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第二章

 決して発展しているとはいえないが、さりとてド田舎というわけでもない。

 明豊町は簡単に言うとそんなところだった。割と大きな駅のふもとにはこんな時代にあっていまだ活気づく商店街、その周りに住宅街が広がっている。人がまあまあの暮らしを送っていくのには十分な物量がある反面、大型ショッピングモールや映画館などの施設を利用するには少し足を伸ばして隣町に行かなければならない。

 明豊町の商店街はロータリーの正面から入る常盤通りを中心に、幾本もそれに交差し、平行して走る道と立ち並ぶ商店の数々から成っている。

 そんな町の駅近く、徒歩五分ほどの好立地な場所に、実弥の働く店がある。

 その名も『カフェ・更級』。何を間違えたか、あまりいいネーミングとはいえないかも知れない。反面、古い米屋を改築して作ったどこかカントリーな内装がとてもおしゃれで、なおかつメニューなんかのセンスも好評だ。ネーミング以外で欠点をいえば店があまり広くないせいで集客がそれほど良くない、ということだろうか。とはいえ、少人数で切り盛りしている店なので、それぐらいがちょうどいいと言えなくもない。

 そのカフェ・更科の店主、藤原晃。彼は今、悩んでいた。

 手には薬局でもらったチラシ。ふるふると小刻みに震える手でそれを握り締め、窓に映った自分の姿に目をやる。

 頭にバンダナを巻いた、目の細い青年がそこに映っていた。誰に会っても「人がよさそう」との評価を受けるこの顔面に、何かの不満があるわけではない。問題はその上、バンダナの中のもの。変な汗をかきながら、チラシの文面を読み上げる。

 「……生え際が気になる方へ、朗報です。アメリカで開発された画期的な育毛薬がついに日本上陸!」

 おでこに手をやり、バンダナごしに頭皮をなでる。ビフォーとアフターの写真、毛の薄かった男が、ふさふさになった頭の下ではちきれんばかりの笑顔を見せている。

 「……今なら一か月分、無料のサンプルをお届けします。いますぐお電話を!」

 そこまで読んだところで、彼は激しく頭を振った。

 何を考えてるんだ、僕は。まだ二十代じゃないか。なんでこんなものに頼る必要があるのか。

 苦悩が顔に浮かぶ。眉根にしわが寄り、小刻みに体が震えた。

 なんだかんだいって、このチラシにただならぬ魅力を感じている自分がいる。

 それが許せないのだ。

 夕刻、店内に客はいない。あまりにヒマなのも経営者としてどうかと思うが、こんな小さな店では客の入りはどこもこんなものだろう。

 壁にかけた時計を見やった。午後六時。本来なら五時からバイトに入っているはずの実弥はいない。どうせいてもいなくても同じだし、買い物に出ている間の時給は勝手にカットしてあるので経済的でさえある。

 ただやはり、日曜だというのに客がまるで入らないのはどうだろう。

 チラシをしまおうとしたそのとき、けたたましい駆動音が近づいてきて止まった。すこししてドアベルが鳴る。

 「いらっしゃい――なんだ、実弥ちゃんか。お帰り」

 いつもやる気のない目つきの、黒いショートヘア。桐沢実弥だ。

 何事もなかったかのような笑顔で、晃は即座にチラシを握り潰した。この葛藤を人に見られるのはまずい。ましてや女子高生になど。

 「あれ、買い物は?」

 彼女の手にビニール袋の類は見当たらない。買い物に行くと勇んで出掛けていったというのに、忘れてきたのだろうか。

 そこで、彼女の様子がいつもとどこか違うことに気がつく。目はうつろ、口は半開きで背中も丸まっている。まるで末期の浮浪者のような雰囲気に、晃は少したじろいだ。

 出掛ける前とテンションが違いすぎる。

 「ど、どしたの……?」

 恐る恐る声をかけてみる。うつろな目がちょっとだけ動いて、晃のほうを見据えた。

 「ひっ……」

 怖い。

 「あ、店長……。おはようございます」

 「お、おはようございます」

 なぜだか敬語になってしまう。相手はアルバイトなのに。

 「なんかあったの?」

 「……」

 実弥は答えなかった。かわりに首を横にふるふると振って、店の奥にあるロッカーへと歩き出す。いつもへろへろとした歩き方の実弥なのだが、今はそれが更に悪化して、よろよろになっていた。

 いったい、何があったのだろうか。ものすごく気になるが、どうも話してくれそうな感じではない。

 もう一度、晃は時計を見上げる。これからの時間、なんだかいつもと違う空気がちょっと不安だった。

 

 カフェ・更科は火曜定休、日曜から木曜までは朝十時から夜十一時までの営業で、夜の五時からはアルコール類も出す。ちょっとしたバーに変身するのだ。店内はそれほど広くなく、四人がけのテーブル席が三つとカウンターに五席。個人でやりくりするにはちょうどいい規模といえる。

 駅前商店街にある小さな喫茶店の例に漏れず、主な顧客は商店街の面々だ。酒も飲める店ということで商工会の連中からは重宝されているし、昼下がりには各々の仕事にきりをつけた近所の店からもコーヒーを飲みに来る。

 この店を切り盛りするのは、弱冠二十五歳にして自分の店を構えた店長、藤原晃と二人のアルバイト。バイトの一人、桐沢実弥は月、水、金、土の週四日で入っている。

 喫茶店が忙しいのは朝、居酒屋が忙しいのは夜。今は夜に向かうころ、二者の中間である『カフェ・更級』も忙しくなってくるころなのだが、今、店内に客はいなかった。

 確かに夜忙しくなるのは本当だが、平日はヒマなのだ。

 そういうわけで、いつも二人にはやることがない。居酒屋ともなれば料理の仕込みや酒の準備などの仕事もあるが、それもとっくに晃が終わらせている。

 実弥は椅子に腰掛けて、カウンター上にある盤に自分の駒をぱちりと置いた。

 黒が白になる。

 「……落ち着いた?」

 「あー……」

 「まだダメか……」

 半ば放心状態のまま、彼女は晃とオセロをしていた。

 あまりにヒマなとき、二人はよくこうしてボードゲームをする。ここ最近のブームはオセロだ。ほかにすることもないので、二人の実力はみるみるうちに上がっていった。実弥など、今や学校内でも有数の実力者となっている。

 別に競ったことがあるわけでもないが。

 ただ、今日に限っては様子が違う。実弥はいまだ呆けたまま、でたらめに駒を置いては適当に白も黒もかまわずひっくり返していた。型にとらわれることのないすばらしきフリーダムだが、これではゲームにならない。なんとなく、その姿は知能テストをするチンパンジーに見えないこともなかった。

 しばらくそのまま、盤の上で駒をひっくり返したり戻したりしているうちに、実弥は少しずつ落ち着いてきた。

 バイクで事故りかけて、女の子にぶつかりそうになり、そのあと空を飛んだ。助かった。

 わけがわからない。

 非日常だ。穏やかではない。

 見慣れた場所で見慣れた相手とやり慣れたオセロをしていると、あれが例えば夢や幻だったんじゃないか、と思えてくる。現状は日常だ。いつものような、ヒマな日曜だ。

 だがあれは、現実だ。

 あれはいったい、なんだったのか。

 もやもやが頭の中を蹂躙し、やがて彼女はそれに耐えられなくなった。

 「あーっ、もお!」

 「うわあ!」

 盤をひっくり返し、大いに声を上げて魂を解放する。白黒の駒が勢いよく吹っ飛んでばらばらと散らばった。勢いあまってカウンターの上にあった砂糖の瓶がぶちまけられ、おおいに周辺を汚す。片付けが大変そうだが、実弥にとってそれはほんの些細なことだ。

 もっとも、こういうとき片付けるのは主に晃なのだが。

 「びっくりしたあ……。大丈夫?」

 とりあえずカウンター上の砂糖をお絞りでふき取りながら晃は心配そうに言った。このようなアルバイトの傍若無人なふるまいにも気遣いを忘れないのだから、相当出来た性格をしているのだろう。

惨事を引き起こした実弥のほうはといえば、椅子の前に仁王立ちして水の入ったグラスを手にしている。芸術的な角度で腰に手を当て、一気にグラスの端を口に持っていった。

 「……んぐ、んぐ。……ぷは!」

 がたんと音を立てて、晃が片付けている最中のカウンターに空になったグラスを置く。

 「よし、私は冷静!大丈夫!」

 彼女は気合を入れなおした。あれが何だったにせよ、とにかく落ち着くことが大事だ。

  そこでようやく、カウンターに積もった雪とそれに埋もれるオセロの駒に気がつく。

 「……ん、店長。どうしたの、散らかって」

 「……おかえり」

 こともなげに言い放つ実弥に、苦笑いで返す晃。どこまでもいい人だ。

 偉そうなアルバイトは手近な駒を拾い上げ、高々と頭上に掲げた。

 「さあさ、始めようか!今日は五ゲーム制でいくよ。三ゲーム先に取ったほうが勝ち!」

 声高らかに宣言。開けた窓から風が吹き込んできて、カーテンをはためかせた。

 散らばった砂糖がさらに散って、大変だった。

 

 にこにこ笑う店長と、苦悩するアルバイト。

 人間の世界に復帰してきた実弥は、カウンターの掃除を終えた店長との勝負にのめりこんでいった。時計の短針は七を回り、店内には日光に代わって蛍光灯の明かりが満ちている。店はいまだに一人のお客も捕まえられていない。とはいえこれも普段の光景だ。

 優位に立った店長はそのまま盤の上に白を増殖させていった。

 「うう……てんちょ、卑怯だ」

 「言い訳は見苦しいよ。さ、早く置いて置いて」

 「く……」

 一勝二敗。実弥の成績だ。いつもはもっと伯仲している実力の両者だが、この試合はどうも実弥のほうが旗色が悪いようだ。

 はたして今回の勝負も、晃のほうに軍配が上がった。桐沢実弥、一勝三敗。

 「よーし。じゃ、なめらかプリンよろしく」

 財布をチェックする実弥に、晃は言う。負けたほうはコンビニで何かを買ってくることになっている。勝者は良心の許す限り、好きなものを敗者に注文するのだ。

 「……あと、三百円しかないんだけど」

 「買えるじゃん。プリン」

 恨みがましい目で店長を睨みつけるが、憎たらしい答えしか返ってこなかった。この男、けちだ。

 「うう……。ひどい」

 「前は五百円もするケーキを買わせたじゃないか。おつり出るよ」

 「あんた、大人だろ……」

 がっくりと肩を落として、実弥は観念した。次こそはと気合を入れなおし、店の入り口に向かったとき、店のドアベルが鳴った。

 実弥の表情がぱっと明るくなる。

 「いらっしゃいませ!」

 これで何とかプリンのことをうやむやにしようという意思が、その動作に表れている。

 晃のほうをにやけた顔で見た後、入ってきた客に視線を戻した実弥の動きが、止まった。

 「あ」

 「あ」

 客のほうの動きも、一瞬止まっていた。

 実弥の指がそのお客を差し、指先はわなわなと震える。

 長い黒髪がさらりと揺れた。大きい目がはっと見開かれた。

 ついさっき、衝突事故に巻き込みかけたあの少女がそこにいた。 

 「あーっ!」



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