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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
第三章
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旅行


「家族」で旅行に行ったことは一度だけあった。だが、あまりに昔のことだからか、頭の中にもやがかかったかのように、はっきりとは思いだせない。楽しそうとは言い難く、父親も母親も憮然とした表情で過ごしていた。


 そもそも旅行に限らず、両親が結婚していた頃の一家団欒なんてそんなものだった。みんな、憮然とした表情をしていていて、幸せそうに笑うこともほとんどない。


 だが、最初からそうだったわけじゃない。いつだったのかと思い出そうとしてもその時期をはっきりとは思いだせないが、幼稚園に入る前のことではないかという気がした。両親が笑顔で談笑しているのを幾度となく目にしたような記憶が微かにある。


 ただ、僕が妄想を記憶として植えつけたとしても納得できるほど、不確かで非現実的な記憶だ。だからこそ、兄が大好きな茉莉の話を聞いていると不思議と心が安らいでいた。そして、旅行では仲の良い二人の姿を幾度となく目にするのだろうと思っていた。




 だが、僕の期待は意外にあっさり裏切られる。


 彼女の兄が難しい顔をしているのとは対照的に、助手席にはピンクのワンピースに身を包み、笑顔を浮かべている茉莉の姿があった。


 彼女との待ち合わせ場所に行けば黒い車があり、そこから茉莉が顔を覗かせたのだ。


「車でいくことになったけど、いい?」


 不機嫌そうな兄を無視して、彼女は笑顔で語りかける。


「いいよ」


 でも、今気遣うべきは車で行くことに僕の許可を得るよりは、不機嫌そうに僕とは決して目線を合わせようとしない兄のほうではないかと思ったのだ。


 茉莉は笑顔を浮かべるが、兄には何も言おうとしない。それでいいんだろうか。逆に仲がいいからこそ、気にしないのかもしれないが、兄弟のいない僕にはぴんと来なかった。


 他人の僕が干渉すべきことではないと分かっていたため、僕は後部座席に乗り込んだ。


 すると助手席にいた彼女が降りてきて、僕の後に続いて乗って来ようとする。戸惑う僕をよそに、彼女は平然とした顔で乗り込み、シートベルトを締めた。


 車が動き出す。


 彼女は窓から外を眺めていた。


「車ってことは近い?」

「近いような遠いような。駅から不便なところにあるから車で行くことになったの」


 未だ目的地も聞かされていないので、どこにいくのかさっぱり分からない。

 それについていく僕も僕なのだろう。


 茉莉は僕に話しかけてくるが、ミラーから覗く兄の淡々とした表情がやけに気になる。できるだけ前方を見ないようにして茉莉の話に反応していた。


 それから何回か休憩を挟み、一件のホテルの前に到着した。辺りには軒の低い家が立ち並んでいる。自然が多くホテルなどもあるが、交通の便が良いとは言い難く、最寄駅からバスでかなりの時間がかかる。だからこそ、車で行く話になったのだろう。


 彼女の兄にチェックインをしてもらい、各々の部屋に行くことになった。僕の部屋と彼女の部屋は隣で、隣を借りるためなのか、シングルの空がなかったのかどうやら彼女の部屋もツインのようだ。


 ホテルの部屋に入ると自然の情景が目に飛び込んでくる。


 僕は荷物を置いて一息つくと、横目で彼女の兄を見る。彼は未だ僕とは言葉を一言も交わさない。怒っているのか、他に理由があるのか見当もつかない。僕が間を求め、窓から見える景色を再び視界に収めようとしたとき、彼女の兄の声が響く。


「この三日間」


 振り返ると彼は項垂れていた。そこで彼は言葉を切る。


 急かすのも悪い気がしたが、ここで言葉を切られるのも困り、彼に問いかけることにした。


「何ですか?」

「あいつの傍にできるだけいてやってくれ」


 突然のことに驚き、目を見張る。


 彼はそれ以上は何も言おうとしなかった。


 そのとき、僕の携帯が鳴る。発信者は彼女だった。


「今から出かけよう。お兄ちゃんにも伝えておいてね」

「分かった」


 僕は電話を切ると、優人さんを見た。


 彼はベッドに腰掛けたまま、身動き一つしない。


「茉莉さんが出かけようって言っています」

「俺は行かないから、お前たちで行って来い」

「でも」

「いいよ。あいつも知っていることだから」


 僕はその言葉に返す言葉もなく、彼女と待ち合わせをしているホテルのロビーまで行くことになった。


 ロビーに行くと、彼女が手を振っている。外に行くつもりなのか麦わら帽子を被っている。彼女の右手に彼女を見て笑っている女性の二人組が目に入った。ばかにしているというよりは微笑ましいという言葉がぴったり合いそうな優しい笑みだったが、恥ずかしいことには変わりない。


 僕は彼女に駆け寄ると、その手を引っ込めさせた。

 彼女は唇を尖らせ、残念そうな顔をする。


 僕は彼女の腕をひっぱると、建物の外に出た。

 外は強い太陽の日差しが照りつけている。


「暑いね」


 彼女は僕がつかんでいないほうの手で、太陽の光をさえぎっていた。


 ホテルの駐車場を半分ほど歩いた時、彼女の手を離した。


「あんなところで手を振るなよ」


「あれくらい普通だって」


 そう笑顔で返されると何もいえなくなる。


「お兄ちゃんはやっぱり来なかった?」

「連れてこようか?」

「いいよ。無理に連れていくのも悪いもの」


 彼が不機嫌そうにしていた理由と何か関係があるのだろうか。


「先輩の部屋って隣なのに、何でロビーで待ち合わせ?」

「ロビーから外を眺めていたの」


 彼女はそういって目を細める。土地勘がある場所なのだろうか。それともただ景色が綺麗と感じたからなのだろうか。


「どこに行く?」

「わたしの生家だったところ」


 その言葉で彼女が養子だということを思い出す。だから当然、彼女には家があってもおかしくない。ある一つの疑問が頭を過ぎる。


「お父さんもお母さんも事故死なんだって」


 僕の疑問を察したのか、彼女はあっさりと答える。


 悪い事を考えてしまったかもしれない。


 彼女は首を横に振ると目を細めた。


「気にしないでね」


 茉莉はいつものように明るい声を出していたが、なぜかそんな彼女の後姿がやけに小さく見えて、僕は彼女の腕に手を伸ばしたていた。


 彼女は体を僅かに震わせた。


 僕は衝動的に彼女の腕をつかんでいたことに気付く。


 茉莉が僕をつかんだ手をじっと見る。


「嫌なら離すよ」

「いいよ。うれしい。ちょっと得した気分」


 彼女の頬はわずかに赤く染まっている。そのうえでそうしたことを言われたら、余計に手を離せなくなっていた。


 僕たちはそれから細い道に入り、民家の立ち並ぶ住宅街に足を踏み入れた。比較的新しい住宅街が立ち並んでいるが、その住宅街の一角ががらんと空き、土地を取り囲むようにチェーンが立ち並ぶ。人が住むにしてはかなり大きな場所ではあるが、僕の腰ほどの高さの草が生い茂っているだけで中には何もない。


「もしかして、ここ?」


 彼女はうなずいていた。


「この一角に住んでいたの。今は、見事に何もないね。この前まで大きなお店があったらしいんだけど、潰れたみたい」


 彼女に何を問いかけたらいいのか分からなくなり、言葉を捜す。そして、無難な言葉を引っ張り出した。


「そのときのこと、覚えている?」

「かすかになら」


 その彼女の言葉を聞いて思い出したのは、親と旅行をしたときの記憶だった。無性に彼女には辛い思いをしてほしくないと思っていたのだ。自らの心の安息を求めるために、彼女に対して問いかけた。


「子供のとき、優人さんたちと旅行に行ったことはある?」

「あまりないかな。お父さん忙しくて、休みの日も仕事をしていたの。でも、その代わりお兄ちゃんが大学生のときにいろいろ遊びに連れて行ってくれたの」


 彼女の目が輝きを帯びる。


「どこに?」

「遊園地とね、動物園」


 彼女にとってそれがうれしい記憶だったのだろう。

 とてもうれしそうに微笑んでいた。

 正直、すごく良いところかと言われれば疑問が残る。人によってはもっといいところに連れて行けと不満を持ったり、些細なこととして処理され忘れてしまう事もあるだろう。


 それでもそんな感じで優しく微笑んでいる彼女が不思議で、僕の心を惹きつけていた。


「先輩のそういうところってすごくいいと思うよ」


 思わずそう素直な気持ちが零れ落ちてくる。


 彼女の顔が一気に赤くなる。


「それって愛の告白?」


 そんなことを聞いてくるのはある意味彼女らしい。


 僕は彼女の言葉を否定しても肯定してもどっちでもいいと思っていた。それでも否定する気にならなかったことで答えは出ていたのだろう。


 彼女の自分を飾らない、子供のようにあどけなく、まっすぐ純粋なところに惹かれていた。そう感じたのは彼女はあまりにも自分と似ているようで違う世界の住人だったから。その存在が眩しくて、謎めいていた。


 彼女に対しては取り繕わず素直な気持ちを伝えられるため、自分の嫌な部分を彼女と一緒のときだけは忘れ去れそうな気がした。僕にとってはそんな彼女との時間が救いだった。


 もし、君がこのときたいしたところに行けなかったとか、遊園地くらいしかつれていってくれなったと言っていたら、僕は君にここまで強く惹かれることはなかったのだろう。


 そのことに後悔はしていない。君の存在を素直に愛しいと、会えて良かったと心から思えた瞬間だったからだ。


「そういうことでいいよ」

「ありがとう」


 彼女は僕の手を強い力で握った。

 僕の手が包まれたようにぬくもりを感じる。

 太陽が猛烈な日差しで肌を焼いていくのに、そのぬくもりに不快感は覚えなかった。

 それどころか君の手のぬくもりをずっと感じていたいと思っていたのだ。


「今日、ここに来たのはね」


 彼女の落ち着いた声が穏やかな風に乗り、僕に届く。


「もっと久司君にわたしのことを知ってほしかったの。それでお兄ちゃんに無理を行ってつれてきてもらったの」

「どうして?」

「だから、わたしのことを知ってほしかったからだよ」


 僕は優人さんの何かを深く考え込んだ表情と言葉を思い出していた。


「ここは本当は先輩にとって悲しい場所だったんじゃないの?」


 だからこそ、彼は茉莉のことを考え心を痛め、ああいう形で顔に出していたのではないかと思ったのだ。


「少しだけね。親の記憶はあまりないけど、写真を見ていると、たまに悲しくなってしまうことがある」


 僕の手を握る手に力がこもる。


「でもね、今回ここに来て、意外とつらくなかったんだ。親のことを思い出してもね。きっと久司君が一緒だったからだね」


 彼女は優しい笑顔を浮かべていた。


 その言葉に僕が特別なのだという意味が含まれている気がして、うれしかった。




 彼女との旅行は楽しかった。面目状は彼女と兄を含めた三人の旅行だったが、彼は一緒に泊まっているホテルからほとんど出てこなかった。そのため、外にいるときはほぼ茉莉と僕の二人で行動していた。


 彼女との時間は心から楽しく、一人で卑屈になっていたときと、同じ時間が流れているとは思えなかった。


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