三章 2
「団長の出番、なかったですねー」
「私の出番もなかったんだけど」
メルルとテレシアが、楽しそうに笑いながら話している。
彼女たちの言うとおり、結局、ベアトリスが戦うことはなかった。単なる傍観者になっていたテレシアも、槍を持ってただ移動しただけだ。
男性陣にはひそやかな談義があるようで、互いに声の聞こえない距離でついてきている。
「大丈夫ですよ。どうせ、また挑んでくるに決まっていますから。あ、そうですよ。どうせなら、今度は団長とテレシアとヴェラだけで、あの人数を相手にしたらどうですか? 泣きますよ、絶対」
「……さすがに、泣かないと思いますけど……」
つい先ほど、魔法使いの手によって圧倒的な敗北を経験した。それでも、彼らは涙ひとつ見せなかったのだ。そう簡単に泣くとは思えない。
けれどウルスラは、クスクス笑いながら歩いている。
「泣きますよ、絶対」
もう一度その言葉を呟いて、ベアトリスに、やけに晴れやかな笑みを向けた。
だが、そのウルスラの表情が、次の瞬間には凍りついていた。さらに、彼女は冷ややかな視線をある一点に向けている。
「どなたです?」
今まで以上に他人行儀な物言いに、ベアトリスたちもとっさに警戒を強める。武器を握る手にグッと力を込めたり、こっそりと式を描く準備をしておく。
木の陰から出てきたのは、一人の青年だった。年の頃は、二十を過ぎたばかりといった辺りか。整った顔立ちと冷たそうな翡翠色の瞳を、飴色のサラサラした髪が彩っている。フュルヒテゴットと同じ色合いだから、リュールング共和国の人間なのだろう。
(……誰なんでしょう?)
ここがフロース王国なら、王子の誰かかもしれない、と思うところだ。しかしここは、王制国家ではない。王子という位が存在しないのだ。たとえ、代表を束ねている閣下の子息であろうと、特別扱いはされない。
そもそも、フロース王国には、リュールング共和国の制度に合致した言葉がない。無理矢理近しい言葉を当てはめ、強引に解釈している。そのため、実際の言葉や意味合いと、多少のずれがあるようだ。
タデウスに提供された資料の中にも、閣下の子息を王子と表現しているものがあった。
「初めまして。僕はベルノルトと言います」
にこやかに挨拶をしながら、彼は迷うことなく、ベアトリスにスッと手を差し出してくる。
彼の言葉どおり、間違いなく初対面だ。今まで一度も顔を見たことがない。
(……この人)
ベアトリスはますます警戒を強める。
確かに、ベアトリスだけ服が少し違う。それをかんがみれば、地位が違うのだとわかるのかもしれなかった。
それでも、彼は何かがおかしい。
頭の中で激しく警鐘が鳴る。
「……いくら閣下の子息とはいえ、直接団長と口を利くだなんて、まったく図々しいものですね。正規の手続きを踏んで、面会の申し出をしてから出直してきてもらえますか?」
いきなりウルスラが割り込み、ベルノルトをきっちりと威嚇した。それを彼は、ニッコリ笑ってやり過ごす。
「元々はセイヘキ国の人間に、僕が下手に出る必要があるとでも?」
初耳の国名に、ベアトリスは怪訝そうに首を傾げる。けれど、ウルスラとベルノルトの応酬が、そこに疑問を挟む余地を与えない。
「うちの団長がそうだとおっしゃりたいのですか? でしたら、なおさら情報を洗い直して出直すべきですね。うちの団長は正真正銘、フロース王国のモデスティー伯の愛娘であり、今は亡きホートン候令嬢のご息女ですから」
「嘘はいけないと思うけど?」
「ですから、私は真実しか話しておりませんけれど? 嘘と証明するのは、そちらの義務です。まあ、もちろん、フロース王国に問い合わせても結構ですけれど、その結果を受け止める覚悟はおありなんですか?」
ベアトリスは実は、モデスティー伯の実子ではないのだろう。
そんなことを問い合わせれば、いったいどうなるか。結果は火を見るより明らかだ。
「……きっと、父様が怒りますよね」
「いいですか、団長? 伯は怒るどころか激怒ですよ? しかも、伯だけじゃなくて、候も一緒なんですからね? どう控え目に評価しても、リュールングなんてちっぽけな国、跡形もなく吹き飛びますよ?」
ギュッと眉を寄せるベアトリスと違い、ベルノルトはまだまだ余裕を持っている。その表情は、ウルスラを大げさで失礼な女と思っているようだ。
「……おじい様も、なんですか?」
ベアトリスが悲痛な声でそう言った時、初めてベルノルトの表情に陰りが出た。かろうじて平静を装ったが、顔色は明らかに変化している。
「当たり前じゃないですか。候にとって、唯一の孫ですよ? 息子二人は放蕩者で、今まで恋人の一人もいないと嘆いているくらいですよ? たった一人の孫を貶されて、あの候が大人しくしていると思いますか? だいたい、伯にしても、目に入れても痛くないどころか、溺愛しすぎてとうとう頭がおかしくなったと噂される域なんですからね?」
「……ああ、やっぱり、父様には毎日ちゃんと家に帰ってもらわないとダメですよね……いい加減、城に泊まり込むのをやめてもらわないと」
「それをやめさせると後が怖いので、できればあのまま放っておいてくれますか? 団長と同じ騎士団というだけで、ただでさえたまにネチネチ言われるのが苦痛なんですよ。たまじゃなくなったら、間違いなくただのウザい男にしかなりません」
あんまりと言えばあんまりな言い草だ。しかしそれは、ウルスラの正直な気持ちなのだろう。
何しろ、滅多に本音をこぼさないウルスラが、いたって真剣な表情で言い放ったのだ。恐らく、客観的な事実に違いない。
「じゃあ、そちらは何も言わないことにします。あと、もう少し、父様に顔を見せるようにしますね」
「お願いします。それから、伯よりは少なくてもいいんですけど、候夫妻にも会っていただけるとありがたいんですよね。特に、夫人の方が……」
「……おばあ様も、ですか……」
つい、ため息をこぼしてしまう。
凛々しくて、母とはパッと見て似ていない。そんな祖母だが、近寄りがたさがないだけ、ずいぶんと話しかけやすい相手だ。ただ、彼女に会いに行けば、当然、祖父もついてくる。そこが、どうしても気が重いのだ。
いつだったか、祖母から、一緒に遠駆けにでも出かけよう、と誘われたことがある。しかし、祖父もついてくると言い出した。結局、その誘いは、いまだに果たされないままだ。
その時、袖を誰かに引っ張られた。そちらを見れば、恐る恐るといった様子で、ヴェラが袖をつまんでいる。
「……ねえ、団長。そこの男の人、睨んでて怖いんですけど」
言われてベルノルトに目を戻せば、殺意すら感じられる視線で睨みつけていた。
そんな目つきで見られるような真似を、ここにいる誰かがした覚えはない。
そう考えたベアトリスは、首を軽く左に傾けてニッコリ微笑む。
「あの、すみません。用がないのでしたら、これで失礼しますね。あなたが睨みつけるので、怖いそうですから」
「ちょっ、団長!」
まさか、そこまで正直に言うとは思っていなかったのだろう。ヴェラが慌てて、さらにベアトリスの袖をクイッと引っ張る。黙って聞いていたメルルとテレシアが、堪えきれずに小さく吹き出す。
「さすが団長よね」
そう言い置いて、テレシアがさっさと会議場へ歩いていく。その後を、笑いながらメルルがついていった。
ヴェラはすっかり出遅れた様子で、仕方なくベアトリスの袖をギュッとつかみ直す。
「セイヘキの人間が、リュールングの者に逆らうなんて……どうなっても知らないよ」
「……さっきから気になってるんですけど、その、せいへきこく? というのはどこにある国ですか?」
普段から関わりがあるような、ベルノルトの口振りだ。恐らく、ラエティティア王国連邦を作る一国なのだろう。
(もっとしっかり、タデウス殿下が見せてくれた地図を見ておいたら)
きちんと覚えていられたら、今、位置関係くらいはわかったはずだ。
ハァ、と、怒りの混ざったため息が聞こえた。
「……団長には教えるな、と伯に言われたんですけど、しょうがないですよね。何にも察しないで、ペラペラおしゃべりが過ぎる男がいたんですから。伯の罰を受けるのは、あなたの役目ですよ?」
ウルスラの視線が、ベルノルトへ鋭く突き刺さる。
やや怯んだ様子の彼だが、前半だけを聞いて顔をほころばせた。しかし、後半の言葉に初めて、自分が大きな失態を犯した可能性に行き着いたようだ。見ていて哀れになるほど、ザアッと音を立てて血の気が引いていく。
「モデスティー伯のご母堂は、セイヘキ国の方でした。髪と瞳の色は、その方から受け継いだものです。あ、ちなみに、セイヘキ国はこのリュールングからそれほど遠くはありませんよ。そうですね……地図で言えば、ちょうど、ラエティティアの中心辺りになるでしょうか」
ぼんやりと覚えている地図全体の、中心を思い浮かべる。リュールング共和国は、中心よりいくらか上にあった。だから、それほど遠くないというのは正しいのだろう。
「美男美女が多く、剣の得意な方ばかりの素敵な国ですね。できることなら、一度手合わせを願いたいものです」
スラスラと、板に水を流すようなウルスラの説明を聞き、少しだけ理解できたことがある。
この珍しい色の髪と瞳は、確かに、父親が「母譲り」と言っていた。娘の欲目を除いても、父親の顔立ちはかなり整っていると思われる。だから、その祖母に当たる人が、セイヘキ国の出身であってもおかしくはない。
その祖母が、何があってフロース王国へやってきたのかはわからない。どういう経緯があって、祖母となったのかもさっぱりだ。
「団長のその太刀筋は、恐らく、元はセイヘキ国のものでしょうね。伯から教わったとしても、だいぶ崩れているとは思いますけれど」
「……そう、だったら……嬉しいですね」
今まで、父親から、その両親について聞いたことはほとんどなかった。祖父に関しては、他の者の口から聞かされたことはある。けれど、祖母に関しては、本当に誰も何も知らないのか、教えられたことはない。
どんな人だったのか。何という名前で、いくつの時に母親になったのか。父とは、どんなふうに親子として暮らしていたのか。
その祖母とのつながりが、初めて見えた気がしたのだ。
ひとつ知ってしまうと、知りたいことが後から後から湧き出てくる。
「……ねえ、団長。その話って、部屋でするんじゃダメなんですか?」
クイッとヴェラに腕を引かれ、ベアトリスは逡巡した。
「え? ああ、そうですね。別に、部屋に戻ってからでもいいですよね。戻ります?」
取り立てて、ここに残っている理由はない。部屋に戻れば、テレシアやメルルもいる。もっと楽しく話すことはできそうだ。
「……あの人、怖いし……早く戻りたいです」
ヴェラは視線も向けず、指で何となくその方向を示す。
おっとりした優しげな印象の美少女に、顔を背けられたまま「怖い」と言われた。その事実が、相当堪えたのか。ベルノルトは、ヴェラから目を逸らしてため息をつく。直後に、挨拶もなく立ち去ってしまった。
しばらく、その背中を見送った後。
「……あー、疲れた。ちょろいもんですよね! さあ、団長。部屋に戻って、お茶でも飲んでゆっくりしませんか?」
「え? えっと、そう、ですね……」
ヴェラのあまりに早い変わり身に、ベアトリスはつい唖然としてしまう。
すっかり騎士団という場所になじんだのか。最近のヴェラは、こうして自分の見た目を利用することが増えた。
それがすべて悪いこととは言わない。けれど、時に、かえって窮地に陥ることも出てくるだろう。それが怖いから、ベアトリスとしては、できればやめて欲しいと思っている。
「これであの人、私には近づかなくなってくれるといいんだけど」
「どうでしょうねぇ……団長に近づけ、と命令されているはずなんですけど、ヴェラとお近づきになりたそうでしたよねー」
「えー? あの人、趣味じゃないんだけど」
きっぱりと言い切ってしまうヴェラを、思わずしげしげと見つめてしまう。
「それはまあ、そうでしょうね。ヴェラの趣味は悪いですから」
「どこが? デュランさんはカッコイイでしょ?」
「悪趣味ですよ? 私からすれば、オーソン様くらい悪趣味ですね」
ほんのり頬を染めてはにかむヴェラを、ウルスラがバッサリ切り捨てる。
「デュラン、さん……?」
聞き覚えのない名だ。いったい、どこの騎士団に所属しているのか。
首をひねるベアトリスに、呆れたウルスラの声が答える。
「ベロニカの騎士ですよ。一部から、美少女と猛獣、と喩えられているそうです」
「あんなにカッコイイのに……みんな、見る目がないんだよ」
所属を聞いても、やはり思い出せなかった。しかも、猛獣と言われるような人物に、まったく心当たりがない。
いくら何でも、そう揶揄されるのなら、少しくらいは印象に残っているはずだ。
「戻ったら、団長に紹介しますね。ホントにカッコイイんですから!」
グッと拳を握り締めて力説するヴェラに、何となく、かすかに、嫌な予感がした。




