三章 3
ヴェラの願いも空しく、一度は退散したベルノルトは、早々に再びやってきた。今度は、宿泊している部屋への訪問だ。
「……何か、困っていることはありますか?」
「ありませんけど?」
ちょうど昼食を終えたところで、彼に答えるのはウルスラだけだ。女性側の入り口をふさぐように立ち、腕を組んで斜に構えている。
ベアトリスは、直接のやり取りを禁止されている。だから、会話が成り立たない距離でぼんやりと突っ立っていた。
テレシアとメルルは、ちょうど中間辺りでニヤニヤしながら聞き耳を立てている。
ヴェラにいたっては、ベアトリスの陰に隠れている。しかし、ベアトリスより背が高いため、まったく隠れられていない。決して近づかないという、単なる意思表示にしかなっていない状態だ。
「不便や不都合がありましたら、ぜひお声かけください」
「そうですね。タデウス殿下を通して、閣下にでもお願いしていただきますから、ご心配なく」
「ですが、何か問題が起こるかもしれませんし……」
こちらに一切合切関わってくるな。
ウルスラの態度も、声も、口調の強さも、そう語っている。けれど、ベルノルトはまったく察してくれないようだ。
すっかりうんざりしたらしく、ウルスラが大きなため息をこぼす。
「この際ですから、はっきり申しましょうか? あなたの援助は不要です。何ひとつ必要ありません。むしろ邪魔です」
ひとつ否定の言葉を聞くごとに、ベルノルトはどんどん消沈していく。
誰か一人くらいは、案外呆気なく釣れるのではないか。そんな甘いことを、ベルノルトは考えていたのかもしれない。
彼は冷たそうな印象の顔立ちだが、比較的整っている方だろう。だが、飛び抜けて優れているわけでもない。その上、毒にも薬にもなりそうにない性格に思われる。それで興味を持ってくれると考える方が、明らかに間違っているのだ。
身近な者たちと比較しながら、ベアトリスはそう判断する。
「ご理解いただけましたか? どうぞさっさとお帰りくださいませ」
慇懃無礼なウルスラに言い放たれたが、まだベルノルトは諦めていないようだ。
「この後また、戦闘訓練を行うそうですね。次は、我が国最強の部隊を送り込むと、父たちが色めき立っていました」
「ああ、そうなんですか? それは楽しみですね」
顔をややテレシア側に向けて、ウルスラはうっすら笑みを浮かべる。
「へぇ……今度はちゃんと強そうだね。確かに楽しみだよ」
朝は何もできなかったテレシアが、すっかりやる気だ。いそいそと、愛用の槍のところへ向かっていく。恐らく、念入りに手入れでもするのだろう。
「じゃあ、団長も矢とか補充しておいたら?」
メルルに言われたが、ベアトリスにはやることがない。朝の一戦が終わった後、すでにその辺りは済ませてある。それも、多少相手が増えてもいいよう、十分な予備まで準備万端だ。
「あたしはもう済ませてありますから、大丈夫です。テレシアさんとヴェラさんと一緒なら、朝より多くてもいけると思うんですけど……テレシアさん、どうですか?」
「んー、そうだね……まあ、朝より十人多いくらいなら余裕じゃない? 二十人増えると、ちょっと厳しいかもだけど」
「二十人以上増えるなら、私がヴェラと代わりますよ。私も全然暴れ足りないんですよね」
「あー、それならいいね。団長とウルスラが一緒なら、むしろ、騎士団一個分くらいどんと来い! だね」
美貌に似合わず、ハハッ、とテレシアが豪快に笑う。とたんに、ベルノルトがピクッと顔を引きつらせる。ほぼ同時に、衝立の向こうから揶揄が飛んできた。
「テレシアとウルスラなら、一人で騎士団一個ずついけるだろ」
「へぇ……言いいますねぇ、サージ様。だけど、私はさすがに、アマリリスの団長ほどすごくはないですよ?」
氷より冷ややかなウルスラの声が答える。
相手の団長格だけを残し、全員を捕縛してしまったオリオンだ。それと比較すれば、誰でも、どんなことをしても、たいしたことではなくなってしまう。
たとえ、ウルスラやテレシアが、二十人程度なら難なく一人で相手ができるとしても、だ。
「嘘つけ。ホートン候の英才教育を受けてるウルスラが、騎士団一個相手にできないはずないだろ。ついでに、テレシアだって、コキアの団長が惚れ込んで自ら手ほどきした槍の腕だって聞いた……」
「……アマリリスの団長? あまり、私たちの情報を流さないでもらえます? 特にサージ様には」
ウルスラとテレシアの殺気を、敏感に感じ取ったのか。サージは唐突に黙り込む。ついでとばかりに、ウルスラはオリオンに脅しをかける。
「申し訳ありませんが、出所は私ではありません。テレシアさんの場合は、テレンスさんが初めて名前を出して褒め倒していたからではないか、と思いますが……」
「ふふっ、コキアの団長には及第点をもらっていますから」
テレシアが嬉しそうに笑う。
疑問を覚えたベアトリスは、こてんと首を右に倒す。
「コーデルさんじゃなくて、テレンスさんなんですか?」
どちらにしても、槍を扱っている。ただ、コーデルは性格に難ありとはいえ、槍を愛用する騎士団の団長だ。馬上で戦うコキア騎士団のテレンスとは、戦い方にも大きな違いが出るだろう。
テレシアの目指す道に、たまたまテレンスが合致していたのか。はたまた、単なる腕の差か。
「コキアの団長って、自分の顔と馬にしか興味がないって言われてるけど、ちょっと違うみたいですよ。馬は別として、特に美しいものに心惹かれるんですって。で、私の槍さばきが舞ってるみたいで気に入ったって、わざわざ時間を作って手ほどきしてくれたってわけです」
「……何となく、テレンスさんなら言いそうな気がしますね」
「すっごい変わり者だもんね」
ボソリとヴェラが突っ込んだ瞬間、誰かがブッと吹き出した。それはあっという間に伝染して、それぞれが思い思いに笑い始める。
「……後悔しても、知りませんよ」
笑い声にまぎれて、ベルノルトが低い声で呟く。それを聞きとがめたウルスラは、ニッコリと笑みを向ける。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますね」
露骨に鼻白んだベルノルトは、室内を軽く一瞥すると、無言で踵を返す。
ベルノルトの姿が見えなくなってから、ウルスラは腰の剣にそっと触れて確かめる。それを見て、テレシアも勢いよく槍を手に取った。
衝立の向こう側からも、外に出る準備を始めた音がする。
それらを見聞きしながら、ベアトリスも武器を確認し始めた。腰の小剣も、弓も、矢筒とその中身も、何ら問題はない。
真っ先に外へ向かうウルスラに続き、ゾロゾロと移動を始める。
(……何人くらいと、手合わせするのかな?)
朝の呆気ない様や、先ほどのやり取り。それをかんがみると、本当に一騎士団分の人数と戦うことになるかもしれない。
基本的に、ベアトリスは接近戦をしない。もちろん、訓練では行っているが、戦うとなれば話は別だ。
不安を覚えつつ、朝と同じ場所に到着する。そこには、騎士団ひとつ分と同じくらいの人数が集まっていた。
肩の印を見ると、団長格の者が二人いるようだ。恐らく、二つの部隊が一緒になっているのだろう。
「本当に小さい男たちですよねー」
ウルスラは声を落として、きっぱりと言い放つ。テレシアたちは同意するように、はっきりと大きく頷く。
「それにしても、よくもまあ、こんなに集めたね。これはやりがいがありそうだよ」
「あんなにいたら、私じゃ無理……ウルスラ、頑張ってね」
テレシアが楽しそうに呟き、ヴェラがいくらか後ずさる。自然と、ベアトリスとウルスラ、テレシアが前に出る形になった。
「……あれとか、あの武器とか、壊しがいがありそうだよね」
「ちょっ! メルルは絶対出るな!」
背中には、メルルとサージのやり取りも聞こえる。
「ねえ、ウルスラ。どっちに行きたい?」
左手の人差し指をピッと立て、テレシアが左右にゆっくり振る。それを見て、ウルスラは相手をザッと眺めた。
「……そうですね。私はどこからでも問題なさそうですから、テレシアが決めちゃってください」
「ふーん……じゃあ、あっちね。あの辺、ちょっと強そうだからもらってくわ」
「では、そちらはお任せしますねー」
テレシアは以前、貴族に雇われて専属の傭兵をしていた。集団戦闘もお手の物だったらしい。むしろ、相手が多いほど本領を発揮すると、自己申告を受けている。
ウルスラは、ベアトリスから見て、オーソンと互角だろうと思う程度に腕が立つ。多少囲まれたくらいでは、それこそ危機とすら感じないだろう。
けれど、やはり、一度に周りを取り囲まれれば、不要なケガを負うこともある。そうさせないよう、ベアトリスはとにかく数を減らしていくつもりだ。
「団長は、思いっきり足止めしちゃってください。団長には、私とテレシアが指一本触れさせませんから」
「はい、わかっています」
先手必勝。そのための布陣は、三角形だ。
テレシアとウルスラが横に並び、二人の後方でベアトリスが弓を構える。
いったい、どちらが先に仕掛けるのか。
ギュッと弓を握り、矢筒に指をかけたまま、ベアトリスはジッと始まるのを待つ。
ほぼ同時に、テレシアとウルスラが地面を強く蹴った。パッと土が舞い、二人は少し離れるように敵陣へ突っ込んでいく。
矢筒から矢を抜き、いつでも放てるよう、矢をしっかりと番える。
クルクルと回転するテレシアは、まさに舞っているかのようだ。それでいて、相手に致命傷を与えるのではなく、腕や足を傷つけ、戦えなくしていた。
戦力を削ぐように戦っているのは、ウルスラも同じだ。ただ、彼女はより正確に、武器を持つ手を狙っている。足も、利き足を見極めた上で、きっちり狙いをつけているようだ。
激しく動き回る二人の背後を、当然敵は取ろうとする。そんな敵の足を、ベアトリスは順々に、的確に射貫いていく。
狙うのは、膝。もしくは、踵だ。
がくりと崩れ落ちた敵に、別の敵が引っかかって転ぶ。もたついているところに狙いを定め、足を射貫いて素早く動きを封じる。
指先で、矢筒に残っている矢を確認する。余裕を持たせながら、やけに目につく動きをしている敵を探す。
すでに、ウルスラとテレシアの周りにはほとんど敵がいない。大半が、地面にうずくまったり転がったりして、うめき声をあげている。
今も無傷で残っているのは、団長格と思しき二人だけだ。
「……まだ、全然足りませんね」
「そうだね。これじゃ、さすがに温すぎるよ。かえって体がなまるじゃないか」
ウルスラが笑顔で言う。ブン、と槍についた血を振り払いながら、テレシアが嫣然と微笑む。
「でも、せっかくですから、団長が行きますか?」
「え? あたしが、ですか?」
ちょうど二人残っている。テレシアとウルスラが一人ずつ、じっくり堪能するのかと思い込んでいた。そのため、ベアトリスはきょとんとして問いかける。
「両方でもいいですよ? やっぱり、ここは団長に花を持たせるべきかな、って思いますし」
あまりにも軽いウルスラの誘いと、テレシアの言い草に、ベアトリスは逡巡した。
(……ウルスラさんがあたしに、って言うんだから、きっと、そうした方がいい理由があるんだと思うし)
すぐに覚悟を決めると、ベアトリスは大きく頷く。
「じゃあ、あたしが行きますね」
「お願いします」
鋭く剣を振って血を払い、鞘にしまうウルスラにチラリと目を向ける。ベアトリスは弓を腰の留め金にはめ込み、ついでに矢筒の蓋を閉めておく。
横を通り抜ける時、テレシアがパチンと片目をつぶってきた。
剣を抜いてから近づくのは、どうも苦手だ。やはり、接近されて引き抜いた方が、その後の対処もやりやすい。
そのため、ベアトリスは手ぶらだった。
「動けなくすればいいんですよね?」
確認するように言った瞬間、ベアトリスの手がスッと動く。
考えるより早く、手は剣にかかっていた。そのまま、流れる動きでスルリと引き抜き、降ってきた剣を綺麗に受け流す。
続けざまに、もう片方の剣を、体をひねってかわした。
振り下ろされた剣が生み出した風が、ふわりと髪や服を揺らす。
(……腕より、足かな?)
敵は二人とも、かなり大振りの剣だ。両手で扱うことが前提のようで、片手では何もできないだろう。
当然、振り下ろしたり振り払ったりした後は、どうしても大きな隙ができる。
動きを支えている足に力が入らなくなれば、もう戦うことはできない。
横に振り払われた剣を、後方へ思い切り飛んで避ける。着地したとたんに、ベアトリスの体はググッと前に出ていた。
とっくに通り過ぎた場所に、もうひとつの剣が風を切って振り下ろされる。
先に隙を見せた男性の踵へ、容赦なく剣を切りつけた。
「うがっ!」
悲鳴をあげ、男性は剣を手放し、踵を押さえる。
パッと飛び散る鮮やかな血の色が、やけに目について仕方がない。
(あと一人)
クルリと振り向けば、もう一人はまだ体勢を崩したままだった。
ひと息に距離を詰め、踵を狙い澄まして剣を叩き下ろす。少し離れて、男性がうめき声とともに剣を取り落としたことを確認する。
「終わりました」
宣言したとたん、駆け寄ってきたウルスラにギュッと抱き締められた。
「さすが団長です! おかげで、この後がやりやすくなりました」
「やっぱり、何か考えがあったんですね」
「ええ。隊長二人を団長だけで沈めたら、リュールングはフロース王国のやり方に手も口も出さないと、閣下に確約をもらっているんですよ。あ、きちんと書面にも残してありますからね。これからフィエリテに行くのに、ああだこうだと口出しされると、まとまるものもまとまらないんですよ」
これで、すべてが終わったからか。ウルスラは素直に、何が狙いだったのかを語ってくれる。
「タデウス殿下に頑張ってもらって、条件をかなり難しいと思わせる形に絞ってもらったんです。ぐうの音も出ないように徹底的に叩きのめすなんて、滅多にできないんですよ? それが堂々と、しかも思い切りできる機会なんて、きっと今回くらいですからね。ちょっと張り切りすぎたかな、とは思っていますけど」
「えっと、つまり……どういうことですか?」
一度にさまざまな情報が入ってきて、整理と理解がまったく追いつかない。
首をひねっているベアトリスに、ウルスラが笑顔で言い放った。
「簡単に言うと、リュールングは、敗北したんです。敗者は、勝者に対し、手も口も出せませんよね? そういうことです」




