第七章
本日のメニューはサバの塩焼き、ご飯に味噌汁と、絵に描いたような和食。
「いただきまーすっ」
箸を振り上げて、実弥は高らかに宣言した。着衣は乱れ、髪もぼさぼさになってしまった彼女。色気もへったくれもない女子高生の出来上がりだ。
「いただきます……」
鈴はしおしおとサバの身を口に運ぶ。彼女も実弥と同じく、ぼろぼろの風体で椅子にちょこんと腰掛けていた。
「あ、おいしい」
表情に明るさがいくらか戻る。淡白ながら脂の乗った身にほどよい塩加減。
「そりゃよかった。岩田さんが――さっきいた魚屋のおじさんね。あの人が持ってきてくれたんだけど」
「へえ。……でも、この味噌汁もおいしいですよ」
「うん。ほんと、料理だけが取り柄だよね、店長って」
そんなアルバイトの失礼な発言にも、晃はニコニコしている。どこまで人がいいのだろうか、この男は。
もそもそと食事を続けていく三人。鈴は話を始めるタイミングをちらちらとうかがっていた。これから話そうと思っている内容は、白米を口いっぱいに詰め込みながら聞くような内容ではない。だから、いつ話していいものか分からなくなっていた。
「……あの、ですね」
味噌汁をすすってから、遠慮がちに口を開く。
「ん?なに?」
晃が鈴に目を向けたが、次に口にしようとした言葉を実弥がさえぎった。
「店長、まだご飯ある?」
「ああ、あるよ。みんなにおにぎりでも作ろうかと思って結構炊いたんだ。よく考えたら岩田さんたちだっていつまでもいられないのにね」
「おっけー。味噌汁ももらっていい?」
「うん」
「太りますよ?」
鈴が言ってやると、先輩はひらひらと手を振った。
「今日はカロリー消費したから、ちょうどいいんだよ」
「全然動いてなかったじゃないですか!」
突っ込みを無視して、実弥は厨房に消えていった。
「それで、なんだって?」
「へ?あ、えっとその」
タイミングを外されておどおどしながら、鈴は口ごもった。このまま話すのもなんだか間が抜けている気がする。
「いや、あとでいいんです……」
「そう?あ、おかわりあるよ。いる?」
空になった鈴の茶碗を指差して晃は言う。鈴はちょっと考えて、
「いただきます」
ふだんあまりいいものを食べていないせいか、晃のご飯がとてもおいしく感じる。
席を立とうとする晃を制して、鈴は茶碗を手に取った。
「自分でやりますよ。炊飯器ってどこですか?」
「厨房の左奥だよ。まあ、見れば分かるから」
「はい、じゃ、いただきます」
席を立って厨房へ向かおうとしたとき、一足先にご飯を追加してきた実弥と目が合った。
「太るよ?」
「太ったって先輩よりは軽いだろうから、大丈夫です」
「……ふ、言うじゃん」
「はい、そりゃあもう」
昨夜の恨み、これがどれほど大きいものか。
「……」
「……」
無言でしばしにらみ合う二人。険悪なムードを察した晃があわてて口を開く。
「ま、まあまあ。座って、ね?実弥ちゃん」
「……」
「そ、そういえば彩夏ちゃんは元気?」
「……まあ、元気っちゃ元気だけど。ダメ人間だね、あれは」
「誰ですか?」
疑問符を浮かべる鈴に答えたのは晃だった。
「実弥ちゃんのお姉さんだよ。今年でたしか……二十歳だっけ?」
「あー、そうそう。ほとんど無職で慢性的ダメ人間のひきこもり」
「ほとんど無職……。なにしてる人なんですか?」
「翻訳家。つっても、ほとんど仕事ないんだけどね」
「ついでに言うと、ここのもう一人のアルバイトなんだよ」
付け加えた晃のほうを振り向く鈴。
「へぇ、姉妹でバイトしてるんですね。ここで」
鈴が言うと、実弥は首をひねった。
「いやー、どうなんだろうね。まえに来たのが……ええと」
いつだっけ、と晃に尋ねる実弥。問われた晃のほうも首をひねる。
「えーと……。たしかまだ長袖着てたから……そうだなあ。五月くらい?」
「仕事が忙しかったんですか?」
ちなみに今は七月だ。本業が忙しくてバイトに入る時間がなかった、ということか。
ところが実弥は首を横に振る。
「それなら良かったんだけど……。あいにくヤツは、四六時中部屋でゲームしたり本読んだりテレビ見たり、ご飯食べたり歯磨きしたり酒飲んだりタバコ吸ったりしてたよ」
すばらしいダメ人間っぷりに鈴の口もぽかんと開く。
「はー……それはまた、大変ですねえ」
ずりずりと味噌汁をすすりながら眉根を寄せる実弥。
「大変なんだよ……。ただでさえ収入ないってのに。ああ、貧乏のバカ野郎」
「収入ないんですか?」
「うん。うち、両親とかいないからね。私が中二のとき、ちょっとの生活資金残してぽっくりいっちゃった」
あっけらかんと言う実弥に、鈴はあっけに取られた。
「す、すいません。……なんか」
こういう反応には慣れているのだろうか、実弥は何も言わずに手をひらひらと振った。正確にはその手に握られている箸の先っぽを。
「いや、どうせいないもんはしょうがないから。今の生活だって嫌いじゃないしさ」
そう言う実弥の表情は、この二日間で彼女が見せてきたものとは違う、大人びたものだった。背伸びをしない、でも年齢には不相応な自然体の達観。
「貧乏が嫌いじゃないの?」
晃が言う。どこかにやけた表情で。
「じゃあ、時給もうちょっと削ってもいいかな。今ちょっとピンチだし」
「ま、待って!店長、そういうの本当にやるからマジで待って!」
めずらしくあわてる実弥と優位に立っている店長。そんな二人を眺めて、鈴は無意識のうちにため息をついていた。
――もし、自分もこんな風になれたら。
「……どしたの?お腹痛いの?」
覗きこんでくる実弥に、鈴はこんな言葉を投げかけた。
「先輩は……寂しかったり、しないんですか?」
「へ?……まあ、最初のうちはね。でもまあ、姉ちゃんもいるし、慣れたし」
「でも……。いくら慣れたって、お姉さんがいたって、寂しくなる事だって」
「え……、えっとその」
真っ直ぐに見つめられて恥ずかしくなったのか、ぽりぽりと頬をかく実弥。
今までにない鈴の表情に、戸惑っているような顔をしていた。
「す、すいません……」
「んー、いや、いいよ。それよりおかわりいるんじゃないの」
「あ、いや……やっぱり、いいです」
視線が下を向く。わずかな沈黙が生まれた、そのとき。
「ごめんくださーい」
店のドアベルを鳴らして、一人の男が更級に入ってきた。