二章 3
すんなり動き出せば速い船のようで、夕方にはリュールング共和国の港へ到着した。降りる前に、各騎士団はそれぞれの制服に着替えてある。タデウスは貴族らしく、ジュストコールにクラヴァットをまとっていた。
事前の通達もあってか、港にはきちんと迎えが来ている。
ずいぶん立派な、二頭立ての馬車だ。一台に四人と手荷物が余裕で入るだろう。それが三台並んでいる。何の相談もなく、一台は迎えの者と団長とタデウス、残り二台に各騎士団がまとまって乗ることに決まった。
武器と手荷物を持って、迎えの馬車にそれぞれ乗り込む。テレシアだけ、長い武器をどこに乗せるかで手間取ったが、それでも日暮れ前には港を出立した。
軽快に地面を転がる車輪は、カタカタと振動を伝えてくる。
初対面の迎えの者に対し、オリオンは微妙に目線を逸らしていた。それでも、体も顔もそちらを向いている。以前に比べれば、まさに格段の進歩だ。
「後ほど改めて名乗らせていただきますが、私はリュールング共和国の宰相で、フュルヒテゴット・アイヒホルンと申します」
なでつけた飴色の髪に、値踏みする意志を含んだ翡翠色の鋭い瞳。笑みすら浮かべていないせいか、なおさら冷たい印象が拭えない。ジュストコールはリュールング共和国でも正装になるのか、タデウスと似た雰囲気の服装だった。
(確か、宰相って、代表者の補佐をしている人のことで……)
情報収集や、書類の処理など、父と似たようなことをしていると感じた覚えがある。議会の代表者には含まれないが、なくてはならない存在だ。
フュルヒテゴットの視線は、タデウスとオリオンにもチラッと向けられた。だが、ベアトリスだけはじっくりと眺めていく。留まる時間は、タデウスたちよりずっと長い。
あまりにぶしつけな視線は、さすがに不愉快だ。
名乗りを受けたのだから、本来は返すべきだろう。しかし、フュルヒテゴットの視線が問題なのか、タデウスもオリオンも口を開こうとしなかった。
(……あたしが、タデウス殿下より先に名乗るのは、おかしいよね?)
純粋な地位で見れば、この中ではタデウスが一番上だ。彼が名乗ってからでなければ、オリオンもベアトリスも名乗れない。
「お名前をお伺いしても?」
視線をベアトリスに固定し、ニッコリ微笑む。そんなフュルヒテゴットに、左隣のタデウスが呆れた顔でため息をつく。
「彼女は、隣の彼が婚約者だからね? 余計なことを考えないように」
「おや、そうですか。でも、お似合いではありませんね」
釣り合わない。
そう思われていることは、何となく察していた。自身でも、釣り合いが取れていないことはよくわかっている。
あまりに未熟で、時に空回りして、みんなに助けてもらってばかりいるのだから。
がっくりと落ち込むベアトリスの正面で、フュルヒテゴットが言いたいことを、タデウスは正しく理解したのだろう。わざとらしいほど大きな動きで、髪をゆっくりとかき上げる。ほぼ同時に、深い深いため息をこぼした。
「この二人ほどお似合いの者はいないよ。それが見てわからないとは、君は人を見る目がまったくないね」
「魔法使いとの良縁など、ありえませんよ」
憎々しげに言い放ったフュルヒテゴットの言葉で、ようやく、釣り合わないと思われているのがオリオンの方だと気づく。
オリオンの強さをよく知っているベアトリスには、どうにも納得ができなかった。
その気持ちが、顔に出ていたのだろう。タデウスがチラリと視線を向け、薄く笑う。その笑い方が、やけにメイベルを思い出させる。
無性に心強くてたまらない。
「彼を知らない君に、彼女の良縁を決める権利はない。それが理解できないなら、到着まで黙っていてくれるかな?」
タデウスがピシャリと言い切った。
彼はあえて名前を出さずに会話している。そのことに気づいたが、ベアトリスはますます首を傾げてしまう。
「……剣も振れない第二王子ごときに、何の権利があるんですか?」
ハッとする。
リュールング共和国は、武芸をこよなく愛する国だ。魔法使いや戦えない者には、徹底的に冷たくても不思議はない。
この馬車の中で、武器を使うのはベアトリスだけだ。
膝の上に乗せた弓を、思わずギュッと握る。
「……不愉快なので、黙っていてもらえますか? この二人を侮辱することは、あたしが許しません」
タデウスやオリオンの言葉は聞かなくとも、自分の言葉なら少しは解するだろう。そう期待を込めて、ベアトリスは静かに告げた。
「なぜ……」
フュルヒテゴットが呆然と呟く。
やはり、それなりに効果はあったらしい。
「あたしには、大切な婚約者と、父と懇意にされている方を貶められて、黙っている必要はありませんよね? 次にこの二人を貶める発言をされた場合、個人的な宣戦布告と受け取ります」
国同士の関わりではない。あくまで、フュルヒテゴットがベアトリスに対し、個人としてケンカを売った扱いだ。
他者の口出しを拒むための口実でもある。
もちろん、それですべての口出しを阻めるとは思っていない。それでも、横槍を入れた者に苦言を呈することはできるはずだ。
「……個人的って……さすが」
後ろに続いただろうタデウスの言葉は、簡単に察せられた。
恐らく、褒め言葉だ。
本当は、ヴェラとメルルも守りたい。けれど、そこまで手を広げたら、どこかで何かをこぼしてしまう。それを理解しているから、個人として大きく広げることはしなかった。
「もちろん、騎士への侮蔑もしないでくださいね? フロース王国への非難と受け取りますからね」
騎士たちを個人では守れないから、団長として守りたい。
派遣された騎士が国から命令を受けている以上、こちらは問題が大きくなる。少しでも冷静で、まともな思考があるのなら、騎士を攻撃することはまずないはずだ。
出向く前からもめ事を起こしたと知られれば、後でみっちり叱られるだろう。
それでも、守るべきものを放棄したくはない。
「……そんな大きな権限が、あなたにおありで?」
フュルヒテゴットの小馬鹿にした笑みが癪に障る。
見た目には十四、五歳にしか見えないだろう。しかも、団長を務めるのは、貴族と決まっている。推測に過ぎないが、単なるお飾りの団長と思われていてもおかしくはない。
「あたしの父は、モデスティー伯です」
グッと目を見開いたフュルヒテゴットは、ヒュッと息を飲み込んだ。心なしか、顔色も悪くなっている。
その隣で、タデウスが指先を額にギュッと押しつけている。隣からはかすかなため息が聞こえた。
どうやら、今この場では言わない方がいいことだったらしい。
「ちなみに、母方の祖父はホートン候ですよ」
一部を言ってしまったのだから、もう隠し立てする必要もなさそうだ。そうとばかりに、ベアトリスはさらに言葉をつむぐ。
ため息がふたつ、横と正面から聞こえる。
少なからず国交はあるのか、ベアトリスの立ち位置を理解したらしいフュルヒテゴットは押し黙る。膝の上でギュッと握られた彼の手は、色がなくなっていた。
「あなたがそういう態度でなければ、父や祖父の名を出すつもりはなかったんですけど……しょうがないですよね」
「……本当にえげつないよね。さっすがあの人の娘だよ」
ニッコリ微笑んだベアトリスに、タデウスがボソリとこぼす。
「あたしは、警告はしましたよ? 改まらなかったんで、しょうがなかったんです」
侮辱するなら黙れ。そう言ってある。それでも止めなかったのだから、フュルヒテゴットの落ち度だ。
そこに父や祖父の名を出したことを、どうこう言われる筋合いはない。
‡
寝泊まりもでき、代表者が集まって会議を行う会館。リュールング共和国の中心地に、その建物はある。
立派な屋敷が三軒、余裕で入るほど敷地は広い。建物自体は、白い壁と赤い屋根が印象的で、見たところ、地上は三階で、地下にも部屋があるようだ。
「ここが会議場です。恐らく、ここで寝泊まりすることになるでしょうね」
馬車を降りたとたん、ススッと寄ってきたウルスラが説明してくれる。
テレシアはヴェラとメルルを連れて、やはり近寄ってきた。
「あ、そういえば、馬車の中でオリオンさんとタデウス殿下を侮辱されたので、父様とおじい様の名前を出しちゃいました。多分、きっと、厄介なことになりますよね?」
結局、あれだけ言っても、フュルヒテゴットの態度は変わらなかった。むしろ、悪化したと言ってもいい。
「あー、間違いなく厄介ですね。でも、団長はそれでいいですよ。むしろ、そこで怒らないとダメですから。というか、それならそれで、私の素性が知られると面倒なので、私に関してはできるだけ言わないようにお願いします」
言い放って、ウルスラはため息をこぼした。
今まではあまりため息をつくことはしなかったが、最近は特に増えている。知らず知らず心労を積み重ねているのではないかと、いつも心配になってしまう。
「団長、あそこ……」
メルルが指差した先には、数人の青年が集まっていた。見つかったことに気づいたようで、急いで建物の陰に身を隠す。
チラッと見えた服装から、貴族の子息だろうと予想はできた。
「……ここで寝泊まりというのも、危険がつきまといそうですねー」
「うん……」
ウルスラの言葉に、ヴェラは不安そうに頷く。
「それでも、フィエリテに滞在するよりはマシなんですよね。あの国に留まったら、毎日命を狙われかねませんから」
ちょいと肩をすくめるウルスラが言うのだから、間違いないのだろう。
命の危機があるよりは、命は無事で済む。そちらを選ぶのは、人として致し方ない話だ。
「でもまあ、団長の先制攻撃があるんで、多少はどうにかできると思いますよ」
「先制攻撃? ああ、父様とおじい様の話ですか?」
いくら遠方の国とはいえ、噂くらいは回っている。だからこそ、名を聞いた時に、フュルヒテゴットは顔色を変えたのだ。
どことどんな関係を築くか。それを考えるのは国王ではなく、モデスティー伯だ。しかも彼は、賄賂は絶対に受けつけず、利害関係をことさら重視する。そんなモデスティー伯に目をつけられれば、今後に多大な影響を及ぼす。
ホートン候に関しても、騎士団に君臨する者だ。影響力は軽視できない。
「伯と候に溺愛されていると知られたら、それこそ面倒なことになりますけどね。まあそこは、私とアマリリスの団長と殿下で頑張るところですから、団長は団長らしく、好き勝手にやっちゃってください」
「え……それでいいんですか?」
自分で責任を取れないことはやりたくない。だからこそ、自分で動いて自分で始末をしたいのに。
好き放題にしておいて、誰かに尻ぬぐいをさせる真似はしたくない。
「正直言っちゃうとですね、団長が何かやらかすのが一番打撃が大きいんですよ。それの後始末なんて、簡単なものですから」
「あー、何かわかるかも」
「うんうん。団長って、いっつもとんでもないことするよね!」
ヴェラとメルルに言葉と動きで、テレシアには動作だけで、ウルスラの言い草を全面的に肯定された。
そこまで打撃になるようなことを、今までもしてきた覚えはない。
「……あたしは、何もしてないですよ?」
「いいや、してる」
テレシアに断言され、思わずため息をこぼしてしまう。
「あ、移動するみたいですね」
タデウスが誰かに声をかけられ、荷物を持ち上げている。それに従い、騎士たちも手荷物や武器を抱えて、タデウスの周囲に集まった。
「……えっとね、ウルスラ。全員が同じ部屋でも大丈夫? あ、着替えは配慮するけどね……ヒッ」
ウルスラが冷ややかな笑みを浮かべたためか、タデウスから小さな悲鳴があがる。
「なぜそんなことになったのか、ぜひとも説明をいただきたいところですねー」
恐らくそれはただの嫌がらせなのだと、ベアトリスは考えていた。ウルスラもそんなところだと思っているようで、蔑む視線をリュールング共和国の人間へ向けている。
「嫁入り前の乙女とケダモノを一緒に放り込もうだなんて、とんでもない国ですよねー。さすが、自分たちが世界の中心と思い込んでいるラエティティアの一部なだけはありますよ」
「……君以外は、乙女と認めるけど……ああ、ゴメン。何でもない。君も年頃の乙女だよね、うん……」
「今の暴言は、あなたの奥方に報告させていただきますからねー」
「ちょっ……ウルスラ!」
あたふたと腕を上下させるタデウスに、ニッコリ微笑んだウルスラが言い放つ。
「団長にはすでにバラしてありますよ。まったく、しょうもない嘘をつくんですから、この恐妻家が偉そうに」
「……これだから、ウルスラと一緒は嫌なんだよね……人の弱みを簡単に他人に話しちゃうんだから」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますけど?」
あからさまに大きく肩を落とし、タデウスは大げさに息を吐き出す。
二人のやり取りを見ていた騎士たちは、誰も彼もあんぐりと口を開けている。
見た目はメイベルに似た男性が、あっさりとやり込められている姿。有能と評判のウルスラの、あまりに毒々しい言葉の数々。
見慣れないベアトリスも、驚きで呆然としてしまっている。
「とりあえず、あまりお待たせしても申し訳ありませんし、移動しませんか?」
冷静だったのか、はたまた、どちらの姿も見知っていたのか。オリオンがそっと声をかけた。
我に返ったタデウスが、もう一度同室でもいいかを問う。それに、ウルスラが衝立などできっちり仕切ることを条件に承諾する。
(……友好国っていうわけじゃ、ないから)
馬車での一件も響いているのだろう。嫌がらせじみた扱いをされることは、無理もない。
何をするにしても、必ず誰かと一緒に行動しなければ。
そんな決意を固めたベアトリスは、重い気持ちを引きずりながら、会議場の中へと入っていった。
‡
会議場の一室には、秘密裏に話をするための部屋がある。そこは、客室からは遠く、議論を交わす部屋からも距離があった。しかも、部屋の壁そのものが他よりずっと厚く、ドアも相応に分厚くなっている。
今、その部屋に、十人ほどの男性が集まっていた。服装から、誰も彼も貴族のようだ。その中に、フュルヒテゴットの姿も見える。
「……フュルヒテゴット、それは本当か?」
「本人の言葉を借りるならば、モデスティー伯の娘で、ホートン候の孫になるようですね」
ここにいる限り、取り立てて声を潜める必要はない。だが、ついつい声量を落としてしまったらしい。それほどに、ひそやかに話したい内容なのだろう。
「……モデスティー伯には、あの色の娘はいないはずだが」
「それに、ホートン候の孫の話など、聞いたことがないぞ?」
ベアトリスが公になってから、いくらか時間はあった。だが、ここまで話が届いていないのか。それとも、誰かの手によって、わざと情報操作をされていたのか。
それが見えてこないのであれば、どうしても慎重にならざるを得ないはずだ。けれど、彼らからは、そういった意見は出てこない。
「同じ色だから、養女という形を取って、セイヘキから誰か迎え入れたのかもしれませんね。あの国は武に秀でていますから、騎士団の顔にするには最適でしょう」
誰かのひと言。それが、火をつけた。
実子であれば言うことはないが、養女であっても、モデスティー伯の娘という扱いだ。利用価値は存分にある。
血のつながりがあるかないかは、後々確認をすればいい話だ。
「それならそれで、使い道はあるな」
「セイヘキの者なら、我々と敵対しようとは思わないだろう」
リュールング共和国に追従している、小さな小さな国だ。あんなに小さな国では、自らの力で立ち、生きていくことはできないだろう。それができるのは、ここリュールング共和国と、せいぜいフィエリテ王国くらいだ。
そんな自負があるから、誰もが顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「祖国を捨てることができるほど薄情な者は、セイヘキにはいない。祖国のためと思えば、望まぬ婚約者など捨てることも厭わないさ」
次から次へと、現実にそぐわない意見が飛び出してくる。その上、誰もがそれを好意的に受け止め、さらに斜めの方向へ発展させていく。
自分たちの楽観的な希望ばかりを混ぜ、正しい実情を探ろうとはしないようだ。
「では、ベルノルトを接触させる方向で」
この場で最も上の地位に就いているのか、敬語を使わない中年男性が告げる。フュルヒテゴットを始めとした面々は、それぞれに頷く。
フロース王国との素晴らしい接点ができれば、フィエリテ王国をのさばらせる理由はなくなる。リュールング共和国が、ラエティティア王国連邦の中心になることも、決して夢ではないのだ。




