一章 3
四日目も、朝から勉強三昧だった。
ラエティティア王国連邦には、たくさんの小国がある。そのすべてをいきなり覚え、把握することは難しい。
「まあ、そんなわけで、他に覚えてもらいたいのは、フィエリテ王国とリュールング共和国、それぞれが懇意にしている国だね。数はそう多くないし、今すぐその国々まで細かく覚えろとは言わないから。まあ、いずれは覚えて欲しいけどね」
「は、はい……」
紙に書き出された国名を見て、地図から探す。そして、それぞれの距離を確かめる。
小国が集まっているラエティティア王国連邦だが、国同士のつき合いに距離は関係ないようだ。地図上でも遠いと感じる国と親しくし、すぐそばの国とは仲が悪い。
「……近くても、仲良くはできないんですね」
「まあ、リュールング共和国は特にそうかもね。何しろ、王制国家とは相性が悪いから、どうしても狭いつき合いになるんだよ」
「あ、そうなんですね」
何気ない独り言のつもりだった。けれどタデウスは、そんな呟きにも、常に何か言葉を返してくれる。
思い返せば、メイベルは、やる気を見せれば援助を惜しまない人間だ。その兄であるタデウスも、似た部分を持ち合わせているのだろう。
「あ、言い忘れてたけど、フィエリテ王国は魔法使いが好きだから。でも、魔法が使えない人間は見下されてしまうから、僕は好きじゃない。オリオンを連れてきたのは、フィエリテ王国相手の切り札になるからだよ」
切り札。
その言葉と、オリオンが、ベアトリスにはつながらない。
含みのある笑みを見せたタデウスに、思わず身構えてしまった。
これまで、ひたすら顔をつき合わせてきたのだ。さすがに、彼が何か企んでいる時の表情くらいは把握できる。
「ふふっ、そんなに警戒しないで。君は、フィエリテ王国にもリュールング共和国にも、騎士に似た組織があるのはわかっているね? どちらも、我が国の騎士団と近い形で、従騎士や見習い騎士に当たる人間を多数抱えている。ということは、見習いどころか、従騎士すらほぼすっ飛ばしたオリオンがどれだけすごいか、すぐに理解してもらえるということでしょ?」
「……一応、一年は従騎士をしましたよ」
ボソッと反論したオリオンに、タデウスはさらに畳みかける。
「あのね、見習い騎士にならずにいきなり従騎士になって、しかも翌年には騎士になったなんて、どこでも普通じゃないんだよ。オリオンだってわかってるでしょ? まあ、レーニアたちも、ある意味普通じゃないけどね」
ひと言が何倍にもなって返ってくるからか。ここでオリオンは、完全に口をつぐんだ。そんなオリオンをチラリと見て、タデウスは楽しげに微笑む。
「……あの」
疑問を覚えたら聞くように。そう言われていたから、ベアトリスはつい呼びかけてしまった。
パチパチと数回瞬いたタデウスが、ちょいと首を傾げて続きを促す。
「メイベルさんたちも、普通じゃないんですか?」
「ああ、君は知らないのかな? レーニアはあの通り。ヴァーノンは強引に養子にされたし、テレンスは自分が好きすぎて家族が持て余した結果。コーデルは実の姉妹ですら口説いたものだから、家から追い出された口。ね? 誰を見ても普通じゃないでしょ?」
開いた口がふさがらない、とはこのことか。
タデウスが知っているのだから、公然の秘密のようなものなのだろう。
「……タデウス殿下。申し訳ありませんが、その話は……」
「ん? ひょっとして、まだ話しちゃダメだったかな? うん、ゴメンね、ベアトリス嬢。今の話は聞かなかったことにしておいてくれる?」
オリオンに視線と声音で窘められたタデウスが、あっさりと言い放つ。
一度耳に入れた話を、聞かなかったことにする。そんな真似ができたら苦労はしない。だが、頷く以外の選択肢がないこともまた、ベアトリスにはわかっていた。
テーブルを挟んだ正面に、温かさのないにこやかな笑みが見えているのだから。
「それから、リュールング共和国は、魔法使いを嫌っている。武芸に優れた人間を好むから、そこで君とウルスラとテレシアの出番だ。君たちなら、閣下にも気に入られるだろうね」
「え?」
急に話題が変わった気がして、一瞬意識がついていけなかった。おかげで、聞き逃したのか、聞き間違えたのか、それとも正しいのかがわからない。
「弓姫と呼ばれる君と、先だってオーソンのみぞおちに膝蹴りを食らわせたウルスラ。水桶を一人で運んでしまうテレシアなら、リュールング共和国で間違いなく人気者になれるよ」
「……え?」
再び、耳を疑うような話が飛び出した。
(ウ、ウルスラさんが、オーソンさんに、膝蹴り……? えぇー? 何もなくてそんなことをするほど、嫌ってはいないと思っていたんですけど……)
いったいいつ、どこでそんなことをしたのか。それ以前に、ウルスラがそんなことをする状況が思い浮かばない。
「……あれ? ウルスラって、君には何でも話しているんじゃないの? ひょっとして、話していないこともあるのかな? うわぁ……ゴメンね。今の話も忘れてくれる?」
どうやらウルスラは、タデウスともそれなりに懇意にしているようだ。
これまでの会話ではっきりわかったのは、それだけだった。他は、いっぺんに情報として入って来てしまって、理解がまったく追いつかない。
「タデウス殿下は、時々おしゃべりが過ぎるんですよ。私が知っている頃から、ことあるごとに注意を受けているはずなのですけれど……」
ため息と一緒に吐き出されたオリオンの言葉に、タデウスが苦笑いを浮かべる。
「そういえば、うっかりいろいろ言っちゃって、よくレーニアに鉄拳をもらったよ。そのうち、手が痛いからって言って、あの頑丈な手甲をするようになってね」
「ああ……」
メイベルの使う武器のひとつが、革製の硬そうな手甲だった理由がわかった。そんな気分になって、ベアトリスは思わずため息をこぼす。
日傘に短剣を仕込んでいるのは、持って歩いても違和感のないものだったからだろう。
諸々のことがあって、今のメイベルがあるのだ。
「あの手甲には、実は薄い金属が挟んであってね?」
「……タデウス殿下、嘘はいけないと思います」
内緒だよ、と真顔で語りかけるタデウスを、オリオンがバッサリと切り捨てる。
真剣な表情で嘘を言う。冗談を言っている素振りで、事実を語る。そんなタデウスが理解しきれずに、ベアトリスはただただ呆然とするばかりだった。
‡
休憩時間にコツコツと、ウルスラがラエティティア王国連邦の内情を教えている。
テレシアはほぼ最新の情報を知っていた。メルルも、思っていたほど古い情報ではなかった。問題は、ほとんど知らないヴェラだ。
それでも、フィエリテ王国とリュールング共和国の違いは把握してもらった。
「ああ、それから、ヴェラとメルルは、リュールング共和国では、団長か私かテレシアにくっついていてください」
「どうして?」
ヴェラが素直に聞き返す。
「リュールング共和国は、武芸を愛する国です。それこそ、私が団長に愛を注ぐ勢いと変わりないほど、武芸を徹底的に愛している国です。魔法使いは毛嫌いされているので、一人でいると危険ですからね」
魔法使いが主体になっているということは、フィエリテ王国を警戒しているからだろう。しかし、世話になるリュールング共和国に、いい顔はされない。そこを埋めるため、魔法を使わない人間を入れたのだ。
それも、それぞれの使用武器で、特に実力を買われている者ばかり。そう、モデスティー伯が断言している。
「少々面倒ですが、地位を確立するために、団長と私とテレシアは手合わせが待っているでしょうね。あとは、アマリリスの団長が遊ぶのではないかと思いますけど」
過去に、たった一人であの強固な防御を破ったのは、ベアトリスとリサだけだ。
どれほどの力自慢でも、一か所に攻撃を集中させることは難しい。しかも、切りつけていては壊せないのだ。同じ場所を何度も突き刺すしかない。
手合わせとはいえ、自身が攻撃を加えた場所を覚えて、そこへ集中させるのは厳しいだろう。
「アマリリスの団長が頑張ってくれたら、少しはマシになるかもしれないですけど……どうでしょうね」
休憩時間でも、馬車に乗っている者たちは下りてこない。恐らく、ベアトリスがみっちりと勉強させられているのだ。
やる気さえあれば、タデウスは丁寧に教えてくれるだろう。その辺り、タデウスはいい教師と言える。
「んー、アマリリスの団長なら大丈夫じゃない? うちの団長のために、すっごく頑張ってくれるでしょ」
「うんうん。あっさり負けちゃったら、団長の婚約者なんて名乗れない、とか思ってそうだもんね」
知らず知らず、乾いた笑いがこぼれそうになった。
確かに彼は、ベアトリスと釣り合いが取れないと思っている節がある。しかし、ベアトリスはベアトリスで、彼に追いつきたいと考えているのだ。
(そのうち、お互いに同じことを考えているのは理解できるでしょうが……ああ、それより、あの野郎が余計なことをペラペラしゃべっていないかが心配ですよ!)
噂話が何より好きで、彼自身もひどくおしゃべりで。知らない間に秘密を知られ、盛大的に広められた犠牲者も少なくない。
(だいたい、何であの野郎があんなところに居合わせるんでしょうね)
ベアトリスとミランダが話題の中心になった、あの翌日。廊下を歩いている時に偶然出くわし、まずは情報隠蔽に関する苦情を伝えた。ところが、真っ先に返されたのは、あの何を企んでいるかわからない笑みだ。
『ところで、ウルスラ。君はいつか、ホートン候夫人になるんだね?』
『今のところ、そんな予定はありませんけど?』
『えー? 他人に触られるのが大嫌いな君が、あんなことを許したのに? でも、その後の膝蹴りはいただけないよね』
『……第二王子ともあろう方が、堂々と覗きですか? 悪趣味ですね』
にこやかに笑ってみせたつもりだったが、絶対に引きつっていただろう。
(あれを見られていただなんて……失態なんて可愛い言葉じゃ、間に合いませんよ)
つい思い出してしまい、うっかりため息をついてしまった。慌てて同僚を見たウルスラは、彼女たちがすっかり盛り上がっていることに気づく。
少し耳を傾けただけで、恋の話題だとわかった。
(この手の話には、近寄らないのが無難ですからね)
そっと離れようと、一歩遠ざかった瞬間。
「そういえば、ウルスラは好きな人いないの?」
最も嫌な話題を振られた。そう思いながら、ウルスラは努めて平静を装う。
「今のところ、団長以上に好きな人はいませんね」
「……ウルスラは、団長が大好きだもんね」
力ない笑いに乗せられたヴェラの呟きに、ウルスラは力強く首肯する。
どちらかといえば、『好意』よりは『愛情』だ。もちろん、異性に対するものではなく、家族に向けるものに近い。
彼女は、憎悪は包み込んで溶かしてしまう。しかし、愛情をぶつけるとそのまま返してくる。何とも言えない、不思議で心地よい存在だ。
「恋人が欲しいって、思わないの?」
「そんなものはいりませんね」
テレシアに問われるが、きっぱりとウルスラは答える。
元々、ホートン候に拾われてつないだ命だ。それをホートン候のために使うつもりはあっても、自分の自由にする気はなかった。そして今は、ベアトリスのために使うと決めている。
彼女が望むなら、結婚することも、子を産むことも、決して厭わない。
「ああ、そうです。あと二日もすれば、ラエティティア王国連邦の国境へ到着しますから、準備は怠らないようにしてくださいね。フィエリテ王国が一番岸に近いので、平然と刺客を送り込んでくるかもしれませんし」
「え……」
あくまで可能性のひとつだ。現実になるとは限らない。むしろ、現状ではあり得ない話だ。
しかし、ウルスラが言うと、無駄に信憑性が上がるのだろう。ヴェラたちは、そろって顔を引きつらせている。
「陸地にいる間より、移動で船に乗っている間を心配しましょうか。万一、船が沈められたとして、泳げます?」
「ちょっとウルスラ……不吉すぎるよ……」
「私は、あり得る話しかしませんよ?」
別段、怯えさせたいわけではない。しっかりと腹をくくって欲しいだけだ。
船を沈められても、泳いで陸地にたどり着く。それだけの気概を持っていてくれなければ、到底無事に帰って来られない。
その程度には、厄介な国々の集まりなのだ。




