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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
第三章
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花の咲く頃


 飾るというのは世間ではみだしなみのように言われることも少なくない。そうした考えを全否定するつもりはない。


 けれど、化粧や香水の人工的な匂いは母親を連想し、拒否反応を覚えてしまう。


 飾る人が多いから、飾らない彼女を見て、ほっとしていたのだろう。



 旅行から帰ってすぐ、夏の補習が始まった。


「今日も家に来る?」


 彼女は大学に行くか分からないと言っていたが、夏季補習にもきちんと出ていた。根本的に勉強が好きなのか、暇なのが嫌なのかは分からない。だから、夏休みであろうと、帰るのは一緒だった。


 毎日のように彼女の家に行っている。それは彼女が提案した昼食契約を守るためだ。僕自身、約束を徹底的に実行しないといけないと思っているわけではない。僕がそう考えを伝えても、彼女は聞く耳を持たなかった。


 僕が頷くと彼女は屈託なく笑う。それに嬉しそうな彼女の顔を見ていたかったという気持ちもあったのだろう。


 彼女に曖昧に気持ちを伝えても、僕達の関係は以前とほとんどかわりばえがしなかった。ほとんどというのはわずかに今までと違う変化を感じ取っていたためだ。彼女が少しだけ静かになった気がする。昔みたいに騒ぐわけでもなく、静かに微笑んでいることが増えたのだ。慣れただけの可能性もある。だから、そこまで気にする必要はないのかもしれない。



 彼女の家に到着したとき、鼻腔を甘い香りがついた。


「変わった匂いがする」

「やっと気づいた? もう少し前から咲いていたんだけど、なかなか気づかなかったよね」


 彼女は腕を引っ張り、家の裏まで僕を導いた。緑の合間にひっそりと隠れるように白い花が静かに花開いていた。


 純白で穢れを知らないかのように、優しい花。その姿は密やかであったが、凛としていて、独特の雰囲気を放っている。彼女が自分の花と称していた茉莉花だ。


「はじめてみた?」


 僕はうなずく。


 先ほど鼻腔を刺激した甘い匂いが届く。お茶として飲んだ時の香りの強い味わいが脳裏に蘇るが、香りに面影はあるが、受ける印象は全く異なっていた。


 皮膚の表面を流すような風が僕の肌に触れた。その風に同調するかのように花も揺れる。


 風がやみ、花の動きがとまる。


 それを待っていたかのように、茉莉の穏やかな声が届いた。


「綺麗な花でしょう?」

「そうだね。お茶のときとは全然印象が違う」


 それは僕の素直な気持ちだった。


 その花の印象の違いはにぎやかで変わった彼女と、優しく包み込んでいる彼女を同時に見たような気がしてくる。その花と違うのは、どんな彼女を見ても不快感は覚えなかったことだ。


「素敵な香りだと思うけど、匂いがきついから人によってはそう感じるのかもね」


 彼女はそこで一息つく。


「白くて透明感のある花だからかな。花言葉は清浄無垢っていうんだって」

「清浄無垢か」


 皮肉る気持ちもなく、言葉が喉から滑り降りてくる。


「先輩みたいだね」


 そのとき彼女の顔が真っ赤になるのが分かった。口にした僕が驚いてしまう程。直後、彼女は悲しそうに微笑み、その驚きが一瞬でかき消さ、その悲しい表情が僕の胸に焼き付いていた。


「わたしはそんな綺麗な人間じゃないよ」


 彼女から目を離すと、消えてしまうのではないか。そんな錯覚さえ覚えてしまう程、小さく、消え入りそうな声だった。


「そんなことないよ」


 先輩がそうなら僕はもっと論外だろう。

 そんな言葉を口にするのもはばかられるほどに。

 彼女は目を細めると、白い指先を僕の頬に這わせた。


 彼女の手がいつもと変わらないあたたかい手をしていたからこそ、瞳とのギャップがよけいに僕の心を悲しい気持ちにさせた。


「久司君はすごく純粋な人だと思うよ。だから、自分を責めないで」

「何も言ってないよ」


 茉莉は目を細めていた。けれど、その瞳の奥には先程の悲しみを残している。


「見ていたら分かる。今は自分を責めている顔をしていた。あなたは優しい人だと思うよ。きっとわたしの何倍も」

「そんなことないよ」


 彼女と僕なんか比較対照になるわけもない。

 きっと君はあまりに無垢で、他の人がどれほど醜い心を持っているのか分かっていないのだろう。

 けれど、彼女がそう言ってくれるなら、そう思い込みたくなったのも本当だ。不思議とそんな気分になってくる。事実は違うのだと言い聞かせた。


 僕は彼女に瞳の中に棲む悲しみを消したくて、精一杯の言葉を口にする。


「先輩も自分を責めないで」


 彼女は驚いたように僕を見る。


 彼女を取り巻いていた悲しみが目に見えて消え去り、穏やかな笑みを浮かべる。


「ありがとう」


 そういって笑った彼女は優しく、視界をさえぎるものがないほど、透明に見えた。

 彼女が笑ってくれていたらどんなにいいだろう。

 僕はなにかに駆られるように、どうしたら彼女がもっと笑ってくれるのかをずっと考えるようになっていた。

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