五章 2
朝食を済ませ、しばらく時間を置いてから、フィエリテ王国が選んだ模擬戦の代表者と合間見えた。
実に魔法使いらしい、ひょろりとした体型の青年だ。金茶色で癖のない髪と、薄青色の瞳で、オリオンと同年代だろうか。にこやかな笑みの浮かぶ顔からは、敵意も害意も感じられない。
時折吹く風に、黒色の長いローブの裾がふわりと揺れる。
「人畜無害そうな顔ですねー。人は見かけによらないと言いますけど、あの人は相当ですよ」
「うんうん。お人好しを装って、裏ですっごい悪巧みするタイプだよね、あれは」
「なるほど、ヴェラの仲間だと思えばいいわけか」
ウルスラとヴェラがボソボソ言葉を交わす。そこにテレシアが、揶揄を込めて突っ込んでいく。
「えぇ? あれは、ヴェラじゃ勝てないでしょ。ガザニアの団長か副官か、リナリアの団長くらいでないと……」
さらにとんでもないことを、無遠慮に言い放ったのはメルルだ。
無邪気な顔をして、ドジを散々働くくせに、肝心なところでの失敗がないヴァーノン。そのヴァーノンの陰に隠れ、目立たないのをいいことに、好き勝手に動き回るオーソン。そして、堂々と表舞台に立ちながら、誰にも負けずに突き進んでいくメイベル。
そんな三人でなければ勝てない。そう揶揄されたあの青年に、ベアトリスがつい同情の目を向けてしまうのは致し方ないだろう。
何しろ、ごく当たり前にその辺りで暮らす人とは一線を画している、と言われたも同然なのだから。
「あの腹黒さは、ちょっとヤバいですよ、絶対。普通の人間じゃ、太刀打ちできませんよ」
さすがに、特筆すべき三人と比較されたくらいでは気分を害しないようで、ヴェラは平然と言い切る。
「もしくは、作り物を超越するうちの団長……でしょうね」
「えっ?」
唐突に名指しされて、ベアトリスは思わず素っ頓狂な声を出す。言い出したウルスラをジッと見るが、それ以上何か言う気はないようだ。
「あー、うん、団長なら、いけるかも」
「あの男なら、奥の手をいくつか用意していると思うんですよね。それも、質の悪い手ばかりで」
テレシアとウルスラが好き勝手に言い始めたところで、考え込んでいたメルルが口を開く。
「私じゃ、魔力から資質までは正確に読めないんだけど……あの人、何かユスティヌ様っぽくないですか?」
「……誰?」
率直なテレシアのひと言に、ベアトリスは思わず失笑してしまう。
とはいえ、笑ったベアトリスも、そのユスティヌに関してはさっぱりわからない。
「あぁ、サージ様の兄君の? そういえば、陰険そうなところといい、ユスティヌ様によく似ていますね」
あまりな言い様のウルスラに、一気に視線が突き刺さる。ベアトリスの視線もそのひとつだ。
「ユスティヌ様は、補助と攻撃の複合タイプですよ。何度か手合わせを頼んでみましたけれど、なかなかにイヤらしい戦い方をされますね」
その評価は、どこまでも正しいのか。ユスティヌを知っているメルルとヴェラが、ともにかすかな苦笑いを浮かべる。
それはそうだろう。遠距離からの攻撃魔法と、防御や捕縛を含んだ補助魔法を使うのだ。必然的に、戦い方は陰湿で過激なものになる。
(そっか……もう一人の複合タイプって、サージさんのお兄さんだったんだ……)
話を聞く限りは、サージとは似ても似つかない印象だ。けれど、特殊な魔法を使ったり、複合タイプだったりと、少し変わったところは同じらしい。
「あの方は、他からのねじ込みがなければ、副官を務めていてもおかしくない実力の持ち主です。まだ見習い騎士の頃に、当時のリナリアの団長から直々に、リナリアへのお誘いを受けたという伝説もお持ちですからね」
「……あのさ、ウルスラ。いつも思うけど、いろいろ詳しすぎ」
ペラペラと過去の話にも触れるウルスラに、テレシアがボソリと突っ込む。だが、当のウルスラは、ニッコリ笑ってそれを受け流す。
「このくらい知らなければ、ホートン候から直々に、団長につくように言われませんからね」
「……ホント、ウルスラは団長が大好きだよねぇ……」
呆れ果てたメルルの呟きにも、ウルスラはにこやかな笑顔を返した。
そこに、わずかな違和感がある。
「……ウルスラさん、ひょっとして、緊張してます?」
いつもは、そこまで笑顔らしい笑顔では答えないことだ。どちらかというと、人を食ったような笑みで、飄々と言い返す。それが、ここまで大人しい笑顔で言われると、どうしても違和感が拭えないのだ。
「……嫌でもしますよ。多分あの男、ユスティヌ様と同じタイプでしょうしね。私は多少慣れがあるとはいえ、団長は、ユスティヌ様と手合わせはしていないですよね? 先に私が戦って手の内をできるだけ暴きますけど、ちょっと厄介だと覚悟はしてくださいね」
ただ脅すようなことを、ウルスラは言わない。それほど、苦戦を免れない相手なのだろう。
覚悟を決め、ベアトリスは力強く頷く。
改めてグルリと見回せば、青年の後方に、フィエリテ国王とジャンヌが座って見学している。彼らの周辺にいる黒いローブの集団は、恐らく護衛だ。誰も彼も警戒しているようで、指先を後ろ手に隠している。
扇で口元を隠したジャンヌは、相変わらず小馬鹿にした笑みを目元にまで浮かべていた。その様子からは、前夜のことを聞いているようには見えない。
国王の方はと言えば、足がソワソワしていて落ち着きがなかった。昨夜のことが堪えており、悩みとなっているのだろうが、それを表に出さないよう努めているつもりだろう。
「こうなったら、ジャンヌ様の余裕ぶった表情も崩してやりたくなりますよね」
緊張は、さすがにまだ解けていない。だが、それでもウルスラは、ジャンヌをやり込めたい感情が勝ったようだ。いい意味でのふてぶてしさが、少しずつ顔に表れてきている。
「あまり無茶はしない程度にしてくださいね」
「大丈夫ですよ。団長を心配させたり、アマリリスの団長に手間をかけさせることはしませんから」
それは、ウルスラの自尊心のよりどころなのか。きっぱりと宣言して、迷いのない瞳をフィエリテの青年に向ける。
自分がこれから戦う相手だと言いたげに、ウルスラはゆっくりと数歩前に出た。
ほぼ同時に、相手側も一歩進み出る。
名乗ることは、互いにしない。先に仕掛けたのは、フィエリテ側だった。
「捕縛!」
「よっ」
ウルスラは軽いかけ声とともに、余裕綽々で捕縛の魔法をかわす。
これで、あの青年が補助タイプであることは判明した。後は、他に何を隠し持っているか、だ。
「自慢じゃないですけど私、ユスティヌ様の捕縛なら全部避けたことがあるんですよね」
比較対象を知らないベアトリスには、それがどれだけすごいことか理解できない。自分がかつて、似たことをしでかして驚かれた経験があっても、感覚としてわからないのだ。
「……団長が、アマリリスの団長の捕縛を全部避けたって聞いた時も驚いたけど……あのユスティヌ様の捕縛を避けるウルスラも、十分怖いよ……」
ガクガク震えながら、ヴェラが呆然と呟く。メルルも首を横に振りつつ怯えていることから、相当すごい芸当らしい。
「どのくらいすごいんでしょう?」
当然と言えば当然の疑問を、ベアトリスは遠慮なくこぼす。
「そうだな……団長は、正確無比の捕縛魔法。逃げようのない位置から、いきなり生えてくるからな……これを避けるのは、実はかなり大変なんだ。何しろ、ほとんどの人間が避けられずにとっ捕まるって寸法だからな。全部避けて、防御まで突き崩したエリカの団長は、一時化け物呼ばわりされてたくらいだし」
それに答えたのはサージだった。
「で、ユー兄はというと、とにかく速い。下手すると、飛んで逃げた後から、次々捕縛魔法が生えてくるんだ。あれを避けるウルスラも、やっぱ化け物だよ」
跳び上がって着地するまでの間に、姿勢を変えたり、軸足を移すのは相当難しい。それが、次から次へと捕縛魔法が襲ってくるとなれば、なおさらだ。
「あ、ユー兄に関しては、捕縛の合間に攻撃魔法も飛んでくるからな? そこまで避けたとなれば、ウルスラはエリカの団長以上かもしれないぞ」
「多分、ウルスラさんなら避けてると思いますよ?」
実際に見たわけではない。けれど、訓練の後に悲惨な状態のウルスラを見たことがないのだ。いつも服に汚れひとつなく、涼やかな顔で戻ってくる。
そんなウルスラが、勝ちはしなくとも負けていない。ユスティヌ相手の訓練では、そういう状況なのだろう。
「うん、俺もそう思う。ちょっと前に、ユー兄がいつも引き分けるエリカ騎士がいるってぼやいてたから。あれで、自分の魔法にはすっげぇ自信があるんだよなぁ、ユー兄は」
「そうなんですね……今度、手合わせしてもらいたいです」
「……頼んでもいいけど、俺、ユー兄の愚痴聞くの嫌いなんだよなぁ……ウザいし」
どうやらサージは、また引き分ける相手が増えると考えているようだ。
「気流!」
聞き慣れない呪文に、ベアトリスはそちらを見る。同様に、全員がフィエリテの青年をジッと見つめていた。
ウルスラ目がけて、巻き起こった風がユラユラ揺れながら襲いかかる。思わず目を見張るほど、ウルスラは器用に体をグッとひねってそれをかわす。
そのまま着地すると、一気に間合いを詰めにかかる。
「守護!」
ここでそれを使うということは、それなりに自信があるはずだ。打ち砕かれるまでの時間さえ稼げば、必ず勝機がある。彼はそう信じているのだろう。
ところが、ウルスラはニッと片側で笑った。
「残念ですが、私が一撃で破れない防御は、今のところアマリリスの団長のだけなんですよね」
他はすでに試してあるようだ。とはいえ、彼の防御がどの程度か、見ただけではわからない。実際に撃ち込むまで、断言はできないのでは。
そんなことを考えていたベアトリスたちの耳に、パリン、と何かが砕ける澄んだ音がした。
「あ……」
その音に聞き覚えのあるベアトリスは、すぐに何が起きたのかを察する。
思い切り剣を叩き下ろしたウルスラの向こう側で、呆然とたたずみ、次の手を繰り出せずにいる青年。その喉元に、次の瞬間、ウルスラの剣が突きつけられていた。
「お命、いただきました」
ニッコリ微笑んだウルスラを前に、青年はヘナヘナと座り込む。顔は真っ青なのに、頬にはわずかに赤みが差している。
「……ウルスラさんは、同じ場所に撃ち込むことを覚えたら、私の防御の魔法を三撃で叩き壊すようになりましたから……よほどでない限り、間違いなく一撃で砕かれますよ」
「……ちょっ……ウルスラって、どんだけ力強いの……?」
「私よりウルスラの方が力は強いから、あり得るけどさぁ……」
オリオンの言葉で、メルルとテレシアがボソボソと囁きあう。
ベアトリスでは、数本の矢で砕くことはできない。それだけ、威力を度外視し、狙うことに集中しているからだ。
狙いを定めた上で、力強く振り抜ける。そんなウルスラに、ただただ感嘆の息がこぼれ落ちた。
「まあ、普段から、捕縛攻撃が同時に飛んでくる訓練をしてるウルスラに、あんな単発ばっかで勝てると思う方がおかしいけどな」
「そう言われると、そうですね……ずいぶん手ぬるかったでしょうね」
オリオンとサージは、酷評を当たり前の顔でこぼす。それに、ベアトリス以外の面々が頷いて同意する。
(……あたしはまだまだ、たくさん足りないなぁ……)
もっと強くなって、安心して頼れる団長になりたい。
そんな思いを強めたところで、不意に誰かにしがみつかれた。あまりに突然の衝撃に、堪えきれずに倒れそうになる。
「団長、見ててくれましたか?」
衝撃の正体がウルスラとわかり、ベアトリスはホッとして肩の力を抜く。
「はい、見ていました。ウルスラさんは本当に強いですね」
嬉しそうに笑ったウルスラが、唐突に後ろを振り向く。
「あ、あの……」
たった今、ウルスラに敗北したばかりの青年だった。
「僕は、イジドールといいます。あなたの強さに心を、その美しさに目を、奪われてしまいました。どうか、僕と結婚してください!」
イジドールの真摯な瞳は、ウルスラをジーっと見つめている。その表情には、期待と不安が半分ずつ、チラチラと見え隠れしていた。
唖然としていたウルスラだったが、すぐに我に返ったようだ。
「お断りします」
とりあえずはありきたりな言葉で拒否するのか。
そう考えていたベアトリスは、次の瞬間、己の目と耳を疑うはめになった。
「私、自分より弱い男には興味が持てないんですよ」
負けたばかりの相手には、あまりにも酷な言葉だ。それをウルスラは、素晴らしい笑顔で言い放ったのだから。
「ひでぇ……」
呟いたのはイジドールではなく、サージだった。しかし、ウルスラはそれを咎める気はないらしい。
「騙して金品を巻き上げる悪女よりは、よほどこの人のためになりますよ?」
「それにしたって、言い方ってもんがさぁ……」
「……じゃ、じゃあ、あなたの国に行って、あなたより強くなってみせます!」
どうやら、イジドールは諦める気がまったくないようだ。
「私より強くなる前に、諦めざるを得なくなると思うんですよね。今ここですっぱり男らしく諦めることを、私はお勧めしますけれど」
それでもイジドールは、納得していない様子だ。
「だいたい、真っ黒な本性を隠し通せるだなんてあまっちょろいことを考えている方は、私の人生に不要ですから」
何か他に企みがあったのか。はたまた、見抜かれていると思わなかったのか。今度こそ、イジドールはガックリと肩を落としたのだった。




