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第十一章

一週間後、明豊高校はテスト週間に入った。

 雨も上がり、日差しが夏の暑さを盛り上げようと余計な演出をしはじめ、勉強するにもまずは冷房の庇護が必要になってきた。

 テストは一日二〜三科目。午前中で帰れるシステムだが、家に帰ったら勉強しなければならないことを考えれば、どの学生もあまり素直に喜べないだろうか。

 そんな中、実弥は今日も『カフェ・更級』に顔を出していた。水曜日、テスト三日目。一週間のど真ん中で、翌日には生物と国語のテストが控えている。

 客として来ているので、実弥の態度はいつにもまして横暴だった。

 「だからさ、勉強するなとは言わないけど」

 晃は渋い顔で、二つあるテーブル席のうち一つを占拠している彼女を睨んだ。

 「いやね、勉強しなくても誰にも怒られないと思うと、逆にやんなきゃ、って気分になるんだよね。なぜか」

 聞かれてもいないのに、ぽりぽりと頭をかいて実弥は答える。テーブルには教科書や問題集、参考書が積み上げられ、崩されてひどい有様になっていた。

 「だから、そういうことじゃなくて……。あの、ここ喫茶店なんだからさ?」

 強く言えない性格の晃は、半ば諦めムードで懇願した。

 「大丈夫だって。お客さん来たらちゃんとどくから」

 でもあまり効果はなかったようだ。

 「お客さんこないしね」

 鼻歌交じりに言う実弥に、店主は涙する。顔見知りだったとはいえ、なんでこんな娘を雇ってしまったのだろうか。

 一年前、彼女を採用したころはもうすこし真面目だったはずだ。少なくとも店内でテスト勉強を始めるほど傍若無人ではなかった。

 思い出して、晃はすこし頬を緩めた。

 「……実弥ちゃんも変わったもんだね」

 「だれが変わりもんだって?」

 「あ、いや、違います。すいません」

 へこりと頭を下げる。実弥はこちらを向いてさえいなかった。

 晃はため息をついて、カウンター席に腰掛けた。自分用に入れたコーヒーを一口。

 なんだか最近、ため息の回数が増えているような気がする。

 「……それにしても」

 店内を見回し、ポツリとつぶやいた。

 「まあ、きれいになったもんだ」

 以前と変わらず、それどころか以前よりもすこし輝いて見える気すらする。

 カウンターの上に並べられた酒類のボトル達、きっちりと整理されたカントリー調の内装に、棚の中にはピカピカ輝く白磁のカップ。意味もなくコーヒーを入れてみたくなる。

 そして。

 晃の目が、肩越しにカウンターの向こう、棚の横に置かれた機器に向く。

 新品のエスプレッソマシン。イタリア製の、かなり贅沢な一品だ。

 「……これが、タダなんて……」

 恍惚とした表情で晃はつぶやいた。危ない人に見える。

 この店の人気メニューの一つに、カプチーノがある。

 深く炒ったコーヒー豆を細かく挽き、高温の蒸気で一気に抽出したものをエスプレッソと呼ぶ。少量だが濃厚な味わいの、イタリア式の飲み方だ。

 そこに空気と混ぜて暖めたミルクを注ぎ入れたものをカプチーノという。ミルクの空気は細かな泡となって、味わいをまろやかに、甘く仕立て上げる。

 その泡にファンシーな模様を描くというスタイルで、このカプチーノを出す店がある。更級でもそれを真似てくまやネコなんかを表面にあしらい、若い女性を中心にそこそこの人気を博していた。

 その人気メニューを作るのに必要不可欠なエスプレッソマシンも先日の騒ぎで破損してしまったのだが、八樹の組織が弁償してくれたのだ。しかも新品、高級品。

 そういうわけで、店主は今、ご満悦なのだった。

 「ふふ……ふふふ。タダ……」

 コーヒーおたくの晃がにこにこした目でそのすばらしいマシーンを眺めていると、突然テーブルのほうで大きな音がした。振り向くと、さっきまで上機嫌で机に向かっていた実弥が椅子をひっくり返して立ち上がっていた。

 「……わからん」

 ふるふると小刻みに震える実弥の肩。シャーペンを硬く握り締め、うつむいて。

 「わからーんっ!」

 先日砂糖をひっくり返したのと同様に、彼女はテーブルの本や文具の山を破壊した。

 ばさばさと参考書が崩れ、ペンケースからペンや消しゴムなどが散乱し、またも周囲を盛大に散らかす。

 「なにが二次関数だ!代入だ!いい加減にしろっ!」

 天に向けて吠える。魂の叫びに、晃は驚いて椅子ごとひっくり返った。

 「偉いのか!?等式の証明ができたら、えらいのか!」

 世の中に対する不満を一気にぶちまける。そのあとはココアを一気に飲み干し、

 「さあ店長、オセロだ、オセロ!はやく!」

 オセロ盤を引っ張り出してきて、カウンターに叩きつけるのだった。

 「その前に、片付けて……」

 諦めきった表情で、息巻く実弥をなだめる。

 なんでこんな娘を雇ってしまったのだろうか。

 

 「……そういえばなんかこういうの、前にもあったよね」

 「ん?」

 ぱちり。白が裏返り、黒になる。

 「ほら、ほんのちょっと前に。こうやってオセロしてたじゃん。店が荒れる前」

 「ん……ああ。デジャヴってやつ?」

 ぱちり。黒がその支配領域を少し広げた。

 「違うと思うな……」

 「そう?」

 ぱちり。白が黒の平野に一本のラインを引く。

 「……なんか、実益のないことを繰り返してんだね、俺たち」

 「いいじゃん、楽だし」

 ぱちり。黒が隅っこの一角を完全に支配した。

 「そんなんじゃ、ダメ人間になっちゃうよ」

 「ああっ!角取られた!」

 ゲームの行方を左右する大事な拠点を、店長の黒が確保。またも晃の方が優勢のようだ。

 「ちょっとまってください」

 棒読みで待ったをかけ、実弥はポケットから財布を取り出した。残金、五百円。

 まずい。

 実弥は焦る。ここで負ければ、このただでさえ寒い財布がますます凍えてしまう。

 「ま、負けらんねえ……」

 きっ、と店長を睨み上げる。突然向けられた敵意に、晃はちょっとたじろぐ。

 「な、なに?」

 「店長、死を覚悟してもらうよ……」

 すごい迫力で、静かに駒を手に黙考する。

 オセロは気合だ。ビビらせたもん勝ちだ。

 何の根拠もない理論だが、実弥はわりと信じていた。

 「さあ、いくぞ――」

 気合を入れなおしたそのとき、ドアベルがからころと鳴る。

 「……こんにちは」

 小さな声と共に、一人の少女が店に足を踏み入れてきた。

 「お、いらっしゃい。鈴ちゃん」

 「……どうも」

 うつむき加減に笑って、鈴はカウンターのほうに歩み寄ってくる。椅子に腰掛けると、晃は水とおしぼりを置いた。

 かたやせっかくの気合をアイドリング状態にされた実弥は、すっかりテンションを落として水をずるずるとすすっていた。その心中では、これで負けそうな試合をうやむやにしてやろうと考えてもいたが。

 「ブレンドにする?僕としては、カフェラテとかもお勧めだけど」

 カフェラテはカプチーノの親戚のようなものだが、泡の具合がより細かい。泡すら立てない場合もあり、またミルクの量もカプチーノより多く、甘みが強い。

 お勧めとか口では言っているが、単に新しいエスプレッソマシンを使ってみたいだけなのを実弥は知っている。

 「じゃあ、お願いします」

 「おっけー、まかせて」

 晃は後ろを向いて、ピカピカのマシンを嬉々としていじくり始めた。

 「……ん?」

 とろんとした目で店長の背を眺めていた実弥は、カウンターに座る鈴の視線がこちらに向いているのに気がついた。

 視線を向けると、慌てたように下を向く。

 「なに?」

 「あ……その」

 「んー?」

 ずるずるとはしたない音を立てて水をもうひとすすり。エチケットについてどこまでも無関心なこの娘、男でも普通水を飲むのに音を立てたりしない。

 「あの……ええと」

 もじもじしている。じれったいのが嫌いな実弥は、次第にいらついてきた。

 「なに?」

 「……実は――」

 「はい、おまたせー」

 鈴の言葉にかぶせて、晃がカフェラテの入ったカップを運んでくる。

 「話の腰を折るな!」

 「ええ!?」

 カップを置いた晃の手がびっくりして震える。

 「で、なんなの?」

 腕を組んで実弥は鈴に話の続きを促した。上目遣いに実弥を見やって、鈴は口を開く。

 「今日の、帰り際のことなんですけど」


 今日の昼前のことだ。

 テスト期間中ということで試験は昼まで、現国と世界史のテストを終えた鈴は、いつものようにさっさと下校していた。

 「あー、わかんなかったなあ。ローマとギリシャって、同じとこじゃなかったの?」

 隣を歩くマヤがぼやいた。彼女の成績は、一年生の前半から低空飛行ぎみらしい。

 「あのへんって結構、ごっちゃになるよね」

 くすりと鈴が笑う。

 ここ最近で彼女の下校風景は少し変わった。家の方向がたまたま同じだったので、部活が休みになるこの時期、マヤと一緒に帰るようになったのだ。

 「だよねえ。……鈴ちゃんって、成績とかほんとのとこどうなの?」

 「え……」

 五月にあった中間テストのことを思い返して、すこし言葉に詰まる。

 「……一三○位」

 一年生約二〇〇人中、一三〇位。お世辞にもあまり優秀とはいえない。

 からからとマヤは笑った。

 「意外。もっと、頭いいかと思ってたんだけど」

 なかなかにストレートな表現にむっとなる。むくれて鈴は聞き返した。

 「じゃあ、何位だったの?」

 「ん、一五〇位だけど?」

 「……」

 堂々たるその態度、とろんとした目で鈴は彼女を見た。マヤは成績のことなどまったく気にしていないようだ。まあまあ、と言ってひらひらと手を振った。

 「そんなことより。ね、テスト期間中もバイトしてるの?」

 いきなりの質問に虚を突かれる。呆けていた顔に緊張が少し戻った。

 「う、ううん。その、勉強があれだから」

 慌てて手を振って適当にごまかす。

 「そっかあ。でも、その割にはあんまりだよね」

 「いいのっ」

 またむくれた鈴の顔を、マヤが覗き込んできた。くりくりとした目が合って、妙に恥ずかしい。

 「じゃあさ、テスト終わった日とかは?土曜」

 「え、あー。その」

 ちょっと考える。あんまり否定し続けるのも、どこか不自然だろうか。

 迷ったあげく、言ってしまった。

 「……入ってるよ、バイト」

 声が小さくなったのにマヤは気がついただろうか。にこりと笑って、さらに顔を近づけてくる。

 「じゃあ、行っていい?」

 来た。とうとう。

 「……うん、いいよ」

 「おー、じゃあ土曜日、その店連れてってね!」

 「うん……」

 小躍りするマヤの横で、鈴は内心頭を抱え込んでいた。

 身から出た錆だ。どうにかしなくてはならない。

 後ろめたい気分を存分に味わいながら、鈴は商店街を通り抜けていったのだった。

 

 「……で、ここで働いてることにして欲しい、と」

 実弥が締めくくると、鈴はこくりと黙って頷いた。上目遣いで店長と実弥を交互に見て、すみません、と小さな声で言う。

 「はあ、まったく……」

 腰に手を当てて、この店の正式なアルバイトはため息を一つ。その口元はにゅっと吊りあがり、あからさまに楽しそうだ。

 「なんでそんなウソついちゃうかなあ」

 偉そうに足を組んで、コップの水をひとすすりする。

 「その……本当のこと、言うわけにもいかないし」

 「でも、僕たちには言ったじゃない」

 「それは……お二人は、巻き込んでものすごい迷惑かけちゃいましたから……。隠しておくよりちゃんと説明しておいたほうがいいって、八樹さんと話し合ったんです」

 「へえ……。でもやっぱり、ウソはよくないよ」

 ここでは年長者らしく、晃はやんわりと鈴を諭す。

 「……すみません」

 「うーん……どうするかなあ」

 「あたし……」

 うつむいて何かを言おうとした鈴の横で、がたんと実弥は立ち上がった。

 「しょーうがないなあ、鈴ちゃん」

 腰に手を当て、体を思い切りそらしてどこまでも不遜に言う。鈴がびっくりして見開いた目を実弥のほうに向けてきた。

 「よし、ここは一つ協力しようじゃないか!鈴ちゃんの美しい友情を、お姉さん達が守ってあげよう!」

 店長に無断で勝手に決めている。

 「ちょ、実弥ちゃん?」

 狼狽する晃をよそに、鈴の肩に両手をやってばしばしと叩く。

 「任せなさい。あたしの店なんだから、大丈夫よ!」

 「違うよ!?」

 「せっかく頼ってくれたんだから!」

 「ん……うーん、そうだなあ」

 勢いに押され、頬をぽりぽりと掻いて難しい顔をする晃。その脇をすり抜け、実弥は控え室に向かっていった。

 「待ってなさい!あんたを超高級なレストランでも通用するウェイトレスに仕立て上げてみせるから!」

 どたばたと店の奥に引っ込んでいく。

 鈴はホッとしたような、迷惑なような、なんともいえない複雑な表情を浮かべていた。

 

恥ずかしい。

 「あはははは!何これ!」

 「こっちのセリフです!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ鈴を指差して、実弥は腹を抱えて笑い転げていた。

 ふるふると肩を震わせる鈴。白のブラウスにふわふわのロングスカート、フリルのついたエプロンにカチューシャ。

 いわゆるメイドさん一歩手前、といった格好だ。

 「あはははは!似合うよ、すげえ似合う!」

 まだ笑っている。横では晃が小さく頷いていたりした。

 まずは格好から、と実弥が奥から持ってきた衣装を鈴に着せたのだ。もちろん鈴は嫌がったが、押し通す実弥の勢いに負けて着てしまった。

 「……っていうか、何でこんな服があるんですか?」

 うつむいて言うと、晃がそっぽを向いて口笛を吹き始めた。

 「まあ、そういうことで。さ、練習するよ」

 目じりに浮かんだ涙をぬぐって、実弥はトレイを一枚手に取った。

 「さ、始めよう。まずは挨拶から」

 真っ直ぐに鈴を見つめる。何を求められているのか察した鈴は、おどおどしながらも小さく口を開いた。

 「……い、いらっしゃいませ……」

 恥ずかしい。

 「声が小さい!」

 ばしんという音と共に、脳天に多大な衝撃が走る。

 「痛い!」

 頭を押さえて、鈴は自分をトレイでひっぱたいた女を睨み上げた。

 「何するんですか!」

 「そう、その声!さあ、もっかい!」

 うんうんと頷いて続きを促され、涙目のまま鈴は声を上げた。

 「いらっしゃいませ!」

 「よーし、もう一回!」

 「いらっしゃいませ!」

 「まだまだ、声が小さいぞ!」

 「いらっしゃい、ませぇ!」

 声を張り上げること数分。ぽんぽんと実弥が手を叩く。

 「よーし、もういいだろう。じゃあ次ね」

 「……つ、次は何をすれば……」

 「はい、リピートアフターミー。お帰りなさいませ!」

 結局挨拶だ。しかも普通の喫茶店ではあまり聞かれない挨拶だ。

 「まだやるんですか!?っていうか、その……」

 「はい、ほら、はやく!」

 「お……」

 恥ずかしい。痛いのとは別に涙が出てきた。

 「お帰りなさいませぇっ!」

 「もう一回!」

 「お帰りなさいませ!」

 「はい、ラスト!」

 「お帰りマサイなせ!」

 やけくそだった。

 

 彼は気合を入れていた。

 隣を歩くのは大学時代から付き合っている、今は遠距離恋愛中の彼女。就職して明豊町に越してきて、会うのはそれ以来だ。

 そういうわけで、有給を取った今日はばっちり決めてやろうと彼は意気込んでいた。駅で彼女を迎え、まずは近くのカフェで一休み。事前に組んでいたデートプランだ。

 「ねえ、どんなお店なの?」

 「ああ、いいお店だよ。雰囲気もいいし、コーヒーもおいしいし」

 すらすらと答えるが、実は彼はその店に行ったことがなかった。駅の近くにいい店がないかと会社の同僚に尋ねてみたところ、教えてもらったのがその喫茶店なのだ。

 「カプチーノがおいしいんだよ」

 「楽しみ」

 笑う彼女がとんでもなく可愛らしい。

 ほどなくして二人は件の喫茶店にたどり着いた。カントリー調のつくりがこの界隈では目新しい。店先にはお勧めのメニューが書かれたブラックボードに観葉植物。

 「わあ、いい感じだね」

 「言っただろ?」

 当然のように答えるその心中で、もう一人の自分がガッツポーズを決めた。

 ちょっとドキドキしながら、彼はその店のドアを開けた。

 その次の瞬間、緊張風味の笑顔が凍った。

 「お帰りなさいませぇっ!ご主人様!」

 目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤にしたメイドだった。

 耳に飛び込んできたのは、いらっしゃいませではなかった。

 やけにこわばった笑顔を張り付かせたメイド姿の少女が、二人を出迎えていたのだ。

 「こ、こちらのお席へどうぞ」

 奥のテーブル席を勧められる。彼は恐る恐る、後ろにいる彼女の顔を見た。

 「……」

 黙ったまま、無表情に彼女はこちらを見ていた。

 なんともいえない顔をしている。

 「と……とりあえず、座ろうか……」

 「……いいお店ね」

 向けられた笑顔がとんでもなく恐ろしい。

 脂汗をだらだらと流しながら席に着く。メイドがお冷とお絞りを運んできた。

 「め、メニューをどうぞ……」

 革張りの冊子を受け取る。メニューを手渡したメイドは一歩後ろに下がって、蚊の鳴くような声で言った。

 「ご、ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください。ごしゅじんさま……」

 「……!」

 彼はテーブルに突っ伏した。だめだ。

 この状況をどうしよう。脳内で必死に対策を練りながら、ゆっくりと彼女のほうを上目遣いで覗いてみる。

 「……あ、ここ、いいかも」

 突然、彼女の表情がぱっと明るくなった。天の救いか、彼は顔を上げる。

 「カフェラテ、カプチーノにカフェモカに。いろいろあるなあ。どれにしよう」

 そういえば、彼女はカフェが好きだった。ひとまず損なった機嫌を回復できたか。

 「……そ、そうなんだ。こ、コーヒーはとってもうまいんだよ。コーヒーは」

 すかさずフォローを入れてみる。彼女の視線はメニューに釘付けだった。

 「ふうん……。ねえ、お勧めって何だっけ?」

 「ええと……確か、カプチーノだよ」

 「確か?」

 「うん、カプチーノ!」

  ぐっと親指を立ててみせる。引きつった笑顔で。

 「じゃ、カプチーノにするね」

 「うん。じゃあ、俺も。すいませーん」

 メイドを呼ぶ。メイドはおたおたと落ち着きなくこちらへやってきた。

 「ご、ご注文お決まりですか」

 「カプチーノを二つ下さい」

 「かしかまりました。……ご、ごしゅじんさま」

 深々とお辞儀してメイドが去っていく。

 「……やめて……」

 明日会社に行ったら、ここを紹介した同僚を絞め殺してやる。

 横目で彼女をうかがうと、何の感情も読み取れないプレーンな顔でこちらを見ていた。

 「ひっ……」

 「……ああいうの、好きなの?」

 来るだろうと思っていた質問だが、心臓が跳ね上がる。

 「べ、べべ別に。僕はああいうの、好みじゃないって言うかその」

 「でも、このお店のこと知ってたんだよね」

 ふう、とため息を一つ。遠い目に冷たい微笑を浮かべ、窓の外を眺める。

 「その、あの……」

 つまらない見栄を張るんじゃなかった。今はとにかくカプチーノの到着を待つしかない。さっさとそれを飲み干して、すぐにどこかへ行こう。ここではないどこかへ。

 気まずい沈黙が満載の空間にしばしの時が流れる。しばらくして、メイドがトレイに乗ったカップを二つ、運んできた。

 「お、お待たせしました」

 震える手が、かちゃかちゃと音を立ててカップを置く。

 「あれ……」

 彼女の声のトーンがまた少し柔らかくなった。

 「ん?」

 カップの水面、細やかな泡の立つカプチーノの表面に模様が描いてあるのに気がついた。絵本に出てきそうな、ファンシーなクマの絵だ。

 「かわいいね」

 嬉しそうに絵を眺める彼女。彼は一つ息をついた。少しは機嫌が取れただろうか。

 「ねえ、そっちは何が描いてあるの?」

 聞かれて、手元に置かれたカップを覗き込んでみた。

 「……」

 『LOVE YOU』。描かれたハートマークの中に。

 メイドのほうを振り返って見てみる。少女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、そばにいたウェイトレスに何かを言っていた。こちらは普通の格好をしたウェイトレスだ。

 「……よかったね」

 「ちがうんだ……」

 もう言い訳する気力もなくなってきた。



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