。勢い良く押し出す……。


 ……うん、馬鹿じゃないの? 俺。何が起死回生の一手だよ。これから起きる死しかないじゃん。回り回っても生がないわ。テンパってても、それぐらい分かろうよ。


 冷静になってしまったが為に、俺は何も出来なかった。寸分違わぬタイミングとポジションに、クリスの釘バットが振り抜かれる。俺はもう、何も考えたくなかった。


 ――その後の事については、あまり語りたくない。ただ言えるのは、酷い仕打ちだったのは確かで、それでも俺のナニは生きていた。ということだ。



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