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第八章

その男はうさんくさかった。

 着崩したスーツとサングラスに身を包んだ、ひょろりとした体型の青年。ホストのお兄さんに見えないこともないではないが、これをホストと呼んだら抗議の声が届きそうな、そんな風体の男性だ。

 ぼさぼさの頭をかきながら、彼は店内に足を踏み入れた。

 晃が声をかけようとしたとき、それよりも早く鈴が反応していた。

 「八樹さん」

 男がすちゃっと片手を挙げて答える。

 「よう」

 「知り合い?」

 実弥が鈴にたずねると、彼女はこくりと頷いた。

 「そうでしたか、ここ、どうぞ」

 「ん、ども」

 晃に席を勧められ、八樹と呼ばれた男は鈴の向かいに腰を下ろした。

 「八樹さん、今日来るなんて聞いてないですよ」

 「ああ、言ってねえしなあ。そういえば」

 いかにも軽薄そうな口調で答えて、彼は実弥と晃に目を向ける。

 「えーと、八樹って言います。よろしく」

 『はあ』

 気の抜けた声を揃える。それ以上の説明を求める視線が八樹に注がれていた。

 「あー、つまりは、こいつの上司、というかなんというか。保護者?」

 「保護されてる覚えはありません」

 きっぱりとした声でばっさり切り捨てる鈴。

 「つまり、なんなの?」

 実弥が二人に尋ねると、八樹は顔をしかめた。

 「おい、ひょっとしてまだ何にも言ってないのか?」

 「あ、いやその。いろいろあって、説明が遅れちゃって」

 「飯まで食っといて……。すんません、ほんと」

 へこへこ頭を下げる八樹。殊勝なところもあるのだろうか。

 「で、つまりなんなの?」

 再びの質問に、八樹と鈴が顔を見合わせる。口を開いたのは鈴のほうだった。

 「……すみません。改めて全部、ご説明します」


 「まず最初に、店長さん」

 晃に向き直って、鈴は深く頭を下げた。

 「昨夜は、本当にすみませんでした」 

 「え、な、なんで鈴ちゃんが謝るの?」

 困惑する晃。彼女は視線を落として、次に実弥のほうを見た。

 「……先輩なら、わかると思います」

 晃の驚いたような視線を受けて、実弥は腕を組んだ。

 「……信じがたい、っていうか。あれが何だったのか、まだよく分かんないんだけど」

 あのあとしばらく屋上で呆けていた実弥。ほっぺをつねるという古典的な行動に出たりもしたが、幾多の先例と同じくそれは夢ではなく、少しして降ってきたテニスボールが現実感を如実に伝えていた。

 実弥は上目遣いに鈴を見やる。

 「ま、見てもらったほうが話が早いだろ。春岡」

 八樹はそう言って、懐からタバコを一本取り出した。ジッポで火をつけると、独特のにおいと共に細く煙が立ち上る。鈴は立ち上がってテーブルからすこし距離をとった。

 すかさず灰皿を用意する晃に、八樹がへこ、と頭を軽く下げたりした。

 「……じゃ、見ててください」

 鈴の人差し指がくるりと弧を画いた。

 実弥が見た、ダンスにも似た動き。さわ、と店内の空気の動く気配。

 風。

 たなびいていたタバコの煙がゆらゆらと揺らめく。

 「……これは」

 「あたしの、力です」

 言いながら、手のひらで煙を包み込むように動かした。

 たなびいて見えなくなっていくはずの煙が、明確な指向性を持って鈴の周りを漂い始めた。円を画いて鈴を取り囲んでいく。

 「こういうことができる人間が、いるんだよ。この世には」

 八樹は事も無げに言ってうまそうにマイルドセブンの煙を吐き出す。

 鈴は開いていた手のひらを天に掲げ、ぎゅっと握りこんだ。

 彼女を取り巻いていた煙が、その拳を中心に集まり始める。やがてそれは手のひら大の球体になった。

 ふわふわと風が流れる。今まで動きを止めていた空気が活動を始める。

 煙の粒子が、色濃く見えるほどの濃度で鈴の上に収束した。

 「……あたしは、風を使えるんです」

 「風、というか、空気かな。空気を自在に動かす力。そよ風であれ、竜巻であれ、鈴にはそれを作り出すことが出来るわけだ」

 八樹が鈴の言葉を補足する。

 「信じられないでしょうけれど、本当なんです」

 煙の玉を鈴の細い指が突く。すると風船がはじけたかのように、玉は霧散して消えた。

 晃はぽかんと、魔法のショウを披露した少女を見つめていた。

 「風をボール状に留めて、煙を巻き込んだんです」

 ちらり、と鈴は黙ってことの成り行きを眺めていた実弥のほうを見る。

 「やっぱり、夢じゃなかったわけだね」

 「はい。昨日は、驚いて風を暴走させてしまって。朝、八樹さんから電話がかかってきて。この店で小さな竜巻が起こった、って聞いて……」

 声が細くなっていく。晃があわてたように手をはたはたと振った。

 「いや、そんなに気に病まないで。ね?わざとじゃないんだよね?だったら別に、そこまで謝ることはないよ」

 実弥もそれに続く。

 「そうそう、わざとじゃないんだから。気にしちゃだめだって」

 すると鈴は顔を上げて鋭い視線を実弥のほうに飛ばしてきた。

 「……そうですよね、わざとじゃないんですもんね……」

 「いやー、あはは」

 とぼける実弥。そこに晃がタイムリーな質問を投げかけてきた。

 「でも、なんだって驚いたりしたの?」

 「ああ、それは俺も聞きたい。その辺の事情は聞いてないから。だいたい、暴走が起きるほど驚くことなんて滅多にないだろ」

 「そうですね……」

 鋭い視線をさらに尖らせて鈴は実弥を睨む。仕方なく実弥はぼそぼそと口を開いた。

 「あー、つまりその。この娘にね?コーヒーを出したの。いつも通りのおいしーいコーヒーを。そうしたらなんか、……カップの底に、あれが」

 「あれ?」

 気まずそうに目線を逸らす実弥。いやな汗をたらたらとかいている。

 「……あれ。厨房にもたまーに出る、黒くて……早くて」

 「カップの底に、あれが!?」

 突然に晃ががたんと音を立てて立ち上がる。

 「ちょっと、何やってんの!実弥ちゃん、それはさすがにヤバいよ、マジで!」

 飲食店の沽券に関わる問題だけに、店長も必死だ。こんな形相の晃はそうそう見られるものではない。

 「っていうか、それ飲んだの!?」

 鈴は顔を青ざめて、必死で吐き気を押さえて入るようなポーズを取っていた。昨日のことを思い出してしまったのだろうか。

 こくりと一つ頷くと、彼女はそのままトイレに向かって一直線にダッシュした。心に相当のダメージを負ったと見える。

 おかわいそうに。

 両手を合わせる実弥の肩に、晃の手がぽん、と置かれた。

 「今月の給料、時給百円ぶん減らしとくから」

 「ちょっと!?か、勘弁してよ!ただでさえ安いのに!」

 「ダメだ!さすがにこれはダメだ!」

 「今月だって姉ちゃんが働かないからピンチなんだよ!お願いだから見逃して!」

 「ダメだ!」

 あっという間にてんやわんやになった店内でひとり黙っていた八樹が二本目のタバコをふかしながらぼやいた。

 「……話が、進まねえ」


 しばらくして、話が再開された。

 「それで……今日はお詫びと、弁償のために来たわけなんですが」

 ごくごくと水を飲み干して、鈴は声を絞り出す。すこし休んだら、という晃の言葉に大丈夫です、と気丈に答えた。

 「それで、この人は?」

 無礼にも人差し指を八樹に突きつけて、実弥が尋ねる。答えたのは八樹本人だった。

 「それも含めて、けっこう長い話になるんだけど。いい?」

 「えー」

 忍耐力のない実弥だ。

 「一応聞いてください」

 鈴がそんな実弥に対してぴしゃりと言った。

 「まず、あたしみたいな力のある人間。特別な呼び方があるわけじゃないんで、いつもは『能力者』とかなんとか、適当に呼んでますが。とにかく、あたし達みたいな能力者は実は、日本国内に結構たくさんいます」

 「みんなあんたみたいに、風が使えるの?」

 「そのへんは人によります。他の人に会ったことがないから分からないですけど、たとえばあたしの風みたいに水を使ったりするらしいです」

 「ほんとかよ……」

 目を細める実弥だが、心の底から信じていないわけではなかった。今日一日、目の前で起こった出来事が常識というものを揺さぶっているのだ。

 「たくさんって、どれぐらい?」

 「さあ……。でも、日本だけでも百人くらいいるって聞きました」

 「まあ、そういう人間がいる、ってことを信じてもらえればそれでいいんだ。その力は本人も自覚がないまま、ある日突然に目覚める。そいつの意思とかは関係なく、な」

 言葉を継いだ八樹がちらりと鈴のほうを見た。

 「目覚めたばかりの力は不安定だ。気付いたら鈴みたいに風を使えるようになってた、とかならまだいいが、目覚めたとたん昨夜みたいに力を暴走させちまうやつもいる」

 「だから、そういう人たちがきちんと力を調節できるようになるまで、しっかりとした管理が必要になります。八樹さんの仕事は、そういう人たちの管理と指導なんです」

 たしかに、昨日のようなことがあちこちで起こったら大変かもしれない。仮に死者でも出してしまったら目も当てられないだろう。

 だが、と実弥は思う。そもそも、そういう能力の『目覚めた』人間など、どうやって見つけ出すというのだろうか。日本中、多いとはいっても百人程度では到底不可能ではないのか。

 その疑問を口に出すと、答えたのは鈴のほうだった。

 「あたし達は、誰かが近くで力を使ったりするとそれが分かるんです。感じる、っていったほうが近いかもしれないですけど」

 「……犬が、近くに他の犬がいるのを嗅ぎ取るみたいに?」

 「犬じゃないですけど。まあ、そんなもんです」

 微妙に膨れる鈴。

 「あたし達みたいな能力者はあちこちに散らばって、新しく力の発現した人を見つけたら八樹さんみたいな人に連絡を入れることになってるんです」

 もっとも、それを感知することなんて滅多にない、と鈴は説明した。

 「まあ、そうだろうね」

 鈴みたいな人間がそこらじゅうにいたらきっと大変だろう。

 「……なら、八樹さんもなんか超能力が使えたりするの?」

 実弥が再び八樹を指差して尋ねると、彼は首を横に振った。

 「いーや。さっき鈴がちょこっと言ったが、こいつみたいな連中を管理する組織がちゃんとある。こいつらが実社会でちゃんと、普通の人間として暮らしていくためにある組織がな。俺はそこに勤めてるってだけで、なんの力もないただの人間だよ」

 そうして八樹はふう、と煙を吐き出した。肩書きはエリアマネージャーというらしい。

 その呼称に、コンビニかよ、と心中で突っ込む実弥だった。

 「それでですね、店長さん」

 晃に向き直って、口調をすこし真面目にする八樹。

 「破損した箇所や食器なんかは、うちの組織のほうで弁償させて頂きます。修理の手配のほうも請け負いますし、慰謝料のほうも振り込ませていただきたいと――」

 「あ、いや」

 そこで晃は、彼の言葉をさえぎった。

 「その、店を元に戻すのは、自分の手でやりたいんです。なんていうか、壊れたところも全部ひっくるめて、自分の店だから。直すのも僕らの手でやりたいかな、なんて」

 ぽりぽりと頬をかきながら晃は言う。実弥はあからさまに嫌そうな顔をしていたが、なんとなくそれを表に出せる雰囲気ではないので黙っていた。

 「いいんですか?」

 「はい。でも、費用のお世話してもらえたりなんかしたら、ものすごく嬉しいかな」

 「……わかりました」

 せせこましいことにかけては天下一品の店長、しっかりと請求する事を忘れない。

 「謙虚なのかなんなのか、わかんない人だね……」

 味噌汁をずるずるとすすって実弥はつぶやいた。となりで鈴もこくこくと頷く。

 二本目のタバコをもみ消した八樹は立ち上がって鈴の頭をぽんぽんと叩いた。

 「しかし、ちょっと様子見に来て良かったよ。こんな時間だってのに一言も説明せんと茶碗つついてんだから。まだまだガキだな、春岡は」

 「……いいじゃないですかっ」

 むくれる鈴を見て八樹は口の端を緩めた。振り払われた手を懐に突っ込み、三本目のタバコを取り出す。

 若い親子。実弥には二人が、そんな風に見えた。

 「じゃあま、俺は行くから。なんかあったらちゃんと報告しろよ」

 「行っちゃうんですか?」

 「ヒマじゃねえんだよ。お前と違って」

 「そうですか……」

 「おう。そんじゃ、早いうちに費用は振り込ませていただきますんで」

 「ぜひともよろしくお願いします」

 晃が鼻息を荒くして答えた。ドアノブに手をかけたところで、八樹は晃と実弥、二人を振り返って口を開く。

 「あー、あと、絶対とは言いませんが、なるべく俺たちのことは口外しないようにお願いします。言ったって信じるのは関係者だけですが、なんか問題にならないとも限りませんから」

 「は、はい」

 「了解ですー」

 片方は背筋をピンと伸ばして、もう片方は茶碗を掲げて答えた。

 「ども。んじゃまたな、春岡」

 手をひらひら振って八樹は『カフェ・更級』を後にした。


 「そんじゃ、またね。店長」

 「ごちそうさまでした」

 おのおの晃に別れを告げ、実弥と鈴は店のドアをくぐる。食事が終わり、みんなでコーヒーを飲みながらまったりしていたらいつの間にか九時になってしまっていた。

 ちなみに実弥はあのあともう一度おかわりした。

 「うん、気をつけて。今日はありがとね」

 店先に出た晃に見送られながら、二人は揃って歩き出した。

 初夏の空気は、この時間それほど暑苦しくない。

 「しっかし、ちょっと疲れたな」

 ぽつりと実弥はつぶやいた。昨日今日とあれこれ非常識なことが起きたのだから、当然なのかもしれない。

 「……」

 鈴の反応はなかった。隣を見るとそこに姿はなく、振り向くと彼女は少し後ろで今しがた出てきたばかりの『カフェ・更級』を眺めている。

 晃の姿はもうそこにない。カーテンを閉め切った店内から光が漏れ出ていた。

 「……どしたの?」

 たずねると、はっとして鈴がこちらを振り向く。あわてたように実弥の横に並んだ。

 「なんでもないです」

 うつむいて言う。月明かりの下、どこか寂しげな表情。

 あのときの鈴の表情が、脳裏をよぎった。

 「いいお店ですね、あそこ」

 そんなことを言う鈴に、実弥は顔をしかめる。

 「そんなことないよ。普段はヒマだし、週末は酔っ払いの相手しなきゃなんないし」

 完全に従業員から見た意見だ。晃がここにいたらさぞ悲しそうな顔をしただろう。

 「でも、いいお店です」

 うつむき加減で言いながら、鈴は歩を進める。

 月は出ていなかった。町の明かりが空に浮かぶ雲を薄く照らし出している。

 明日は雨が降るかもしれない。そんなことを思った。



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