四章 3
思わず気を抜いてしまうほどのどかな道は、港から城までゆるやかに続いているようだ。
カタコトと心地よい振動もあり、正面のメルルはこっくりと船をこぎ始めている。メルルの隣にいるテレシアも、窓の外を眺めながらぼんやりしていた。ヴェラは、すでにベアトリスの肩にもたれてスヤスヤと眠っている。
ベアトリスも、眠気を感じないわけではない。ただ、港でのことを思い出すと、どうしても眠気が遠のいてしまうのだ。
知らず知らず、ふうっと息をこぼしてしまう。
「……団長。さっきのが、気になってるんですか?」
穏やかなテレシアの声に、たとえ事実であっても頷くことはできなかった。
「まあ、気にするな、って言われても、気になるもんですよ。それはしょうがないんです、女の子ですから。でも、私が見るに、アマリリスの団長は、本気で団長のことしか見てないんで、あの女の言うことに耳を貸したらダメですよ? 団長は自信を持って、堂々としてたらいいんです」
「えっと……」
テレシアは、それほど口数は多くない。そのほとんどが返事か、誰かの揚げ足を取って揶揄する場合だ。ここまで、自分の意志をはっきりと喋った覚えはない。
こういった励ましの類いは、普段はウルスラが口にすることが多いものだ。彼女が不在だから、代わりを務めてくれているのか。
「正直、私から見たら、アマリリスの団長はかなりのくせ者です。あんなのを御せる女はそう多くありません。それがわからないから、ここの第二王女はダメなんです」
「……そう、でしょうか」
ベアトリスからすれば、オリオンはそれほど難しい人間ではない。もっとややこしくて複雑な者を、他に何人も知っている。
ヴェラを気遣い、反対側に首を傾けたベアトリスに、テレシアは意味ありげな笑みを向けた。
「それに、団長がいつもどおりでいてくれないと、ウルスラが余計にイライラして怖いんです。今頃、前の馬車の中は凍ってますね、絶対」
何となく、その光景を想像してみる。
かなり緊迫した空気の中にいなければいけないオリオンに、深い同情が過ぎった。
「……ああ、それは、ありそうですよね」
確かにウルスラは、いつもと違っている。船に乗り込む前から、かすかに引っかかっていたことだ。
タデウスの補助も、ウルスラの仕事の一環なのだろう。リュールング共和国に滞在していた間も、ちょくちょくタデウスと話し込んでいた。
ただ、それだけではない雰囲気もある。別に抱え込んでいることがあり、それが特に大きな原因になっている気がするのだ。
「父様が、無茶を言ったんじゃなければいいんだけど……」
要求すれば、たいていは難なくこなしてしまう。そんなウルスラは、間違いなく使い勝手がいいのだろう。
たまに、書類整理などの雑用を手伝っていることは、ウルスラから聞いて知っている。
「というか、団長のお父さんって、無茶しか言わないんじゃ?」
抑えたつもりだったが、話し声で目が覚めたのか。不意にメルルが会話に混ざってきた。
メルルが少しぼんやりした様子なのは、まだ眠気が残っているからだろうか。
「他人には、そういう人みたいですね」
「団長にはすっごく甘いけどね」
ベアトリス自身が知っている父と、他人から聞く父の姿。それが、相当の頻度で一致しないのだ。
むしろ、一度も合致したことがない。
「でも、わかる気もするんだよね。団長って、いっつも前ばっか見てて、ずっと走ってるじゃない? たまには休んだらいいのに、ってくらい、いっつも動いてるし。置いてかれないように、頑張らなきゃって思っちゃうよ」
いつの間にか靴を脱いでいたメルルは、座席にちょいと足を乗せる。その膝に肘をグッとついて、小首を傾げてニッコリ微笑む。
「え? あたしは、みなさんを置いていきませんよ?」
「……うん。団長はさ、もうちょっと比喩とか知った方がいいよね、うん」
「すみません……母様が使わなかったので、その手の言葉はあまり知らなくて……」
母の話す言葉は、わかりやすい直球のものばかりだった。何かを隠し、それを察するように誘導する話し方は、一度もされたことがない。当然、感情を表現する言動も、大げさなくらい素直なものばかりだった。
難しく考えなくても、自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちも教えてもらえる。そんな環境で、幼い頃はずっと生きてきたのだ。
父の元へ移り住んでからは、周りが何を考えているのか、ちっともわからなかった。はっきり伝えて欲しいと、願うこともままならない。自分の気持ちを言う隙間も、与えてもらえなかった。
あまりにいたたまれないことが多くて、早く家を出たかったのだ。
思えば、あの家では、自分が異質なものだった。それが、今ならよくわかる。
「まあ、だから、団長は面白くて裏表もないから好きなんだけどね」
かすかな笑みを浮かべたテレシアが、臆面もなくサラリと言い放った。その隣で、メルルが何度も頷く。
「あ……ありがとう、ございます……」
嬉しい気持ちは、たったひと言では表しきれない。半分泣きそうな笑い顔でも、伝えきれないだろう。
本当なら、二人にギュッと抱きつきたい。
そうすることでしか、嬉しさや感謝を伝える術を知らないのだ。
「とりあえず、私たちは団長の味方ですから。フフッ、あの女、痛い目を見ればいいんですよ」
「うんうん。アマリリスの団長って、怒らせたら怖いって聞いたし。今頃、絶対やらかしてるよ!」
しんみりした空気を振り払うように、テレシアとメルルは努めて明るい声で言い放つ。
「……オリオンさんが怒るところを、あたしはまだ見たことないですけど……怖いんですか?」
あからさまに顔も合わせず、オドオドしている姿。それが徐々に、今へと変わってきた。けれど、穏やかで優しいところは、最初から変わっていない。
「多分だけど、あれだけの魔力だもん。崩壊の魔法で城を丸ごと崩せちゃうと思うんだよね。捕縛の魔法で、森を半分消しちゃったって聞いたし。いきなり城が消えたら、相当びっくりだよ? サージさんじゃ、さすがに城は戻せないと思うし」
頬杖をついたまま、メルルがクスクス笑う。
「会ったことはないけど、アマリリスの前の団長さんは、城でも直せたんだって。あと、武器とかくらいなら、外でも損傷なく戻せたらしいから、やっぱりすごい魔力の持ち主だったんだと思うよ?」
「……前の、団長さん、ですか……?」
思い返せば、誰からも、以前の団長の話を聞いたことがない。
次の団長として、今の団長たちを指名した。知っていたのはその程度だ。
取り立てて隠しているわけではないのだろう。ただ、わざわざ話す必要性に迫られなかった。そんなところか。
「今度、オリオンさんにいろいろ聞いてみますね」
このところ、ゆっくり話している暇もなかったのだ。
無事に戻ったら、少しのんびりと過ごしてみたい。そう願ってしまう。
‡
「妙な建物ですねー」
真っ先に降りたメルルが、建物をジッと見つめながら言う。
その言葉に見たフィエリテ王国の王城は、城という印象がまったくない。リュールングの会議場とはまた違う、白くて四角い形だった。
窓の並びからすると、どうやら四階建てのようだ。
ベアトリスたちが馬車を降りた時には、すでにオリオンたちが待っていた。オリオンの左腕にジャンヌがしっかりと絡み、右側にウルスラが立っている。
オリオンが右腕を自由にしているのは、いざという時のためだろう。
「ウルスラ!」
荷物を持って、メルルが駆け寄っていく。その後をテレシアが悠然と歩き、ヴェラはまだ眠そうに目をこすっている。三人の後ろから、ベアトリスも荷物を抱えて歩いていく。
気だるげに振り向いたウルスラは、メルルから後方へと視線を移す。とたんに、パッと顔を明るくした。
「ああ、団長ですね……私とアマリリスの団長の癒やしに、ずっと団長を借り受けたいくらいですよ」
ウルスラの言葉に、オリオンも体をひねって振り返る。向いた瞬間の疲れ切っていた顔は、ベアトリスを目に入れて穏やかになった。険しかった口元には、やわらかな笑みも浮かんでいる。
「……ずいぶんと、まあ……」
二人の露骨な反応を見て、テレシアが苦笑いしながら呟く。
「団長も、馬車の中で寂しそうだったもんね」
「メ、メルルさん!」
元々、国にいても会話はさほど多くない。それでも、落ち着いて話す機会がまったくないわけではなかった。しかし、こちらへ向かってからは、まともに言葉を交わす暇すらない。そんな状況も、決して少なくなかったのだ。
メルルたちがいてくれるから平気だ。そうと思えないほど、不安になる寂しさには慣れていない。
本当は、寂しいと声にしてしまいたかった。けれど、それでは、一緒にいてくれたメルルたちに申し訳が立たなくなる。
だから、絶対に言葉にはできない。かといって、否定することもできなかった。
「あれだけ寂しそうにしてたんだから、言っちゃえば? 言うだけならタダだし」
「そうそう。ヴェラみたいに気持ちよく寝れたわけじゃないでしょ? そういえば、ヴェラは団長にもたれて爆睡してたっけ」
「えっ、ホント? やだ、団長によだれ垂らしてないよね?」
左手を口元に当てながら、ヴェラがベアトリスの制服を確認する。目立つものは何もなかったようで、ホッと安堵の息を吐き出した。
「……団長。帰りの船か、帰ってから、膝枕をさせてください」
ニッコリ微笑んで淡々と言うウルスラに、ベアトリス以外がザッと後ろへ下がる。
「別にいいですけど……あたしがするんじゃなくて、ウルスラさんがするんですか?」
まったく動じないベアトリスからも、ヴェラたち三人は少し距離を取った。互いに顔を見合わせ、小さくため息をつく。
「その後、アマリリスの団長に、膝枕をしてあげてくださいね。だから私は、団長にする方で我慢しますよ」
「じゃあ、二人ともしますね。そういう我慢はしなくていいと思いますし」
にこやかなベアトリスに言われて、ウルスラは一瞬きょとんとした。それからすぐに、楽しそうに笑い出す。
そうして、ひとしきり笑った後。
「ありがとうございます、団長。おかげで、やる気が出ましたよ」
「……ウルスラさん、これ以上やる気を出してどうする気ですか?」
「本気の全力で綺麗に片づけるつもりですけど?」
ハァ、とオリオンがため息をついて、右手で顔を覆う。
馬車の中が、いったいどんな状況だったのか。オリオンの様子からも、推して測れるというものだ。
「私、この世の中で、オーソン様の次に嫌いなのが愚かな女なんですよね。同じ女として軽蔑すらしますよ。しかも、自分が愚かだと気づかない女は、本気で最悪ですね」
それが自分に向けられていると思っていないのか。ウルスラの暴言を、ジャンヌはサラリと無視している。
ウルスラも、ジャンヌが聞いているかどうかは、どうでもいいらしい。ちょいと肩をすくめて、薄い笑みを顔に貼りつけた。
「正直、今回は役不足ですけどね。倒すべき相手が、あまりにも弱すぎますから」
「……今さらですが、メイベルさんに来てもらっていた方が、まだ気が休まりましたよ」
「ダメですよ。リナリアの団長まで来てもらったら、フィエリテが可哀想じゃないですか。いきなり崩壊の危機ですよ? まあ、結果次第では壊しますけどね」
物騒な会話をしているが、本人たちはそのことに気づいていないようだ。その上、ジャンヌも気に止めている様子がない。
「うちの団長を貶めてくれた落とし前は、きっちりつけないといけませんからねー」
「でしたら、我が国が誇る兵士と勝負なさったら? もちろん、我が国が勝利を収めるでしょうけれど」
「ああ、いいですね。うちの団長とやります? それとも、私が相手です?」
テレシアは、一対一の戦い方を苦手としている。ウルスラはそのことを理解した上で、あえて彼女を対象から外したようだ。
メルルはメルルで厄介なので、選択肢には入れたくなかったのだろう。
他国で、その国の騎士を裸にしてしまっては、別の問題が発生してくる。
「どちらでもよくてよ。結果は見えているのですもの」
チラッと振り返ったジャンヌは、やけに自信たっぷりに言い放つ。それを聞いたウルスラは、ニッと意地の悪い笑みを浮かべる。テレシアとメルルは、ジャンヌに蔑む視線を投げかけていた。
「だ、そうですよ、団長。命を奪う以外は、徹底的にやっちゃってください」
「……本当に、いいんですか?」
「大丈夫です。この国にだって、治癒のできる魔法使いくらいいるでしょうからね。まあ、仮にいなくても、アマリリスの団長がいるんで心配はいりませんよ」
「じゃあ、そうしますね」
サマラやその侍女たちは、ベアトリスやウルスラの戦い方を見ていないはずだ。
どういった戦い方を好み、どう動くのか。それを一切知らないまま、互いにやり合うことになる。
(……ちょっと、緊張するけど……)
ベアトリスは、魔法使いとの戦闘経験が少ない。特に、風の魔法は比較的軌道を操作しやすいらしいと聞く。それが得意な魔法使いには、まだ会ったことがなかった。
それが得意な魔法使いであれば、少し苦戦するかもしれない。
けれど、戦ってみたい気持ちがあることもまた、まぎれもない事実だ。
「では、お兄様に進言して、その場を設けさせていただきますわ」
ベアトリスとウルスラの無様な姿が見られる。
そう、強く信じているからだろう。ジャンヌは取り出した扇をパッと広げ、優雅に口元を隠す。隠されなかった瞳は細められ、にんまりと笑っていた。
オリオンをつかむジャンヌの腕に、グッと力が込められた。それにより、オリオンはまた渋面になっている。
「……リュールングでも思ったんだけどさ、何で、よりによって、あの二人にケンカを売るんだろうね」
「ウルスラは自分から売ってるけど、団長は基本的に買ってるだけだもんね」
「団長ってさ、見た目はか弱そうだからじゃない? 実際は全然か弱くないし、敵には容赦ないけど」
「ああ、そうかもね」
メルルの言葉に、テレシアが納得して頷く。
ベアトリスはいつも、口元にやわらかな笑みが浮かんでいる。それが消えている時は、深く悩んでいる時が多い。
それを知っているから、テレシアたちは、今がどういう状況かを判断できるのだ。
現状では、ベアトリスはいつもどおりの笑みを浮かべている。
「団長がニコニコしてないと、何だか不安になるんだよね」
ヴェラが小声でボソッと呟く。それに同意するように、テレシアとメルルも大きく首を縦に動かした。




