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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
第二章
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恋人らしいこと

 もともと父親の両親は母親が財産目当てだと考えていたのだろう。

 祖母が母親に対して憎らし気に、非難を浴びせていたのは今でもよく覚えている。


 その矛先は息子である僕にも向いた。


「あんたの本当の父親は一体誰なんだろうね」


 そう吐き捨てるように言われたのは幼稚園のとき。


 お父さんと呼ぶ存在が自分の父親だと思っていた。その素直な気持ちを伝えた僕を、彼女は鼻で笑う。


 けれど、疑問に思っていたのは祖母だけではなく、父でさえもそう思っていたようだった。


 誰もいなくなった家の中でそう父親にそう言われたことが衝撃的で、ただ悲しく、僕は一人だと知った。


 誰も自分の存在を望んでいなかったのだと理解した。


 両親はそれからしばらくて、離婚することになった。


 そして、問題になるのが親権だ。

 それを母親は欲していた。

 それが子供への愛情から来るものではないことも知っていた。


 彼女の目的はお金だったから。

 父親が亡くなれば、僕だけが遺産を相続できる。

 それを狙っていたのだ。


 僕の親権は相続や養育費を欲する母親が持つことになった。


 父親は自分の子ではないと思っていても、近所に悪い噂が流れるのを畏れたのだろう。


 評判とお金。


 ……それは彼らにはお似合いの言葉だと思った。




「見て」


 そう笹岡茉莉は自信たっぷりな笑みを浮かべた。


「また、お兄ちゃんが作ったものですか?」


 おいしければそれはそれでいいけど。


「自分で作ったの。不恰好だけど、よかったら食べて」


 彼女は少し顔を赤くしてうなずいていた。


「ありがとう」


 僕が受け取ると、彼女は屈託のない笑顔を浮かべる。


 そんな顔をされたら反応に戸惑う。


 蓋をあけると、昨日とは違ういびつな形をしたおかずが並んでいた。


 なんとなく彼女が苦労をしながら作ったんだろうなという気がした。


「だめならお兄ちゃんの作ったものがあるよ。一応、作ってもらったの」


 僕が黙っていたので、絶句しているとでも思ったのだろうか。


「これでいいよ。でも、朝、作ったの?」


 冷凍食品なんか一つもない。僕の母親が作るごはんとは大違いだった。


 僕の母親は料理が上手だと思う。少なくとも離婚前は作っていた。


 その回数も徐々に減ってきて、今ではゼロに等しくなっていた。


 最後に作ってもらったのは小学校の遠足のときだ。


 冷凍庫に入っていた冷凍食品が無造作に詰められていたのを覚えている。


「それだけじゃ間に合わないから、夜のうちに準備をしておいたの。何度もお兄ちゃんに妨害されたけどね」


「妨害って」


「危ないから代わりに切ってやるって。本当に大変だったのよ」


 よほど危なっかしい切り方をしていて、妹を庇おうとしたんだろう。


 想像できるのが全てを物語っている。


 本当、よくやるなとぶつぶつ言う彼女を横目に見ながら思った。


 でも、嫌な気はしなかった。


 僕はそのおかずを口に運ぶ。少し調味料が多い気がしたけど、そのことに触れないでおいた。


 誰かが僕のために作ったごはんを食べたのはもしかすると、生まれて始めてだったのかもしれない。


「おいしい」


「本当に?」


 上ずった彼女の声。


 そんな声を彼女でも出すのだと驚いた。


「無理してない? 気を遣っていたりしない?」


「しつこいな」


 彼女は口を噤む。しかし、僕をじっと見る。


「ありがとう」


 味とか見た目よりも、誰かが自分のために作ってくれたというのがその味をおいしいものに変えていた。


 それも、こんな不恰好に切るということは、調理も慣れておらずに、時間がかかったのだろう。


 そんな姿を想像できた。


 今までになかったあたたかい気持ちがわずかに胸の奥に広がるのが分かった。


「でもよかった。味見してもおいしいのかまずいのか良く分からなくて困っていたんだよ。久司君の好みも分からないから」


 だからこんなに味付けが濃くなったのだろうか。


「先輩のお兄さんって怖いんですか?」


 ごはんを食べながら、そんなことを聞いた。


 なんとなく気になったからだ。


「優しいよ。でも、お兄ちゃんは変人でなかなか彼女ができなくて心配なんだよね」


 変人に変人と言われるってことはよほど変なのか、意外とまともなのかどっちなのだろう。


「お兄ちゃんを茉莉先輩、彼女を彼氏にしても文章が成立しますよね」


 彼女は一瞬顔を明るくした。それは多分茉莉と呼ばれたからだろう。


 しかし、頬を膨らませ、僕を睨む。


「そんなことないし」


「僕は本当の恋人じゃないから、当たっているでしょう?」


「そうなんだけど、いいじゃない」


 彼女は身を乗り出すと、僕をじっと見た。


「そしたら恋人らしいことをしてみる?」


 囁くようにそう僕に告げた。


 一瞬、我を忘れてしまいそうなほど、透明感のある澄んだ声だった。


「しませんって。だいたい、本当の恋人を作ってからしたらいいじゃないですか」


 彼女は笑い出した。


「冗談だよ」


 そう言って、立ち上がる。


 こういうたちの悪い冗談を言うところがなんとも言えない。


 そのとき、弱い風が吹き、彼女の髪の毛を撫でた。


 彼女の髪の毛がゆっくりと舞う。


 普通にしていたらいいのに、何でこんな冗談みたいな性格をしているんだろう。


「でも、半分は本気だったりするよ」


 彼女は風の中に解けてしまいそうなほど、静かな声でそう囁いた。


「それって」


 靴箱が騒がしくなっているのに気付いた。


 もうすぐ昼休みも終わりなのだろう。


「戻ろうか。久司君」


 そういって、彼女は笑顔を浮かべていた、


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