一章 5
最大五十人で構成されるエリカ騎士団。その入団試験に合格できたのは、ベアトリスを含めてたった二十人だった。
彼女たちは一旦、面接を行った広間に集められた。そこから、王城の隣にある建物へと向かっている。
庭を最短距離で案内しているのは、優美な手つきで日傘を差したメイベルだ。
抜けるように白い肌と、淡く色づいた頬に、なまめかしい艶のある唇。バサバサした長い睫毛が彩る、薄い紫色の瞳。丁寧に巻かれて、胸や背中にスルリと流れ落ちる白金色の髪。すらりと伸びた肢体に、羨ましくなるほど抜群の体型。
どれをとっても、感嘆のため息しかこぼれ落ちない。ベアトリス以外の少女たちは一様にそんな表情で、先を歩くメイベルにすっかり釘づけだ。
「あなた方には、わたくしと同じ形で白い制服が用意されますの。今は、そのための採寸に向かっているところですわ」
「は、はい!」
いくつもの裏返った声が返事をする。
確かに合格したとはいえ、彼女たちの大半は、まともに武器を扱えるわけではない。受付時点での対応が常識的な範囲で、武器を握って何とか振り回せた。一から教えれば、かろうじてものになりそうだ。
団長を含めた試験管たちが接した感触で、そう判断できた者を選んだに過ぎない。最終的に使いものにならなければ、容赦なく切り捨てるのだろう。
「制服が出来上がってくるまで、あなた方の特性などを見極めて、伸ばしていこうと決まっていますの。今日は採寸が終了次第、ゆっくり休みなさいね。あなた方は、ほら」
そこで言葉を切り、メイベルは右手にある真新しい建物を指さした。
「あれが女性騎士用の宿舎で、生活に必要な施設はすべて設置されていますわ。もちろん、各部屋に見習い騎士用の制服を、規定どおりに五枚ずつ用意してありますからご安心を。個室は同じ造りですけれど、誰がどの部屋かは相談して決めてくださいな」
「何部屋くらいあるんですか?」
「試験に合格したのは、部屋数以下でしてよ」
ベアトリスの問いかけに言い切り、メイベルは嫣然と微笑む。
「数が多ければいい、というものではありませんわ。多すぎては、こちらの指導が行き届かなくなってしまうでしょう? 最低限の礼儀に言葉遣い、それから武術もしくは魔術を教え込むのですもの」
いきなり現実を突きつけられた。これから先、どれほど厳しい日々が待っているのか。サッと青ざめて、露骨な不安の色を隠せない者ばかりだ。
「特にベアトリスは、団長として知っておかなければならない知識を、わたくしたちが叩き込みますからね。せっかくですもの、剣の腕ももっと上げてもらいましょうか。明日から覚悟してなさい」
「あ、あの、勉強とか、頭で覚えるのって苦手なんですけど……」
ジロッととメイベルに睨まれる。
ベアトリスは「できるだけ、頑張ってみます」と、消え入りそうな声で呟いた。
職人棟と呼ばれている、王城の隣で城門の真っ正面にある建物。その二階に、針子や機織りなどの被服関係が集められている。
メイベルが階段脇のドアを叩くと、すぐに開かれた。
栗色の髪をしっかりとまとめ上げた、三十前後と思しき女性が顔を覗かせる。ちょっと首を傾げ、ベアトリスたちを見ると頬をゆるめて微笑んだ。
「いらっしゃーい。あら、若い子ばっかりってことは、ひょっとして将来性? もうメイベルは終わってるものねぇ」
ニコニコと笑みを崩さない彼女に、メイベルは目の覚める完璧な笑顔だ。
「だいたい、いつまでその状態でいるつもり? 花の盛りは短いのよ? ……あーら、ごめんなさい。あなたは永遠に咲き続ける、みっともない造花だったわね」
まだしばらくは咲き誇りそうなメイベルに対し、彼女は容赦ない言葉を次から次へと浴びせた。
「まったく、マラキアの口の悪さには閉口させられますわ。何度も言いますけれど、わたくしは! 永遠に! 十七歳の! 乙女! でしてよ! しかも、造花でなくて、立派な生花ですわ!」
「二十四にもなって寝言ばっかり言ってんじゃないよ」
ふん、と心底おかしそうに、マラキアは鼻で笑う。すぐに、ことごとく硬直しているベアトリスたちへ視線を向ける。
「さ、入って。さっさと終わらせちゃいましょ」
たった今目撃したやり取りとそぐわない、屈託のないマラキアの笑顔に。苦虫を噛みつぶした顔で、メイベルがベアトリスを室内に押し込んだ。
部屋の中央には、腰丈で正方形の、大きな木製テーブルが三つ。ぴったりくっついて、まるで横長の巨大な机だ。分厚い机上にはハサミや針、糸などの道具が散乱している。
収納棚らしき場所には、色とりどりの畳まれた布やリボンに、繊細な編みのレース。それらが隙間なく、ぎっちり詰め込まれている。それでも収まりきらない布などが、部屋の角で山を作っていた。
入り口左手の壁際には、生成り色の布で仕切られた場所が三つ、仲良く並んでいる。
室内には、真新しい布の独特な匂いがふわりと漂う。
「まずはベアトリスから測ってもらいなさい。四番街育ちが多くて少々口は悪いですけれど、ここの針子たちの腕は確かですの」
その言葉どおり。されるがままのベアトリスは、仕切りの中に押し込まれて、あっという間に服を脱がされる。目を白黒させているほんの一時で、採寸は終わっていた。
服を着ると仕切りの中から追い出される。その後は、邪魔にならないところで突っ立っているしかない。時間は短かろうと、味わった疲労感は膨大でぐったりしてしまう。
最後の一人が放り出されると、書き留めていた紙をまとめたマラキアが顔を上げる。
「えーっと……ちょっとメイベル、ベアトリスってどの子?」
「あなたが最初に採寸したでしょうに。もうボケてしまったのかしら?」
「あー、あの子ね。こう、膝丈スカートで大量レースのヒラヒラフワフワした服で、足と腕を出して、ついでに騎士の宿舎を回って欲しいって思った子」
「……有望な騎士を、わざわざ犯罪者にしないでちょうだい」
メイベルの嫌味は聞こえない振りのマラキアが、迷いのない足取りでベアトリスの目の前にやって来た。
「エリカ騎士の団長さん。団長は制服以外にもいろいろ必要なものが出てくるから、その都度嫌がらせみたいに採寸するけどよろしくね」
「は、はあ……」
カーテンで仕切っただけの狭い空間に押し込められ、慌てて振り返ったらカーテンが閉まっている。外の様子は一切見えないが、音がだだ漏れの個室状態。置かれた状況を理解する間もなく、子供のように服を脱がされる。胸囲から始まって裄丈まで測られた後、紙に書きながら「服を着てね」と言われた。
その間、たった数分。
今後もまたある、と言われても、そのたびにわずかな時間、オロオロしていればいいのだから問題はなさそうだ。
ふと顔を上げると、マラキアがジッと見つめていた。
「あ、あの?」
「若いよねぇー。メイベルと違って、明らかに若いよねぇ……ちょっとメイベル、見習いなさい。これが本物の十代の肌よ! ぴっちぴちよ!」
頬をプニプニと人差し指で突くマラキアの台詞に、聞いていたベアトリスたちがザッと青ざめるより早く。
「でしたら、わたくしの頬も触ってみなさいな」
背筋が一瞬で凍る無表情のメイベルが言えば、マラキアは相変わらず鼻で笑う。
「ハッ、冗談じゃないわ。あんたは頬まで筋肉でできてるんだから」
「ああもう! 本当にマラキアは昔から、わたくしにばかり厳しくて嫌になりますわ!」
「いい加減に現実見ろ、って言い続けてるだけじゃない。この造花!」
その間ベアトリスは、ずっとマラキアに頬をつんつん突かれていた。
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無事に採寸が終わった。ぞろぞろと宿舎へ向かうエリカ騎士たちと一緒に、向かおうとしていたベアトリスだったが。
「何をしているんですの? あなたはこちらでしてよ」
「え、え?」
メイベルに腕を引かれ、職人棟の階段をひたすら上がる。最上階の五階にたどり着いたところで、メイベルはベアトリスからやっと手を離す。
「ここが団長の私室になっていますの。階段を上るのは、訓練の一環だそうでしてよ。いい迷惑ですわ。そうそう、あなたの部屋は手前の左側よ。隣がわたくしで、正面はオリオン。問題児は奥に放り込んでおきましたし、何かあったら悲鳴を上げるなり逃げるなりなさいな。わたくしかオリオン、ヴァーノンが駆けつけますわ」
「……至れり尽くせりですね」
「あの後も面接をしましたけれど、二十人もいて、あなた以外に団長を任せられる人間がいなかったんですもの。こんなことで、逃げられるわけにはいきませんわ」
それが本心からの言葉だと、メイベルの剣呑な表情からうかがい知れた。
貴人相手に家柄は必須。庶民にはわからなくとも、彼らには家名だけで氏素性が手に取るようにわかるのだ。それゆえ、己より低い家柄の人間を、あからさまに下に見る。
「あなたでなければ、気位ばかり高い貴族は黙らせられませんの。モデスティー伯はわたくしには及びませんけれど、オリオンと同じで大半は封じることができますわ」
「……兄様って、そんなにすごいんですか?」
「すごい、どころじゃありませんわ。モデスティー伯は、国政に関わる案件を一手に引き受けていますの。農作物の出来や鉱山の採掘状況、家畜の生育状態を把握した上で、来年の税率まで決めていますわ」
どこにいても、やたらと書類とにらめっこばかりしている兄だと思っていた。しかし、そこまで重要な仕事をしていたとは。
たった今、初めて聞き知ったベアトリスは、口を開いてぽかんとするばかりだ。
「もちろん、国内外から集まる苦情もすべて、彼の元ですの。相応しくないと判断されれば、騎士団長だろうと宰相だろうと、あっさり任を解かれてしまうでしょうね。下手をすると、国王でさえ退任させられるかもしれませんわ」
「じ、じゃあ、メイベルさんたちがみんな若いのも……?」
冷や汗で背中が冷たい。
「わたくしたちは、前任が老化による力不足を理由に勇退されたからでしてよ。誰からも惜しまれておりましたけれど、ご本人方が『寄る年波には勝てん』と笑って、今は一騎士として後進の育成に励んでいらっしゃいますわ。その前はわたくしが従騎士となる前ですから、さすがに存じ上げておりませんの」
ことさら問題がなければどうでもいい。
兄がその性格を国政にまで持ち込んでいることは、少なからず考え物だ。しかし、権力をむやみやたらと振り回しているわけではない。
何となく甘えたくなった時の、子供っぽい振る舞い。それを許容してくれる兄を、名実ともに誇れること。
それは、ベアトリスにとって大きな救いだ。
「それから、設えられているもの以外で必要なものは、自腹という決まりですの。当然、解任などで出て行く場合は、私物は持ち出せますわ。そして、これがあなたの部屋の鍵ですから、絶対になくさないように気をつけなさい」
「わかりました」
ビシッと敬礼を決め、鍵を受け取ったベアトリスは与えられた部屋に入る。
兄がくれた、自分の部屋と同じくらいだろうか。そうした予想より、部屋はずっと広かった。
床には、毛足の長い絨毯が隙間なく敷かれている。部屋の中央では、深緑色でビロード生地の三人掛けのソファが二組、大理石のテーブルを挟み込む。ドアの脇、メイベルの部屋寄りには、重厚な文机がどんと鎮座していた。
入って左には寝室があり、こちらの床も絨毯できっちり覆われている。左側の壁にぴったりと寄せた、深紅の天蓋つきの真っ白なベッド。ドアの右壁には、幅も高さも一メートルほどの白いチェストが立つ。残りの壁際を埋めるのは、天井に届くほど背の高い、淡い茶色のクローゼットの群れ。
部屋と寝室、それぞれのドアには、外から力任せに何度かぶつかれば壊せる程度だが、内側に鍵がついている。万一、在室中にコーデルが突撃してきても、いきなり踏み込まれることは避けられそうだ。
「団長なんて柄じゃないけど、頑張ろうっと!」
その時、軽くドアを叩く音がした。
とっさにドアを開けようとして、脳裏にコーデルが思い浮かぶ。思いとどまり、そっと内鍵を閉めて誰何する。
「はい、どなたですか?」
「わたくしよ。先ほど伝え忘れたのだけれど、夕食は持ってきて差し上げますから、今日はゆっくりお食べなさい。湯殿は三階の一番奥にありますから、行きたいのでしたら今すぐがよくてよ。着替えもリネンも、クローゼットに入っていますわ。それから、あなたは明日から、午前はガザニア騎士に剣を習いなさい。午後からはわたくしかヴァーノンかオリオンが、団長としての心得を叩き込みますから覚悟なさいね」
メイベルとヴァーノンはともかく、オリオンにできるのだろうか。
どう頑張って想像しても、成り立たない光景ばかりが頭を過ぎったが。
「わ、わかりました……」
ベアトリスは、どうにか承諾の言葉をしぼり出した。