五章 1
リュールング共和国では、恐らく、嫌がらせの一環として同室にされたのだろう。しかし、フィエリテ王国では、こちらから望んで男女同室にしてもらっている。
それもこれもすべて、ジャンヌのせいだ。
滞在中の部屋には近寄らないよう、フィエリテ王国側には徹底してもらってある。夕食を済ませ、部屋に入ってようやく、オリオンとウルスラはひと息つけたようだった。
「災難ですよ、まったく」
強い口調で呟いたウルスラに、オリオンが同意するように小さく頷く。
オリオンは疲れ切っているようで、荷物を置くと、ソファに座り込んだ。そのまま、目を閉じてジッとしている。
今回、アマリリス騎士団からは、補助タイプの魔法使いばかりが来ている。そのため、オリオン以外は治癒の魔法が使えない。
誰一人、オリオンの疲れを癒やすことはできないのだ。
「団長、申し訳ないんですが、お茶を淹れてきてもらえますか?」
「いいですよ」
ベアトリスはすんなり承諾する。
ただ、この部屋には、そういった設備は併設されていない。事前に案内された厨房まで、わざわざ足を運ぶ必要があるのだ。
滞在中は厨房を自由に利用する権利があると、案内ついでに説明を受けていた。
「私も一緒に行こうか?」
テレシアがそっと声をかけてきたが、ベアトリスは静かに首を横に振る。
「いえ、一人で行ってきます。もし、帰りが遅かったら、迎えに来てもらえますか?」
「……わかりました。じゃあ、これを」
渡されたのは、火をつける道具だ。
きちんと笑ったつもりだった。けれど、いくらか顔が引きつっていたことを自覚している。だから、テレシアたちが妙な顔をしているのだろう。
それがわかっていながら、ベアトリスは一人で部屋を出た。
四角の建物だけあって、作りは比較的単純になっている。この部屋から厨房まで、途中で数回曲がるだけだ。
わざと一人になったのは、もちろんきちんとした理由がある。
案内されていた時、あちこちから奇妙な目を向けられたのだ。それは好奇の視線ではなく、どこか蔑みを含んでいた。
単なる予想でしかないが、髪と瞳の色から、セイヘキ国の人間と思われているのだろう。
魔法を使う者を持ち上げるこの国では、当然、武力を誇るかの国は軽蔑される。そこの出身と思われれば、あの視線にも納得がいく。
ジャンヌが常に勝ち誇っていることも、その辺りが影響しているからだろう。
ハァ、とため息をこぼして、ベアトリスは気を取り直す。沈んだ顔をしていれば、なおさら嫌な目で見られてしまうかもしれない。
右に左に曲がって、無事に厨房までたどり着いた。
夕食も終わっているため、人気はない。しんと静まり返っている。
(えっと、ポットとカップは……)
茶葉は、持参しているものがある。人数分のカップと、それだけの湯が入りそうな大きなポット。それから、たっぷりの湯があれば十分だ。
とりあえず、目についたやかんで湯を沸かす。火種になりそうなものが何もなかったため、火をつける道具は大いに役に立った。
踏み台代わりなのだろうか。やや背の低い椅子をガタゴト運んできて、棚の中のカップやポットを取り出していく。それらを、木製のワゴンの上に綺麗に並べる。
(これでいいかな?)
熱々のやかんも乗せ、ワゴンをゆっくりと押す。車輪はカタカタと軽快に動く。ひどい段差に引っかからない限り、安全に部屋まで戻れるはずだ。
部屋のある一角まで無事に戻れれば、その先は誰かと行き会う心配もない。
石畳のようになっている廊下を、ベアトリスは慎重に進む。前から誰も来ないようにと、無意識に祈ってしまう。
ワゴンの上は、カチャカチャ、ガタガタ、ゴトゴトと騒がしい。
その音は、思ったより響くのか。音を聞きつけたらしい話し声が聞こえてきた。
「やだ……野蛮人よ」
「本当だわ……あのカップとか、もう使えないわね」
リュールング共和国では、限られた者としか接していない。何より、あの国は、セイヘキ国に友好的だ。それゆえ、ここまで露骨に暴言を吐かれることもなかった。
相手にするべきか。はたまた、無視を貫くべきか。
逡巡したベアトリスだったが、余計な争いを避けるため、無視することに決めた。
できるだけ端に寄ってすれ違おうとした。しかし、前から来た女性たちは、廊下いっぱいに広がって邪魔をしている。
「……そんなに広がったら、他の人の邪魔ですよ?」
何か言うつもりはなかった。けれど、こればかりは仕方がないだろう。
「それとも、廊下で広がって歩いていることが、あなたたちの仕事なんですか? だとしたら、ずいぶん楽でいいですね」
ベアトリスとて、人間だ。嫌な気分をずっと味わわされれば、さすがに鬱憤がたまる。それをどこかで発散させたくなっても致し方ない。
どこでどうスッキリさせるかは、ベアトリスが決めることだ。
「しかも、客の邪魔をするなんて……フィエリテ王国の使用人は、本当にしつけがなっていませんね」
ニッコリ微笑んだまま、ベアトリスはつらつらと毒を吐く。
懸命に思い出しているのは、父の姿。そして、リュールング共和国でのウルスラだ。
どうすれば、相手に痛手を負わせられるか。何を言えば、相手がいかに激高するか。それを、記憶を頼りに試してみる。
利用できるものは、徹底的に利用する。そうして、少しでも早く、オリオンやウルスラを自由にしたい。
大切な人たちがあんなに疲れ切った顔をしているのは、もう見ていたくないのだ。
それが叶うなら、この心がズキリと痛むことさえ、あえて素知らぬ振りを貫ける。
「なっ……」
「それが仕事でないのなら、さっさと道を開けなさい。出来損ないの使用人でも、そのくらいはできるでしょう?」
「……セイヘキ国の野蛮人が、偉そうに」
「私は、フロース王国のモデスティー伯の娘です。それ以外の何者もありません。この髪と瞳は祖母譲りですよ。これ以上の侮辱を受けるのであれば、相応の手段をとらせていただきます」
きっぱりとベアトリスは言い放つ。
だが、彼女たちには、モデスティー伯がどんな人物なのか、さっぱりわからなかったようだ。かえってニヤニヤと、嫌な笑いを強めている。
「野蛮人が、この国をどうこうできるとでも思っているの?」
「バカみたい」
クスクス笑う彼女たちに、ベアトリスは冷め切った目を向けた。
「そうですか、わかりました。では、これから父に手紙を書きます。早馬であれば、四日ほどで手紙が届くようですから」
手紙のやり取りをするなら、返事が来るまでに十日ほどかかるだろう。けれど、ただ処罰を考えてそのとおりにするだけなら、そこまで必要ない。
「下手をすると、フロース王国との交流がすべて途絶える覚悟はよろしいですか?」
この国と縁をつないでいることが、果たしてどれほど有益なのか。それは、ベアトリスにはわからない。
ただ、こんな国との縁はいらない。ベアトリスはそう、個人的に思ってしまったのだ。
実際のところ、必要があれば、モデスティー伯は縁をつないだままでいるだろう。娘への侮辱を理由に、いるものを切り捨てることはしない。
「……はぁ? あんたにそんなことができるわけ?」
「できますよ」
完全に馬鹿にした態度を取っていた女性たちの向こうから、不意に聞き慣れた声がした。
「あなた方はご存じないかもしれませんが、モデスティー伯は、フロース王国における国政のすべてを取り仕切っています。どの国とどういった交流を持つか。それは現在、モデスティー伯に一任されているんですよ。彼は、その方を溺愛していますからね……使用人ごときにひどい侮辱を受けたとなれば、この国を滅ぼしにかかりますね、絶対」
うんざりした様子のウルスラが、悠然と腕を組んで立っている。その表情には、強い憤りが浮かんでいた。
「もっとも、その前に、私がこの国に立ち直れない打撃を与えますけどね」
「ウルスラさん……」
ここへ来るのはテレシアだと思っていた。しかし、実際に来たのはウルスラだ。
恐らく、こうなっていることを察していたのだろう。
(……また、矢面に立つために……?)
わざと暴言を吐いていた時よりもずっと、胸がズキッと強く痛む。
「……この国を痛い目に遭わせるのは、あたしがやります。ウルスラさんが作った敵は、あたしの敵でもありますし。それに、ウルスラさんはエリカ騎士の一員です。団員は、団長であるあたしが守ると決めていますから、全部の責任はあたしが負います」
顔をグッと持ち上げ、きっぱりと言い切る。
目を見開く使用人たちの向こう側で、ウルスラが驚いた顔をしたのが見えた。
「……それとも、あたしじゃ、ウルスラさんを守るには力不足ですか?」
普段は自由に動いて、横並びで一緒に歩いてもいい。けれど、何か起きた時には、自分が一歩前に出る。そうして、みんなを守りたいのだ。
言葉が出ない様子のウルスラは、グニャリと顔を歪ませる。今にも泣きそうな顔で、首を数回、ゆっくりと横に振った。
「じゃあ、ウルスラさんのことも、たくさん守らせてくださいね?」
笑おうとして失敗した。そんな表情で、ウルスラは小さく頷く。
「というわけで、国王陛下のところへ案内してもらえますか? この件を、説明しないといけませんし」
ニッコリ微笑んだベアトリスに、気圧されたのか。使用人たちはグッと眉根を寄せ、互いに顔を見合わせて、ヒソヒソと相談しているようだ。
もちろん、ただの使用人に、国王のところへ案内できる権限があるとは思っていない。相応の人に伝えるにも、かなりの段階を踏む必要があるだろう。
その間に、情報があり得ない方向へ歪められる。それを、ベアトリスは懸念しているのだ。
「ダメなら、あたしが直接向かいます。あ、タデウス殿下に一緒に来てもらえば、大丈夫ですよね?」
「……まあ、一応、殿下なら問題はないと思いますけど……役には立ちませんよ?」
「いいんです。国王陛下に謁見さえできれば、後はあたしがやりますから」
笑みを崩さないベアトリスに、その覚悟を見て取ったのだろう。ウルスラの肩から、フッと力が抜けた。
「では、殿下と私を同行させてください。この国が置かれた状況と、団長の立ち位置を、正確に理解してもらう必要がありますからね」
言うが早いか、ウルスラはさっさと踵を返す。きっと、タデウスを連れてくるのだろう。
「……あたしも、お茶だけ置いてこようかな」
呆然としている使用人たちの間へ割り込むように、やや強引に道を開けさせる。そのまま、ワゴンを部屋へ運ぶ。
部屋へ行くと、ちょうどウルスラが事情説明をしているところのようだった。
ベアトリスが入ってきたことに気づいたサージが、素早く近づいてくる。
「エリカの団長。悪いけど、うちの団長にお茶だけ淹れてくれる?」
「いいですよ」
茶葉を取り出し、ポットいっぱいに茶を淹れる。ひとつのカップに茶を注ぎ、相変わらずソファでぐったりしているオリオンの前に差し出す。
「オリオンさん、お茶をどうぞ」
ハッとしたように、オリオンはベアトリスをジッと見つめる。
「……ありがとうございます」
カップを手に取ったオリオンは、ふうっとひと息かけて、ひと口飲む。ゆらゆらと揺れる白い湯気が、何だか楽しそうだ。
「……無茶だけは、しないでくださいね」
「わかってます」
ニコニコしながら、ベアトリスはしっかりと頷いた。
無理も、無茶も、するつもりは一切ない。
「団長、行きましょうか」
ウルスラに声をかけられ、廊下へ移動する。出る直前で、一度振り返った。
「行ってきます」
そのままクルリと背を向け、先を行くウルスラとタデウスに駆け寄る。ついていく形で、フィエリテ国王の居場所へ進む。
途中で咎められれば、目的を正直に伝える。その結果、予想よりずいぶん早く、謁見が叶うこととなった。
謁見室で待つフィエリテ国王は、三十半ばといった年頃だろうか。金色の髪に青い瞳は、ジャンヌと同じだ。そして、ジャンヌ同様、整った顔立ちをしている。
玉座でふんぞり返っている彼は、かなり苛立った様子だ。
時間的には、そろそろ眠る頃だろうか。イライラし、腹を立てるのも無理はない。
「単刀直入に済ませましょうか。先ほど、我がエリカ騎士団の団長を、フィエリテ王国の使用人が侮辱しました。団長は確かに、祖母に当たる方がセイヘキ国の方ですが、団長自身はフロース王国の貴族令嬢です。野蛮人と誹られるいわれはありません。その件に関し、陛下はどのようにお考えですか?」
まずは、本当に重要なことは言わず、相手の出方を見るのだろう。
生き生きとしたウルスラは、場合によっては、フィエリテ国王を徹底的に痛めつけたいようだ。
「使用人なら勝手に始末しろ。俺の知ったことではない」
「そういうわけにはいきません。何しろ、我がエリカ騎士団の団長は、モデスティー伯のご令嬢であり、ホートン候にとっては唯一の孫となります。その団長を侮辱した者を放置する国を、彼らがあっさり許すとでも?」
ようやく、やや青ざめた国王は態度を正した。
けれど、もう遅い。
相手の地位や立場によって、コロコロ態度を変える。そんな輩を信用する者など、どこを探してもまずいないだろう。
自らの手で、フィエリテ国王は失墜したのだ。
「そもそも、あなたはご自分の置かれた立ち位置がおわかりですか? フィエリテ王国は、鉱石を売り、その金銭で他国から食料などを買っていますね? 返答や態度いかんでは、モデスティー伯は、売買すべてを取りやめるでしょう。そのくらい、伯は団長を溺愛しているんです。もう、あれは病気ですね。だいたい、この国との売買がなくなったところで、我が国はまったく困らないんですよ」
それは事実だろう。
フロース王国には、騎士団をいくつも抱えられるだけの、潤沢な資金があるはずだ。そうでなければ、騎士団はとっくの昔に減っている。
「まあ、我が国からの物資がなくとも、すぐには困窮しないでしょう。ですが、伯に睨まれたくない国は、それこそたくさんあるんですよ。その国が、フィエリテ王国に対し、これまでどおりのつき合いをしてくれるかどうか……そこは、私にもわかりません」
ウルスラはわからない、と言い放ったが、本当はわかりきっているのだ。
悪魔ですら裸足で逃げ出す。そう言われるほど、この世で最も厄介だと言われる人間を、誰だって敵には回したくない。
「……ど、どうすれば……」
うろたえる国王に、ウルスラは侮蔑の混ざる冷ややかな視線を投げる。
倒しがいがあるのは、何を言われようとふてぶてしく構えている者だ。現実に気づき、とたんに怖じ気づく者など、倒す価値すらない。
ウルスラの視線は、そう告げている。
国王がすがるように目を向けるが、タデウスはぼんやりと見つめ返す。彼はここへ入ってから、ひと言も発していない。ただ、案内してきただけに過ぎない人だ。当然、何の助けにもならない。
ここでやっと、国王はベアトリスへ顔を向けた。ますます、ウルスラの視線は冷たくなっている。
「そうですね……じゃあ、条件を設けましょう。あたしたちがここに滞在している間に、フィエリテ王国からの正式な謝罪を要求します。それがなされない場合、あたしは父様に、この国を好きにいていいと伝えようと思います」
正式な謝罪。
これがどれほど重い言葉か、知らずに口にしたわけではない。知っているからこそ、あえてその言葉を求めたのだ。
他国の騎士団の団長に、国王自ら頭を下げる。当然、人目のないところでこっそり、というわけにはいかない。それでは意味がないことを、彼はわかっているだろう。
この国のすべてと、天井知らずのちっぽけな自尊心。
それを秤にかけろ、と言ったも同然だ。
「いつまで滞在するかは、あたしは知りません。でも、今の状況でこの国を出たら、船の中で父様に手紙を書きます。そして、早馬をお願いしたいと思っています」
にこやかに微笑んだままのベアトリスを、フィエリテ国王はキッと睨む。その青い瞳には、苛烈な憤りが宿っている。
憎むなら、恨むなら、他の誰かではなく自分にして欲しい。
それが、ベアトリスのささやかな願いだった。




