一章 4
夕方が近づいていたが、令嬢たちはまだ帰る気配がない。うんざりした顔の騎士たちは、残りわずかな時間も耐えきれないようで、どこかの建物に避難したようだ。残っているのは、彼女たちをちやほやするろくでもない騎士たちばかりだった。
彼女たちの間を抜けたウルスラは、これ見よがしに城へ入る。彼女たちとは違うのだと、あえて見せつけたのだ。
やや足早に突き進み、モデスティー伯の執務室を訪れた。ドアを叩く前に、名指しで入るように言われる。
「何かわかったのか?」
「……誰が、あの令嬢たちの滞在許可を出しているのですか?」
皮肉混じりの、いつものモデスティー伯の笑みだ。それだけに、ウルスラはすぐ、自分が試されていたことに気づかされた。
「許可自体は、陛下から出ている。俺は何も聞いていないが、やってきたその日に、滞在時間は強引に決めさせてもらった。有能な騎士たちを守らなければ、この国が崩壊しかねないからな」
嘘を混ぜている顔ではない。その声の苦々しさからも、令嬢たちの襲来が突然であったことが裏づけられた。
「オーソン様についた令嬢は、ウィスクム地方出身の可能性が高いそうです。シルヴィア様につながる侍女がまったく顔を知らないことを考えても、確実に田舎者でしょうね」
辺鄙な地方にいるしかない貴族ならば、これは絶好の機会になる。
何しろ、政治も流行も話題も、何もかもの中心は王都だ。地方から出てくるだけで半日はかかる。当然、王都の貴族と縁があるはずもなく、普段は治める地方に引きこもっている状態だ。
これを機に、運がよければ、娘が騎士と結婚して王都近郊に住める。それを足がかりに、一族も王都へ出ていけるかもしれない。
どこまでも都合のいい、呆れた夢でも見ているのだろう。
同じように辺鄙な位置でも、他国と接する領地を有する貴族は、とっくに王都で居を構えている。しかも、比較的重要な地位を与えられた者ばかりだ。
「そんな気はしていたが、事実だったとはな。何しろ、やつらときたら、俺に偉そうにあれこれ言ってくるんだぞ?」
「……命知らずですねぇ……王都には王都の常識があると理解できないから、無能の役職しかもらえないんですよ」
この王都で、モデスティー伯に意見ができる者は、もちろん存在している。しかし、それはあくまで対等な立場だ。彼に上から言える人間は、ごく限られている。
その中に、末席貴族は含まれない。
ふさわしい態度を取れなかった彼らに、王都での地位などあり得なかった。
「何人か目星はついてきたが、確証はない。お前に頼むことではないが、オーソンについている女を徹底的に煽れ。グレアムについた女は、すでにビーがやらかしたらしい」
予想どおり以上の展開に、思わず笑みがこぼれる。
すべての入り込んだ令嬢を煽ることは厳しいが、一部だけならば問題はない。
「……悪いな」
あまりにも珍しいモデスティー伯の態度に、ウルスラは目を大きく見開く。
「必要でしたら、きっちりやりますよ。だいたい、あなたにそんなことを言われると、逆に怖くなるじゃないですか。仕事に私情は持ち込みませんから、団長のためになることなら遠慮なく言ってください」
仕事と私事は別だ。感情をすっぱり切り離し、きちんとやり遂げるくらいはしてみせる。
「では、ビーのことも含めて頼んだぞ」
「お任せください」
ニッコリ微笑んだウルスラが、すぐさま険しい顔になる。ほぼ同時に、モデスティー伯も真顔でドアをジッと見つめた。
「入るぞ」
どちらが上なのか、まったく理解していない。
ドアを叩くこともなく、その男はドアを開け放って入ってきた。彼の後ろには、娘らしい令嬢の姿がある。
モデスティー伯は何も言わない。けれど、その視線は、あからさまな侮蔑に満ちあふれていた。
そして、それを壁際に下がって見ていたウルスラもまた、彼らへ冷ややかな視線を向けている。
「白い騎士は何様なんだ? この国は、騎士にどんな教育をしているんだ?」
真顔のモデスティー伯は、やはり言葉を発しない。
その理由や意味を考えない男性は、さらに大声でまくし立てる。
「我が娘を侮辱するなど、言語道断だ! あんな騎士団はつぶしてしまえ!」
「……その白い騎士の制服は、何色の縁取りがされていた?」
初めて口を開いたが、あくまで確認だろう。
その事実を言ったとたん、逆襲が始まっていくのだ。
「金色でしたわ」
令嬢が胸を張り、鼻で笑いながら宣言する。
「……そうか。その騎士なら、俺の娘で、エリカ騎士団の団長だ。陛下が正式に承認された、騎士団の団長だぞ?」
「えっ……」
「そもそも、騎士団の設立には、陛下の承認が必要だ。その団長も当然、陛下が認めた者でなければならない。そして団長は、制服に金色の縁取りがされているんだ。そんな当たり前のことすら、お前たちは知らなかったのか? それとも、陛下を侮辱したいのか?」
淡々とした口調で語られたからか。男性はわずかに冷静になったようだ。言葉を噛み砕き、理解した瞬間、ザッと音を立てて青ざめた。
だが、彼の娘はまだ理解できていないらしい。
(……これだから田舎者は)
冷ややかで蔑んだ目を向けるウルスラにも、彼女は一向に気づかない様子だ。
「それから、お前たちはウィスクム地方の者か? それとも、別の地方か? どちらにしろ、来年の援助は少し考えなければならないな」
「……はぁっ?」
さっぱり理解できなかった様子の令嬢と違い、父親はますます青ざめている。
いったい、モデスティー伯がどんな人間だと聞いているのだろうか。ここまで図々しく、図太い人間は見たことがない。
ウルスラはぼんやりと、そんなことを考える。
「……お、お前に、どんな権限が、あるんだ?」
動揺を隠せない男性は、懸命に言葉を口にしていく。
もはや、それすらも茶番のようで馬鹿馬鹿しい。
「この国の書類関係なら、俺が承認しなければ国王に渡ることはないぞ」
「……ああ、どうりで、あれこれ雑多に書類があったわけですよ」
手伝わされていた頃を思い出し、ウルスラは思わず呟いてしまう。
農地などに関する重要なものから、小さな村を囲う柵の修繕まで、なぜここまで多種多様な書類が集まるのかと疑問だった。それが、たった今解消されたのだ。
それらを重要度ごとにまず分ける。その後、それぞれの中で優先度の高いものを見極めて並べ直す。面倒かつ、非常に頭を使う仕事だった。できることなら、二度と携わりたくはない。
「……ただの、事務方じゃ、なかったのか……?」
「誰に何を聞いたか知らんが、ここ王都で俺にそんな口を利くやつはいないぞ? そもそも、約束もなしにここへやってくるのは、俺の娘くらいだ。貴族連中は近づきもしないな」
ウルスラとて、事前に、用件のある時はやってきてもいい、と許可が出ているのだ。近づくな、と言われた時期には近づかない。
本当に思いつきでこの部屋にやってくるのは、ベアトリスしかいないだろう。
(シンティア王女が滞在している時には、珍しい菓子をもらいに来たんでしたっけ)
そんなことが平然とできるのも、ベアトリスしかいないのだ。
「で? その俺の娘が何だったかな?」
「わたくしに……」
「いえ、何でもありません! お騒がせして、申し訳ありませんでした!」
言いかけた娘の口をふさぎ、父親は慌てて娘を引きずってドアへ向かう。ペコペコと頭を下げながら、急いでドアから飛び出していった。
「……権力に弱いのは、ああいう貴族に共通なんですかね?」
本人が権力を持っていれば、別段こだわらない。そういう貴族もいるにはいる。
だが、何もなければひとつは欲しい。ひとつ持ったら、もっと欲しくなる。それが人間というものだ。
「どちらにしろ、少しは騒がしくなくなるだろう」
少なくとも、エリカ騎士の周辺は、気休め程度でいいから静かになって欲しい。
「今の親子と、オーソンについた女が、同郷なのか。違うなら、つながっているのか。そこが重要だな」
「そうですね……ああ、面倒くさいですよ、まったく」
ついうっかり本音がこぼれる。だが、モデスティー伯は笑っていた。
「まあ、そうだろうな。俺でも面倒だと思うぞ。だから、ほら」
彼が持ち上げた紙が、ペロリと垂れる。
何気なく受け取ったウルスラは、ザッと中身に目を通した。そのとたん、彼女の目はグッと大きく見開かれていく。
「……どういう、ことですか?」
「読んだとおりだ。できれば今日のうちに、部屋を移動しておけ」
紙には、エリカ騎士団の副官に、ウルスラを任命すると書かれていた。
これまで、副官は空位だった。それが、あまりに呆気なく埋まったことになる。
「ビーは、副官にするならウルスラがいいと言っていたからな。ラエティティアに発つ前に、書類に署名だけさせておいた。後はこちらで処理をしたから、お前が留守の間に任命された恰好だな」
任命書を両手で握り締めたまま、ウルスラはプルプルと震えてしまう。
「……あなたという人は……」
嬉しくないはずがない。何しろ、ベアトリスが副官に望んでくれたのだから。
少しは驚いたかと言われたら、何度だって頷いてやる。こんなに驚くことなどそうはない。
「副官の地位があれば、もっと無茶が通るだろう? もう少し早く与えるつもりだったんだが、いろいろ忙しくてな」
本当は、ラエティティア王国連邦で、副官として振る舞えるようにしておきたかったのだろう。しかし、サマラが来ていたことと、ウルスラの不在をベアトリスが埋めていたこともあり、身動きができなかったのだ。
それが理解できた瞬間、ウルスラの頬を涙がひと筋、すうっとこぼれ落ちていった。
‡
泣いたことがわかる顔のまま、ウルスラは一度エリカ騎士の宿舎に戻った。それほど荷物があるわけではないが、何度か往復して部屋を移動させる。
途中で誰かに聞かれれば、正式に副官になったことを伝えた。そのたびに、「え? 今まではウルスラが副官じゃなかったの?」と言われたことは、笑うべきだろうか。
部屋の引っ越しを終えると、すでに外は日が落ちていた。
(……夕食の前に、済ませておきましょうか)
夕食までに戻ることをサロンで告げて、ウルスラは騎士宿舎へ向かう。
逡巡した末、外から訪問することにした。もう、中へ入る度胸は持ち合わすことができなかったからだ。
副官たちは全員、一階に部屋が与えられる。団長の代わりに、サロンで騒ぐ連中を監視する役目があるのだろう。その上、どの部屋も、外からしっかり覗き込める作りになっており、厚手のカーテンは必須だ。
外からでも、ここへ来るのは久しぶりだった。
窓をそっと二回叩く。すぐに気がついたようで、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がる音がする。
いつ来ても、椅子から立ち上がる人だ。床やベッドに座る習慣がなく、ソファも置いていないからだろう。
「ウルスラ?」
久々に見た顔は、確かに疲れ切っていた。それでも、わずかに嬉しそうな様子を見せたのは、どういった心境からだろうか。
一瞬思考に没頭しようとしたが、ウルスラはすぐさま考えることをあっさり放棄した。
「入るか?」
「冗談じゃないですよ。あなた、今の評価わかってます? 最低を飛び越えて落っこちてますからね? 私がわざわざ危険に飛び込むと思っているんですか?」
窓を大きく開け、体の位置をずらして入れる隙間を作ってくれた。けれど、そこへ入り込むのは、罠にみすみす飛び込む愚か者くらいだ。
「……わかってるさ。で、どうした?」
「今日の昼過ぎに、戻りました。伯に、あなたにつきまとっている令嬢を煽れと言われたので、明日からそのつもりでいてくださいね?」
疲れ切った顔で驚かれると、妙に痛々しい。そのことに気づき、ウルスラは思わずギュッと眉を寄せてしまう。
彼自身は、自分がどんな顔をしているのかもわかっていないのか。痛ましそうにするウルスラに、怪訝な表情を返している。
「……引き受けたのか?」
「この状況は、まともな騎士には酷ですからね。どうやら、エリカ騎士にも被害が及んでいて、団長がすでに心を痛めているようなので」
「……ああ、そうか。じゃあ、明日から頼む」
すんなりと了承した辺り、彼もまたものを考えたくないようだ。
元々、ホートン候子息ということもあり、武闘派で知られているオーソンだ。けれど、頭を使わないわけではない。
むしろ、何か企ませるなら割と向いていると、ウルスラは思っている。
まともであれば、この場で、どう煽るかを考えるだろう。それを相談するなら、確かに室内へ入った方がいい。だが、そういうことにはならなさそうだ。
「帰ってきたところでこれですから、今日は早く休もうと思います。あなたも、ゆっくり休んだらどうですか? 正直、ひどい顔をしてますよ。どうりで、侍女頭に、あなたに会ったかと聞かれたわけです」
嫌っている相手に、言わなければいいことをつい言ってしまう。それほど、彼は疲れ切った顔をしていた。
「……何でお前は」
「理由は、あなたが一番よくご存じですよね?」
あのことに関しては、最後まで絶対に言わせない。決して、正解を答えない。
それが、五年前からの暗黙の了解だ。
「まさか、忘れたとは言わせませんよ?」
「さすがにそれはないさ。それじゃあ、明日からは頼んだぞ」
返事はせず、ウルスラはサッと踵を返す。その勢いに任せて、ついついベアトリスを探しに出たくなる。
げんなりと疲れ切った時には、大好きなものを見て、触って、癒やされたくなるものだ。
日が暮れて、あの令嬢たちが一旦引き上げたからだろう。エリカ騎士の宿舎に戻ると、サロンに全員がそろっていた。
「あ、ウルスラさん、お帰りなさい」
真っ先に気づいたベアトリスの声を皮切りに、次々に「お帰り」と声があがる。笑顔の出迎えに、ウルスラはホッと安堵の息を吐く。
「団長、明日からまた、ちょっと別行動になりますね。朝と夜は、宿舎に戻ってくると思いますけれど」
「あ、そうなんですね。ひょっとして、あの人たちのせいですか?」
ひと悶着あったことは、モデスティー伯の執務室に怒鳴り込まれたことからわかっていた。しかし、かなり温和なベアトリスが憤りをあらわにするほど、腹立たしいことを言われたのだろうか。
「あの令嬢たちの裏にいる人を引っ張り出すために、ちょっとケンカを売りに行ってくるだけですよ」
ニコッと微笑んだウルスラに、以前ケンカを売った時のことを思い出したのだろう。エリカ騎士たちが一様に微妙な顔になる。
「団長だけでなく、エリカ騎士まで巻き込んでくれたんですからねー。しっかりとお礼はしておかないといけないでしょう?」
別に、今までみたく派手にやらかすつもりはない。
これからは、何か行動を起こすたびに、『エリカの副官』という立場がついて回る。その名を汚す言動は、絶対に避けるつもりだ。
「エリカの副官としては、見過ごすわけにいきませんからね。それに、私が一番自由が利きますし」
ベアトリスが堂々と動けば、嫌でもエリカ騎士の総意と見なされてしまう。だが、副官なら、総意とまでは見られない。単独行動か、団長の命令でひとつのやり方を取っていると思われるのがせいぜいだ。
もちろん、団長の手足となって動いている可能性を探られることもあるだろう。
その辺りのかわし方は、ずいぶん手慣れたものだ。
「それは、そうですけど……何か困ったことがあったら、言ってくださいね?」
「はい、わかってますから大丈夫ですよ。あ、そういえば、レオラとサリナはどうなりました?」
これを知っておかなければ、迂闊に動けなくなる場面も出てくるかもしれない。ふとそんなことを思い、ウルスラは何気なく問いかけてみた。
「サリナさんは別れましたよ。レオラさんは、多分、令嬢方が近づかなくなると思いますけど、ちょっと様子見ですね」
「……え? 別れた? 本当ですか?」
元々、デズモンドは別れた方がいい相手には違いなかった。しかし、すんなり別れられるとは思えない相手でもある。
エリカ騎士ならば、遊び相手にしても文句は言われない。そう考えている騎士が少なからずいることは、エリカ騎士たちには一度言ったことがあった。
しかも、自分が振ることは許せても、振られることは許せない、非常に狭量な男も多い。
デズモンドなど、そのろくでなしの筆頭だったのだ。
「メイベルさんもいる場所で、二度と近づかないように言いましたから、大丈夫だと思いますよ」
「……ああ、なるほど。リナリアの団長が出たんですね。納得です」
ある意味生真面目なメイベルだ。やはり真面目な団員とともに、デズモンドを見張ってくれるだろう。
「レオラも大丈夫だと思いますよ。団長ともめた令嬢が、早速伯のところに来ていたんですけど、彼女の父親が危険を察知しましたから。また団長ともめることがあれば、自分の身が危ないですからね」
ちっぽけな地方貴族など、簡単に爵位を取り上げられてしまう。その爵位は呆気なく、赤の他人の手に渡るものだ。この国では、子爵の一部や男爵はその程度でしかない。
それがわかっているだけ、あの父親はまだまともだ。
もっとも、国からの援助が大幅になくなることの方が、彼にはよほど恐ろしいのかもしれないが。
「ヴェラ……とテレシア、ミランダは心配ないでしょうが、他は気をつけてください。腐っても、向こうは貴族ですから」
こくりと全員が頷いたのを確認して、ウルスラはにこやかな笑みを浮かべる。
「じゃあ、そろそろ時間ですし、夕食を食べに行きましょうか」
ウルスラの言葉で自覚した者が多かったようで、半数以上がハッとして互いに顔を見合わせた。
「何かあったら、私か団長に報告してくださいねー」
それが最後の連絡だと言わんばかりに、言い放ったウルスラはサロンを出ていく。その後を、エリカ騎士たちが追いかけていった。




