一章 2
少し安心した様子のヴェラと別れ、まだ会えていないエリカ騎士を探す。
(テレシアさんが、テレンスさんと一緒にいるとしたら、厩舎かな? それとも、訓練場かも?)
どちらにしても、青の離宮から訓練場へは騎士宿舎を迂回するため、そこそこ距離がある。厩舎は騎士宿舎の脇だ。そこへ到着する前に、サリナやレオラに出会えるかもしれない。
オリオンと手を繋いだまま、ベアトリスは訓練場と厩舎へ向かうと告げた。
「テレンスさんを探すのですか?」
「はい。テレシアさんがテレンスさんと一緒にいるならそこかな、って思って。一緒じゃなければ、また別の場所を探します」
そもそも、テレンスに貴族令嬢が群がるとは思えない。
最初こそ押しかけられても、鏡か馬としか語り合わない人だ。今も、馬でも訓練でもなければ、自室にいる可能性が高いだろう。
「そうですね、それがいいと思います」
黙り込んで歩く途中で、侍女を引き連れた貴族令嬢と行き会う。向こうはオリオンを凝視しているが、あえて気づかない振りをする。
声をかけてくるなら、全力で追い払う。そのつもりはある。けれど、ただ見てくるだけで、貴族令嬢たちは近寄ってはこなかった。
「……近づいてきませんね」
「そうですね……ミランダさんたちがいろいろ言ったみたいなんで、エリカ騎士自体を警戒してるのかもしれませんし。ひょっとしたら、父様のことを知ってて近寄らないだけかもしれませんしね」
ベアトリスが離れたら、ここぞとばかりに話しかけにくるのかもしれない。
フィエリテ王国では、ジャンヌから取り返すことすらできなかった。あんなに寂しくて、苦くて惨めな思いは、もう二度としたくはない。
騎士宿舎を通り過ぎ、厩舎をついでに覗く。しかし、避難してきたと思われる騎士が五人ほどいただけだ。入り口に立ったベアトリスたちに、ビクッと体を震わせてから安堵の息を吐いていた。
ここには、テレシアもテレンスもいないようだ。
「訓練場でしょうか……」
そこにもいなかったらもう、テレシアの居場所に心当たりはまったくなくなる。
できれば、訓練場にいて欲しい。そう願いながら、ベアトリスはオリオンとともに訓練場へ向かう。
騎士宿舎の裏にある訓練場へ近づくと、派手な剣戟が聞こえてきた。
「……いるみたいですね」
「そのようですね……」
確認の意味を込めて、ボソリとオリオンに告げる。オリオンも、やけに力なく答えてきた。
こんな状況で訓練に勤しむ者は、それほど多くないだろう。何しろ、訓練場にも風通しのいい窓がある。そこから好きなだけ、覗き込んだり声援を送ったりできるのだ。
真っ当な騎士なら、落ち着いて訓練すらできない。
訓練場の入り口に立つと、テレシアがテレンスと訓練をしているのが見えた。
「テレシアさん」
呼びかけてみたものの、剣戟に綺麗さっぱりかき消されてしまったようだ。
「しょうがないから、ちょっと待ってみましょうか」
「そうですね」
立ちっぱなしもどうかと思い、適当な場所で座っていることにした。
ぼんやりと手合わせを眺めていると、どうやらひと段落したらしい。テレシアたちが互いに距離を取り、不意にベアトリスたちを振り向く。
「あら、団長。どうかしましたか?」
「様子を見に来ただけです。テレシアさんはいつも通りで安心しました」
スッキリした顔で、テレシアはニッコリ微笑む。
「レオラとサリナが心配だそうですけど、私は安心ですよ。こんな時間に訓練場を独占できるだなんて、本当に最高ですね!」
それなりの時間は手合わせをしていたはずだが、テレシアはほとんど汗をかいていない。テレンスも、疲れをまったく知らない顔でたたずんでいる。
「えっと……テレシアさんは、レオラさんとサリナさんがどの辺りにいるか、わかりますか?」
「レオラは街に逃げてるらしいけど、サリナは長居しても汚れないし、疲れないとこだと思いますよ。前々からサリナには言ってたんですよ、本当にあんなろくでなしがいいのか、って」
遠慮や配慮のかけらもないテレシアの言い草に、ベアトリスは思わず苦笑いをこぼす。
テレシアの言葉から察するに、デズモンドは以前から評判がよくなかったようだ。
「じゃあ、それっぽいところを探してきますね」
誰が先かは決めたくないが、より深刻そうなサリナを先に見つけたい。そんな思いが強くなり、ベアトリスは訓練場を後にする。
とたんに、また派手な剣劇が聞こえてきた。
(マーセラさんも訓練が好きですけど、テレシアさんも相当だと思うんですよね)
テレシアもマーセラも、以前は傭兵をしていた。だからこそ、日々の訓練は欠かせないのだろう。特にテレシアは、移動ばかりでじっくり素振りをする暇もなかったのだ。
どちらにしろ、好きな時に自由に訓練できない現状は、まともな騎士にはなかなかに厳しいだろう。
少しでも早い解決を誓いながら、気軽に座ったり、もたれたりできそうな場所を必死に思い出す。
「大広間……」
入団試験で、面接に向かった場所だ。確か、外には階段と手すりがあった。あそこなら、体を休めながら長居できそうだ。
「行ってみましょうか」
意図を察したオリオンに促され、ベアトリスは大きく頷く。
「ベアトリス、少しよろしいかしら?」
急ぎ足で向かおうとしたところで、思いがけない人物に名を呼ばれた。
振り向いた先には、真顔で微笑んでいるメイベルが立っている。何かに対し、相当怒っているようだ。
「今からデズモンドを叱り飛ばしにいくのだけれど、ご一緒にいかが?」
「奇遇ですね。あたしも、デズモンドさんにたくさん言いたいことがあるんです」
デズモンドはリナリア騎士だ。メイベルも話を聞いたのかもしれない。その結果、団員の不始末とみなし、団長としてきっちり片をつけたいのだろう。
ベアトリスとて、エリカ騎士が関わっている。その点に関しては、一切譲るつもりはない。
すでに居場所を把握しているらしく、先を行くメイベルの足取りに迷いはなかった。
予想どおりと言うべきか。大広間の外に、華やかな人だかりができていた。着飾った令嬢五人に囲まれているのが、恐らくデズモンドだろう。キラキラした金色の髪と、青色の涼しげな瞳は、何となくコーデルを思い出させる。
その集団から少し離れたところに、ポツンとサリナが立っていた。
寂しそうで、所在なさげなサリナに、デズモンドはまったく気づかないのか。令嬢たちと笑い合い、ずいぶんと楽しそうだ。
「デズモンド」
普段のメイベルとは、全然違う。明らかに男性の声が、冷ややかにデズモンドの名を呼んだ。
キャアキャア騒いでいた令嬢たちはもちろん、デズモンドもすっかり固まってしまっている。
「リナリア騎士団の心得が、あなたの頭の中に入っているのかしら?」
もうすでに、いつものメイベルの声だ。
けれど、ほんの一言とはいえ、違う声にはベアトリスも肝を潰してしまった。ただ呆然と、美しく立つメイベルを見つめるしかない。
「記憶してあるのでしたら、今すぐお言いなさい!」
厳しい声の命令に、デズモンドはピッと背筋を伸ばす。
「はい! ひとつ、リナリア騎士たる者、その名にふさわしい実力と態度を身につけるべし! ひとつ、リナリア騎士たる者、常に騎士とはどうあるべきかを考え、実行し続けること! ひとつ、リナリア騎士たる者、民の手本となるべく硬派であれ! ひとつ、リナリア騎士たる者、強く美しく誠実に!」
半ば叫ぶように、デズモンドは声を張り上げる。その姿に、令嬢たち以外はひんやりした目を向けていた。
「今のあなたは、その心得をどう考えているのかしら?」
「それは、その……」
「答えなさい!」
押し黙ってしまったデズモンドに、メイベルがわざとらしく舌打ちする。
「ベアトリス。あなたも、言いたいことがあるのでしょう?」
聞き慣れた優しい声音に、ベアトリスは大きく首肯した。それから、真っ直ぐサリナへ歩み寄っていく。
「あたしは、デズモンドさんがサリナさんを大切にしているようには見えません。サリナさんだって、全然幸せそうじゃないですよ?」
留守にする以前のベアトリスなら、決して首を突っ込まなかったことだ。そのためか、サリナはひどく驚いた顔でベアトリスをジーっと凝視している。
「サリナさんは、どうしたいですか? あたしは、サリナさんのやりたいことを手助けします」
きっぱり言い切ったベアトリスを、メイベルもまじまじと見つめていた。
その視線には気づかず、ベアトリスはサリナの決断をジッと待つ。
「……正直、リナリア騎士の中でも、デズモンドは特にお勧めしませんわ。他にもいい男はたくさんいましてよ?」
メイベルの独白に似た呟きが、サリナの背をグッと押したのか。
顔を上げたサリナの瞳には、もう迷いも戸惑いもなかった。しっかりと覚悟を決めたようだ。
「テレシアにまで、あんな男がいいのかって言われてから、迷ってたんです。でも、決めました。私、デズモンド様とは縁を切ります。今からは他人ですから、二度と近寄らないでください」
サリナの手も足も、小刻みに震えている。
相当勇気を振り絞っただろうし、恐怖も感じているのだろう。
「わかりました。サリナさんのことは、あたしやエリカ騎士のみんなで守りますからね」
すぐには、立ち直れないかもしれない。時には、思い出して落ち込むこともあるだろう。
そんな時には、できるだけそばにいてあげたい。
今回は、一番肝心な時にいられなかった。たとえそれが不可抗力であっても、自分自身が許せないのだ。
「……ねえ、ベアトリス。その子を明日一日、わたくしに貸していただけないかしら?」
絶対に、悪いようにはしない。
メイベルのそんな心の声が、何となく聞こえた気がした。サリナを振り返ると、視線をきちんと合わせて頷いてくれた。
「ちゃんと、夕食までには返してくださいね? その時にいなかったら、騎士宿舎とメイベルさんの部屋に、サリナさんを探しに行きますから」
「わかっていてよ」
嫣然と微笑んだメイベルは、少しだけ寂しそうに、けれど誇らしげな色を見せる。
「それにしても、何があったのかしらね。ベアトリスはずいぶん変わってしまったわ。もちろん、いい方向へ、でしてよ」
「……いろいろ、ありましたから」
顔も見たことがなく、名前すら知らない。そんな祖母譲りの髪と瞳の色だけで、使用人にすら蔑まれた。それが理由かはわからないが、オリオンの隣まで、一時的に奪われてしまったのだ。
どんなことがあってもくじけないほど、心も強くならなければ。
守ろうとしてくれる人たちをきちんと、しっかりと守れるようになりたい。
たくさんの悔しさがあった。至らないところもわかったし、こうなりたい自分も見つけられている。
「エリカ騎士を全員、責任を持って守れる団長になりたいんです」
決して目を逸らさず、ベアトリスはメイベルを見つめる。メイベルも負けじと、ジッと見つめ返してきた。
やがて、根負けしたように、メイベルがフッと微笑んだ。
「あなたはもう、立派にエリカの団長でしてよ」
すぐに表情を改めたメイベルは、デズモンドに向き合う。まとう空気は、氷よりも冷え冷えとしている。
「デズモンド。あなたはまだ、リナリア騎士として不十分ですのね。今からわたくしがその腐った性根を鍛え直して差し上げますわ!」
「えっ、いえ、そ、それは……」
「大人しくついていらっしゃいな。それとも、抱えて運んで欲しいのかしら?」
実行された光景を、うっかり想像してしまったのだろう。デズモンドは一気に青ざめ、首を横にブンブンと激しく振った。
「い、行きます……!」
歩き始めたメイベルの後ろをトボトボとついていく。そのデズモンドは、名残惜しそうにちょくちょく令嬢を振り返る。
わざとなのか、サリナが視界に入る向きだ。
デズモンドの顔が見えるたびに、サリナの瞳はチラチラと傷ついた色を宿す。
それが、無性に悔しくてたまらない。
「サリナさん、行きましょうか」
気がついたら、そう声をかけていた。
「え? えっと、どこに、ですか?」
「レオラさんのところに行きたいんですけど、サリナさんを一人にはできませんから」
ベアトリスの目的を察したのか。サリナが案内を買って出る。
向かったのは、四番街へ抜ける方角だ。
「……私、みんなが羨ましかったんです。ちゃんと大事にされてるって、見てわかったから」
歩きながらポツリと、サリナは言葉をこぼす。
「何で私は違うのかなって、気になってて……でも、見ない振りをしてたんです。だって、恋人のはずなのに大事にされてないって現実で、傷つきたくなかったから。でも、それは間違いだったって、今はわかります」
ザクッと土を踏んで、サリナはピタリと足を止める。
「私は大事にして欲しいし、大切にされた分を返したいんです。そういう関係が築ける人と、一緒にいたい……」
最後の方は、声に涙が混じっていた。すん、と鼻を鳴らして、サリナはグッと空を見上げる。
「それに、テレシアも絶対、男の趣味が悪いと思うんですよ」
「でも、あたしは、テレシアさんは見る目はあると思いますけどね」
確かウルスラは、恋人のところへ行くように言ったはずだ。その結果、向かった先がテレンスならば、確かに趣味がいいとは言えないだろう。
そもそもテレンスは、日がな一日、鏡を見るか、馬と語り合っている変人だ。それでも、人として大切なことは、一応持ち合わせている。
あの趣味や日課が許容できるのなら、決して悪い相手とは言い切れない。
「障害は多いでしょうけど……」
団長を務められる家柄だ。一介の騎士とは、一線を画している。
「テレンスさんでしたら、心配はいりませんよ。ご実家ともども中立派ですし、近々兄君が襲爵されるそうですから。そうなれば自由が利くようになると、テレンスさんが言っていましたよ」
「へぇ……そうなんですね」
ヴァーノンは、家が反モデスティー伯派だと言っていた。テレンスやコーデルも似たようなものだと考えていたが、どうやら少し違うようだ。
「前の団長方が考え抜いて、今の団長を指名したんです。少しでも、騎士団の空気が変わるように、と」
「それって……」
たった三年前は、今と大きく違っていたのか。
想像することができず、ベアトリスはただただ首を傾げるばかりだ。
「今度の夜回り番の時にでも、お話ししますね」
三年前にいったい何があって、今へ繋がっているのだろうか。
話が聞ける日を楽しみにしつつ、四番街に出てレオラを探す。キョロキョロと見回しながら歩いていると、景色にまったく溶け込まないものが見えた。
「あれ……ですか?」
「あー、多分そうですね。うん、レオラがいるし、間違いないですね」
華やかで立派な家が立ち並ぶ他とは、四番街はあからさまに違う。ここで立派な屋敷と言えば、モデスティー伯の屋敷だけだ。後はすべて、庶民の家がズラリと並んでいる。しかも、狭くてゴチャゴチャした路地ばかりだ。
貴族令嬢には、とにかく不似合いの場所だろう。
「レオラさん、つい先ほど戻りました」
「えっ? あ、団長……お帰りなさい」
明らかにホッとした様子で、レオラは小さく微笑む。
それでも、いつものレオラではない。
「レオラさん、グレアムさん、よかったらあたしの家でお茶でもどうですか?」
ベアトリス以外の口から、一様に「は?」といった類いの吐息がこぼれた。
「だって、あたしの家……というか、父様の家は、すぐそこですから」
スッと指差した先には、四番街唯一の屋敷がある。
王都住まいの令嬢なら、ここが誰の屋敷か、考えるまでもなく知っているだろう。もし知らなければ、この場に不釣り合いな彼女は、他の街からやって来た、ということだ。
「わたくしも、ご一緒してあげてもよろしくてよ?」
「……あたしのことも、父様のことも、知らないんですね。どんなド田舎から来たんですか?」
わざと攻撃的な物言いをするベアトリスを、初めて見たレオラがポカンと見つめる。グレアムも、ついついベアトリスを凝視してしまったようだ。
「スラングはよくありませんよ」
何をするか、すでに察しているのか。オリオンは言葉遣いに注意をするものの、ベアトリスを止める気はないらしい。
「王都で暮らしたことのない人は、田舎者で十分ですよね?」
城へ頻繁に出向く貴族なら、モデスティー伯について熟知しているだろう。その屋敷がある場所も、過去の醜聞とともに、知っていておかしくない。
「……そうだよね。そういえば、何で貴族のご令嬢が、四番街に平気でついてくるの?」
ハッとした顔で、サリナがボソリと呟く。その言葉で、オリオンたちも気づいたのか。一斉に、令嬢へ厳しい視線を向けた。
四番街は、いわゆる下町だ。王都の中で働く者たちの家がある。そんな場所に、真っ当な貴族令嬢なら、足を踏み入れることすらしない。
何だかんだ言っても、エリカ騎士の半数以上は王都で暮らしていた。残りも、城で生活するようになって、街がどういう造りになっているかを知ったのだ。
だからこそ、レオラはあえて四番街に逃げていたのだろう。グレアムも、彼女の意図を察してくれていたに違いない。
「……何、を……」
「あなたがちゃんとした育ちなのは、見ればわかります。でも、王都に暮らせない田舎者には違いありません」
激しい憤りからだろう。令嬢はプルプルと全身を震わせている。
「早く帰った方がいいですよ? でないと、あなたのことを調べてもらうように、父様にお願いしちゃいますから」
「団長……それはさすがに、そこの方の人生が終わっちゃうんじゃないですか?」
「そうなったらそうなったまでです。あたしは、エリカ騎士のことは守りますが、無関係のご令嬢なんてどうでもいいですから」
顔を歪めたレオラにきっぱりと言い切ったベアトリスを、令嬢はキッと睨む。
「……たかが騎士の分際でよくも…………絶対に、後悔させて差し上げますわ」
怒りと羞恥でで顔を真っ赤にした令嬢は、クルリと踵を返す。苛立ちを全身で表しながら、それでも優雅に城へと向かっていく。
その辺りは、間違いなくいいところのお嬢様だ。
「……あの人が、後悔しないといいんですけど」
ベアトリスが呟いたことは、この場にいる全員の代弁となった。




