突然の出来事
◇
父親と母親の離婚が発覚したのはある日突然だった。でも、知らなかったのは僕だけで、その話し合いには祖父母も参加していたのだろう。そして、夕食後に母親が部屋にやってきて離婚の話を聞かされた。
「離れて暮らすことになったから、お母さんと一緒に来なさい」
僕には選択肢はなかったが、実家に残れる可能性も少なかったのだろう。
そういわれて一週間後、母親とともにあの家を出た。
その間繰り返されたのはお金の話で、祖母はまるで汚物でも見るような目で僕を見ていた。
僕は彼女とは極力目を合わせないようにしていた。
突然といっても家族仲が悪かったのは実感していたため、そんなに驚きもショックもなかった。
◇
夏休みを終え、秋の気配が深まるにつれて、徐々に空気がひんやりとしてくる。
もうすぐ彼女の誕生日だ。昨年、僕はその彼女の誕生日に何か買おうと決めていたが、夏が終わった頃、彼女の兄に呼び止められ誕生日プレゼントは買わないほうがいいと言われたのだ。
今年も手ぶらの誕生日になるのかと気が重くなった頃合い、彼女に呼び出された。
平日の夕方だったので仕事を休んだのかもしれない。
チャイムを鳴らすと、彼女が顔を覗かせた。
その顔は僕の知る彼女よりも青ざめて見えた。
胸の鼓動が予期せぬタイミングで早くなり、思わず彼女の肩をつかんでいた。
「どうかした?」
彼女に会うのは一週間ぶりだったで、二週後には彼女の誕生日が控えている。
一週間前にはここまで顔色が悪くなかったはずなのに。
「わたしの部屋に行こうか」
彼女は含みのある悲しげな笑みを浮かべると、僕を自分の部屋に連れて行った。
彼女は僕を招き入れると、ベッドに腰を落とす。そして、床を見つめると唇を噛んだ。
「迷ったの。本当は前もって言っておくべきか、そうでないか」
「何を?」
僕は意味が分からずに彼女に問いかけた。
「わたし、誕生日までしかあなたと一緒に過ごせないの。あなたの誕生日までも一緒にいられない」
「どうして?」
彼女が突然告げた言葉を理解できずに、ただ彼女を見つめてていた。
彼女は一度、唇を結ぶ。
「来年の四月に結婚するの」
「結婚?」
一瞬、彼女の言った言葉の意味が理解できなかった。
彼女は何も言わずにうなずいた。
「結婚って。でも先輩は」
「ごめんなさい。あなたを振り回してしまったことは分かっている。だから、最初は春までつきあおうって言ったの。本当はそうすべきだったのかもしれない。もう大丈夫だって思えたから。でもどうしてももう一度、あなたに誕生日を祝ってもらいたかった。だからわがままを言って伸ばしてもらったの」
てっきり卒業したら会えなくなるから、それは彼女が高校卒業時を区切りとして言っていたのだと思っていた。そうではなかったのだとそのとき知った。
「誰と?」
混乱する思考を抑え、必死に彼女に問いかける。
「お兄ちゃんの友達」
「その人は僕のこと」
そこまで言って言葉を飲み込む。
わざわざこんなことを聞く自分が惨めな気がしたからだ。
教える必要もないし、彼女がそんなことを言うわけないと思ったのだ。
結婚相手だっていい気はしないだろう。
「知っているよ。もちろん、ね」
僕は彼女を見た。
彼女はこのまま消えてしまいそうなほど寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「きちんと伝えた。だから、一年だけ猶予をもらったの。結婚をする前に好きな人と一年だけつきあいたい、と」
信じられず、彼女の言葉を聞き入れるだけになっていた。何度も心の中を整理して、やっとの思いで問いかける。
「その人のことを好きなの?」
「いい人だよ。大事な人だと思っている」
口数の多い彼女がそこで言葉を噤んでしまった。彼女は三度瞬きをして、僕を見据える。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
大事な人と結婚ができるはずなのに、なぜそんな顔をしているのか理解できず、分かったと思っていた彼女がまるで見知らぬ誰かにとってかわったような気がしてくる。
「わたしのことを許せないと思う。ずっとあなたを騙していたのだから」
「それでも結婚するのか?」
やっと探り当てた疑問がそれだった。
僕の言葉に彼女はうなずく。
ただ、突きつけられた現実に唖然として、何もできず、情けないほどに動揺していた。
彼女に契約を言われたころなら、やはり変人だと実感し、笑顔でおめでとうと言えたはずなのに。
「少し時間がほしい」
だからといって彼女を責めることも、優しい言葉をかけることもできなかった。
「分かっている。もう会いたくないなら、それでいい」
悲しみを帯びた声に胸を鷲掴みにされながらも、僕は彼女から目をそらすと、部屋を出た。心が空っぽになった僕が家を出ていこうとしたとき、玄関先に見慣れた姿があった。
僕が彼に頭を下げ、そのまま立ち去ろうとすると、優人さんが僕を呼び止める。
「あいつから全部、聞いたのか?」
僕はうなずいた。
茉莉に掛ける言葉が見つからなかったように、優人さんに対しても同じだ。
「悪かったな。あいつのわがままにつき合わせて」
僕は首を横に振る。責めても仕方ない。そうわかっていても、彼らはどんな気持ちで僕と今まで接していたのだろう。
「相手の男に会いたいか?」
「え?」
思いがけない言葉に彼を見た。
彼はため息を吐く。
「会いたいならあわせてやるよ。あいつだって、茉莉がそこまで思っていたお前に会いたいだろうからな」
優人さんはそう言うと、少し待つように言い、車を出してくれた。
車の中で大まかな経緯を聞いた。彼女の父親の会社の経営状態が思わしくなく、取引先が不渡りを出して倒産したこと、その代償のように倒産の危機になった。資金繰りに困っていたときに彼女との結婚話が出てきたらしい。そして、茉莉はその話を呑んだ。彼女の父親の会社はなんとか立て直している。茉莉の父親の会社は娘の結婚と引き換えにして融資を受けたのだろう。
「その話がでてきたのは?」
「あいつが高三のときの春だよ」
それは僕に彼女がつきあってくれと言ってきた時期と合致する。あのとき彼女は分かったうえで付き合おうと言い、婚約者もその話を知っている。普通の神経では考えられないことだった。
「その人は彼女のことを好きなんですか?」
「好きだと思うよ。心底ね。そうでないとあいつのこんなわがままを承諾するわけがない」
「でも、僕ならそれでも嫌だと思います。茉莉が自分との結婚を控えているのに、他の人と付き合うなんて」
「それは自分のために嫌なんだろう? あいつは、茉莉のためにいいと言ったんだよ」
本人のためと、自分のため。それは全く違う。
僕と彼女が結婚をすることになっていて、彼女に好きな人がいるといわれたら、僕は彼女を束縛するし、一刻も早く籍を入れようとするかもしれない。それは僕のためだった。
それはいかに自分の器が小さいのか示しているような気がした。




