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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
第二章
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家(上)


 人に家に行くのが大嫌いだった。


 小学校に入る前に両親は離婚していて、家に帰っても母親は家にいないことがほとんどだで、家に帰ってきても彼女は僕をないものとして扱うことも少なくなかった。


 僕は一人なんだと分かった。


 そんな僕でも誰かの家に行くと、ほとんどの人があたたかく迎えてくれた。


 その笑顔は僕の母親にも、父親にも祖父母にもない優しいもので、歓迎されているとわかる笑顔だった。


 だが、そうした優しい笑みは僕は一人ではなく独りなのだと痛感させるものだった。




 彼女の家は想像していたよりも普通の家だった。多分、広さは父親の実家の半分程度のような気がするが、それでも辺りの家よりは一際大きい。


 窓は閉め切られ、ひっそりとしている。


「家には誰もいないんですか?」


「いないよ。お父さんもおにいちゃんも仕事だから」


 噂の兄はずいぶん歳が離れているのだろう。


 彼女は鍵を開けると、家の中に入った。


「靴は適当に脱いでね」


 彼女は靴を脱ぐと、微笑んだ。


 家の中に入ると玄関が広々としているのに気付いた。


 父親の家を思い出さなくてすんだのは、この家が洋風の作りだったからだろう。


 そんな僕に突然何かが触れた。


 その感触とともに、目の前で髪の毛が揺れる。綺麗な色をした髪の毛だった。


 彼女が僕に抱きついたのだと気づくまでに時間は要さなかった。


「何するんですか」


 冷たく言い放ち、胴体に回された腕を引っ張って引き離そうとしたが、既に抱きつき背中に手を回している彼女を引き剥がすのは至難の業だった。


 僕が嫌がっているのは分かっているはずなのに、彼女は離れようとしなかった。


「だいたい、自分からフリだと言ってきたくせに約束が違うと思いますけど」


 拒んでも離れない彼女に半ば嫌気がさしてきた。


「わたしは約束を破ってもいいのよ」


 悪びれた様子もなく、そんなことを言ってきた。


 なんて女だと毒づきたくなってくる。


「でも、どうしても離れてほしいなら離れるけど」


「離れてください」


 僕は即答した。


「つまらない」


 僕に回されていた手がやっと離れ、胸をなでおろした時、予想していなかった低い声が玄関に響く。


「茉莉、お前」


 僕が顔をあげると、まず、影が目に入った。


 そして、その影をたどっていくと足にたどり着く。


 そのとき、誰かがここにいるのだと分かった。


「お兄ちゃん、ただいま」


 その先にいたのは背丈の高い、黒髪の男性だ。アクのない目鼻立ちをした彼は呆気にとられた顔でこちらを見ている。顔は彼女と同様に整っているのに、少女という言葉がぴったりな彼女とは異なり、彼はその年齢のためか大人びて見えた。顔は全く似ていないが、これだけ兄妹で顔が整っているなら、彼女の母親もそれなりに綺麗な人で、それぞれ違う親に似たのだろう。


「紹介するね。彼氏の久司君」


 彼女に明るい口調で紹介されて、とりあえず頭をさげ、再び顔を上げた。


 だが、次に彼と目があった時、思わず後退してしまった。


 彼は鋭い眼差しでこちらを睨んでいたのだ。


 嫌な予感が胸中を駆け抜けた。


「で、こっちはお兄ちゃんの優人」


 彼女は気にしていないのか明るい口調で自分の兄の紹介を始めた。


 彼は今度は自分の妹を睨む。


「こんなところまでつれてきてどうするんだよ」


「いいじゃない。お兄ちゃんの友達ってことにしたらいい気がする」


 話がどんどん変な方向にいっている気がする。


 事情の分からない僕には、兄妹の会話に参加することはできなかった。父親がうるさいのだろうか。兄はお弁当のこともあって、僕のことを知らないわけではないだろう。


 彼はもう一度鋭い視線で僕を見た。


「わかったよ。つれてくるなら前もって言ってくれ」

「今度からそうします。でも、お兄ちゃん仕事は?」

「今日は体調が悪くて、休んだ」

「そうなの? 大丈夫」

「大丈夫。大分良くなった」


 彼は髪の毛をかきあげる。


「とりあえず、そいつをお前の部屋にでも連れて行けば? そんなところで放っておいてもいけないだろう」

「そうする」


 彼女は僕の手をつかむ。


「わたしの部屋に行こう」


 そう言うと、彼女は僕の腕を引っ張っていく。


 彼女の部屋は玄関先の階段を上がって、一番奥にある部屋だった。


 扉を開けると、僕に部屋の中に入るように促す。


 部屋の中に入ると、さっぱりとした荷物の少ない部屋が目に入ってきた。


「意外と物が少ないんだな」


「もしかしてぬいぐるみとかたくさん飾るタイプとでも思った?」


 見透かしたような言葉を続ける。


「思いました」


「そういうのは趣味じゃないんだ。かわいいとは思うけどなんか違う。でも、ぬいぐるみを一つだけ持っているの」


 彼女の部屋の入り口にあるベッドまで歩いていく。


 水色のベッドカバーをはずすと、そこには茶色の熊のぬいぐるみがあった。


 小柄な彼女が両手で抱えるようなもので、かなり大きい。だが、その素材や修理された形跡が、その人形の作られてからの歳月を思わせた。


「持っているんじゃないですか」


「これは眠るときに欠かせないの。お兄ちゃんとお父さんとあと一人以外は誰にも見せたことはないけどね。だからちょっと飾るのとは違うかな」


 それは彼女のこだわりなのかもしれない。


 そんなことに深く突っ込む気はせず、とりあえずそういうことにしておいた。


「年の近い男の子を部屋に連れてきたのははじめてかも」


 彼女はそういって微笑むと、ぬいぐるみをベッドカバーの上に置いた。


 僕もそうなのかもしれない。女の部屋に来たのははじめてだった。


 あまり言うと彼女が喜びそうなので、言いたくないけど。


「飲み物は何がいい?」


「何でもいいですよ」


「そしたら待っていてね」


 彼女は軽い足取りで部屋から消えていく。


 僕は一人取り残されることになった。


 ほとんど知らない女の家に来て、何をやっているんだろう。恋人といってもそれは建前に過ぎず、同じ学校程度しか共通点もないのに。


 だいたい、知らない男を家にあげる彼女も無防備すぎる気がした。そのまま勘違いをしそうなやつなんてごまんといるのに。


 でも、あの目つきの悪い兄がいたら、何かしようとも思わないか。


 なんとなく興味があって部屋の中を見渡す。部屋の中には大きな本棚があり、びっしりと本が並んでいる。学術系の本が多いようで、学校の教科書もあれば、物理学等と書かれた専門書らしきものもある。あの兄からもらったのだろうか。


 だが、興味がないと自分の部屋には置かないだろう。彼女は大学に行かないと言っていたのに、どうしてこんな専門書が多いのだろう。


 三田の言うようにお嬢様なら、学費とかは関係ないだろうし。


 そのとき、ドアの向こうから声が聞こえた。


「開けて」


 僕は立ち上がると、ドアを開ける。


 そこに立っていたのは両手がふさがった彼女の姿だった。


 その手にはお盆が握られ、お盆の上にはティーカップが二つ並んおり、ほのかな甘みのある匂いが漂っていた。


 その隣にはクッキーが添えられている。



 なんとなく小学生のときに行った友達の家を思い出していた。


 友達の家に行くと、お菓子が出てきていたから。


「好きなだけ食べてね」


 彼女はそんな友達のお母さんみたいなことを言い出す。


「このクッキーってもしかして」


 市販のクッキーとは見た目がどこか違う。


 クッキーの表面が市販のものより少し粗く、大きさにも若干の差異がある。お店で売っている手作りクッキーと見た目が酷似していた。


「そう。お兄ちゃんの手作りなの」


 さっきの兄の姿を思い出す。


 お弁当やお菓子を作ったりというのが何か似合わない気がした。


 美形だし、考えようによっては似合うかもしれないけど、人のために何か作るというよりは作らせそうなイメージだ。


「今度はわたしが作ってあげるから」


「作れるのか?」


「大丈夫」


 彼女はかなり大雑把なものを作りそうな気がする。でも、クッキーなら包丁も使わないし、失敗することもあまりないだろう。


 それに兄がいれば心配することはないのだろう。


 彼女は僕が何も言わなかったことが、分かったの合図だと思ったのだろう。目を細めて、少しだけ首をかしげた。


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