四章 2
リュールング共和国を出て、およそ半日。日暮れが差し迫った頃、フィエリテ王国の港にようやく船を停泊させた。
港から、滞在予定の王城までは、かなりの距離がある。船とは簡単に行き来できない。そのため、どうしても手荷物が増えてしまう。
「……出迎えが来るとは聞いていたけどね」
げんなりした様子で、タデウスがボソリと呟く。ウルスラやオリオンも、露骨に眉をグッと寄せている。
眼下には、数人の人影が見えた。
その中の一人は、貴族令嬢のようだ。深紅の豪奢なドレスをまとい、派手な扇で口元を隠している。艶のある金色の髪が夕日に当たり、オレンジ色になってキラキラと輝いていた。
彼女のやや後方に控えているのは、彼女の護衛なのだろうか。
船の上からでは遠すぎて、彼らの表情をうかがい知ることはできない。
「……あれは、どう見ても物色してますよ? ここはいっそ、殿下が尊い犠牲になるべきじゃないですか?」
「ちょっと、ウルスラ。僕は妻帯者だよ? そんなことをしたら、帰った後でいろいろ困るじゃないか」
「だって、あなたじゃなかったら、間違いなくアマリリスの団長が目をつけられますよ? というか、もう絶対狙われるに決まってるじゃないですか。誰がその尻ぬぐいをすると思ってるんですか?」
タデウスとウルスラが顔を寄せ合い、ボソボソと言い合っている。
「そのために、ウルスラはこっちに来てるんでしょ? 頑張ってよ」
「はぁ? 私は予備ですよ? 本来、頑張るのはあなたの仕事なんですからね?」
言い負けたのか。がっくりと肩を落としたタデウスから順に、かけられた階段をゆっくりと下りていく。タデウスに続くのは、アマリリス騎士たちだ。
「そういえば、団長たちに言い忘れていたんですけど、あそこにいる女がフィエリテの第二王女と言われる、王妹のジャンヌ様です。王にはまだ幼いご子息一人だけなので、便宜上、そう呼ばれているんですよ。名前で呼ばれるより、第二王女様と呼んだ方が、睨まれる可能性は減ると思います」
「……うわぁ。その第二王女様って、性格の悪さが顔に出てるぅー」
ヴェラがボソッと呟く。
ベアトリスは目を凝らしてみるが、顔立ちははっきりと見えなかった。
「さあ、団長から早く早く!」
メルルに急かされ、背中をドンと軽く押されてよろめいた。テレシアとウルスラがほぼ同時に、ベアトリスの両腕を取って力強く助ける。
「ありがとうございます」
「ぼんやりしてると、フィエリテの猛獣女にアマリリスの団長が食われるよ?」
「えっ?」
テレシアの言葉に、思わず彼女を振り向く。だが、テレシアにはもう、繰り返す気はないようだ。
(……オリオンさんが、食べられる……?)
恐らく、猛獣女というのは、ジャンヌのことなのだろう。しかし、彼女がどうやってオリオンを食べるというのか。
さっぱりわからず、ベアトリスは首を傾げながら船を下りていく。
「……あのね、テレシア。あれじゃ、団長にはわかんないと思うの」
「……そうみたいだね」
ヴェラとテレシアのやり取りを小耳に挟みつつ、ようやく地上に降り立った。
船での生活も、思っていたよりは悪くない。けれど、やはり硬い地面の上がいい。そう痛感したベアトリスは、荷物を持って、後続が追いついてくるのを待つ。
ウルスラは降りたとたん、タデウスたちが立ち止まっている場所へ足早に向かう。動きにつられて、ベアトリスは何となくそちらを見た。
(あ……)
声を出すことも、動くこともできない。
オリオンの腕に、ジャンヌがしっとりと絡みついている。ただし、オリオンは体ごと逃げようとしており、腕にギュッとしがみつかれている状態だ。
顔が思い切り引きつっていることからも、望んでそうなったわけではないのだろう。
他国の王族ゆえに、振り払うにも遠慮がある。それは、理解できるのだが。
(……絵になってる、よね……)
美男美女で、顔立ちは釣り合いが取れている。そう思っているからこそ、ジャンヌもあれほど積極的に出ているのだろう。
胸がギュッとひと息に締めつけられて、不意に息苦しくなる。空気を吸い込んだのか、それとも吐き出したのか。
それすらも、もはやわからない。
「初対面の、しかも婚約者のいる男性に、断りなくそういうことをされるだなんて……フィエリテ王国の王妹ジャンヌ様はとんだ売女ですよ。こんな女を王女として外に出さなきゃいけないなんて、フィエリテ王国は可哀想ですねー」
(……何だか、ウルスラさんが、すっごく好戦的なんだけど……)
行く先々で、片っ端からケンカを売っている。ここ最近のウルスラは、そんな印象だ。
まるで、ちっとも解消しない苛立ちを、無理矢理発散させようとしているようにも見える。
「あら。そちらには、目の保養にすらならない醜女ばかりじゃない。こういういい男には、相応の女性が横に立つものよ」
「あなた程度の顔なんて、見飽きるくらいその辺にゴロゴロ転がってますよ? というか、むしろ、この人とかリナリアの団長の方が、あなたなんかよりずっと美形ですけど? あらあらぁ、ご自慢の美貌が、男に負けるだなんて……プッ」
薄い笑みを貼りつけ、ウルスラは小馬鹿にしてジッと見つめている。腕を組んで斜に構えるその態度は、わざとらしいほどに悪い。
さすがに自尊心を傷つけられたのか。ジャンヌは一瞬で顔を真っ赤にして、体をプルプルと震わせている。
「そりゃあ、子供の頃から天使と称えられていたレーニアと比べたら、やっぱり見劣りするよね」
さりげなく、タデウスがニコニコしながら追撃を行う。
まったくトゲを隠さない二人の様子を見るに、相当ジャンヌが嫌いなようだ。
「……不敬罪でしてよ」
勝ち誇った顔で囁いたジャンヌに、ウルスラはハッ、と鼻で笑う。
「ええ、どうぞ。いつでも受けて立ちますよ? ただし、私はフロース王国の騎士です。当然、国から人が来ますよ? こんなちっぽけな国が、独断で勝手に他国の騎士を裁けるとでも思っているんですか? そんなことをしたら、我が国と全面戦争じゃないんですか。ああ、国をなくしたいなら、喜んでやって差し上げますよ。あ、ちなみに、リュールング共和国にも援軍要請しちゃいますよ? 実は私、ベルノルトとも親しいんで。しかも、あなたが何をしたのか、他国にも広く知られますけれど、本当にいいんですか?」
ひと息に言い切ったウルスラの演説を聞いていたサージが、ヒュウと口笛を吹く。他のアマリリス騎士やタデウスも、いたく感心したように目を見開いている。
あえてベルノルトを呼び捨てにしたのも、親しさを特に強調するためのことか。
ベアトリス以外のエリカ騎士たちは、互いに顔を見合わせて首を小さく横に振った。
「……何でわざわざ、ウルスラの逆鱗に触れるんだろうね」
呆れた声音で呟くテレシアの言葉が、彼女たちの心情をきっちり代弁している。
恐らく事前に、モデスティー伯から情報をもらっているはずだ。その上で、こういう時の対処を決め、その通りに動いているのだろう。
ウルスラの許容量を大きく超えない限り、彼女の手の上でただ転がされるだけだ。
「殿下、そろそろ移動いたしましょう」
ジャンヌの窮状を見かねたのか、護衛の一人が恭しく声をかける。苛立ちを隠さないジャンヌは、オリオンの腕を引っ張って移動しようとした。
しかし、彼は懸命に抵抗している。
オリオンの服を軽く引っ張りながら、ウルスラが顔だけクルリと振り向く。
「あの、団長。私がアマリリスの団長とご一緒しても大丈夫です?」
「えっと……オリオンさんがいいのなら、かまいませんけど」
言ってからそっと様子をうかがうと、オリオンは二度ほどはっきり頷いた。ジャンヌは意外と力強いらしく、声を出す余裕がないようだ。
「じゃあ、そうさせてもらいますね。団長、私がアマリリスの団長は死守しますから!」
「あなたは絶対、同乗させないわ!」
「でしたら、アマリリスの団長も、あなたとご一緒する理由はありませんよ? 何しろ、私と違って、彼の婚約者の許可が出ていませんからね」
「はぁ? わたくしがそうすると言えば、そうなるのよ!」
「残念ですが、彼はフロース王国の人間です。あなたに従う義務はもちろん、義理だって、これっぽっちもありませんよ? その辺り、ちゃんとわかってます?」
完全に見下した表情のウルスラに、ジャンヌはギリギリと歯ぎしりする。
(……せっかく綺麗な人なのに、台無しだよね)
恐ろしい形相で他人を睨む姿を、平気で人前にさらしてしまう。そこがウルスラたちにことさら蔑まれていることに、ジャンヌは気づけないのか。
端から見れば、女性二人に取り合われている。そんなオリオンは、すでにげんなりした様子だ。疲れ切ってすっかり消耗していることが、手に取るようにわかる。
左手にジャンヌをくっつけ、右腕側にウルスラを従え、オリオンは先頭の馬車へ向かう。分乗になるようで、他に二台の馬車が用意されていた。
「男女でいいですよね」
さっさと取り決めたテレシアは、真ん中の馬車へ荷物を積み始める。ちょいと肩をすくめて、サージが最後尾の馬車へ歩いていく。
手前の馬車を気にしながらも、ベアトリスは荷物とともに馬車へ乗り込んだ。
‡
真っ先にジャンヌが馬車へ入り、オリオンを引っ張り上げる。その直後、ウルスラも馬車へ滑り込んだ。
ジャンヌが進行方向に向いて座ると、隣へオリオンを座らせようとする。しかし、それをウルスラが妨害し、向かい合わせの形で押し込む。さらに、オリオンの隣へ陣取り、簡単に配置を変えられないようにした。
(まったく、油断も隙もない女狐ですよ)
オリオンの隣で、ウルスラは邪魔にならないよう足を組む。ついでに、ゆったりと腕も組んで、偉そうにふんぞり返ってみる。
こうすると、ジャンヌの苛立ちを引き出すことはわかっているのだ。
予想どおり、ひどく苛ついているジャンヌが、目の前で思い切り顔を歪ませている。自分の立場や地位、見た目のことなどすっかり忘れきった顔だった。
(……これだから、徹底的に叩きのめしたくなるんですよね)
もし、目の前にいるのがメイベルなら、こんな無様な姿をさらしたりはしない。飄々と構え、逆にこちらの粗をさりげなく探すに決まっている。
挑発すればした分だけ、どんどん過剰に反応を示す。こんな女を一国の王女と認めることは、到底できない話だ。
「……団長に、会いたいですね」
毎日あんなに顔を合わせて、同じ部屋で仲良く寝ている。それでも、禁断症状のようなものが、どうしても出てきてしまう。
もし、男だったら。
それを考えることは、きっぱり止めたはずだった。けれど時々、ふと考えている。
「……姉妹になったら、どうなるんでしょうね」
驚くだろうか。それとも、喜んでくれるだろうか。
どちらを想像しても、温かい気持ちで満たされていく。
「あの、ウルスラさん、すべて声に出ていますが……」
「え? ああ、済みません。このところ、団長とゆっくりできないので、つい」
オリオンに指摘されて初めて、うっかり声に出していたことに気づいた。
普段なら、そんな間抜けな真似はしない。やはり、疲れているのだろう。
(それもこれも、出がけに伯が余計なことを言い出すからですよね)
ジャンヌへの対抗策を練るついでのように、養女になる件をサラリと打診されたのだ。もちろん、望まない結婚話も付随した上での話だった。
それが最善と思われれば、政略結婚めいたものでも平気だろう。何とかやっていける自信はある。
(そもそも、オーソン様が悪いんですよね)
ホートン候の息子で、剣の腕は確か。そんなオーソンだ。週に一度程度帰ってきていた頃は、割と好意的に見ていた覚えがある。
何しろ、ホートン候の実の息子なのだ。たったそれだけで、他の人間よりは信用してしまっていた。
ちょっかいをかけてきた使用人を、勝手に始末した。それに気づいた時に、はっきり『嫌い』という意識を持ったと記憶している。
ただ、その頃までなら、ここまで拒絶はしなかっただろう。
その後に、致命的な決定打があったのだ。以来、私的なことでは、絶対に近づきたくはない相手になっていた。
(……あれからずっと、オーソン様は嫌いですからね)
戻ったら、何らかの結論を出さなければいけない。その覚悟は決めてある。
問題は、一向に結論が出ないことだろうか。
思考に没頭しながらも、ウルスラはきちんと周囲を警戒している。いきなり身を乗り出してオリオンへ近寄ろうとするジャンヌを、きっちり押し返しておいた。
「うちの団長の婚約者に、気安く近づかないでもらえます?」
「……団長? どの醜女がそうだったのかしら?」
「あらあら、こんな時間に盛大的な寝言ですねー。中身で見れば、あなた以上の醜女なんて存在していませんけど?」
「そうですね」
静かな声音で、オリオンがウルスラに同意する。
突然のことに驚き、ウルスラはオリオンをまじまじと見つめてしまう。それはジャンヌも同じだったようで、怒りで真顔になっている彼をジッと凝視していた。
「ベアトリスさんを侮辱する発言は、私が許しません。ベアトリスさんは、私にはもったいないほど素敵で可愛らしい、自慢の婚約者です」
照れることなく堂々と言い放ったオリオンに、ウルスラがあんぐりと口を開ける。その直後、朝のベアトリスの発言を思い出したのだろう。肩をフルフルと震わせながら、小さく吹き出した。
「……さすが、団長が見込んだ人ですね。何でまったく同じことを言うんですか? いえ、わかりますよ? 団長が自慢の婚約者だってことは。でも、一日のうちに、何で二回も聞かないといけないんです?」
この二人が、互いにこう言おう、と決めていたわけではないだろう。そんな器用な二人ではない。
たまたま、偶然、思っていたことが同じだっただけに決まっている。
「うちの団長も、アマリリスの団長が自慢の婚約者だそうですよ」
ウルスラがはっきり言葉にして言うと、とたんにオリオンが真っ赤になった。
他人の声で耳に入ってきて、自分がどういったことを言ったのか。しみじみと理解してしまったのだろう。
「無自覚に言うのも、ほどほどにしてくださいね? あと、次は団長にちゃんと言ってあげてくださいね?」
かといって、何でもかんでも自覚して行動して欲しいわけでもない。それはそれで厄介なのだ。
どんな時でも、逃げ道だけは確実に確保して欲しいと思ってしまう。
照れるだけ照れているオリオンに、すっかり当てられたのか。その後のジャンヌが大人しかったことだけが、ずっと気にかかっていた。




