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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
第二章
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変人(上)

 「お前の本当の父親は誰なんだ?」


 それが父親に言われた言葉で一番印象に残っている言葉だった。


 別にぐれたり、やけになることはなかった。


 その言葉がただそのときは悲しかった。


 産まれる前のことを聞かれても分かるわけもない。


 そう聞いてきた父親に対し、不快感はあったが、自分の気持ちをぶつけることはしなかった。


 そんなみっともないことはしたくなかったからだ。


 けれど、今ならその言葉の意味が分かる。


 母親は好色家だった。簡単に言えば男が何よりも好きなのだろう。


 彼女は化粧をしたり自らを飾ろうとしなくても、人目を惹くタイプだったようだ。彼女自身、男にちやほやされることを悪く思っていなかったようで、褒められるたびに嬉しそうにしていたのは覚えている。


 友達に会わせたら図ったように「綺麗なお母さん」だと言われていた。それは化粧をしていようが、していまいが変わらない。


 長い睫毛に、赤くなまめかしい唇。けれど、大きな瞳は彼女の顔立ちをどこかあどけなく見せていた。


 周りからそう言われるので綺麗なのかもしれないが、よく分からない。


 ただ、そんな彼女がたまに睫毛に黒いものを塗り、赤い唇がより赤くなる口紅を塗ったとき、恐怖を感じた。


 そんな母親は香水が好きで、いろんな香水を男に買ってもらっていた。僕には香水の匂いが嫌いでたまらず、ただの異臭の塊としか思えない。


 そうした母親とは対照的に、僕の父親は傍目には地味でまじめな人だった。異性の影はあまりなかったように思う。


 実際そうでなかったみたいだが、それはまた別のことだった。


 母親がどうして父親を選んだのか不思議だと、幼稚園の頃、友達の親が言っていた。


 当時の僕にはその言葉の意味が分からなかったが、今なら分かる。


 彼は大きな土地と広い家を持っていたのだ。そこそこの給料に大きな土地や家。それは結婚相手としてはこの上なく魅力的に映るだろう。例え、口うるさい祖父母が付属品としてついてこようと。


 あの女はそのために子供を作り、父親の財産を自らの手の内に入れようとしたのだろう。


 けれど、そんな浅はかな目論見はあっけなく崩れたようだった。




「で、一緒にデートしたんだ。いーな」


 僕が教室につくと、既に三田の姿があった。彼は僕が席に着くのを見計らい、昨日の話を聞きに来た。だから昨日のことを端的に伝えたところだ。


「デートって言っても一緒にコーヒー飲んだだけだけどな。しかし、あの女は本当によく食べるな」


 結局、あの後、頼んだものをあっさりと平らげてしまった。


 あれだけ食べてあの体型というのはある意味すごい気はする。がりがりで肉付きも悪いのに。


「でも、太るとか言って、ちまちま食べたり、何も食べない女よりもいいと思うけどな。俺は」


 確かにそうなのかもしれない。


 三田の言うことにも一理ある。


 頼むだけ頼んで少しずつ食べたりされるとあまりいい気はしない。


 しかし、それは彼女があまりに太りにくいことからなせることなのだろう。


「お前、先輩のこと好きじゃないんだろう?」


「全然」


 そう素直に答えたのは、別にこいつにこんな話をしてもクラス内に広まらないことだけはたやすく想像がついたからだ。


 そういった面では信用できる。


 一昨日まで知らなかった女が大好きだというほうが嘘臭い。


 一目ぼれとかそういった特殊な事情があるかもしれないが、僕にいたってはそんなことはない。


「少しはいいと思ったりしなかったのか?」


「ないよ」


 僕は窓の外を見た。


 今日も嫌なほどいい天気になりそうだ。


 ただ、彼女の存在があまりに眩しくて、自分とは違う存在であることを痛感させられていた。


「茉莉先輩の家って金持ちらしいけど、そんな素振りも微塵とみせないからな」


「そうなんだ」


 ますます僕とは全く違う世界の人だと思った。


 父親の財産のことが一瞬頭を過ぎり、失笑する。


 これではあの女と同じだと思ったのだ。


「で、成績も学年でトップクラスなんだってさ」


「お前、やけに詳しいな」


「そりゃあ、三田はずっと茉莉先輩に憧れていたからね」


 その言葉とともに現れたのは奈良だった。


 彼は僕と三田を一瞥すると、そのまま自分の席に向かう。


 彼は何かを思い出したように振り向いた。


「朝は一緒に来なかったのか?」


「あいつの家、知らないし。わざわざ迎えに行くこともないだろう」


 そのとき思い出したのは登下校と言った彼女の言葉。


 下校は学校から家に帰ることだ。


 登校は……。


 そう考えて、嫌な予感がした。


「何でそう思ったわけ?」


 奈良に尋ねた。


「茉莉先輩が重そうな荷物を持って交差点をうろうろしているのを見たから。信号が変わっても渡らないし、お前を待っているのかと思った」


 そのとき思い出したのが昨日聞き流した言葉だった。

 うろ覚えではっきり聞いたわけでもないが、待ち合わせとか交差点とか言っていたような気がする。

 まさかな。


 時間は補習開始の七分前だった。


「お前、何で手を貸さなかったんだよ」


と三田。


「別に関係ないし」


 そう奈良はあっさりと答える。


 彼もこんなやつだった。


 しかし、彼女は僕の常識なんか通じる相手じゃないことくらい分かっていた。


「お前、行ったほうがいいんじゃない?」


「別にいいよ。勝手に来るだろう?」


「でも茉莉先輩だし、彼女の兄がさ」


 そこで三田は言葉を切る。


 料理が上手らしい兄か。


「兄が何だよ」


「すごく怖いらしいよ。茉莉先輩の家に電話したら、どんな用事かしつこく聞いてくるらしい。で、たいした用事じゃなければ切るらしい」


 それってただの迷惑な兄のような気がする。


「携帯の番号を教えてもらえばいいだろう?」


 僕はそう言った。


「茉莉先輩、携帯持ってないだろう?」


 三田は軽い口調でそう答えた。


 僕は自らの記憶を遡り、確認のために携帯を取り出した。


 昨日、喫茶店を出た後、彼女から携帯を出すように促された。


 携帯を渡すと勝手に操作をしていて、返された携帯のメモリは一つ増えていたのだ。


 彼女が勝手に登録していった番号。


 それはどうみても携帯の番号だった。


「持っているみたいだけど」


「もしかして教えてもらったとか?」


「彼女が勝手に登録していた」


 三田は羨ましそうに僕を見ている。


「俺の携帯にも勝手に登録してくれないかな。毎日でも電話をかけるから」


 絶対にこいつには教えないだろうな。


 そんなことをされたら迷惑なだけだ。


「電話してみたら? まさかまだ交差点にはいないと思うけど」


 そう言ったのは奈良の声。そのとき、教室の扉が開き、数人がなだれこむように入ってきた。



 僕は外に出ると、電話をした。


 何度鳴らしても、彼女は出ない。しばらく経つと留守電に切り替わる。


 別にあの女がどうしようと、どうでもいいんだけど、一応約束は守らないと気分が悪い。



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