二章 2
専属で連れてきた料理人が腕を振るった食事を済ませ、部屋で休むことになった。
どのみち、リュールング共和国へ到着するまで、特にできることはない。戦々恐々としながら過ごすより、心安らかでいる方がいいに決まっている。
エリカ騎士団側の客室のひとつに集まり、床に座って円を描く。出入り口に一番近いところにウルスラが座った。その左側からベアトリス、ヴェラ、メルル、テレシアと順に、思い思いに膝を崩して座り込む。
「そういえば、団長は殿下にみっちりしごかれたんですよね? 道中は大丈夫でした?」
「え? あ、はい。理解するまで徹底的に教わりましたけど、丁寧でわかりやすかったですよ」
「あ、いえ、そちらではなくて……」
珍しく言いよどんだウルスラに、ベアトリスは首を傾げる。同様に、他の面々も不審がっているようだ。
「……あの殿下は、自分の弱みにつながることには嘘をつくので、アマリリスの団長を巻き込んで、独身とでも言っていたのではないかと心配しているんです」
「えーっと……そんなことを言っていた気はしますけど、それより、ウルスラさんがオーソンさんに膝蹴りをしたという話に驚いてしまって」
ウルスラがスッと視線を逸らす。ほぼ同時に、ヴェラたちが唖然とした様子でウルスラをジッと凝視した。
「……他人の弱みは、一番知られたくないところにバラしてくれるんですよね、あの野郎は。ついでに、自分の嘘は、協力してくれる者だけがいる場所で言い放つんですよね。だから、私がいると、色恋沙汰の話題は避けるはずですよ」
ハァ、とウルスラの口からため息がこぼれる。
これまた珍しい光景に、四人分の視線が一気にウルスラへ突き刺さった。
「だから、私も報復させてもらいましょうか。タデウス殿下は、三年前に結婚されています。慎重にひっそりと結婚されたので、文書で公示はされましたけれど、貴族の中ですら知らない者がいるでしょうね。一歳になった奥方似の可愛らしい令嬢がいらっしゃいますし、愛妻家に見せかけていますが恐妻家です。しかも奥方は、ラエティティア王国連邦内の出身で、あと十歳若かったらエリカ騎士に勧誘していたほどの腕前ですよ? 夫婦ゲンカでもしようものなら、間違いなく、殿下がボコボコにされますね」
にこやかに暴露するウルスラは、非常に生き生きしている。
「……ここだけの話、新婚時代に一度、奥方を激怒させて半殺しにされたそうですから」
唖然としてしまう。
新婚となれば、誰でも幸せでいっぱいの時期だろう。そんな頃に、いったい何をして、そこまで怒らせてしまったのか。
タデウスは、メイベルに似ていると思った。それは外見だけでなく、性格に関しても同じだ。だからこそ、誰かをそこまで怒らせる事態が想像できなかった。
「……じゃあ、ガザニアの副官って、何をしてウルスラに膝蹴りされたの?」
「ウルスラはよく知ってる人なんでしょ?」
ヴェラとメルルに畳みかけられて、ウルスラは一瞬怯む。けれどすぐに、いつもの余裕を取り戻したようだ。
「質の悪い冗談を言われたんですよ。寝言は寝て言え、と、気合いを入れるために膝蹴りを叩き込ませていただきました」
言われた内容に関して、言葉にする気はないらしい。
わずかに癖のある栗色の髪をふわりと揺らし、メルルが首を傾げる。幼さを強調する大きな瞳に、好奇心が見え隠れしていた。
「……ひょっとして、告白でもされたとか?」
ごまかそうとして失敗した。そんな顔で、ウルスラがピシッと固まる。そこから何かを思い出したのか、頬が一瞬だけ淡く色づく。その後なぜか、ほんの少し嬉しそうな表情を見せる。
「……まさか、図星?」
ヴェラがわざとらしく仰け反る。それで我に返ったのか、ウルスラがニッコリ微笑む。
「団長にも関わりますけど、モデスティー伯の養女になってオーソン様に嫁ぐことを、ホートン候たちは期待しているようですね」
キャア、と歓声が上がった。
今まで浮いた話のひとつもなかったウルスラだ。彼女たちの興味が集中するのは致し方ないだろう。
「とはいえ、私にとっては、今以上に忙しくなるのに、団長と義理の姉妹になる以外のうまみがありませんからね。全力でお断りさせていただく所存です。あ、もちろん、団長と姉妹になるのが嫌なんじゃないですよ? そちらは大歓迎なんですが、私、オーソン様は嫌いなので」
あっけらかんと言い切るウルスラに、照れはない。むしろ、うっすら浮かべた笑みに、嫌悪がひそやかに込められている。
「……でもさ、サージ様に比べたら、断然マシじゃない?」
テレシアがボソリと呟くが、ウルスラは笑みを崩さない。
「それこそ、ベロニカの団長と比べれば、誰でも断然マシですよ? 正直なところ、オーソン様よりは、まだリナリアの団長がマシですねー。あの方でしたら、まさに利害関係のみで、お互い割り切ってしまえそうなので」
「……自分より綺麗で色っぽい夫って、どうなのよ」
「いいじゃないですか、目の保養になりますよ? 毎日の訓練も楽しそうですよねー」
飄々としているウルスラは、本心から語っているのか。その見極めがつかず、ベアトリスはまじまじと凝視してしまう。
「それより、ヴェラとメルルとテレシアはどうなんですか?」
それぞれに意中の相手がおり、うまくいっているのか。
さりげなくそれを聞き出し始めたウルスラに、話したい気持ちがあったのだろう。三人は我先にと口を開き、言葉を発する。
「順番に聞きますからねー」
心から楽しげに笑って、ウルスラがヴェラを指名する。他の面々は聞き役だ。
(……楽しそうなんですけど、でも……)
どこか心ここにあらず、といった体のウルスラが、どうしても気になってしまう。
知識がある分、これからのことを考えているのかもしれない。それとも、まったく別のことに気を取られているのか。
(きっとあたしは、まだまだ頼りないから……)
いつも頼ってしまうから、相談相手にもなれないのだろう。
そっと目を伏せて、こっそりと息を吐き出す。
(もっと、もっと……)
強くなりたい。弓や剣の腕だけでなく、精神的にも。
‡
同じ頃、オリオンの部屋にサージとタデウスが訪れていた。
タデウスは元々、今後起きうる問題について相談するため、来る予定だった。だが、サージは予定外だ。
追い返すつもりが、あまりに落ち込んでいる様子に、ついつい引き入れてしまった。
「……団長、酒ください」
「任務中ですよ?」
「やけ酒でも飲まないとやってらんないですよ!」
「国に帰ってからお願いしますね」
そうは言うものの、サージはすでに酔っているかのような管の巻き具合だ。
「だって、信じられます? エリカの団長の前で、公開処刑だなんて」
「ベアトリスさんだけで幸いでしたね。大勢の前で同じ結果になるよりは、ずいぶん気が楽かと思いますが」
そもそも、相手にしてもらえると考えていたこと自体が間違いだ。
ウルスラは自分の感情に正直に生きている。頭の良さや武芸など、何でもいいが、人の役に立つ能力で秀でている部分を評価する癖があるようだ。しかも、そこで満足して留まることを許さない。
(私とて、気をゆるめたら敵視される立場ですからね……)
崇拝と言っても過言ではないほど、ウルスラはベアトリスに心酔している。彼女を傷つけるものは、たとえ誰であっても見逃さないだろう。常に目を光らせ、数歩先を警戒しているほどなのだから。
今もまた警戒を強めているのは、これからフィエリテ王国へ行くからだろう。
(……まさか、ラエティティア王国連邦へ行くことになるとは、プラシダさんも思っていなかったでしょうし……)
亜麻色の髪に、暗緑色の瞳。
この組み合わせは、フロース王国では非常に珍しい。けれど、それが当たり前の国がある。
その国は、ラエティティア王国連邦の中でも小さな国で、名をセイヘキ王国という。ベアトリスの父方の祖母と、タデウスの妻の出身国だ。そして、フィエリテ王国からは蔑まれている。
「……団長はいいですよね。ちょっとアレなとこがありますけど、可愛い彼女をゲットしてますもん。それに、ナイジェルさんだって、ちゃっかり若い子に言い寄られてるし」
「あー、ビビアンちゃんって可愛いよね。確か十六歳だったかな? エリカ騎士団発足当時、ベロニカの団長が口説きたかったって言ったとか言わないとか?」
「言いましたよ」
愚痴をこぼすサージに、タデウスが止めを刺しにかかる。それをとめるでもなく、オリオンは事実だけを簡潔に言葉で示す。
「マジ? それ、マジ? ビビアンって、ベロニカの団長が目をつけてたの? うわぁ……それ知ってたら、もっと本気で狙いにいったのに!」
顔は文句なし、秀でた部分があり、性格にも大きな難はない。そういった女性を、コーデルは本能で察知している。だから、老若幼女を問わないのだ。
「ちーなーみーにぃー、エリカ騎士の子たち曰く、フラフラ目移りしてる男は対象外、らしいよ?」
「……はぁ……」
サージががっくりと肩を落としたところで、タデウスが笑顔のまま追い出しにかかる。彼がいては、ゆっくりと話ができないからだ。
部屋を追い出し、サージがトボトボと彼に与えられた部屋へ向かうのを確認する。それからドアを閉め、ついでに鍵もかけた。
「……ところで、ベアトリスに父方の祖母の話は?」
「祖母譲りの髪と瞳の色であることは知っていますが、出身地については話していないと思います」
「そっか……頭が痛いね」
「ウルスラさんも、頭を抱えていましたからね」
常にそばにいる分、ウルスラに負担がかかるだろう。しかも、武力を嫌うフィエリテ王国だ。ベアトリスに対する風当たりは、相当強くなる。
逆に、リュールング共和国はそれほど気にすることはない。武芸に秀でたベアトリスは、まさにセイヘキ王国の民だ。友好国ということもあって、歓迎されるだろう。
いっそのこと、ベアトリスに教えてしまうのも手だ。そう考え、提案もしたが、あっさりと却下された。
知らずに済むなら知らない方がいいと、モデスティー伯もウルスラも言う。
けれど、知らなければ、身を守ることもできないのでは。それが後々、どんな影響を及ぼすか。これまでの経験からもわかっているはず。
ただ守るだけなら、簡単だ。だが、ベアトリスはそれをよしとしない。自分が守られても満足はせず、守りたいものを守り抜いて満たされるのだ。
それでも、二人は知らせないやり方を選んだ。
「フィエリテにしろ、リュールングにしろ、厄介なことになりそうだね」
「……気が重いですよ」
予想される問題はいくつかある。
フィエリテ王国には妙齢の王女、リュールング共和国には年頃の王子がいる。婚約していると宣言しても、それぞれに相手をあてがおうとするだろう。同行の騎士たちにも、同様の現象は起きるはずだ。
ラエティティア王国連邦は、大国のひとつと信じていている者ばかりだ。しかも、基本的に、自分たちの中で問題を解消している。そのため、勝手な行動がどれほど図々しく失礼なことか、まったく理解していない。むしろ、いいことをしてあげたのに、となる。
こちらが腹を立てれば立てるほど、あちらも立腹していく。かといって、怒りを表明しなければ、これでいいと思われてしまう。扱いが非常に難しく、手間がかかる。
そして、もうひとつ大きな問題は、相手によって態度をコロッと変えるという点だ。
多少はフロース王国で慣れてきたとはいえ、こちらはもっと露骨になる。ベアトリスでは、まともに抵抗すらできないだろう。
「ウルスラが頑張るしかないだろうね」
「……私も、頑張ります」
今さら、婚約者として失格だと言われてはたまらない。
常に彼女を守る立場を、快く譲ってもらえるくらいにならなければ。そのためにできることは、心血を注ぐつもりだ。




