序章
少しだけ懐かしさを感じる場所へ戻ってきた。そのはずが、あり得ない光景に愕然とする。
何しろ、王城の敷地内に、貴族令嬢がウロウロしているのだ。それも、一人や二人ではない。いちいち数えたくない人数が、それぞれに侍女を数人従えて歩いている。
そして令嬢一人に対し、騎士が数人群がっているのだ。
ザッと顔を見た限りは、ほとんどが明らかな反モデスティー伯派の騎士だった。
逆に、令嬢と侍女が群がっている騎士もいる。その騎士は、見える範囲ではモデスティー伯派ばかりだ。その上、騎士はあからさまに迷惑がっている。
こうなっていることを、事前に早馬で大ざっぱに知らされていた。それでもウルスラは、荷物を手にしたまま、ぼんやりと立ち尽くしてしまう。
知らなかった面々は、もっとひどい衝撃を受けているはずだ。そう思い至って、ウルスラは体ごとくるりと振り返る。
「見てのとおりですよ。メルルたちは、なるべく急いで荷物を置いて、恋人のところへ行ってあげてください。団長は、アマリリスの団長と、できるだけ一緒にいてくださいね?」
基本的に、エリカ騎士に反モデスティー伯派は近寄らなかった。必然的に、親しくなるのは、モデスティー伯派か中立派だ。今まさに、迷惑を被っている者たちだろう。
ハッと我に返ったメルルたちは、急いで宿舎へ駆け出していく。ベアトリスも、不安そうにオリオンの左袖をつかんでいる。
この人に、こんな顔をさせたくなかったのに。
いまだ姿の見えぬ敵に、ウルスラはひっそりと殺意を向ける。
「あ、サージ様は、声をかけることはもちろん、接触も禁止です。しばらく、宿舎で引きこもっていてくださいね」
「ちょっ……何で俺だけ……」
「ベロニカの団長にも同じ通達が出ているそうですから、あなた一人ではないですよ?」
「あの人と一緒くたかよ!」
確かに、程度としては、サージの方が軽い。だが今回は、軽い重いの差は関係ないのだ。
問題が起きる前に、未然に防ぐ。そこに力を入れざるを得なかった。
(後手に回らされるとは、伯には珍しい失態ですね)
しかし、それも致し方ないだろう。何しろ、誰もこの情報をつかめなかったのだ。知らなかったからこそ、何かしら対応ができなかった。
ただ、モデスティー伯は、そんな言い訳をよしとしない。失態は失態だ。
(それにしても、おかしいですよね……)
厳重な箝口令を敷いていたとしても、必ずどこかから漏れるものだ。
もしかすると、流れ出る暇がないほど素早く、一気に行動を起こしたとも考えられる。
(どちらにしろ、相手の目的がいまいちわからないんですよね……)
現状、直接的な被害の大きい者はごく一部だ。餌食になっていなくても、浮ついて支障の出ている者も少なくない。
(これで、伯派ばかりが狙われているなら、理由もわかるんですけどねー)
実家が反モデスティー伯派のヴァーノンや、アマリリスの副官であるカーティスも追いかけ回されているという。
あまりに節操がない。
共通点と言えるのは、割りと顔が整っていて、団の中でも比較的名の知られた者であること。その程度だ。
騎士団にいる者は、多くが貴族の次男以下か、腕を買われた養子だ。そして、中立派やモデスティー伯派の騎士は、多くが硬派として知られている。浮いた話ひとつ聞かない者ばかりだった。
そのため、仕事場に押しかけてきた彼女たちを、彼らは一切歓迎していない。
「ウルスラ。僕は陛下に報告ついでに、ちょっと聞き込んでくるよ。フィエリテで、ちょっと嫌な話も聞いたしね」
その『嫌な話』は、ウルスラも知らされている。ただし、王国騎士団の普段を知っているから、心配はまったくしていなかった。
まさか、ここまでひどい状況になっているとは、いったい誰が予想できただろうか。
「私も、いろいろと聞き込んでみることにします……あ」
単独で秘密裏に、いつもどおりに行動する気でいた。しかし、ふと思い出してしまったことがある。
「あー、びっくりした。一応、記憶の隅っこにはあったんだね」
わずかに悩む顔を見せたウルスラに、タデウスがからかい混じりに言う。キッとひと睨みしてから、ウルスラは長く息を吐き出す。
「あの人だったら、放っておいてもいいと、私は思うんですけどね」
「ふーん? 胸がドーンとあってすっごい美少女だったら、コロッといくかもよ?」
素晴らしい笑顔のタデウスを、ウルスラは鼻で笑う。
「あの人がそんな男なら、なおさら放置しますよ」
「……ああ、まあ、君ならそうだろうね」
妙な含みを感じたが、今は問い詰める時間が惜しい。
根深い反発派はどうでもよかった。敵なのだから、あえて救う価値すら見いだせない存在だ。
(どうしたら、真っ当な騎士たちを無傷で守れるんでしょうね……)
もちろん、単独で行動し、裏から突き崩すのが早いに決まっている。けれど、迷いが出て、以前と同じ決断がスパッとできなくなってしまった。
これがいいことなのか、それとも悪いことなのか。今のウルスラには、どうにも判断ができない。
「ウルスラさん」
ベアトリスに呼びかけられ、ウルスラは真顔で振り向く。
「あたしにできることがあったら、言ってくださいね。あと、どこかに行く時は、できたら誰かに伝言してください。黙っていきなりいなくなったら、探しにいきますから」
「ああ、大丈夫ですよ。今回は、オーソン様と行動する予定ですから。行くにしても、きちんと伝言するか、二人で行動するので」
手紙でモデスティー伯に頼まれた時点では、ざまあみろと思い、迷っていた。引き受けたら、恐らく逃げられなくなると、嫌な予感があったからだ。
確かに、嫌がらせをしてきた使用人を、戦う前に追い払ったこと。それが、彼に対して幻滅した始まりだった。
けれど、敵と認識したら徹底的に排除するのは自分も同じだと、異国で気づかされたのだ。
そのやり方しか、教わっていなかったのだから。
今まで払ってきた敵の中には、敵対するしか道のなかった者がいたのでは。その憂いを取り除けたら、切り捨てる必要のない者がいたのでは。
どんな相手でも、決して真っ先に命を奪おうとしない。そんなベアトリスを見ていたら、違った結果があったのかもしれないと、思えるようになった。
「……団長も、嫌なことをされたら言ってくださいね? 私、団長が傷つけられるのだけは、さすがに許せないんですよ」
「わかってます。でも、ウルスラさんも、嫌なこととかがあったら言ってください。この間も言いましたけど、あたしは団長として守りたいんです」
もし、ホートン候に拾われた時から、この人が同じ屋敷にいたら。
そんなあり得ない話をふと考え、ウルスラは自嘲に満ちた笑みをかすかに浮かべる。
世間的に腹黒いと言われる面々と暮らしても、果たしてベアトリスは今のままだったか。そう問われると、断言する自信はない。
無邪気を装って悪魔の考えを実行するベアトリスを、ほんの少し想像してみた。そうだったなら、モデスティー伯の娘であることを疑われなかっただろう。
けれど、あまりにも似合わなくて、堪えきれなかった笑みが声とともにこぼれる。
「では、荷物を置いてから、オーソン様を探してきます」
もう一度、じっくりとベアトリスを見つめて、ウルスラは宿舎へ歩いていった。
誰もいない、しんとした宿舎は初めてだ。
サロン横の部屋に荷物を放り込み、その足で宿舎から出る。
(さてと。あの人はいったいどこに避難しているんでしょうね)
副官の部屋は、簡単に覗き込める一階だ。部屋にいても、身の安全はまったく確保できない。
考えられるのは、モデスティー伯かホートン候の執務室だろう。ただの貴族令嬢では、その二箇所には絶対に入り込めないからだ。
とりあえず、可能性を潰しておきたい。
ウルスラは報告も兼ねて、モデスティー伯の執務室へ向かった。




